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第9話

 それからも、泡沫の元には何匹か妖怪が訪ねてきた。一角獣のように小さな幻獣から、人型の妖怪まで、患者層は幅広い。いずれも、十三課ではお目に掛かれないタイプの患者ばかりだ。 「ここで出会った患者を、しょっ引いてくれるなよ。診療所は中立地帯だ」  泡沫に釘を刺された。 (確かに、人の害になりそうなのも、中にはいたけどね)  十三課だったら捕縛対象にしている妖怪もいなくはない。 「わかってるよ。俺だって、有象無象を逮捕しに来ている訳じゃ、ないからさ」  泡沫の診療所を訪れる患者は多くない。全く来ない日もあれば、一人二人の日も多い。故に休憩は増える。 「で、それは、人魚の鱗か?」  澪は泡沫の手元を指さした。人魚の鱗を細かく砕き、すり潰して粉にしている。 (一億が粉になっていく)  薬としての価値のほうが高いと、医者としては思う。だが、市場価値を知っていると、恐ろしいとも思う。 「人魚の鱗は万能薬だ。練れば切り傷や火傷に、飲めば臓腑に覿面に効く」  澪も知識としては知っている。実際に使っている医者を見るのは、初めてだ。 「文字通りの万能薬なんて、初めて使ったよ」 「欲しくなったか?」  泡沫が人魚の鱗を摘まんで見せた。 (医者として、欲しくないわけじゃないけど。それよりも)  澪は鱗から泡沫に視線を戻した。 「やっぱり俺は、泡沫をもっと知りてぇな」  診察台に、ゴロンと寝転がる。興を削がれたと言わんばかりに、泡沫が無表情になった。 「鱗如き、お前にとり価値はないか。八瀬童子の薬種も充分、万能薬だ」 「万能じゃねぇよ。できないことのほうが多い」  八瀬童子の薬湯は魂を活気付ける。その過程で傷を治したり病を治癒させる場合もある。本人の自然治癒力が高まり、霊力や神力、妖力が回復するからだ。 「鱗だって価値はあるし、万能薬は医者として欲しいとも思うけどさ。泡沫の情報のほうが俺にとって、鱗以上に価値があるってだけ」  すり棒を動かす泡沫の手が、止まった。 「本は、読み終わったのか?」  小さな声が、診察室に響いた。 「泡沫の生態観察日記? 泡沫の部屋の本以外は、全部ね」  澪が寝起きしている部屋と一階の書庫に大量にある本は、泡沫の生態日記だった。地下の実験室には、人魚についての一般的な文献が保管されていた。文献に関しては、澪の知識を越える内容はなかった。 (泡沫は、江戸初期の漁村生まれ。人魚信仰のある村で、無理やり人魚の肉を喰わされて、半妖になった)  喰った直後に息が止まった泡沫は、死んだと勘違いされて海に捨てられた。水の中で息を吹き返した泡沫は、陸に上がり男の精を喰らって生きてきた。そうするべきだと、本能で知った。そう書いてあった。 「質問するのは、ありなの?」  すり潰した人魚の鱗を薬包紙で包みながら、泡沫が考える顔をした。 「お前が薬を包むのを手伝うなら、答えてやらなくもない」  澪は起き上がると、椅子を持って泡沫に並んで座った。泡沫がまた、鱗をすり潰し始めた。 「何で泡沫は、人魚にならねぇの? 何百年も半妖のままだろ」  人魚になるには人肉を喰う必要がある。抵抗があるのかもしれない。だが、人魚化したほうが生態としては安定する。 「人魚は知能が低い。精々、犬猫程度だ。人並みの知能と言われる海水系の人魚であっても、たかが知れている」 「あぁ、そういう理由か」  人魚は種族により生態差が激しい。魚と変わらない種族から、人に近い種まで、幅が広い。 (ツインテールなら、知能は人とそう変わらない気もするけどな)  海水系の人魚など、むしろ狡猾に人を騙して餌にする。海水系と淡水系の特徴を併せ持つツインテールなら、知能の問題はなさそうに思う。 「発作とかねぇの? 無性に人肉が食いたくなるとか」  半妖という半端な状態に宿った人魚因子が暴れ出したりしないのだろうか。 