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第2話 初仕事と、地味すぎる同好会

雑部に入った翌日の放課後、花宮依央は二年三組の教室で、鞄を持ったまま一度だけ窓の外を見た。 春の夕方はまだ明るい。部活へ向かう男子たちの声が、校庭から上がっている。黒瀬陸斗はすでにジャージ姿で、教室の前から顔だけ出した。 「花宮! 今日、部活見に来る?」 「今日は同好会」 「同好会?」 「校内生活改善同好会」 黒瀬は三秒ほど考えたあと、まっすぐ言った。 「何するところ?」 「それを俺も今日知る」 「おお、初日か!」 「そう。初日」 「頑張れよ!」 「ありがとう。黒瀬も部活頑張って」 依央が軽く笑うと、黒瀬は分かりやすく背筋を伸ばした。 「おう!」 (黒瀬、ほんといい子。俺が雑部に行くって言っても目が死なない。まっすぐ応援してくる。ありがたい。けど今の俺、何を頑張るんだ。傘立て? 掲示板? 初日から地味の気配がすごい) 篠宮怜央は帰り支度をしながら、依央の机に一枚のプリントを置いた。 「花宮、これ、交流委員会に戻す分。途中で寄れるならお願いしていい?」 「もちろん。雑部、旧校舎だから途中で寄れる」 「助かる」 「篠宮に頼まれると、俺もちゃんとした人になった気がする」 「花宮は、ちゃんとしてると思うけど」 静かに言われて、近くにいた男子がなぜか照れた。依央は外向きの笑顔を整える。 「じゃあ、今日はその評価を守ってくる」 「うん」 (篠宮の褒め、まっすぐで効く。けど俺が今から行くの、雑部。評価、守れる? 部名からもう怪しい) 鷹宮蓮は廊下側で鞄を肩にかけながら、依央を見た。 「花宮が旧校舎に行くと、場所の方が華やぎそうだね」 「鷹宮、さらっと言うね」 「本当だから」 「じゃあ、旧校舎を少しだけ明るくしてくる」 「いってらっしゃい」 依央は笑顔で手を振り、教室を出た。 廊下に出た瞬間、二年四組の前で晴臣が待っていた。腕を組み、もうすでに面白がる顔をしている。 「雑部の姫、出勤?」 「晴臣、初日から呼び方が最悪」 「似合ってるぞ」 「似合ってない。あと、その顔やめろ。完全に俺の自爆待ちだろ」 「うん」 「隠す気もないのかよ」 晴臣は肩を揺らして笑った。 「だって昨日のペン圧、だいぶ良かったし」 「忘れろ」 「紙へこんでた」 「紙が弱い」 「まだ言うんだ」 **** 旧校舎へ向かう廊下は、本校舎より人が少ない。放課後のざわめきが少し遠くなって、足音がやけに響く。 (大丈夫。今日は冷静にいく。昨日は初日で情報量が多かっただけ。今日は雑部の活動を把握して、久我くんの出方を見る。俺は姫。場は取れる。……相手が久我くんでも、たぶん。いや、たぶんって何。弱) 部室の扉を開けると、久我燈真はすでにいた。 古い机の上には、箱が三つ並んでいる。中身は、画鋲、クリップ、曲がったマグネット。黒板には、掲示物整理、備品確認、窓鍵、とだけ書いてあった。 地味だった。 昨日より、さらに地味だった。 「来た」 燈真は顔だけ上げる。 「来ました」 「じゃあ、これ」 燈真は画鋲の箱を依央の方へ押した。 「曲がってるの、分けて」 依央は箱を見た。 銀色の画鋲が、わりとたくさん入っている。 「これを?」 「うん」 「俺が?」 「うん」 晴臣が横で吹き出した。 「姫、画鋲選別」 「晴臣、笑ったら刺す」 「画鋲で?」 「言わせるな」 燈真は特に止めもせず、別の箱を開けた。 「使えるのは右。曲がってるのは左」 「分かりました」 依央は椅子に座り、画鋲を一つつまんだ。 男子校の姫。花の生徒会。朝焼けスマイル。お願いスマイル。王子と並んでざわつかれる存在。 その自分が、今、旧校舎の地味な部室で画鋲を選んでいる。 (絵面がえぐい。俺、何してる? 男子校の姫、画鋲と向き合ってる。