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第27話 部活応援遠征と、雑部の息継ぎ場所
秋の白鷺坂高校は、思ったよりにぎやかだった。
文化祭にはまだ少しある。修学旅行の話も、教室のあちこちで少しずつ出始めている。けれど、その前に花の生徒会へ回ってきた仕事は、部活の応援メッセージ集めと、遠征に出る部の見送り準備だった。
校内交流委員会の部屋には、白いカード、色ペン、横断幕用の布、部活ごとの名簿が並んでいる。
依央は、その真ん中で笑っていた。
「黒瀬くん、メッセージカード、三枚目だよね」
「足りない!」
黒瀬陸斗は、赤いペンを握りしめていた。
「応援って、気合いだろ? 気合いは量だろ?」
「字が大きすぎて、一枚に三文字しか入ってない」
「勝つぞ、で三文字!」
「それはまあ、入ってる」
隣で篠宮怜央が名簿を確認しながら、静かに言う。
「黒瀬、部活名も書いた方がいい。受け取る側が分かりやすい」
「篠宮、神!」
「神ではない」
「でも、今のはかなり神」
「黒瀬の基準が低い」
篠宮はそう言いながら、カードの端に薄く線を引いた。
「ここに部名。こっちにメッセージ。文字が暴れない」
「文字が暴れるって何?」
「黒瀬の字」
「俺の字、暴れてるのか」
「かなり」
黒瀬が真顔で自分のカードを見る。
依央は笑いをこらえた。
篠宮がツッコミ役に回ると、黒瀬の勢いが少しだけ整理される。黒瀬はそれに気づいていないけれど、二人のやり取りは地味に相性がいい。
鷹宮蓮は、横断幕の端を持っていた。
立っているだけで、なぜか布の端まで絵になる。後輩の一年生が、こっそり鷹宮を見て「横断幕まで上品に見える」とささやいている。
鷹宮はそれに気づいて、少し笑った。
「花宮、ここの文字、君が書いた方が映えるんじゃない?」
「俺?」
「うん。応援って、読みやすさも大事だけど、届く感じも大事だから」
黒瀬が食いついた。
「それだ! 花宮が書いたら勝てそう!」
「俺の字に勝敗を背負わせないで」
「頼む、白鷺坂の姫!」
「応援対象が急に俺になってる」
周囲が笑う。
依央はペンを受け取った。
「じゃあ、ここだけね。全体はみんなで書いた方が、応援っぽいし」
「花宮先輩、俺、隣で見ててもいいですか?」
一年生の後輩が、少し緊張した顔で聞いてくる。
依央は自然に笑った。
「もちろん。線、曲がったら助けて」
「え、花宮先輩でも曲がるんですか」
「曲がるよ。俺、人間なので」
「でも、姫です」
「姫も人間です」
後輩が笑う。
その笑いが、部屋の空気を少し軽くした。
依央は横断幕に向かい、丁寧に文字を書き始めた。周りから視線が集まる。後輩、部活男子、クラスメイト。みんなが、依央の手元を見る。
見られることには慣れている。
笑顔を向ければ、空気がやわらぐことも知っている。
頼られるのも、嫌ではない。
むしろ、ちゃんとできる自分でいたい。
(はい、花宮依央、今日も稼働中。横断幕、メッセージカード、後輩対応、黒瀬の気合い処理。タスク多い。多いけど、まあ、できる。できるけど、誰か俺にも応援メッセージくれ)
「花宮先輩、すごい」
後輩が息をのんだ。
「そんな大げさな」
「字、きれいだし、見てると落ち着きます」
「ありがとう」
依央は外向きの笑顔で返した。
その時、部屋の入口に燈真が立っているのが見えた。
花の生徒会の用事ではない。たぶん、雑部の備品確認か何かで近くを通っただけだ。
燈真は部屋の中を見て、依央と目が合った。
依央は反射で笑った。
姫の顔。
部屋の真ん中で、ちゃんと立っている顔。
燈真はその顔を見た。
それから、依央の手元へ視線を落とした。
横断幕を押さえる指。
少しだけ力が入っている指。
依央は、なぜかそこを見られた気がして、ペンを持つ手に力を入れ直した。
(また手元。久我くん、なんでそこ見るの。今、笑顔ちゃんとしてたでしょ。姫として完璧だったでしょ。そこで指を見るな。いや、見るなっていうか、見てくるのが久我くんなんだけど)
燈真は何も言わなかった。
ただ、小さくうなずいて、廊下の向こうへ歩いていく。
それだけ。
それだけなのに、依央の胸の奥が少しだけ静かになった。
見ていた。
ちゃんと。
でも、みんなと違う場所を。
(何それ。応援されてる側、俺? いや、違う。何も言われてない。うなずいただけ。でも、今の、ちょっと効いた。地味男、無言でも効くな)
「花宮先輩?」
後輩に呼ばれて、依央はすぐに顔を戻した。
「ごめん、続き書くね」
「はい!」
****
遠征見送りは、校門前で行われた。
運動部の数人がバスに乗り込む前、花の生徒会が横断幕を掲げ、応援メッセージのカードを渡す。黒瀬は出る側ではないのに、一番熱かった。
「勝ってこいよ!」
「黒瀬、お前は見送り側だろ」
「気持ちは乗ってる!」
「バスに乗らないでね」
依央が言うと、周りがまた笑った。
鷹宮はさらっと運動部の先輩に声をかけ、写真係の後輩に立ち位置を教えている。
「こっちから撮ると、横断幕も入るよ」
「鷹宮先輩、ありがとうございます」
「花宮も入るなら、少し右」
「俺も構図の一部?」
「主役寄りの一部」
