57 / 59

第55話 兆し

 日々は瞬く間に過ぎて、子供達が生まれてからもうすぐ三ヶ月になる。絆も紡も、少しずつすくすくと育ち、体重も出生時の倍ほどに増えた。それに、成長といえば、絆は首が据わった。修正月齢はまだ二ヶ月だから、早いほうだという。αは成長が早いと聞くけれど、個人差もあるから一概にはいえないよな。俺としては、ゆっくりでも自分のペースで育ってくれたら良いと思ってる。αだからとかΩだからとか、そんな物差しで子供達のこれからを縛りたくない。  今日俺は《《ひとりで》》病院に来ていた。子供達は大和が家で見ている。  実は俺、車の運転が出来たりする。こっちに戻って来てからは門脇さんが、結婚してからは大和が運転してくれたから、俺が運転する必要はなかったの。施設に就職する時に「必要だから」と言われて免許取ったんだけどね。約十ヶ月振りの運転だからドキドキしたけれど、案外、体は覚えているもんだなぁ…と思った。    今日かかるのは産科ではなく、Ω科だ。  もうすぐ大和は育休を終えて職場復帰する。日中なら一人でも大丈夫なくらいには、育児には慣れた。ただ、気になる事もあって、大和が休みの内に一度Ω科を受診しておこう、って思ったんだ。勿論、大和も了承済み。  待ち時間を経て名前を呼ばれ、Ω科の診察室に入室した俺は、三ヶ月振りに丹羽先生と再会した。子供達の健診で二度来院したけれど、当然先生は外来勤務中だったから、会う事は叶わなかった。退院の日に会ったきりだったから。  再会の挨拶を済ませた後、問診と診察に入る。積もる話はあるけれど、此処は病院。雑談をする所じゃない。俺の後にも患者さんが待ってるんだから。  診察結果は異常なし。待ち時間で受けた血液検査も問題なかった。フェロモン値も基準値で問題なし。  診察の後は相談タイムだ。Ω科はΩの診察だけでなく、Ω性ならではの相談にも乗ってくれる科だから。  俺は最近気になっていた『あること』について相談した。そして先生は『ある仮説』を立ててくれた。あくまで仮説。暫くは様子を見るしかないね、と言われたけれど、結局今はそれしかないのだろう。  それとは別に、先生から『ある注意』を受け、俺は帰宅した。  午後、子供達が寝たのを確認してから、俺は大和に、今日の診察で丹羽先生から受けた注意について話した。  俺の発情期の再開について、だ。  通常、産後のΩの発情期は三ヶ月から一年未満で再開すると言われている。幅が広いのは、母乳育児の有無によるものらしい。母乳の出は個人差が大きく、出が悪くミルク育児を選んだ人は発情期の再開が早く、母乳メインの育児だと遅い傾向があるという。ただ、俺の様に混合栄養だと少し予測し難い所がある、と。つまり、いつ再開してもおかしくないという事だ。  そして、ここからが本題。大和はあと数日で職場復帰する。日中は俺一人での育児になる訳だけれど、これは先生が大和の家族全員がαだと知った上での『注意』だ。 「まだご主人と番っていない今は、ご主人以外のαとの接触は極力避けたほうがいいですね。授乳中は抑制剤が飲めませんから、尚更注意が必要です」  だから大和が不在の時は一ケ瀬の家族とは会わないほうがいい、と。  少し寂しいけれど、確かに不用意に接触してその場で万が一発情なんかしたら……と思うと、仕方ないかなと思う。 「莉子に連絡してみるか」 「莉子ちゃんに?」 『莉子ちゃん』は大和の妹さんで一ケ瀬家の紅一点。まだ数回しか会ってないけれど、凄く綺麗な子で、でも、性格はとっても男前。本当に、顔面偏差値の高い家族…なんだよなぁ…。   でも、何で莉子ちゃんに連絡? 首を傾げる俺。 「ああ、莉子を通して明日香にな」 「明日香ちゃん…?」  明日香ちゃんっていうのは、莉子ちゃんの彼女さん。結婚前提で二年前から同棲してるんだって。莉子ちゃんと会う時はいつも明日香ちゃんも一緒だから、会ったのはやっぱり数回だけど。少しぽっちゃりめの可愛い子。莉子ちゃんの一つ下の二十二歳なんだって。