18 / 22
恐怖と安堵
「…………シュルツヴァル……」
まるで地を這うように低いギルの声には、明らかな怒りが込められていた。
「貴様ぁ!!」
ギルは吠えると同時に剣を抜いた。
「まっ、待ってくださいギルフォードさんっ!」
ギルを必死で止めたのは、やはりさっきの燻んだ銀髪の男だった。
「なぜ止める!」
「まずは話を聞いてみないとでしょう?」
「そんなもの、火を見るより明らかだろう!」
「いえいえ、そこの彼はこれまでも度々隊長さんの相手をしている方ですよ? 無理矢理だと言う方が不自然なんじゃありませんか?」
「……何だと?」
「ギルフォードさん……? なんか、いつもと違いませんか……?」
いつも……?
いつもってなんだ。
その二人は今ここで偶然出会った間柄じゃないのか?
「アーヴァンさんがまだなのに一人で突っ走るなんて、ギルフォードさんらしくないですよ? 落ち着いてください」
銀髪の男の声が聞こえているのかいないのか、ギルは怒りを露わにしたまま隊長へと近づく。
「まずはこいつの物を切り落とそう」
隊長は俺を吊り上げるのに必死で、自分の物は出したままだったようだ。
まだ立ち上がっていた隊長のそれが、恐怖に萎む。
「だっ、だから待ってくださいって! まずは事情を聞いてみましょう、彼に」
そう言った銀髪の男が俺を見上げた。
そして、猿轡を噛まされた俺が話せないと見ると、続けて尋ねた。
「貴方はシュルツヴァルさんに無理矢理ここへ連れて来られたんですか?」
俺は、首を縛る縄の締め付けに耐えながら、はっきりと首を横に振った。
ギルの瞳が驚愕に見開かれる。
ごめん……、ごめんな、ギル……。
銀髪の男は勝利を確信するような笑みを口端にうっすらと滲ませて、俺にもう一度尋ねる。
「おや、そうだったんですね。では、あなたがそこでそうしているのは、同意の上での行為という事ですね?」
俺はゆっくりと頷く。
俯くと締まる首に、このまま息が止まってしまえばいいのにな、と思う。
「ですって、ギルフォードさん、これはギルフォードさんの勘違…………っ、何を!?」
不自然に途切れた言葉に、俺が諦念に閉ざした瞳をもう一度開くと、ギルは銀髪の男の首元を掴んでねじり上げていた。
ギルより二十センチほど小柄な銀髪の男の足が宙に浮いて、ジタバタともがく様を俺は唖然と見つめた。
「ゼスに心にもない嘘を吐かせたのは、お前か、ヨヒト……?」
「は!? 何言っ……っ、ぐっ……」
銀髪の男が、苦しげに顔を歪ませる。
え……?
なんで……?
なんで、ギルは俺が嘘ついてるって、分かったんだ……?
そこへ、バタバタと駆け込んでくる足音と共に、開け放たれたままの扉から厨房の制服を着た男が現れた。
「ギルフォード! あったぞ、不正の証拠書類っ!!」
銀髪の男がビクリと肩を揺らす。
「やはり、そうか……」
ギルが掴んだままの銀髪の男を厨房の男の足元に投げ捨てると、厨房の男はそこらに散らばっていた縄で手早く銀髪の男を拘束した。
その手つきの良さは、とても厨房で働く下働きのようには見えない。
おそらくギルと同様に潜入調査に来た仲間なんだろう。
「シュルツヴァル、お前も大人しく縄につけ」
ギルに追い詰められた隊長は、歪に口元を歪ませた。
「縄だと……? 何も分からん愚かな者どもめ。縄というのは、ゼスのような磨き上げられた肉体にこそふさわしいのだ! あれを見ろ! 私の作り上げた最高の芸術作品を!」
高らかに叫んで俺を指す隊長の視線に、その場の全員が一瞬俺へと視線を投げる。
隊長がその隙に腰の剣を抜く、が、ギルはすでに構えていた。
だが隊長が剣を振るったのはギルとは逆方向だった。
ブツリと一刀で隊長は縄を切った。
遥か高くに俺を吊り上げていた、縄を。
途端、滑車の音がガラララララと鳴り響く。
支えを失った俺の体は、受け身どころか身じろぎも許されないまま、石造りの牢の床へと落下する。
確実に大怪我をするだろう覚悟を固める俺の前に、ギルが飛び出した。
「ゼス!」
俺を受け止めようと両腕を広げたギルの姿に、あの日のギルの姿が重なる。
木から落ちる俺を受け止めようと、両手を広げてくれた十二歳の少年の姿が。
それと同時に、俺を受け止めきれず地に倒れ、血を流した彼の姿が鮮明に甦った。
嫌だ!!
ギルがまた怪我をするくらいなら、俺がぐちゃぐちゃに潰れる方がずっとマシだ!
「ギル避けろ!」
俺の叫びは猿轡に阻まれて言葉にならなかった。
ギルは驚いたような顔で俺を見上げたが、避ける様子はない。
耐えきれない現実に、俺はギュッと両目を閉じた。
ドッと体に響いた衝撃は、思ったよりもずっと優しかった。
「ゼス、もう大丈夫だ。すぐ縄を解こう」
視線を上げると、俺はギルの腕の中にいた。
ギルが短剣で次々と縄を切り、俺の猿轡も外される。
「ギル、怪我は……、ぁ……あ、ギル、孤児院を守ってくれ!」
真っ先に浮かんだのは孤児院の皆の顔だった。
俺の言葉にギルは優しく微笑んで言った。
「大丈夫だ。既に現地の工作員は取り押さえてある」
「……ほ、本当か……? 誰も怪我とか……」
「ああ、全員無事だ。安心していい」
「ギルも怪我してないか!? 俺なんか受け止めて……っ!」
「もちろんだ。そのために鍛えている」
穏やかに微笑まれて、ずっと張り詰めていた精神が緩む。
すると、身体中がガクガクとみっともなく震え出した。
「遅くなってすまなかった。怖かったろう、一人でよく頑張ったな」
……怖かった……?
こんな時に怖いだなんて、思ったこともなかった。
……いや、違う、ずっと気づかないようにしていたのか……。
そんな感情に、一度でも気づいてしまえば、俺はもう、一人では生きてゆけなくなってしまう……。
そうか……俺はずっと、一人で、怖かったんだ……。
「っ、ギル……ギル……っ」
ようやく動かせるようになった上半身で、ギルの胸に顔を埋める。
恐怖と安堵の感情が一気に押し寄せて、涙がボロボロと溢れた。
腕も肩も、まだあちこち痺れて感覚を失ったままだ。
もうこのまま、動かなくなったらどうしよう。
縛られる度、解かれる度、そんな恐怖があった。
俺にあるのは、この体だけなのに。
たった一つの財産で命綱である自分の体が自由に動かせなくなるのは、怖い。
本当はずっと、縛られるのが、怖かったんだ……。
一気に押し寄せた感情と、身体中の堰き止められていた血流が一斉に戻った途端、急に目の前が暗くなった。
耳に届く音の全てが遠ざかる。
ああ、これはもたねーな……。
どうやら俺は、意識を失ってしまうようだ。
俺が意識を失うのは、大概ボコボコに殴られてるか手酷く抱かれている最中だ。
意識を手放したが最後、腹を裂かれて臓器を取られだって文句は言えねえ。
だから俺は意識が遠のく時、いつも必死で意識を繋ぎ止めようとしていた。
でも、今日の俺はギルの腕の中にいる。
そう思うだけで、俺は不思議と、気を失うのが怖くなかった。
ともだちにシェアしよう!

