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第38話

 胸の奥が熱い。霊元が霊気を昂らせて、水玉が震えている。 (もっとだ、もっと震えろ。霊力を、吐き出せ)  自分の心臓から大量の水が溢れるようなイメージが、頭の中を占拠する。部屋の中を澪の水のイメージが満たす。 「この水は、幻影?」  呟いた泡沫の唇に噛みついた。 「離すなって言っただろ」 「んぅっ」  ぴたりと唇を合わせて、逃がさないように舌を差し込む。  ぴちょん、と水が跳ねる音がした。泡沫の足がツインテールの尾ひれに変わっている。 (幻覚が、現実を飲み込んだ。このまま、泡沫を俺の水で満たして、閉じ込める)  温度を失くした水の中で、澪と泡沫の霊元だけが熱い。  澪は重ねた唇から泡沫の妖力を吸い上げた。喉を伝って流れ込んだ妖力が、澪の霊元を満たす。水玉が大きく振動した。 「んっ……澪っ」 「黙ってろ」  慌てる泡沫を抑え込む。これだけ霊元が震えたら、死ぬ危険もある。慌てるのは当然だ。 (これくらいしねぇと、禁忌術なんか使えねぇんだよ)  大きく震える水玉が、輪郭を二重にする。揺れた水玉が二つになった。  二つの内の一つを、触れ合わせた胸から泡沫の体に流し込んだ。同時に、唇から澪の霊力を水の如く流し込む。 「んっ……んくっ」  大きく喉を上下させて、泡沫が霊力を飲み込んだ。  泡沫の体に流れ込んだ水玉が霊元に定着したのを確認する。澪は静かに唱えた。 「水を結べ」  胸の奥で、水が結んだ音が聞こえた。 「あっ……」  泡沫が声を上げた。その瞬間に、澪と泡沫の霊元が、水玉で結ばれた。 「なに、を……したんだ」  息を切らせて、泡沫が困惑した声を上げた。 「俺の霊元と泡沫の霊元を、水玉で繋いだ。前に、話しただろ。八瀬童子の霊元には、神宝水玉が生まれながらに備わっているって」 「聞いた、けど。そんな神業みたいな真似」 「神業っていうか、最後の手段だ。滅多に使っちゃいけない禁忌術だからな」  泡沫の顔が蒼褪める。澪の胸倉を掴み上げた。 「そんな危険な術を、どうして!」 「今まさに、最後の手段が必要な時だろ。それにさ、泡沫。水玉を繋げるのが、どういうことか、わかるか?」 「わから、ない。どうなるんだ」 「俺の体の水と、泡沫の体の水が繋がったんだ。俺たちは、体液を共有してる」  胸倉を掴んでいた泡沫の手から力が抜けた。 「それ、は……つまり」 「泡沫の中には俺の体液が流れ続けている。精液も血液も唾液も、全部の大元の水だ。だから、泡沫はもう人魚化しない」  泡沫の手が、パタリと落ちた。 「うそ……だろ」  言葉を失くして呆けた目が、ぼんやりと澪を見上げた。 「ただ、な。人には戻してやれない。半妖のままだ。気持ちを伝え合ったのに、ごめんな」  澪は、泡沫に自分の腕を見せた。澪の腕には人魚の鱗が浮き出ていた。指で撫でると、鱗がハラハラと崩れて落ちた。  泡沫が悲鳴を飲み込んだ。 「俺は、澪を代償にしようとしたんだな」 「人魚の本能だ、仕方がないさ。俺の計画はそれも織り込み済みだったから、特に問題じゃない」  人魚因子が澪の中にある以上、体液を繋げた泡沫にもそれは流れる。元々、優性の人魚因子を有している泡沫だ。人に戻った体は、澪と繋がった瞬間、人魚に戻る。 (泡沫が人魚に戻れば、俺の劣性因子は動かない。だから、人魚にはならない。予想の通りだったな)  泡沫が自分の足を眺めた。黒炭のようになって崩れかけていた足が、白魚の足に戻っている。 「澪が無事ならいい。半妖だろうと構わない。何者でもいいんだ。澪を愛せるなら」  泡沫の目に涙が溢れた。宝石に変わる前に、その涙を舐めとった。 「もう一個、大事なこと、伝えないと。俺が死んだら、泡沫も一緒に死ぬ羽目になる、ごめんな」 「……水が、枯渇するからか」  泡沫が、気が付いた顔をした。 「そう、体中の水が抜けたら、人魚は死ぬだろ。俺が死んだら、泡沫の体の水も枯れるから」 「人魚の永遠を、終わらせる覚悟。不死の人魚が、死んだ……」  泡沫が震える声で呟いた。 「そういうこと。つっても、俺は八瀬童子だからさ。半妖の鬼は、人よりは長生きだぜ。その間、俺から離れられない。覚悟しとけよ」  泡沫の鼻を、ツンと押す。泡沫が、目を潤ませて、笑った。 「俺が欲しいと思っていたもの、一気にもらった。頭が、パンクしそうだ」 「一気に色々話したからな。忘れたらまた説明するよ。時間は、たっぷりあるからな」  泡沫の体が飛んできて、澪を押し倒した。 「うっわぁ」   倒れた澪に、泡沫が抱き付いた。 「愛してる……愛してる、愛してる、愛してる!」 「おい、泡沫。どうしたんだよ」 「何回言っても死なない。何回言っても、澪は人魚にならない」  泡沫が、澪に縋り付く。その腕が震えていた。 「我慢も見ない振りもしなくていい。これからは、素直な心で生きていいんだ」  泡沫の髪を撫でて、その髪に口付ける。 「愛してるよ、泡沫。この先は、二人だけの有限を生きよう」  終わりがある生で、終わりなき愛を紡ぐ。そんな生き方が、これからはできる。  澪に縋り付いて何度も頷く泡沫を、胸に強く抱いた。  床に転がったいくつもの涙の宝石がキラキラと輝いて、祝福してくれているようだった。

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