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第25話

 プールのように大きな浴槽に、澪は湯を張っていた。指で湯を掬って湯温を確認する。 「湯温は、低いほうがいいか。薬種は……」  集中しきれない指が、動きを止める。 「……呪い、か」  因縁めいた呪い。絃司はそう話した。 (人魚因子が呪いだというなら、俺の薬湯が役に立つかな)  指先から蒼い雫が零れ落ちる。 「穢れを濯ぐ清き水となれ」  清めの薬種が、湯に溶けていく。小さな潺が起こり、浴槽の水がゆっくりと流れ始めた。 (効果があるか、わからねぇけど)  湯温を調節していたら、後ろに気配を感じた。振り返ると、泡沫が立っていた。 「ん? もう入るのか?」  返事をせずに湯を見詰める。 「水……水に、入りたい」  するりと服を脱ぐと、流れる湯に落ちた。 「えっ、泡沫!」  泡沫の姿が深く沈んでいく。 (人魚なんだから、溺れはしねぇだろうけど。でも、様子が変だった)  何となくしか見えなかったが、目がぼんやりしていた気がする。モヤモヤした焦燥が胸に湧く。 「悩んでも意味ねぇだろ!」  澪は思い切って水に飛び込んだ。  飛び込んだ水の中に、泡沫がいた。  鱗が反射する光を纏った泡沫が、儚く霞む。元々、色素の薄い髪が余計に色を失くして、青い水を吸い込んだ。透けるように色を落とす体の中で、目だけが真っ赤に光を強くしていた。 「人魚化が、進んでいる、のか」  自分の言葉に、静かな恐怖が走った。  水に溶ける媚薬の量が、以前とは段違いだ。ひとつ息を吸うたび、股間が熱く、硬くなる。 (薬種を溶かしておいて、良かった)  これだけの媚薬を受けたら、もっと意識が混濁していたはずだ。以前だったら、酩酊して快楽に流された。多少は薬効があるらしい。 「澪……」  泡沫がこちらに向かって、微笑んだ。目を細め、口端をわずかに上げた顔は、澪の知る泡沫ではない。妖艶に笑む瞳は、獰猛さを帯びている。 (まるで人を襲う妖怪の目だ。全然、大丈夫じゃねぇだろ)  思わず、水を蹴って後ろに下がった。  光を零す二本の尾ひれが水をかく。一つ二つ尾が水を蹴っただけで、追いつかれた。泡沫の手が澪を掴まえた。 「美味そうな匂い。お前を、喰わせて」  唇が、澪に迫る。深い口付けを想像して、構えた。泡沫の口は澪の唇ではなく、肩口に噛みついた。 「うっ……あぁっ!」  鋭い歯が澪の肩の肉に食い込んで、噛み千切ろうとする。赤い筋が何本も細い柱になって、水の中に立ち昇った。 「喰うって、文字通りかよ。理性、飛んでるのか」  泡沫の頭を掴んで、顎を抑える。力いっぱい引き剥がした。 「肉を、喰わせろ」  暴れるように澪の手を弾くと、泡沫の腕が伸びてきた。必死に逃げるが、すぐに追いつかれる。泡沫の手が、澪の首を絞めた。 「ぐっ……あっ」  流血する肩に泡沫がかぶりつく。 「やめ、ろ」  頭を押し返すが、びくともしない。 「馬鹿力……」  痛みと媚薬で、頭が朦朧としてきた。 (このままじゃ、本当に食われる)  指先の感覚が麻痺して、力が入らない。 「泡沫……」  肩をビクリと震わせて、泡沫が動きを止めた。赤く染まった口端を、血に染まった舌が舐め上げた。 「血……美味い」  泡沫が澪に抱き付く。 「待て、泡沫」  また噛まれると覚悟して、体が強張る。血を流す肩に吸い付いた泡沫が、ちろちろと澪の血を舐め始めた。 「え……くす、ぐったい」  泡沫の顔を凝視する。ぼんやりと赤を灯す目の奥に、黒い色が戻ってきている。 (さっきより、泡沫が落ち着いた)  澪に抱き付いた泡沫が、肩に顔を埋めた。小さな舌で舐め上げながら、一心不乱に血を啜る。その度に、赤い目が黒く色を戻す。 「血を舐めて、人魚化が止まった……?」  精液だけでなく、唾液でも人魚化は防げるような話を、泡沫はしていた。 (今まで泡沫に血を求められたことはなかったけど。精液と同じなのか?)  文献にも人魚が血を啜るとは書かれていなかった。 「美味いか、泡沫」  震える手を伸ばして、泡沫を抱く。感覚のない手で、泡沫の頭を撫でた。 「美味い。澪の体液が好きだ。精液も唾液も、血液も。全部を喰いたい」  泡沫が素直に頷いた。その発言に、ドキリと体が震えた。 (際が赤いけど、黒目に戻った。俺の精を喰っている時の、いつもの目だ)  少しだけ、胸に安堵が降りる。澪の目が、ぼんやりと泡沫を眺める。 (泡沫は、こんなに綺麗で、可愛かったか)  澪の血を啜る泡沫が、やけに可愛く見える。 (こんなに可愛いなら、喰われてもいいな)  自分の思考に、心臓が下がった。 (マズい、飲まれかけてる)  いつもより濃い媚薬に、思考まで侵され始めた。澪は指先から薬湯を滴らせると、口に含んだ。 (穢れを祓え、清めろ)  頭の中で唱えて、必死に意識を保つ。朦朧としかけた意識が、徐々にはっきりしてきた。 「はぁ……まだ、体は疼くな」  股間が熱い。腹の奥に欲が溜まる。  澪に縋り付いて血を啜り続ける泡沫を横目に覗く。今の泡沫は精液より血に夢中だ。 「とりあえず、血を啜っていれば大丈夫そうか」  澪は安堵の息を吐いた。 (精液を腹の中に出したほうが確実だけど)  今の泡沫を引き離す気になれない。本当は今すぐにでも突っ込みたいが、泡沫を傷付けたくない。 「こんな風に人魚化しかけるってことは、この前の外出で男を喰ってきたわけじゃ、なかったんだな」  独り言のように呟いた。あのタイミングで喰っていたら、人魚化の暴走はなかっただろう。  そう思い至って、安心した。 (何を安心してんだろうな、俺は)  泡沫が外で男を喰っていてくれたら、こんな大怪我をすることはなかっただろうに。 「他の男は、いらない。澪を喰いたい。お前に、抱かれたい」  泡沫が股間を摺り寄せる。 「えっ……泡沫、待て」  熱い股間が、余計に硬さを増した。 「お前は、全部美味いよ、澪。もっと欲しい、もっと」  泡沫が澪の股間に尻を押し付ける。執拗に擦られて、モノが中に入った。 「あっ……動く、な」  水中で澪を押し倒し、泡沫が馬乗りになる。  澪の上で、泡沫が腰を振る。 「やめっ……泡沫、出る」  媚薬で散々、昂ったものが強く刺激される。泡沫の腹の中に、熱い白濁を吐き出した。 「あぁ……美味い」  泡沫の頭が、がくんと落ちた。 「おい、泡沫!」  澪の上に泡沫の体が倒れ込む。 「泡沫、返事しろ、泡沫!」  肩を揺さぶると、泡沫が薄らと目を開いた。 「お前で満たされたいのに……眠い」  泡沫の体から力が抜ける。澪の上で静かな寝息を立て始めた。 「寝た、のか」  口の周りを真っ赤にして、澪を腹に咥え込んだまま、泡沫が眠った。 「大丈夫、だよな」  自分の肩口に触れる。鋭い痛みが走った。だが、肉は削げ落ちていない。深い噛み痕が残っているだけだ。  大きく息を吸い、細く吐き出す。澪は泡沫の体を強く抱いた。 「人魚にならなくて、良かった」  泡沫を抱く腕が、小刻みに震えていた。泡沫の中から泡沫が消えるのを、初めて怖いと思った。

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