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第2話
男が澪のネクタイを引っ張った。
「何を……っ!」
がくりと下がった頭を掴まえて、男が澪の唇を噛む。滑り込んだ舌が容赦なく絡む。口いっぱいに流れ込んだ匂いに、鼻腔が痺れた。
(この匂いは……人魚の、捕食の媚薬か……)
澪の舌に絡まる男の舌が、甘く蕩ける。じゅるりと唾液を吸い上げる男を、必死に押し返した。
「のっけから、喰いに来るじゃねぇか」
噛まれた唇から、血が滴る。赤く染まった男の唇が、薄い弧を描いた。
自分の唇を舐めとると、男の手が澪の体を押した。足がもつれて、澪の体はあっけなく椅子に転んだ。
「怪異医師なら、説明はいらないだろ」
男の手が、澪のベルトを外す。
(人魚の主食は人間、特に男の精液を好む……)
頭が、くらくらする。肌がやけに敏感になって、布が擦れるだけで股間が反応する。
「あの程度の媚薬で足りるか。感じやすいな」
男の指先が、下着越しに澪に触れる。熱くなった自身が、ビクリと震えた。
「腹でも減ってんのか。がっつきすぎだろ」
男の肩に何とか手を伸ばす。それすら、いなされた。
「味見程度のつもりだったが、悪くない。もう少し、食わせろ」
色のなかった瞳の際が、じんわりと赤く染まった。
(黒かった瞳が……潤んで赤い)
まるで、舐めた澪の血が瞳に滲んだようだ。
「綺麗だな……」
澪の指先が、男の目尻をなぞる。男の目が、わずかに震えた。
同じように揺れる指が、澪の熱くなったそれに滑り、硬くする。
「痛っ……死ぬほど、喰うなよ」
媚薬が回ってきたのか、目の前が夢のように潤む。澪は男の頭に覆い被さった。
「殺すには惜しい。じわじわ、ゆっくりと、味わって喰い尽くしてやるよ」
男の声がさっきより浮足立って聞こえる。わずかに息が上がっているようだ。
下着をずらされて顕わになったそれを男が咥え込んだ。痺れるような快楽が背筋を駆け昇る。
(やば……人魚の媚薬って、こんなに……)
快楽で意識が飛びそうだ。舌が這うたび、吸い上げられるたび、腰が浮いて体が震える。
「思ったより、いいな……甘美だ」
男が酔ったように声を漏らした。淫靡な水音と二人の息遣いだけが、乾いた部屋に響く。
「お前も、自分の媚薬に酔うのかよ」
何か言葉を発していないと、快楽に飲まれそうだ。澪は男にしがみ付いて、必死に意識を保った。
「俺の媚薬じゃない。お前のせいだ」
硬くなった先に舌を這わせて吸い上げる。その顔がやけに妖艶で、目を離せなくなった。
(この男の名前は、何だったか。確か……)
頭の中に叩き込んだ事前調査書のページを必死に捲る。
「そうだ、泡沫 ……」
美しく儚い、人魚らしい名前だ。目の前で澪に縋る姿が名の通りで、手を伸ばさずにはいられなかった。
泡沫の指が、ピクリと震えた。震えた指で、泡沫が澪の手を握った。
「あっ……」
一際強く先を吸い上げられて、体が震える。
(これ以上は、ダメだ。飲まれる……)
澪は咄嗟に、下腹に力を入れた。流れ出そうになった欲を寸で止める。
「……一方的すぎるだろ。この先は、お前が何かを差し出してからだ」
快楽の残り香で疼く体に耐える。淡く朱の混じった黒い瞳が楽しそうに笑んだ。
「一方的ではないさ。媚薬のせいとはいえ、お前も善くなっているだろ。先走りでも充分、美味いぞ」
泡沫が口元を拭いながら、顔を上げた。澪の顔に手を伸ばす。
「湯守 、澪……いいな。欲しくなった」
「ほしいって……んっ」
さっき噛みついた唇を吸い上げられて、また痺れる。
「嫌だったか、澪」
耳元で、泡沫の声が囁く。
「今までで一番、善かっただろ」
泡沫の声が耳奥に沁みて、ドキリとした。
潤んだ瞳で、煽情的な仕草をしておきながら、声だけがどこまでも乾いている。
(可愛げの欠片もないのに。この男と、もっと善くなりたいと思うのは、媚薬のせいか)
抱き締めたくて、縋りたくて仕方がない。体が無意識に泡沫を求める。
(全然、好みじゃねぇのにな。どうしてか目が、離せない)
朱が滲む黒い瞳を眺めていると、体が疼く。耐えられなくて、澪は乱暴に泡沫を抱き寄せた。
「善いわけないだろ。もっと気持ちいいやり方、教えてやる」
澪は泡沫の唇に噛みついた。血の味が口内に広がる。人と同じ味に安堵するなんて、澪の頭もまだ正常ではないらしい。
(喰われて嫌じゃないなんて、人魚の媚薬は厄介だ)
こんな風に流されて、もっと深い部分まで泡沫に取り込まれるんだろうか。
胸の奥が、ぎゅっと締まる。広がる快感が媚薬のせいなのか、澪の気持ちなのか、わからない。
自分の気持ちすら、快楽に曖昧に溶けるのに。食事するでもなく、大人しく澪の口付けを受け入れている泡沫の気持ちなんて、わかるはずもない。澪は、泡沫の顔を抑え込んで口付けを深めた。
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