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第3話 花の生徒会と、旧校舎の顔
昼休みの花の生徒会は、空気がきれいすぎる。
正式には校内交流委員会。行事の掲示、地域案内、学校見学の受付準備、そういう細かい仕事をしている場所だ。けれど、白鷺坂高校の男子たちは勝手に「花の生徒会」と呼ぶ。
理由は、だいたい見れば分かる。
「花宮くん、こっちのカード、色ごとに分けてもらえる?」
「はい。春の交流会用ですね」
依央が返事をすると、近くで作業していた一年生が小さく背筋を伸ばした。名札には、まだ硬い字で名前が書かれている。入学したての後輩たちは、先輩の笑顔一つで緊張したり、安心したりする。
依央はカードを受け取り、少しだけ目元をやわらかくした。
「急がなくて大丈夫。色を間違えるより、ゆっくり丁寧な方が助かるよ」
一年生は、ぱっと顔を明るくした。
「は、はい!」
(はい、後輩には安心スマイル。声は少し低め、速度はゆっくり。怖くない先輩感。完璧。俺、花の生徒会でもちゃんと姫。よしよし)
委員会室の中では、紙の音、ペンの音、誰かの小さな笑い声が混ざっていた。本校舎の明るい窓から光が入って、机の上の色紙まできれいに見える。
依央はそこで、いつもの自分に戻る。
二年三組の姫。男子校の姫。場を明るくして、相手の緊張をほどいて、きれいに笑う自分。
「花宮くん」
奥の机から声がした。
白石千紘だった。
三年生。花の生徒会の中心にいる、清楚型の先輩姫。やわらかい声、整った所作、穏やかな笑顔。何をしても無理がない。自然に人がそちらを見る。
依央はカードの束を置き、すぐに姿勢を整えた。
「はい、白石先輩」
「その案内文、見やすくなったね。花宮くんが直してくれた?」
「少しだけです。文字が詰まっていたので、見出しを分けました」
「うん。読みやすい。さすがだね」
千紘は本当に自然に褒めた。
大げさではない。わざとらしくもない。相手をちゃんと見て、いいところだけをさらっとすくう。
依央は笑顔を保った。
「ありがとうございます」
(はい強い。白石先輩、褒め方が強い。さらっと来た。俺も褒められ慣れてるけど、この人のは変に効く。上級生の姫、火力が静か。やば)
「花宮くんは、こういう見せ方が上手だよね」
「そうですか?」
「うん。見られる場所を分かってる感じがする」
「……ありがとうございます」
(待って。今の褒め、普通にうれしい。いや、負けるな俺。ここで照れたら下級生姫みたいになる。俺も姫。俺もやれる。勝った。何に? 知らん。でも今、姿勢は勝ってる)
千紘は少し首をかしげて、依央の手元を見た。
「でも、少し無理してない?」
「え?」
「今日、カードをそろえる手が速いから。急いでるのかなって」
依央の指先が止まった。
別に急いでいるつもりはなかった。けれど、言われてみれば、いつもよりカードの端をそろえる力が強い。千紘に褒められて、勝手に気合いが入ったのかもしれない。
(終わった。手元バレた。え、何で分かるの。白石先輩、姫なのに監視カメラ? 清楚な顔して精度えぐい)
依央は笑顔を崩さず、カードを置いた。
「白石先輩に褒められたので、少し張り切りました」
「かわいいね」
キュン♡
依央は一瞬、紙の角を強く押さえた。
(かわいいね、来た。先輩姫からのかわいいね。待って、今の普通に強い。俺が男子校の姫なのに、姫にかわいいって言われた。上下関係がバグる。無理)
一年生が近くで小さく「花宮先輩、耳赤い」と言いかけたので、依央は先に笑った。
「春は暑いね」
「まだ四月です」
「委員会室、光が入るから」
一年生は素直にうなずいた。
「たしかに明るいです」
(助かった。後輩、素直。光のせいで通った。今日も世界に救われてる)
千紘はくすっと笑っただけで、それ以上いじらなかった。その余裕がまた強い。
作業が終わる頃には、依央の内側はそこそこ削れていた。
表では笑って、後輩に声をかけて、紙束を整えて、千紘に褒め返す。全部できた。できたけれど、ずっと軽く緊張していた。
