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第13話

 澪の部屋の本棚の、最後の一冊を読み終えて、澪は本を閉じた。これで、読める本はすべて読んだ。 「はぁ……」  重い息が、胸の奥から零れ落ちた。  この部屋に置いてある観察日記は、内容が他より凄惨だった。  十六歳の時に人魚の肉を食った泡沫の成長は、二十歳頃で止まった。そこから不死の人生が始まる。そこまでは、他の部屋の 日記にも書かれていた。  この部屋に置いてあるのは不死になった百年程後の記録だった。  老いることなく同じ姿を保つ泡沫は、口入屋から仕事を得るのも厳しくなっていった。同じ場所に長くも留まれない。繰り返すうち、同じ土地にはいられなくなる。 (江戸時代なんて、今よりずっとコミュニティが狭い。噂が回るのも、早い)  そうなると、一般的な仕事を見付けるのが難しくなる。  生きるために体を売り、何度も危険な目に遭った。鱗を剥ぎ取られ、血を抜かれ、肉を裂かれた記録もあった。人身売買から逃げた記述も、一度や二度ではなかった。 「人間不信になるには、充分な経験だ」  目黒の大鳥大明神裏に居を構えてからは、医者として生活していた。 「ここから急に、雰囲気が変わったな。江戸城御庭番、明楽(あけら)家」  江戸後期の日記から、明楽家の名前が登場する。公儀より怪異の関わり事の一切を任されていた御庭番衆だ。明楽家に保護されてから、泡沫の生活が明らかに穏やかになった。 「後ろ盾ができたってことか」  江戸幕府が倒れ、明治政府が擁立されてからは、同じ場所に亜空間を作り、結界を張って怪異医師を続けていた。その手助けを担ったのも、明楽家だ。明治以降から現代に至るまでも、明楽の名前は折に触れ日記に登場する。 「明楽の家と関わりができたきっかけが、どこにも書かれていない」  澪は日記を並べて、表紙を見比べた。表紙には年代と日付が記されている。 「やっぱり、抜けている。宝暦から明和にかけての記録がないんだ」  宝暦六年から明和元年までの日記だけがない。 「失くした、とか。いや、泡沫っぽくないな。別の場所に保管しているのか」  好きに読み漁っていいと言った泡沫が隠しておきたい日記がある。それこそが、泡沫が恐れる何かに繋がっているのではないかと思った。  ――コンコン  扉をノックする音がして、澪は思わず本を棚に戻した。 「はい……っていうか、ここはお前の部屋だろ」  扉を開けたら、泡沫がいた。この家には二人しか人間がいないのだから、当然だ。  背の小さい泡沫だが、俯きすぎて顔が見えない。 「患者が、来ているんだ。温泉を頼みたいと」  泡沫の声がやけに小さい。最初に会った時とは別人の変わりようだ。 (何というか、やりづらいな)  澪はきまり悪く頭を掻いた。 「あぁ、わかった、行くよ。でも、その前に……」  泡沫の腕を引っ張り、抱き寄せた。 「酷い抱き方して、悪かった。俺も、考えなしだったよ」  顔を見ながら話すのは、澪も気まずい。だから胸に泡沫の顔を抱いた。 「もう人魚因子を調べたいとか、血液を寄越せとか言わねぇから」  泡沫の肩を掴んで、体を離した。 「だから、仲直りな。いいだろ」  澪を見詰めた泡沫が、吹き出した。 「……子供か」  瞬間的に、少しだけイラっとした。 (それはお前だろ)  そう言いたい気持ちは、ぐっと抑え込む。  泡沫が部屋の中を流し見た。 「江戸期の記録、読んだのか」 「あぁ、江戸の頃が、一番辛い想いしていたんだな」  泡沫が少しだけ俯いた。 「……そうだな。あの頃は、生きるのが地獄のようだったよ」  泡沫が澪に背を向けた。 「救いが、ないわけじゃなかった。この体は、それすらも地獄に変えたけどな」 「え……?」  泡沫が階段に向かって歩き出した。 「今日、来ている患者は、もう長くない。だからお前にも診て欲しいんだ。いいか?」  振り返った泡沫は悲しそうな顔をしていた。 「わかった」  そう返事して、澪は泡沫について階段を降りた。 (今、何かを誤魔化したのか? 救いが、地獄?)  そんな文献、あっただろうか。地獄塗れの内容ばかりが思い返される。問い掛ける言葉を探しているうちに、診察室に着いていた。

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