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第18話 海辺の姫と、見られすぎ問題

海辺の保養所は、思ったよりちゃんとしていた。 白鷺坂高校の系列施設だと聞いていたから、依央はもっと古い建物を想像していた。けれど、実際は白い外壁に青い屋根、広めの食堂、海へ続く坂道までついている。玄関先では潮の匂いがして、遠くから波の音が聞こえていた。 「うわ、海だ」 晴臣が荷物を肩にかけたまま、まっすぐ窓へ向かう。 「見れば分かる」 燈真が短く言う。 「久我、お前、海を前にしてその温度なの?」 「暑い」 「正直」 千紘は玄関の横で、保養所の案内板を見ていた。白いシャツに薄いカーディガン、やわらかい色の私服。学校で見る時よりも少しだけ肩の力が抜けていて、晴臣が横でやたら姿勢を正している。 依央はそれを見て、内心でため息をついた。 (晴臣、分かりやす。白石先輩が保養所にいるだけで、もう顔が夏祭り。いや、まだ海にも出てない。落ち着け幼馴染) 今回の名目は、雑部と花の生徒会の合同親睦。 表向きは、学校系列の保養所を利用した交流と、備品確認を兼ねた夏の活動。実際には、海である。 かなり海である。 **** 部屋割りは、燈真と晴臣、依央と千紘になった。 晴臣は発表された瞬間、少しだけ残念そうにしたあと、すぐに千紘を見て顔を整えた。千紘はそれに気づいて、やわらかく笑っていた。 (今の白石先輩、絶対気づいてた。晴臣、全部出てる。恋人って、ああいうのも見えるんだな。……いや、俺は何を見てんだ) 荷物を置き、着替える時間になった。 依央は部屋の中で、自分の水着を広げた。 白のセーラー風ラッシュトップ。薄手で涼しげだが、甘すぎない。短めのホットパンツは動きやすく、健康的に見える。男子校の姫として、かなり正解。 そのはずだった。 鏡の前に立つと、少しだけ心臓がうるさい。 (万人受け。これは万人受け。海辺の花宮依央として、かなり強い。全員の視線を取れる。……久我くんはどう見るんだろ。いや、また出た。何でそこで久我くん。好み知らないし。寄せてないし。これは姫としての最適解) 隣では、千紘が薄水色のラッシュトップに、白の細身パンツを合わせていた。 清楚で、涼しげで、上品。 でも、学校の制服姿より少しだけ素が見える。脚元も軽く、海らしい明るさがある。 依央は思わず言った。 「白石先輩、晴臣が終わります」 千紘は一瞬で頬を染めた。 「花宮くん」 「すみません。でも本当に」 「変じゃない?」 「変どころか、晴臣の語彙が浜辺に埋まります」 千紘は困ったように笑いながら、裾を軽くつまんだ。 「……それは、ちょっと見たいかも」 (はい出た。恋する男の子。白石先輩、海でも可愛い。晴臣、生きろ) **** 海に出ると、日差しが一気に強くなった。 白い砂。青い海。遠くの堤防。保養所から近い浜辺は、混みすぎてはいないが、同年代らしい男子グループや家族連れがちらほらいる。 晴臣は千紘を見た瞬間、見事に固まった。 「晴臣くん?」 千紘が少し首を傾げる。 晴臣は口を開けて、閉じた。 「……えっと」 「はい、語彙が消えた」 依央が小声で言うと、晴臣が真っ赤になって振り返った。 「消えてない」 「何か言って」 「似合ってます」 「敬語」 「自然に出た!」 千紘は照れたように笑った。 「ありがとう。晴臣くんも、似合ってる」 晴臣は完全に終わった顔をした。 依央はそれを見て、満足した。 (よし。白石先輩、大勝利。晴臣、砂浜に沈む寸前。恋人っていいな……いや、またその流れやめろ。俺は俺の戦場に集中) 依央は少しだけ背筋を伸ばした。 視線には慣れている。 男子校の姫として、見られることは日常だ。笑顔の角度、首の傾け方、少しだけ柔らかい声。全部、使える。 浜辺の男子グループが、ちらっとこちらを見た。 