白石千紘は、勝負をしていない顔で強い。
それがいちばん厄介だった。
(白石先輩、やば。戦ってないのに勝手にこっちが削れる。無風で強い。清楚って何。火力あるじゃん)
****
放課後、依央は花の生徒会で余った掲示用の紙束を持って、旧校舎へ向かった。
廊下を抜けると、本校舎の明るさが少しずつ遠くなる。旧校舎の窓は少しくすんでいて、床の色も薄い。部室の前まで来ると、中から晴臣の声が聞こえた。
「久我、これ何?」
「古いマグネット」
「使うの?」
「使えるのは」
「使えないのは?」
「捨てる」
「会話が省エネ」
依央は扉を開けた。
「お疲れさまです」
晴臣が振り返る。
「お、花の生徒会帰りの姫」
「その言い方やめろ」
「顔、まだ外向き」
「見るな」
「おかえり、花宮依央プロ」
「ほんと黙れ」
燈真は机の上でマグネットを分けていた。顔を上げ、依央を見て、少しだけ間を置く。
「きれいな顔」
「……え?」
「さっきまで、そっちの顔してたんだろ」
キュン♡
依央は紙束を机に置きかけて、角を少しずらした。
(はい来た。何その適当な刺し方。きれいな顔って何。褒めた? いや違う、外向きの顔って言われた? どっち? 無理。久我くん、雑に言うな。こっちは食らう)
依央は一度だけ息を整えた。
「委員会帰りなので」
「うん」
「紙、ここに置きますね」
「そこ」
燈真は何も追わない。言っただけで、またマグネットに視線を落とす。
その温度差が、また地味に腹立つ。
(言うだけ言って作業に戻るな。こっちは今、内側で転んだんだけど。いや、勝手に転んだ。だる)
晴臣は見逃さなかった。
「依央、今ので紙ずれた」
「紙がすべった」
「また紙のせい」
「旧校舎の机、相性が悪い」
「机まで巻き込むな」
依央は椅子に座った瞬間、机に両手をついた。
花の生徒会では背筋を伸ばしていた。笑顔も声も整えていた。紙の角度まで気にしていた。けれど雑部の机を見ると、急に力が抜ける。
そのまま、依央は額を机に近づけた。
「白石先輩、強い」
晴臣が笑った。
「負けた?」
「勝負はしてない」
「じゃあ何」
「勝負してないのに削られた」
燈真がマグネットを一つ弾いた。
「白石先輩、普通に優しいだろ」
「優しいから強いんだよ」
「なるほど」
「今の分かってないだろ、晴臣」
「まあまあ」
依央は机に突っ伏しきらないよう、ぎりぎりで顔を上げた。
「髪も声も空気も白い。なのに褒め方が刺さる。あの人、清楚の顔して、こっちの手元まで見てくる」
燈真が顔を上げた。
「手元?」
「カードをそろえる手が速いって言われました」
「合ってそう」
「そこ合ってそうって言うんだ」
「花宮、張り切ると手が速い」
キュン♡
依央はマグネットの箱を見たまま固まった。
(待って。何で知ってる。え、俺、雑部でも手元バレてる? 無理。久我くん、無関心の顔で普通に見てる。だる。心臓がだるい)
晴臣がにやにやする。
「依央、また紙じゃないもののせいにする?」
「今回はマグネット」
「マグネットかわいそう」
「晴臣のせいでもいい」
「雑」
燈真はマグネットを仕分けながら、静かに言った。
「花宮は、見られると速くなる」
依央は固まった。
「……何がですか」
「手」
「手」
「うん」
「手ですね」
「手」
燈真は真顔でうなずいた。
キュン♡♡
(手だけ。分かってる。手の話。なのに何この敗北感。見られると速くなるって、言い方。久我くん、たぶん何も考えてない。たぶん。なのに刺さる。最悪。無理)
依央はゆっくり息を吸った。
「作業に集中しているだけです」
「うん」
「本当に」
「うん」
「その『うん』、絶対流してますよね」
「少し」
「少しって言うんですね」
晴臣が肩を震わせた。
「依央、雑部だと顔の保ち方ゆるいよな」
「晴臣、ほんと黙れ」
「花の方では綺麗にしてるくせに」
「してるくせにって言うな」
「今、机に沈みかけてた」
「旧校舎の重力」
「また建物のせい」
依央は仕方なく顔を上げ、マグネットの仕分けを手伝うことにした。
丸いもの、欠けたもの、磁力が弱いもの。作業は相変わらず地味だった。花の生徒会で色紙や案内カードを扱っていた手が、今度は古いマグネットを分けている。