しかも意外と見分けがむずい。曲がってるやつ、けっこういる。お前らも大変だったんだな。いや画鋲に感情移すな俺) 晴臣はクリップを仕分けながら、にやにやしている。 「依央、意外と真剣」 「こういうの、雑にやる方が気になる」 「姫、画鋲に誠実」 「その呼び方、まじでやめろ」 燈真は窓際の鍵を確認しながら、短く言った。 「花宮、そういうの向いてる」 「画鋲がですか?」 「細かいの」 キュン♡ 依央の指先から、画鋲が一つ転がった。 「……すみません。手がすべりました」 「刺さってない?」 「大丈夫です」 燈真は一度だけ依央の手元を見て、また窓へ視線を戻した。 その温度が軽い。心配はする。でも大げさにはしない。そこがまた、変に残る。 (出た。短いやつ。細かいの向いてる、だけ。なのに何。刺さる。画鋲より刺さる。無理。いや、画鋲よりは刺さるな。画鋲は物理。久我くんは何? 精神?) 晴臣が横から小声で言う。 「依央、画鋲に負けた?」 「晴臣、あとで覚えてろ」 「昨日から覚える量多いんだけど」 「増やすぞ」 「こわ」 作業は、思ったより続いた。 画鋲を分け、古い掲示物を外し、浮いている紙を押さえ直す。傘立ての札は擦れていたので、晴臣が文字を書き直した。燈真は窓鍵のかかり方を見て、固いところだけ油を差す。 作業自体は地味だった。けれど、燈真の手元はやっぱり早い。音が少ない。必要なものを取り、必要な場所だけ直す。誰かに見せるためではなく、ただ直すために動いている。 依央は掲示物を押さえながら、その手元を見てしまった。 (やば。手元、見ちゃう。いや見てもいい。作業だから。作業確認。ガチの確認。でも、何か動きがきれいなんだよな。地味なのに。地味なのにって二回思った。腹立つ) 「花宮」 「はい」 「そこ、手」 「え?」 「紙、押さえるなら端」 燈真が近づき、依央の指のすぐ横を押さえた。距離が近い。触れてはいない。触れてはいないのに、指先の近さだけで、変に息が止まりかける。 燈真は何でもない顔で、掲示紙の角をまっすぐにした。 「こう」 「……分かりました」 「うん」 キュン♡ (待って。近い。近いって。紙の角、そんなに大事? いや大事。掲示物だから大事。分かる。分かるけど、指の横に指を置くな。心臓が旧校舎で暴れる) 晴臣はその場にいたが、ちょうど背中を向けて傘立ての札を貼っていた。依央は心の中で全力で助かったと思った。 そのあと、燈真は脚立を少し引き、上の掲示を確認した。依央が下から紙を渡す。燈真が受け取る。短い作業の繰り返しなのに、毎回指が近い。 「次」 「はい」 「それじゃない」 「え」 「青い方」 「あ、こっちですね」 「うん」 依央は紙を差し替える。燈真は受け取って、掲示板へ貼る。 「助かる」 キュン♡ (また来た。助かる。今日それ何回目。雑に出すな。こっちは毎回ちょっと食らってる。コスパ悪いの俺だけ。やば) 「花宮?」 燈真が見下ろしている。 依央は慌てて笑顔を整えた。 「何でもありません。次、これですか?」 「うん」 燈真は普通に受け取った。 普通すぎる。 (そこがまた無理。久我くん、何もしてませんみたいな顔で攻撃してくる。いや攻撃じゃない。助かったって言っただけ。俺が勝手に食らってるだけ。だる。俺の心臓、仕事しすぎ) ひと通り終わる頃には、部室の中が少しだけ整っていた。掲示物はまっすぐになり、画鋲の箱には使えるものだけが残り、窓はさっきより軽く開くようになっている。 本当に、少しだけ。 でも、少しだけ変わっていた。 依央は指先についた紙の跡を見ながら、息をついた。 「地味ですね」 燈真は黒板の文字を消しながら、うなずく。 「地味」 「認めるんですね」 「派手なことないし」 「ですよね」 「でも、誰かがやると楽」 燈真の声はいつも通り低かった。 