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第4話
手枷足枷を外したものの、結局この日は体が疼いて、ろくに動けなかった。泡沫の媚薬が抜けたと体が実感できたのは次の日の昼頃だ。それまで澪は、ベッドの上から動けなかった。
(次に媚薬を盛られた時の対策、考えておかないとな)
気怠い体を何とか起こす。射精を耐えすぎて体中汗だくだ。
「風呂の場所、聞いとくんだった」
ぼやきながら、テーブルを眺める。オムライスが置いてあった。
「飯は準備してくれるんだ」
手を翳して、霊力を籠める。食べ物の中の水分を感じ取る。どうやら毒は盛られていないらしい。
「んじゃ、有難くいただきますか」
ケチャップを絡ませて、一口頬張る。
「ん、普通に美味い」
手作り風のオムライスを、あっという間に平らげた。思えば、昨日からろくに食事をしていなかった。
部屋の中を見回す。テーブルのすぐそばに小さなキッチンが備え付けてある。
「この部屋だけで、それなりに生活できちゃうなぁ」
食器を洗って、洗い桶に並べる。澪は後ろを振り返った。
「それにしても、本が多い部屋だな」
ベッドの頭側と足元を始めとして、部屋の四方を本棚が囲んでいる。本棚にはきっちりと文献が収まっていた。一番近い本棚から、無作為に本を抜き取る。
「和綴じ本か。古いな」
ページを捲ると、中身も古かった。墨で直書きされている内容を流し読む。
「これ、泡沫の日記か。いや、これは……実験結果か?」
簡易な日付と箇条書きで「効果なし」の文字が続く。最後のページに、天保の文字が見えた。
「江戸時代……泡沫は、いつから生きているんだ」
澪はまた、部屋の中をぐるりと見回した。
「まさか、ここに在る本は全部、泡沫の実験日記か?」
だとしたら、かなりの数だ。澪は次の本を手に取った。同じような内容の記述が続く。
『傷はすぐに治る。痛みはあるが、致命傷にならない』
『時折、人肉を喰いたい衝動が襲う。精液を喰うと収まる』
この辺りは泡沫が話していた。澪も基本知識として知っている。
『人魚の鱗は万能薬。収集家在り。時価百両以上』
『肉の欠片は千両をくだらない』
その記述に、ぞくりと寒気が走った。
「自分の肉の欠片を、売るのかよ。治るのかもしれないけど」
澪には想像できない感覚だ。
(だけど、そうしないと生きられない環境だったとしたら。俺も鱗や肉を売るのかもしれない)
綺麗事だけでは生きていけない。泡沫が死にたがる理由の一端を垣間見た気がした。
「あぁ、起きたのか」
部屋の扉が開き、泡沫が入ってきた。
「オムライス、御馳走さん。美味しかったよ」
澪の言葉を受けて、泡沫がキッチンを流し見た。
「本は、読んでもいいんだろ。ダメならこの部屋に俺を軟禁しないよな」
読んでいた日記をひらひらと揺らして見せる。
「好きに読んでいい。向かいの俺の部屋にも同じように本棚がある。一階の診察室の奥と地下の実験室には書庫があるから、好きに読め」
「どの部屋にも好きに入っていいってことね」
どうやら、縛り付けておくつもりはないらしい。
(最初の拘束は、本当に性衝動対策だったんだな)
泡沫に先走りを喰われたあとも、衝動が収まらなくて一晩、苦しんだ。
「これは、昨日の礼だ」
泡沫が何かを投げてよこした。受け取った手の中を確認する。オーロラを閉じ込めたような美しい人魚の鱗が、澪の手に握られていた。
「は? 礼って、どういう意味だ?」
人魚の鱗は、一枚で億はくだらない怪宝だ。万能薬としても使えるし、収集家に売ればそれ以上の値段になる。
「俺を抱くたびに一枚、くれてやる」
泡沫が、澪の胸に寄り添った。
「次は、拒むなよ。先走りじゃなく、俺の中に出せ」
泡沫が澪を見上げた。艶っぽい話をしているはずなのに、目も声も乾いて、色気の欠片もない。
咥えられた時の衝撃が頭を過る。澪は思わず泡沫を突き飛ばした。
「餌になってやるのは、構わない。けど、鱗はいらない」
手の中の鱗を、泡沫に突き返した。戻された鱗を、泡沫が色の無い目で眺める。
「これ以上に価値のある返礼は、持ち合わせていないが」
「あるだろ、価値のあるもの。情報だ」
泡沫の眉間に微かに皺が寄った。
「お前の情報を、俺に寄越せ。それでチャラでいい」
「本なら、好きに読め。この部屋の本は役にも立たないだろうが。資料になりそうな文献なら、地下にある」
澪は手を伸ばして、泡沫の胸倉を掴んだ。
「風呂、行くぞ」
泡沫の顔が、あからさまに訝しく歪んだ。
「俺が欲しい情報は、生身のお前。本なら、いつでも読めるだろ」
「人魚の姿が見たいなら、いつでも変化してやる。礼にはならないだろ」
「なると思うぜ。泡沫が嫌がることも、診察としてするかもしれないし?」
泡沫が、気怠そうに息を吐いた。
「俺が嫌がるような真似ができる度胸が、お前にあるとは思えないけどな」
ぽそりと零れた泡沫の言葉に、少しだけイラっとした。
「これでも医者なんでね。人魚のフィジカルアセスメント、させてもらうよ」
泡沫のシャツのボタンを外して見せる。泡沫の口が薄く笑んだ。
「なるほど、悪くない趣向だ。水の中では多少、性的に盛る。覚悟して調べろよ」
泡沫が掴んだ澪の手を、やんわりと食んだ。どう考えても分が悪い診察だ。とはいえ、言い出した以上、後にも引けない。
澪は腹を括って、泡沫と共に風呂に移動した。
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