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第41話
「こんにちは、怪異医療機材のアケラです……って、何しているんです?」
突然やってきた絃司が、殺意を籠めた目で澪を凝視していた。
「あ、いや……」
いつも玄関チャイムを押さずに入って来るが、今日はまたタイミング悪く来てくれたものだ。
「キスしようと思っていただけだ。絃司が来たから、やめた」
泡沫が、澪の胸から離れた。
「キ、ス……」
絃司が愕然としている。
(泡沫の奴、あの言い方は、わざとだな)
狙い通り、絃司が激しく動揺している。
「まぁ、そうですよね。泡沫先生にとって、湯守先生は餌ですもんね」
絃司が独り言のようにブツブツと呟いている。
「澪は恋人だよ。生涯、添い遂げる伴侶になった」
泡沫の言葉に、澪は唖然とした。
「…………え?」
澪以上に、絃司が驚愕している。焦点の合わない絃司の視線が、澪に向く。澪は、ビクリと肩を震わせた。
「うん、まぁ……呪いは無事に解けたよ」
どう説明したものか悩んで、簡潔な表現になった。
絃司が、ひゅっと喉を鳴らした。ゆらりと肩を鳴らして、絃司が澪の腕をがっしりと掴んだ。
「理解できるように説明してもらえるんですよね、湯守先生」
「それは、勿論です、はい」
態度が悪いのは別にしても、絃司には散々世話になった。諸々含めた詳細な説明は、するべきだ。
「澪と共に、明楽の本家に挨拶に行くよ。この三百年、俺が無事にいられたのは、絃司たち明楽家の人々が守ってくれたからだ」
泡沫が絃司に歩み寄った。
「今まで傍にいてくれて、ありがとう。俺はもう、大丈夫だよ」
泡沫が絃司の手に手を重ねた。絃司の姿に一瞬、源之助が重なって見えた。
「泡沫先生……」
零れた絃司の声は、涙を含んで聞こえた。俯いた絃司が、ぎゅっと唇を噛んだ。
「そう、なんですね。わかりました……祝福を申し上げます」
泡沫の手に、絃司が手を重ねる。潤みそうな瞳には、笑みが乗っている。源之助が笑ってくれているみたいだった。
「本当に、良かったと思っているよ」
泡沫が俯きがちに、はにかんだ。
(明楽家の人間に、認めてほしかったんだろうな)
三百年間、泡沫を守ってきた一族だ。特に自分を想ってくれる絃司には、一番に知らせたかったのだろう。
(普段は袖にしているけど、大事には思っているんだな)
大事だからこそ、わざと遠ざける態度をとっていたのかもしれない。泡沫なりの絃司への優しさだったのだろう。
「私はこの足で宗主に報告に参ります。本家には、泡沫先生のご都合の良い日にお越しください」
絃司が泡沫と澪に向かい、丁寧に頭を下げた。
「どんな状況であろうと、私は……私たち明楽家は、泡沫先生の守護者です」
泡沫が絃司の肩を撫でて、頭を上げさせた。
「今までのような迷惑はかけずに済むと思うけど……これからも頼りにしているよ、絃司」
「はい、泡沫先生……お任せください」
感極まった表情で、絃司が泡沫を見詰めた。
「それは、それとして」
絃司の目が、澪に向いた。
「湯守先生には個別にじっくりお話をお聞かせ願いたいですね。とりあえず温泉室で注文など承るところから始めましょうか」
グイグイと前のめりに迫られて、澪は後ろに下がった。
「物品は、今のところ足りているかな、うん」
机にぶつかって逃げ場を失った。
「まさか、無体を働いたわけではないでしょうね。泡沫先生を傷付けたら殺すと言いましたよね」
澪に身を寄せて、絃司が小声で確認してきた。そう聞かれると、返す言葉がない。
(不死の人魚の命に期限を作るのは、傷付けるに入るのか?)
