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第22話

 診察室の机に頬杖をついて、澪は外を眺めていた。  泡沫の診療所は亜空間内にあるが、外には景色がちゃんと広がっている。目黒の街中にある建物なのに、窓から見える景色は森の中だ。 「何年くらい前の景色なんだろうなぁ」  大鳥神社の真裏に位置するこの家は、近くに大きな街道も通っている。土がむき出しの道の様子を考えれば、江戸時代くらいなのだろうと思った。 (江戸時代は泡沫にとって辛かった時代で、安心できた時代でもあるのかな)  生きていれば幸も不幸もあるのだろうが、泡沫の場合は不幸の具合が酷すぎる。生きるのが嫌になっても、否定はできない。 「でも、俺は。死なせたくねぇよ」  初めは医者としての矜持と使命感だった。あまりに一般的な倫理観だ。 (今は、生きて欲しい。しかも、幸せに生きて欲しいんだ)  体を切り売りすることなく、痛い思いも辛い思いもすることなく、笑って生きて欲しい。 「生きたいと思える何かを、俺が与えてやれたら」  そう考えて、澪は頭を抱えた。なんて傲慢な思考だろう。他者の生を支える何かを与えるなんて、あまりに大それた考えだ。 「いつから、こんなに傲慢な人間になったんだか」  澪の視線が窓の外から机に向いた。机の隣の本棚にも、数冊本が置いてある。 「ここには、怪異医療関係の本ばかりだったな」  念のため、この本棚の本も読んでいる。本棚に伸びた澪の指が迷った。 「これ、初めて見るな」  取り出したのは子供の絵本のようだった。 「人魚姫……随分、読みこんでいるみたいだな」  捲った指の痕だろうか、ページが寄れている。角が丸く摩耗しているから、古い本なのだろう。  パラパラと内容を確認する。一般的な人魚姫の物語だ。上の角が折られているページで、目を止めた。 「人魚姫は人間になるために、海の魔女に美しい声を差し出しました」  もう一ヶ所、角が折ってあるページがあった。そのページを捲る。 「人魚に戻るためには、愛した王子様の命が必要でした」  澪は、両方のページを交互に見比べた。 「人になる、人魚に戻る。これは、代償の話か」  今の姿から変わるために、その時々で最も大切なものを差し出す。王子の命を奪えなかった人魚姫は、人のまま海に身を投げ、泡になって消える。 「代償を差し出さなければ、変われない……」  ぞくりと、寒気が走った。理由のわからない、漠然とした恐怖が薄らと滲んだ。 (人魚因子に呪われている泡沫に、差し出せる代償は……)  思いつくのは、鱗、肉、血と、体の一部ばかりだ。けれど、どれも違うのだろうと思った。 「それで済むならとっくに人に戻っている。体は泡沫にとって、生きるための資源でしかない」  体は泡沫にとって守るべきものではない。自分を傷付けることに慣れ過ぎている。 (なのに心は、あまりに脆い)  泡沫の涙を思い出す。あんな風に泣くなんて思っていなかった。 「泡沫が一番に恐れているのは、なんだろうな」  それがわかれば、泡沫を人に戻してやれるのではないか。根拠のない思考が、澪の中で確信を帯び始めていた。

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