「あるぞ。長く精液を喰えないと、無性に人肉が食いたくなる」  泡沫が目を細めて舌舐めずりした。ぞくり、と背筋に寒気が走る。 「次、いつする?」  思わず提案していた。頭から喰われるなら、セックスしたほうがマシだ。 「今宵がいいな。一週間まで開くと、お前の肉を喰わない保証ができない」 「……今夜はベッドの上でしようね」  水中は逃げ場がない。全身で泡沫の媚薬を受けるのは、正直辛い。 「だったら、今から、ここで、しようか?」  泡沫の指が、澪の顎を撫でた。甘くねっとりした匂いが鼻腔に吸い付く。 「待て、急に盛んな。まだ質問が終わってねぇよ」  泡沫の手を押し返す。冷めた目で、泡沫がすり棒を持った。 「詰まらないな。もっと性欲の強い男だったらよかったのに」 「悪かったな、人並みで」  思わず悪態を返した。疲れた息を吐いて、澪は薬包紙で鱗の粉を包んだ。 「媚薬で盛っている澪は、並ではなかったぞ。気持ち良かったし、楽しめた」 「あーもう、はいはい、わかったよ」  泡沫に新しいすり鉢を突き付ける。そういう話を恥ずかしげもなくしてくる神経がいただけない。 (泡沫にとっては食事だから、恥ずかしくもないのか。感覚から違うのか?)  自分のほうが間違っているような気になってくる。 (食事、性交……どっちも、生きるための欲なんだけどな)  たとえその行為が子を成すものでなくても、生きるためでなくでも。欲求としては生きるに繋がる本能だと思う。 (泡沫にとって性交は、妖怪化しないための手段で、人でいるために必要な行為、か)  ちらりと、泡沫を窺う。相変わらず冷めた目で、冷めた手つきで一枚一億円の鱗をすり潰している。 「泡沫は、人に戻りたいとは、思わないのか。人に戻れば、無理に死ぬ必要も、ないんじゃないのか?」  そんな疑問が、するりと口から滑り落ちた。泡沫の手が止まる。その目が澪に向いた。 「俺が、何年生きていると思う?」 「えっと……四百年くらいか?」  江戸初期からと考えれば、それくらいだ。 「人魚は、ほぼ永久に生きる。殺す方法は体中の水を抜くことだが、まず不可能だ」 「そう、だな」  人魚の自然治癒力は高い。水中は勿論、陸にあってさえ、目に見えない量の水で回復できる。 (そもそも、体中の水を抜くなんて方法が、現実的じゃないからな)  だから人魚は、強制的にミイラにでもしない限り死なない。 「犬猫並みの知能なら、不死でもいいんだろう。けれど、人の知能を有しては、終わりのない生はまるで拷問だ。早くこの生が終わればいいと、願ってやまないよ」  泡沫の手がまた、すり棒を動かし始めた。ゴリゴリと鱗を潰す音が、部屋の中に静かに響いた。 「人の寿命に戻れるなら、生きたいか?」  澪の問いかけを、泡沫が片耳に聞いている。 「そうだな。人に戻れば生きて精々、あと五十年足らずか。その程度の一瞬の生なら、耐えられんこともないかな」  泡沫の口から、小さな笑みが零れた。 「人に戻れば、五十年も待つ必要は、ないかもしれないが」  泡沫の横顔が悲しげに笑む。澪はほぼ無意識に、その顔に手を伸ばした。手を伸ばさなければ消えそうに見えた。それくらい儚い笑みだった。 「俺が泡沫を人にしてやる。生きたいと思える人生を、取り戻してやる」  勝算はない。なのに、そう口走っていた。一瞬、泡沫の唇が震えて見えた。 「期待、しているよ。湯守澪」  泡沫の頬に手を添える。澪の手に、泡沫が指を滑らせた。指先がやけに冷たくて、不安になった。 (泡沫が本当に欲しいのは、何だろうな)  今すぐ死ぬことなのか、人に戻ることなのか。もっと別な何か、なのか。心を囲う殻が厚すぎて、今の澪には、わからない。 (だから、知りたい。泡沫の本当の心を、知りたい)  そんな欲求が自然と澪の中に湧き上がった。

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