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第10話 もう、戻らない(回想)

 ひとしきり泣いて、今度こそ涙が涸れた時、恐ろしく冷静になっている『俺』がいた。  次に自分がすべき行動は既に決まっていた。  もう『後戻り』は出来ない——。  その夜は早々に寝た。何も考えず寝た。  朝起きて、朝食を食べた後にまずしたのは、パソコンを開く事。そして調べた。  発情期休暇は七日。一日を病院で消費したから、残りは六日。時間がない。その短期間のうちに『決行』しなければならない。 一秒だって無駄には出来なかった。    発情期休暇の間、大和は毎日、携帯にメッセージを送ってくれる。αの大和を本能で求めてしまうから、発情期中は会う事も声を聞く事も出来ないから。そして俺は、束の間理性が戻ってきた時に既読をつける。返信はしない。それがいつものやり取りだった。  今は本当は発情期ではないが、大和に訝しがられないように、メッセージには既読をつけた。  その裏で着々と『準備』を進めていった。  そして発情期休暇最後の日の夜、大和から電話が掛かってきた。  これも、いつもと同じ。 「お疲れ様。明日の午後会えるの、楽しみにしてる」  いつもと同じ、労いの言葉。  そして俺も返す。いつもと同じ言葉を。 「俺も、楽しみにしてる」と——。  この時、俺は既に自宅だったアパートにはいなかった。  時間は十時間程遡った早朝、俺は家を出て『ある場所』に向かった。  向かった先は、家族が眠る『霊園』。  家族に自分の決意を伝えた後、俺は墓石の隣に掌大の石を立てて手を合わせた。  妊娠七週で失われた命。  世間一般には存在しない、法でも認められない命。  それでも……。  俺にとっては愛しい命だった。一週間後には心臓の動きが判るって言われていた。  初めて愛した人との『愛の証』だった……。 『永遠(とわ)』と名付けた。そんなのは無意味だと解っていたけれど、せめて俺だけは憶えていてあげなければ……と思って、名前を付けた。    昼過ぎに一度自宅に戻った俺は、準備していた荷物を持って再び家を出た。  もう戻る事のないアパートを後にした——。  俺は今、駅前のビジネスホテルの一室にいる。  幼い頃に母と二人身を寄せ、温かく迎えてくれた祖父母と共に過ごしたアパート。母を、祖父を、そして祖母を見送った後も、家族との思い出を大切に独りで暮らしたアパートの部屋を引き払い、昼過ぎに一度戻った後に、大家さんに鍵を返したから。  俺は生まれ育った街を出る決意をした。    ホテルに一泊した俺は、翌朝、店が開く頃にホテルを出た。向かったのは駅前の携帯ショップ。店に入る前に、勤務先のカフェに電話して辞める事を伝えた。それは本来なら有り得ない事だ。当日に電話一本で退職を申し出るなど、不義理にも程がある。それでもオーナーは何も訊かずに受理してくれた。街を出る事を告げれば、身体を気遣う言葉までくれた。仕事が見つからず途方に暮れていたΩの俺を、快く受け入れてくれた。感謝しかなく、不義理を謝る事しか出来なかった。  次は大和にメッセージを送った。平日だから、メッセージに気付くのは恐らく昼頃だろう。授業中は携帯は鞄の中だと言っていたから。それを承知の上で送った。  ただ一言、『さよなら』と——。  その後はすぐに入店して、携帯を解約した。これで、大和がメッセージに気付いて返信してきても、俺には届かない。  アパートを引き払い、カフェを辞め、携帯を解約した。  自分の存在の痕跡を消すように……。    電車に飛び乗った。  こうして俺は、大和の前から消えたのだ——。  

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