バース性はβって言って……。 「あ………」  そっか。俺は大和に言われる前に納得した。 「そうだ。明日香はβだからな。何かあった時は可能な限り俺が駆け付けたいとは思うけど、幾らオーナーが理解してくれているとはいえ、仕事をしている以上は責任が伴うし状況にもよるだろ? けど、ウチは執事込みで全員αだし、実質、俺の代わりを頼めるのは明日香しかいない」 「でも、彼女も仕事……」 「無理強いはしないさ。可能な時だけで良い。ちゃんとそう言っとくよ」  明日香ちゃんを思い浮かべた。見かけは可愛らしいけれど、中身はとってもしっかりしていて自立した女性なのだと、莉子ちゃんだけじゃなく、一ケ瀬のみんなが言ってたな。介護士をしてるんだとか。 「甘えた人間は嫌いなんだ。私はちゃんと自立した女性が良い。媚を売って来るような…相手に依存する様な女性は好きじゃない。互いを支え合える女性が良い」 とは、莉子ちゃんの弁。「あ、女性限定なんだ……」と内心で思ったのは内緒な。莉子ちゃんは話し方もとってもワイルド。兄達の事ももれなく呼び捨て。なのに、両親の事は「パパママ」と呼ぶらしい。そのギャップが可愛いんだ、というのは大和の弁。大和も大概シスコンだな、と思った俺だった。  で、俺がそんな事を考えている間に、大和は莉子ちゃんに電話していた様だ。 「ああ、悪いな莉子。明日香にも迷惑かけるけど」  俺が「代わって」と小声で言うと、大和は「渚に代わる」と相手に言ってから、俺に代わってくれた。莉子ちゃんと話してから明日香ちゃんに代わってもらい、自分からもしっかり『お願い』した。  通話を終えて大和に電話を返すと、大和はそれをチェストの上に置いて、正面から俺を抱き締めた。 「……する?」 「……する。 けど、少し渚を堪能してから……」  そう言いながら、俺の首筋に顔を埋めくんくんと匂いを嗅ぐ大和。 「っ! く……擽ったいよ」 「うん。少しだけ……。いい匂い……」  尚もくんくんする大和。俺も同じ様に大和の首筋に顔を埋め、その匂いを吸い込んだ。微かに香る爽やかな匂い……。  少し前から、大和から匂いが感じられる様になった。ほのかに香る程度だったけれど、大和のαフェロモンだと直感で解った。そして時を同じくして、無意識か自覚してかは知らないけれど、大和は俺を抱き締めて匂いを嗅ぐ様になった。時期的には、デートした日の後くらいからだったと思う。  あのデートの日以降、俺達は夜、子供達が寝ている合間に、声を潜めて夫夫の営みをする様になっていた。途中で子供達が起きてしまう事が多く、最後まで致せるのは数回に一度くらいだったけれど。余談だけど、いざ挿入!という所で中断を余儀なくされ、揃ってパンツ一枚で世話をした事もある。以来、全部脱ぐのは止めた俺達だった……。  話は反れたけれど、その日以降、日に日に大和のフェロモンが強くなっている様に感じた俺は、先日のΩ科受診の際に相談したのである。大和の言動が意識的か無意識か判らないから彼には何も言っていない事、恥ずかしかったけれど、フェロモンを感じる様になったのはデートで性行為をした直後からだという事も話した。丹羽先生は頷きながら聞いた後、ある一つの仮説を立ててくれた。 「君との愛溢れる行為がトリガーだったのかも知れません。α性を否定されたと思う事により眠ってしまったαの本能が、互いに深く求め合う事により『赦された』と判断して、今度は逆に作用した。αに戻りたい、番いたい、と」  あくまで仮説ですが……と先生は言ったけれど、俺はその仮説に信憑性を感じた。確信がある訳じゃない。そうであったら良い、という願望かも知れない。  理由は何にしろ、大和のα性フェロモンが戻りつつあるのは事実。ただ、今はまだ大和には言わない。本人は気付いているのかも知れないけれど、大和から何も言わないのなら、俺も言わない。今はただ、『その日』が来るのを心待ちにしながら見守るだけ。  そう、見守るだけだ――。

ともだちにシェアしよう!