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事実と真実<ギルフォード視点>

 私は、夕方になっても意識の戻らないゼスを自分の宿へ連れ帰っていた。  呼吸は落ち着いているようだし、薬を使われた様子もないようだが、あの場では人目もあってゼスの体をそこまで詳しく確認出来ていなかった。  私は机の上にランプを最大に明るくして置くと、毛布に包んだまま連れ帰ったゼスの体を丁寧に確かめる。  腹立たしい事に、私が彼に残した痕はその全てが上からいくつもの赤い痕を足されていた。  私は、彼の体を清潔な布巾で念入りに拭きながら、緊縛の痕が変色していないか、出血した箇所はないか確認する。  すると、左耳の後ろに黒子が三つ縦に並んでいるのを見つけた。  思わず息が止まる。  その三つ並んだ黒子は、私の知るセレスティアの黒子とまるで同じだった……。  今日ゼスが私の腕の中に降ってきた時、黒い瞳を恐怖に染めながら、ゼスは叫んだ。  猿轡でわかり辛かったが、あれはおそらく『ギル避けろ!』だった。  どうしてだ。  助けてほしいと、受け止めてくれと素直に言ってくれたらいいのに。  どうしてあんなにも怯えた顔で、私に避けろと言ったのか。  その疑問が、ようやく解けた。  私は以前にも、あの瞳を見た事があった。  恐怖に侵され助けを求めながらも、自分より私の身を案じる黒い瞳を。  その日、義妹のセレスティアは庭の木の中でも一番高い木に登っていた。  セレスティアは元より強気でお転婆ではあったが、無謀な性格ではない。  ではなぜそうなったのかというと、巣から落ちた雛がその下の枝に引っかかり、ピィピィ鳴いていたのだ。  それを戻してやるために、なけなしの勇気を振り絞ったのだと、その震える両手足を見れば、すぐ分かった。 「落ちた雛は、戻しても育たないって言うだろ? 止めた方がいいよ、セレスティアが怪我したらどうするんだ」 「そんなのやってみなきゃ分からないでしょ? 巣に戻れたら、また親に面倒見てもらえるかもしれないじゃない」  そう言うセレスティアを、私はそれ以上止められなかった。  数ヶ月前に母親を失っていたセレスティアは、小鳥の親子が生き別れになっているのが見ていられなかったのかもしれない。  セレスティアは震えながらも慎重に木を登り、雛を無事に巣へ返すことができた。 「もう落ちないようにね」  優しく微笑むセレスティアの横顔は、まるで女神のようだった。  ああ、セレスティアは何て優しく勇気のある人なんだろう。  そう思った矢先、彼女が足を下ろしていた枝が折れた。  セレスティアは何とかその下の枝に両手で掴まったが、セレスティアの足元に、足をかけられるような枝はもう無かった。 「セレスティア!」  私は彼女を受け止めようと両手を伸ばした。  それなのに、彼女は首を振った。 「ダメ! ギルが怪我をするから、離れて!」  高いところから私を見下ろすその瞳には、不安と恐怖がありありと滲んでいた。  私は、そんなセレスティアを助けたいと願った。 「お願いギル、避けて!」  悲痛な叫びと共に落下した九歳の彼女を支えるには、十二歳の私の体は細すぎた。  けれど、クッション程度の役目は果たせて、セレスティアに大きな怪我はなかった。  私の腕の中に彼女を包めた事が、私はとても誇らしかった。  セレスティアの美しい黒髪の間から、左耳の後ろに黒子が並んでいるのを見つけたのも、この時だ。  しかし、次期当主となる私が、彼女の下敷きとなり怪我をした事で、屋敷は騒然とした。  幼い私はとても愚かで、自分は怪我をしたけど彼女に大きな怪我がなくて良かったなんて、彼女を守れたなんて、無邪気に思っていた。  そんな私の枕元で、セレスティアは大粒の涙を零して謝り続けた。  それ以降、屋敷で彼女の姿を見ることは二度となかった。  また心無い使用人がどこかに閉じ込めているのだろうか。  私に怪我をさせた罰だとか言って。  そう思っていた私は、ベッドから出られるようになって、すぐにセレスティアを探し回った。  けれども、その時には既に、セレスティアの部屋にはセレスティアの物は何ひとつ無かった。  後からようやく、彼女はあの晩のうちに着の身着のままで屋敷を追い出されたのだとわかった。  たった九歳の女の子を……?  侍女どころか金すら持たせずに、夜中に一人追い出した……だって……?  私は悔やんだ。  自身の力不足と、浅はかさを。  だから鍛えた、自身をひたすらに。  今ならば成人男性が降ってきても、余裕で受け止められる。  そう思っていた私に、ゼスはあろうことか『避けろ!』と叫んだ。  私よりも大柄な男だというならまだしも、ゼスは私より四十センチほども背が低く、体も細い。  さらには全身を緊縛され受け身の取りようもない、そんな状態にもかかわらず、彼は私に避けろと言った。  それが、どうしても腑に落ちなかった。  けれど、ようやく理解できた。  彼は、私に怪我をさせてしまうのが怖かったのだ。  ……あの日のように……。  つまりは、彼が……彼こそが、私のずっと探し続けていたセレスティア本人だったということなのか……。  ああ、どうしてあれほど探し回っても見つからなかったのかが、ようやく分かった。  私が黒髪黒目の『女性』を探していたからだ。  セレスティアが女性でなかったなんて、思ってもいなかった。  ……ではなぜ、セレスティアは男性にもかかわらず、女性名を名乗って女の子の服を着て、女の子として育てられていたのか……?  ヒヤリと、目の前の事実が私の首を撫でた。  ああ、そうか……。  セレスティアが男性だったということは……。  ウィブロンド家の正当な後継者は、養子の私ではなく、現当主の血を引く彼じゃないか…………。  不意に足元が崩れるように揺れて、私は彼の眠るベッドの傍に膝を付く。  小さく揺れたベッドの上から、彼の美しい黒髪がさらりと私の目の前に降ってきた。  私は思わずその黒髪を受け止めた。  柔らかでヒヤリとした感触の黒髪からは、ふわりと甘い花のような香りがする。  ああ……。  ……それでもいい……。  当主の座だとか、そんなことは、私にとって、二の次だ。  セレスティアが……愛する人がこうして生きていてくれたのだから。  こうやってまた巡り合って、触れ合う事ができたのだから。  その他の事は全てが些事だ。  私は、ベッドで素肌を晒して眠る愛しい人をじっと見つめる。  セレスティアは昔も今も、本当に美しかった。 「セレスティア……」  私は、手にしたままの黒髪に唇を寄せる。  この美しい人を、もう二度と離したくない。  それだけじゃない。  私はもう、彼を私以外の誰にも触れさせたくない。  誰の目にも触れないように、ずっとずっと、私の腕の中に閉じ込めておきたい……。  けれど彼はきっと、今の事を知ったら私の前から姿を消してしまうのだろう。  どうすれば……。  どうすれば、彼を失わずにいられるのだろうか。  彼を繋ぎ止めるためなら、私は何だってする。  そう、何だってするのに……。

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