「え、あの二人、同じ学校?」 「モデルみたいじゃね?」 声が小さく届く。 依央は自然に笑った。 海の光を受けるように、少しだけ顔を上げる。あざとすぎず、でも見られることを分かっている顔。 千紘も穏やかに受け流している。 姫男子が二人並ぶと、浜辺は少しだけざわつく。 (はい、視線獲得。健康的。爽やか。男子校の姫、海でも営業可能。ここまでは計算通り) そう思った瞬間、依央は燈真を探した。 燈真は少し離れた場所で、パラソルの位置を見ていた。黒っぽいラッシュガードに、動きやすい短パン。派手ではないのに、海の強い光の中でも妙に落ち着いて見える。 依央と目が合った。 燈真の視線が、依央の白いラッシュトップから、ホットパンツ、足元へと一瞬だけ落ちる。 すぐに戻る。 依央の心臓が、変な音を立てた。 (見た。今、見た。いや、見るだろ。水着なんだから。全員見てる。俺も見られる前提で選んだ。なのに、久我くんの視線だけ情報量えぐい。ちょっと待て) 燈真は無言で近づいてきた。 手には、依央が置いてきた薄い上着がある。 「着とけ」 「え?」 「それ」 燈真は依央の肩に、軽く上着をかけた。 「暑いですよ」 「うん」 「じゃあ何で」 燈真は、少しだけ周囲を見る。 それから短く言った。 「見られすぎ」 ドキューン♡♡ 依央は固まった。 「……見られ、すぎ?」 「うん」 「それは、海なので」 「うん」 「水着なので」 「うん」 「視線を集めるために選んだというか」 燈真の目が、少しだけ細くなった。 依央はそこで言葉を止めた。 (何その顔。ちょっと面白くなさそうじゃない? 俺が見られてるから? いや自意識。落ち着け。でも今の、普通の注意じゃなくない? 着とけ、見られすぎ。何それ。守ってる? いや、守るって何。海。水着。視線。やば) 「久我くん」 「何」 「暑いです」 「我慢」 「雑」 「少しだけ」 その言い方が、強すぎないのに、妙に離れなかった。 依央は肩にかかった上着を見た。 燈真のものではない。依央の上着だ。 それなのに、燈真にかけられたせいで、何か意味が変わった気がする。 (視線を取るために選んだのに、久我くんに見られすぎって言われた瞬間、急に違うものになるの何。俺の水着、俺の戦力だったはずなのに。久我くん、勝手に意味を書き換えるな) 晴臣が千紘の隣からこちらを見て、にやっとしかけた。 千紘がそっと晴臣の腕をつつく。 晴臣は口を閉じた。 えらい。 いや、たぶん千紘がえらい。 その後は、四人で海に入った。 晴臣は千紘が足元の波に驚くたび、そわそわしていた。千紘はそれを見て少し笑い、時々わざとではないくらい自然に晴臣の方へ寄る。晴臣はそのたびに、分かりやすく固まった。 依央は、それを見ながらも、何度も自分の肩の上着を意識した。 燈真は特に何も言わない。 でも、依央が上着を外そうとすると、なぜか視線が来る。 (外すタイミング、全部見られてる気がする。何。監視? いや、久我くんの視野が広いだけ。俺にだけじゃない。たぶん。……たぶん多いな今日) 昼の海は、眩しくて、暑くて、騒がしかった。 けれど、依央の中に一番残ったのは、波の音でも、男子たちの視線でも、晴臣の壊れた語彙でもなかった。 「着とけ」 「見られすぎ」 その二つだった。 **** 夕方、保養所に戻り、食堂で夕飯を食べた。 海帰りの空気で、みんな少しだけ疲れている。晴臣は千紘の向かいで、まだどこかそわそわしていた。千紘はそれを見て、時々小さく笑っている。 依央は隣の燈真を見た。 昼より髪が少し乱れている。日差しを浴びたせいか、首元が少し赤い。 (久我くんも海にいたんだな。当たり前だけど。何その感想。俺の脳、今日ずっと変) 夕食後、保養所の庭で線香花火をすることになった。 夜の海風は、昼よりずっと涼しい。 