黙り込んだ澪を見詰めて、絃司が目を見開いた。
「何をしたんです? 吐いてください、今すぐに」
絃司の遠慮がなくなっている。泡沫がいるのに本性が出かかっている。
「してないよ。多分、酷いことはしてない」
「多分? どういう意味ですか」
絃司が、迫力ある顔で迫ってくる。いつもより怖い。
隣で泡沫が絃司の肩を突いた。
「絃司、口を開けろ。あーん」
「あーん?」
反射的に開いた絃司の口に、泡沫がカステラを突っ込んだ。
「美味いか?」
「美味しい、です」
訳の分からない様子で、絃司がもぐもぐしている。
「澪は俺の大事な伴侶だから、同じように大事にしてくれると、嬉しいよ」
「はん、りょ」
絃司が、泡沫の言葉を反復した。大袈裟なほど喉を鳴らして、言葉と一緒にカステラを飲み込んだ。
「うん、これから死ぬまで共に生きる伴侶だ」
絃司が大きく目を見開いた。
「そう……です、か。死ぬまで……死ぬ、まで」
言葉を繰り返して、何かを反芻している。
(不死の泡沫に死ぬまで、なんて言われたら、納得できないよな)
澪はソワソワしながら絃司と泡沫を見守った。
「はい。心得ました」
すんとした顔で、絃司が頷いた。その表情の無さに、澪は余計に心配になった。
「心の整理がまだできませんが……できるだけ早く、本家に来てくださいね、泡沫先生」
次の瞬間には震える手で顔を覆って、苦渋の声を吐き出していた。
(かなりのショックを受けている。当たり前か)
一家総出で守り続けた不死の人魚が命の期限を仄めかした。それだけでも大事だ。だが、絃司にしてみれば、今まさに失恋が確定した瞬間だ。澪のせいとはいえ、気の毒に思う。
「泡沫先生が、あーんなんて、初めてだ。可愛すぎる」
絃司がぽそりと零した。
(あぁ、そっちのショックもかぁ)
絃司にしてみれば、どこに感情を落ち着けたらいいか、わからない状態だろう。
「破壊力と衝撃を受け止めきれないので、今日は一先ず帰ります」
フラフラと体を揺らしながら、絃司が診察室のドアを開けて、帰って行った。その背中を、心配な心持で見送った。
(立ち直ってくれるといいけどなぁ)
絃司のことだから、次に会った時にはいつもの調子で脅しながら距離を詰めてくるのだろうが。そのくらいのほうが、澪も安心する。
「根は真面目で、良い子なんだ。嫌わないでやってくれ」
泡沫が心配そうに澪を見上げる。
(その良い子にとどめを刺したのは、泡沫だぞ)
どうやら泡沫は無意識のようなので、あえて指摘しないでおいた。
「俺は絃司、嫌いじゃねぇよ。むしろ好きな人種だよ」
絃司には一方的に嫌われているが、立場上仕方がない。この先、少しずつでも仲良くなれたらいいと思う。
「そうか、良かった」
泡沫が微笑んだ。澪の胸がじわりと甘く締まった。
(出会った頃は無表情で、声も乾いて色なんか、なかったのにな)
泡沫の表情が、すっきりして見えた。
「報告できて、良かったな」
「……うん」
泡沫が、ほっとしたように自分の胸を撫でた。
「近いうち、一緒に明楽の本家に行ってくれるか」
「勿論、行くよ。泡沫を守り続けてくれたお礼がしたい。これから長い付き合いになるだろうから、御挨拶もね」
目を合わせて、微笑み合う。
「生涯の伴侶だと、源之助にも紹介したいな」
「あぁ、報告してこよう」
こんな話も、今なら構えず自然にできる。
(遠慮も怯えもいらない。心を曝け出して、求め合える)
互いに自然と手を伸ばして、求めるように唇を重ねる。
「好きだよ、澪」
「愛してる、泡沫」
想いと声が重なって、心が繋がる。思いの丈を飽きるほど、ぶつけ合って。この温もりが消えないように、何度も何度も確かめ合う。
命が尽きるその瞬間まで共に生きられるようにと願って、澪は泡沫の体を抱きしめた。
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