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「おかえり」と「ただいま」

 朝の日差しを瞼越しに感じて、俺は目を開いた。  ……朝……?  部屋にひとつきりの窓からは、明るい朝日が差し込んでいた。  ……なんだ……?  えーと……。  ……まさか俺は、意識を飛ばしたのか……??  客を置いて、一人で先に昏倒したと……?  ――金は?  金どうなった!?  慌てて跳ね起きれば、隣からすうすうと規則正しく聞こえていた寝息が途切れた。  そこでようやく、俺は俺の隣に男がまだ寝ていたことに気づいた。  良かった……。  少なくとも、持ち逃げはされてねーな。  俺は視線で机の上を確認する。  よっぽど細工の上手い奴なら話は別だが、少なくとも金貨と銀貨の山に昨日俺がかけた布には、一度も捲られた形跡はなかった。  仰向けで真っ直ぐに寝相良く寝ていた男が、俺が目覚めた事に気づいてゆっくりとこちらを見る。 「ん……、朝か。おはよう……」  寝起きだからか、柔らかなバリトンボイスは少し掠れてさらに色っぽさを増している。 「あー……、おはよう。……その……昨日は悪ぃな、俺ばっか良くしてもらったみてーで……」  ……つーか、俺的には正直恐怖体験だったんだけどな。  あんなに激しく感じた事なんて今まで一度もなかったし、俺ばっかあんなに感じてちゃ、そもそも仕事になんねーだろ。 「いや……、とても可愛かっ……あー、その、美しかったよ」 「別に可愛いでいいよ、こんな商売だし。それよかお兄さんもイけたか?」 「ああ、凄く良かったよ、ありがとう」  朝日の中で整った顔の男にニコッと爽やかに微笑まれると、とても情事の感想には思えないんだが、まあこの男が無事イけたなら最低限度は仕事を遂行出来たとするか……?  って、うん……?  うわ、俺の体……綺麗になってっし……。 「え、お兄さん俺の世話までしてくれたんだ?」 「流石にあのまま寝かせるのはと思ってね」  そりゃまあ……同じベッドで寝んのに隣の男が異臭を放ってたら嫌だよな……。  あー、そっか、俺が金をまだ受け取ってなかったから、俺を置いて出ていけなかったんだな。  悪ぃことしちまったな……。  立ちあがろうとして、俺の中からドロリとしたものが溢れ出す感覚に、慌ててケツの穴を締めた。 「お兄さん、まだ時間あるか?」  男は「そうだな……」と時計を見てから「二時間は大丈夫だ」と答えた。 「ちょい待っててくれな、身支度して来っから!」  男の頷きを得て、俺は部屋の隅に纏めてあった使用済みっぽい手拭いを抱えて部屋を出た。  そうだよな、あのお兄さん普通に女しか抱いた事なさそうだったもんな。  男は前準備だけじゃなく後処理もいるって知らなかったんだろうな。  俺は手早く処理を済ませて、髪も体も拭いて、軽く香り付けをする。  手桶に水を汲んで、綺麗な手拭いを一枚添えて、部屋へと引き返した。  扉を開けると、室内には開け放たれた窓から朝の涼しい風が入っていた。  ん? あの男は……?  一瞬焦るが、よく見れば、ベッドの奥でミルクティー色の髪が見え隠れしている。  男は腕立て伏せをしていたようで、その額は汗で濡れていた。 「ああ、おかえり」  男にそう声をかけられて「ただいま」と返す。  ってなんでだよ、ここは家じゃねーし、一緒に暮らしてるわけでもねーだろ。  それでも、この男にそう言われるのは何だか少し嬉しかった。  俺が汗を落とすようにと手桶を渡すと、もう少しこの部屋を使って良いなら、筋トレを済ませてからにしたいと言われた。  男のさっきの言葉を思い出して、二時間後までなら十分使ってていいと答えると、男はトレーニングを再開した。  毎日そうやって真面目にトレーニングしてんだなぁ。  ギルは相変わらず真面目………………っ、じゃねーよ!!  待て待て待て、そうだよ!!  こいつ昨日俺の事セレスティアって呼んだろ!?  って事はギルは本当にギルフォードなんじゃねーかよ!!  俺が追い出された屋敷にいた、生き別れの義兄のっ!!  記憶の中のギルフォードは可愛い系の細身の男子で、声も高くて髪色もハニーブロンドだったし、こんなゴツい男とはちっとも結び付かなかったが、そりゃ大きくなれば髪色も変わるし声だって下がるか……。  泣き虫の名残を残したたれ目と優しい眼差しは、確かにあの頃と変わらないようにも見える。  うわぁ……。マジかよ……。  え、じゃあ俺って知らなかったとは言え、昨夜は義兄に抱かれたって事か……?  ……んー…………。  まあ、あれだ。  ギルは養子だから、別に血縁関係はねーし。  今はただの客と情報屋って関係なんだし。  ……セーフ……ってことで、ひとつ、頼む。  俺の胸に、昨夜のギルの言葉が蘇る。  ギルは……、俺を失ったことにあんなに責任を感じてたんだな……。  そりゃ顔も似てるだろうよ。  なんせ本人だからな?  ……ギルは、俺にまた会いたいって、ずっと……思っててくれたのか……。  俺はあの屋敷ではずっと、女として過ごしていた。  俺の母親は元々伯爵家に仕えるメイドだったが、母に惚れ込んだ伯爵に求められて、俺を産んだ。  けれどその頃には伯爵には本妻がいて、本妻との間に二人の女の子がいた。  元々俺の母は、本妻から嫌がらせを受け続けていた。  俺を産むまでも本当に大変だったと、よく母からおもしろおかしく聞かされていたが、話の内容としては、母がひとつでも選択を間違えば俺はこの世にいなかっただろうなという危険なものばかりだった。  そこへ男である俺が生まれた。  この国の法律では家督は長男が継ぐもので、母は愛妾から側室となり、後継候補の生みの親という立場になる。  しかし、本妻はそれで母を認めてくれるような性格ではなく、父である伯爵は仕事で領地に戻らない日々が長い。  俺が男だと知れたら、本妻は本格的に俺の命を狙ってくるだろうと、母はすぐさま理解した。  それで、俺は生まれた時から女として育てられた。  セレスティアという名は、母様がつけてくれた。  けれど母は「将来あなたがここを出て自由に暮らすときには、自分で好きな名前をつけたらいいわ」とも言ってくれていた。  母様は、俺と一緒にあの屋敷を出るつもりでいた。  俺がもう少し大きくなったら。  なのに母は俺が大きくなる前に、病に倒れて呆気なくこの世を去った。  だから、俺が九歳で屋敷を追い出された時、俺はもう二度とこの屋敷には近づかないと決めた。  そして、自分にゼスという名前をつけた。  ゼスというのはセレスティアから二文字取って濁点をつけただけだ。  俺は、母様からもらった名前をどうしても捨てきれなかった。  他に形見もねーしさ、名前くらい、ちょっと残しててもいいよな……なんて思って。

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