庭の端からは暗い海が見え、波の音が遠くで続いている。線香花火の火が、ぱちぱちと小さく弾けた。 晴臣と千紘は少し離れたところで、二人で火を見ていた。晴臣が何か言い、千紘が笑う。近すぎないのに、ちゃんと二人の空気だった。 依央は、燈真と並んで線香花火を持っていた。 火の玉が、小さく揺れる。 昼のことが、まだ残っている。 「久我くん」 「何」 「あれ、なんだったんですか」 燈真は線香花火から目を離さない。 「何」 「昼の。着とけとか、見られすぎとか」 燈真の手元で、火花が小さく散る。 依央は続けた。 「久我くん、あれ、ちょっと変でしたよね」 言った瞬間、依央は少し勝った気がした。 昼の燈真は、明らかにいつもと違った。 あそこを突けば、燈真が少し詰まるかもしれない。 詰まったら、こちらの勝ち。 (よし。切り込んだ。昼のあれ、絶対ちょっと面白くなさそうだった。ここで認めさせる。今日の俺、海辺の姫として攻める。いける) 燈真は少しだけ黙った。 線香花火の火が、丸く落ちそうになる。 それから、低い声で言った。 「お前の水着」 依央は息を止めた。 「……はい」 「可愛すぎ」 線香花火の火が、ぱちっと弾けた。 「反則」 依央の中で、何かが真っ白になった。 「……反則?」 「うん」 「水着が?」 「花宮が」 依央は完全に止まった。 (負けた。完全に負けた。何それ。こっちが攻めたのに、正面から撃たれた。可愛すぎ? 反則? 久我くん、それ言えるタイプだったの? 昼に言え。いや昼に言われたら砂浜で終わってた。今も終わってる) 燈真は線香花火を見たまま、少しだけ顔をそらしている。 火の明かりで、耳が赤く見えた。 依央はそれを見て、さらに詰んだ。 (待て。久我くんも照れてる? 言って照れてる? 何それ。俺だけ撃たれてるんじゃない? いやでも俺の方が重傷。かなり重傷) 「久我くん」 「何」 「それ、今言うんですか」 「今聞いたから」 「昼に言ってたら?」 燈真は少しだけ考えた。 「たぶん、言えなかった」 依央は線香花火の持ち手をぎゅっと握った。 (言えなかった。久我くんが。俺の水着見て。可愛すぎて? 反則で? 無理。これ以上は無理。処理落ちする) 線香花火の火の玉が、ぽとっと落ちた。 二人の間に、小さな煙が残る。 依央はそれを見つめたまま、どうにか声を出した。 「……それは、褒め言葉として受け取ります」 「うん」 「かなり、強めの」 「うん」 「次から、そういうのは事前に言ってください」 「事前?」 「心の準備がいるので」 燈真は少しだけ笑った。 「じゃあ無理」 「何で」 「反則だったから」 依央は、もう何も言えなかった。 遠くで、晴臣が「千紘さん、まだ火ついてます」と言い、千紘が「晴臣くんの方、落ちそう」と笑っている。 夏の夜の匂い。 海風。 線香花火の小さな火。 そして、燈真の「可愛すぎ」「反則」。 依央は、自分の胸の奥がまだ熱いことに気づいた。 昼、みんなに見られるのは平気だった。 でも、燈真がどう見ていたかを知った瞬間、全部の意味が変わった。 (見られるって、こういうことだったっけ) 男子校の姫として、視線を取るのは得意だった。 でも、たった一人にそう見られることは、得意じゃない。 むしろ、かなり下手だ。 依央は新しい線香花火を一本取った。 「もう一本、やります」 燈真がうなずく。 「うん」 火をつける時、燈真の手が少し近づいた。 依央はその手元を見て、すぐに火の方へ視線を戻した。 今日は、手まで意識したら本当に終わる。 線香花火の火が、また小さく咲いた。 依央は心の中で、誰にも聞こえないようにつぶやいた。 (海、やばい。水着、やばい。久我くん、もっとやばい) 夜の海風が、二人の間をゆっくり通り抜けた。

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