落差がすごい。
(俺、昼は後輩に安心スマイルしてたんだけど。今、磁力の死んだマグネット見てる。何この人生。いや高校生活。落差えぐい。でもちょっと楽なのも、だいぶやばい)
「これ、使えますか?」
依央が小さなマグネットを燈真に渡す。
燈真は受け取り、黒板に当てた。すぐ落ちた。
「無理」
「即答」
「落ちたし」
「ですね」
晴臣が横からのぞく。
「マグネットも雑部で寿命を迎えるのか」
「言い方」
「依央、供養してやれよ。姫だし」
「何で俺が」
燈真は落ちたマグネットを見て、ぼそっと言った。
「花宮なら、ちょっと惜しまれそう」
「何にですか」
「マグネットに」
キュン♡
依央は一瞬、返事を失った。
(何それ。意味分かんない。マグネットに惜しまれる姫って何。久我くん、適当すぎ。適当なのに変にかわいい感じにするな。無理)
晴臣が即座に笑った。
「マグネットにモテる姫、爆誕」
「晴臣、黙れ」
「磁力で惹かれてる」
「うまいこと言った顔するな。腹立つ」
「依央、今のは褒めて」
「褒めない」
燈真は少しだけ笑った。
依央はその笑いに気づいて、今度はマグネットを落としかけた。
(見た。笑った。ちょっと楽しそうだった。やば。マグネットごときで久我くん笑うの何。俺、今日何に負けてる? 白石先輩、手元、マグネット。敵が多い)
作業が終わる頃、部室の机は少しだけきれいになっていた。古いマグネットの箱は半分ほど軽くなり、使えるものだけが黒板の端にまとめられている。
依央は椅子に座り直し、今度こそ机に軽く額をつけた。
「花の生徒会と雑部、落差がすごい」
晴臣がクリップを片づけながら言う。
「でも、どっちも依央っぽいけどな」
依央は顔を上げた。
「どこが」
「花の方はキラキラしてる依央。こっちは紙とかマグネットに負けてる依央」
「後半がひどい」
「でも、こっちの方がうるさくて見てて面白い」
「お前の娯楽になるために生きてない」
燈真が黒板の端にマグネットを並べながら言った。
「こっちの顔も、花宮っぽい」
依央は何も言えなかった。
さっきまでの軽い刺さり方とは、少し違った。
外向きの顔を見られた時の恥ずかしさではない。作業中に褒められた時の自爆でもない。
花の生徒会で整えていた自分も、雑部で机に沈みかける自分も、どちらも同じように見られている気がした。
依央はマグネットの箱に視線を落とした。
「……そうですか」
「うん」
燈真はそれ以上言わなかった。
胸の奥に変な熱だけが残る。
晴臣が空気を見て、珍しく何も言わなかった。少しだけ、窓の外で運動部の声が聞こえる。
依央は顔を上げ、いつもの調子を取り戻すように軽く息を吐いた。
「じゃあ、雑部の顔としても、次はもう少しまともに作業します」
晴臣がすぐ笑う。
「今日もまともだったぞ。顔以外」
「晴臣」
「はい」
燈真はマグネットの箱を棚に戻した。
「助かった」
その言葉は、今日の終わりに置かれるみたいに短かった。
依央は少しだけ笑う。
「どういたしまして」
今度は、顔を作りすぎなかった。
****
帰り道、依央は本校舎へ続く渡り廊下で、窓に映った自分の顔を見た。
花の生徒会にいた時より、少しだけ髪が乱れている。制服の袖に、マグネットの黒い粉がうっすらついている。完璧な姫の顔ではない。
それでも、嫌ではなかった。
(やば。雑部の俺、ちょっとひどい。けど、嫌じゃないのがまたやばい。久我くんに見られたのも、めちゃくちゃ腹立つのに、何か……終わった。考えるな。今日はマグネットのせい)
「依央」
隣を歩く晴臣が、にやにやしている。
「何」
「今、けっこういい顔してる」
「うるさい」
「花の生徒会用?」
「雑部帰り用」
「何それ」
「今できた」
晴臣は笑った。
依央も少しだけ笑って、窓から目をそらした。
旧校舎の方から、燈真が窓を閉める小さな音がした。
依央は聞こえなかったふりをして、廊下を歩いた。
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