依央は、机の上の整理された画鋲の箱を見た。掲示板の端は浮いていない。窓も少しだけ開けやすい。傘立ての札も読める。 (何それ。ちょっといいこと言うな。いや、いいことってほどじゃない。普通。普通なんだけど、久我くんが言うと変に残る。地味なのに、何か残る。くそ、雑部、じわじわ来る) 晴臣が伸びをした。 「おつかれー。俺、こんなにクリップ見たの初めて」 「俺も画鋲をここまで見たの初めて」 「姫の初体験が画鋲」 「その言い方やめろ」 燈真は机の端にあった小さな紙袋を依央の方へ寄せた。 「これ」 「何ですか?」 「購買の余り。もらった」 中には、個包装の小さな焼き菓子が三つ入っていた。安いマドレーヌみたいなやつだ。 「くれるんですか?」 「働いたから」 晴臣がすぐ一つ取った。 「久我、気が利くじゃん」 「余り」 「それでもうれしい」 依央は最後に残った一つを手に取った。袋越しに、少しだけ甘い匂いがする。 「ありがとうございます」 「うん」 「……久我くん、こういうのも配るんですね」 「余ったら」 「じゃあ、今日は余っててよかったです」 言ってから、依央は少しだけ自分の声がやわらかくなったことに気づいた。 燈真も気づいたのか、気づいていないのか分からない顔で、短く言う。 「また余ったら、置いとく」 キュン♡♡ 依央は袋の端を少し強く握った。 (はい無理。余りなのに何でうれしいんだよ。雑。扱いが雑。なのに置いとくって何。次もあるみたいに言うな。いや、あるんだけど。俺もう入部してるんだけど。終わった) 晴臣が依央の顔を見た。 「依央、菓子一個で負けた?」 「負けてない」 「袋、しわしわ」 「袋が弱い」 「紙も袋も弱いな」 「晴臣の性格もな」 「俺、巻き込まれた」 燈真は二人のやり取りを見て、少しだけ笑った。 その笑い方は、昨日よりほんの少しだけ近かった。 依央はそれに気づいてしまい、マドレーヌの袋を鞄にしまった。 (見た。今の笑った。え、何。ちょっと楽しそうだった? いや、知らん。知らんけど、見た。俺、見た。やば。今日は画鋲に負けて、紙に負けて、菓子にも負けた。雑部、敵多すぎ) **** 帰る前、燈真が黒板に書かれた作業の横に、小さく丸をつけた。 掲示物整理。 備品確認。 窓鍵。 全部終わり。 依央はそれを見て、少しだけ胸の中が軽くなるのを感じた。 「久我くん」 「何」 「一人で、いつもこれやってたんですか?」 燈真は黒板消しを置き、少しだけ考えた。 「やれる分だけ」 たったそれだけだった。 けれど、その短さが、逆に部室の地味さごと胸に残った。 依央は笑顔を作らず、ただ小さくうなずいた。 「……次は、もう少し早く来ます」 燈真は依央を見た。 「助かる」 今度は、さっきより静かだった。 依央はそこで、すぐに言い訳を出せなかった。笑いにもできなかった。画鋲の箱、まっすぐになった掲示物、軽く開く窓。そういう地味なものが、急に少しだけ違って見えた。 「はい」 それだけ返して、依央は部室を出た。 廊下に出ると、晴臣が隣に並ぶ。 「依央」 「何」 「雑部、思ったより合ってるんじゃね?」 「うるさい」 「照れた?」 「照れてない。疲れただけ」 「画鋲で?」 「お前、ほんとあとで覚えてろ」 晴臣は笑った。 依央は旧校舎の窓から見える夕方の空をちらりと見た。 (地味。ほんと地味。でも、悪くない。……いや、悪くないとか思うな俺。初仕事でなじむな。男子校の姫だぞ。なのに今日、画鋲と窓鍵とマドレーヌにちょっと負けた。やば。雑部、じわじわ強い) 階段を下りる前、依央は一度だけ部室の方を振り返った。 中から、燈真が机を戻す小さな音が聞こえた。 それだけで、なぜか次の放課後のことを少し考えてしまった。

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