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第28話

 水が滴る音が聞こえる。遠かった音が、徐々に近づいてきた。 「泡沫……っ」  勢いで目を開けた。いつの間にか、澪は床に倒れていた。目の前には、真鍮の箱と日記が落ちていた。 「読んだ……というより、見た、のか」  どちらも違う。まるで、泡沫の記憶を感じた。そういう表現が一番近いと思った。  澪はゆっくり起き上がると、日記に指を滑らせた。 「日記から、術系の気配は感じないのに」  指先に薄い水の膜を張る。もう一度、表紙をなぞる。  ふわり、と日記から何かが立ち上った。 『泡沫の、呪いを、解いて……くれ』  途切れ途切れの声が、微かに空気を揺らした。 「これは術じゃない。記憶の残滓、か。源之助なのか?」  澪は、恐る恐る日記を手に取った。ページを、はらりと捲る。 「源之助が去ってからの数年が、書かれていない」  宝暦六年の夏から、半年余りの逢瀬と人魚の呪い、別れ。そこで日記はいったん終わっている。  真っ白なページを挟んで書かれている次の年号は、宝暦十年だ。 『観察日記を再び書き始める。不死の体を殺す法を探す。誰のことも愛さず、一人で終わるために』  澪はその文字をなぞった。文字から泡沫の悲鳴が聞こえてくるようだった。 「この時からずっと、探しているのか。俺と賭けをするまで、ずっと」  半妖でも、完全な人魚でも、死ねない。  人に戻るためには誰かを愛し、愛されるしかない。人に戻った肉体は自然と朽ちて死ぬ。なのに、人に戻れば、愛した相手を代償にして、泡沫の体は生きようとする。 「思った以上に、地獄だな」  泡沫が死にたがる理由が、理解できてしまう。 (永遠に孤独に生きろと言われているようなものだ)  一体、何の業を背負わされているのかと、嘆きたくなる。 「確かにこれは、人魚の呪いだ」  人魚因子という呪いであり、泡沫自身が自分にかけた呪いのようにも思えた。 「あぁ……くそっ」  澪は歯軋りした。考えるほど、頭が割れそうに痛い。  呪いに気付いたきっかけが源之助への愛だ。きっと泡沫は今でも源之助を愛している。  そう思うと、頭痛がするほど悔しい。  手に滴る水を握り潰して振り払った。溢れる悔しさを噛み殺して飲み込んだ。 「だったら俺が、泡沫の呪いを解いてやる」  深呼吸すると、日記を持って立ち上がった。  空の箱に鍵をかけると、同じように浴槽の奥に封じた。  診察室に戻る。引き出しの奥に鍵を戻した。  日記と和菓子を持って、澪は二階の部屋に戻った。

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