「寄せないで」
篠宮は人数と時間を確認していた。
「バスの出発まで、あと四分。カード渡す人は順番を決めて。黒瀬、前に出すぎ」
「俺、押し出してる?」
「熱量で」
「熱量で押すって何」
「今の黒瀬」
黒瀬が少し下がる。
依央は後輩たちの位置を見て、横断幕がちゃんと見えるように声をかけた。
「少し右。うん、そのまま。カード渡す人は前に出すぎないでね」
「花宮先輩、こっちでいいですか?」
「ばっちり」
「やった」
後輩が嬉しそうに笑う。
その顔を見ると、依央も少し嬉しくなる。
頼られるのは、やっぱり嫌ではない。
応援される側の部員たちも、少し照れた顔でカードを受け取っていた。
「花宮、ありがとな」
「遠征、頑張ってね」
「その笑顔で送り出されたら勝てそう」
「俺じゃなくて練習の成果を信じて」
「花宮、急に真面目」
「応援なので」
周りがまた笑う。
依央はその笑いの中で、横断幕を持ち直した。
表で笑っている。
ちゃんと姫でいる。
でも、それは嘘ではない。
この場を明るくしたいのも、部活の人たちに頑張ってほしいのも、後輩がうまくできて嬉しいのも、全部ほんとうだ。
ただ、終わったあと、校門の脇で一人だけ少し息を吐いた。
空が高い。
瑞城市の秋は、夕方になると山の影が少し青くなる。校舎の向こうに見える稜線がくっきりしていて、風が横断幕の端を軽く揺らした。
(応援した。笑った。褒めた。手配した。黒瀬を止めた。かなり働いた。花宮依央、表稼働フル。……でも、悪くなかった。疲れたけど、悪くなかった。これ、ちゃんと次もやりたいかも)
そう思った自分に、少し驚いた。
前は、疲れたらすぐ「だる」で片づけていた。
今もだるい。
でも、それだけじゃない。
千紘から任されたものを、ちゃんとやれた。後輩が笑った。部活の人たちが嬉しそうだった。
その感覚が、胸の奥に残っている。
「花宮」
声がした。
振り返ると、燈真が校舎側に立っていた。
手には、紙パックのレモンティーがある。
依央は数秒、それを見た。
「……久我くん」
「何」
「それ、何ですか」
「飲み物」
「見れば分かります」
「飲む?」
「俺に?」
「うん」
依央は受け取った。
まだ冷たい。
パックの表面に少し水滴がついている。
「これ、もしかして俺が疲れてると思って」
「うん」
また即答。
依央はストローを刺す手を止めた。
「久我くん、最近、即答が強いです」
「そう?」
「強いです」
「花宮、顔に出るし」
「顔、出勤しすぎ」
「手も」
依央は自分の手を見る。
横断幕の布を押さえていたせいで、指先が少し赤くなっていた。
「……そんなとこまで見ます?」
「見えた」
「見えたなら仕方ないみたいに言わないでください」
燈真は少しだけ笑った。
依央はストローをくわえた。
甘酸っぱい。
冷たい。
レモンの香りが、疲れた喉にゆっくり入ってくる。
「うま」
「よかった」
「久我くん、俺の扱いがうまくなってません?」
「なってる?」
「なってます」
「じゃあ、よかった」
依央はパックを握ったまま、燈真を見る。
その言い方が、あまりにも普通だった。
扱われている。
たぶん、かなり。
なのに嫌じゃない。
むしろ少し助かっている。
(まずい。扱われる姫、かなりまずい。でもレモンティーうまい。久我くん、俺の回復ボタンを覚えてる。やば。ボタン押されてる。俺、単純か? 単純だな。認めたくない)
「戻る?」
燈真が聞く。
「雑部ですか」
「うん」
「戻ります」
即答だった。
依央は自分で少し驚いた。
でも、もう帰りたかった。
花の生徒会の部屋でもなく、教室でもなく、旧校舎の雑部室へ。
****
燈真と並んで廊下を歩く。
途中、黒瀬が遠くから「花宮、見送り最高だったな!」と手を振ってくる。依央は笑顔で振り返し、篠宮から「カードの残り、あとで整理する」と言われてうなずき、鷹宮に「お疲れ、姫。横断幕、絵になってたよ」と軽く手を振られた。
ちゃんと返す。
ちゃんと笑う。
でも、燈真の隣に戻ると、少しだけ肩が下りる。
(これ、やばいな。雑部に向かうだけで戻ってる。まだ部室じゃないのに。久我くんの隣、旧校舎行きの回復ルートになってる)
雑部室には、晴臣がいた。
机に突っ伏して、購買の袋を枕みたいにしている。
「晴臣」
「おかえり、働く姫」
「その呼び方やめて」
「花の生徒会、見たぞ。後輩に囲まれてたな」
「通りかかったの?」
「千紘さんから、花宮くん頑張ってるね、って連絡が来た」
依央は一瞬止まった。
「白石先輩から?」
「うん」
晴臣はにやっとした。
「で、見に行った」
「彼氏、情報網を私用に使うな」
「いいだろ。千紘さんが褒めてたぞ」
「それは……ありがたいです」
晴臣は急にやわらかい顔になった。
「千紘さん、受験の用事も増えてるっぽいけど、花の生徒会のこともちゃんと見てるんだよな」
依央は、千紘がファイルを差し出した時の顔を思い出した。
「白石先輩、すごいよね」
「うん」
「晴臣、ちゃんと支えてあげなよ」
晴臣は少し照れた。
「分かってる」
「顔が分かってる」
「顔で判断するのやめろ。お前ら最近、顔見すぎ」
燈真が机の上に、細長い箱を置いた。
晴臣が即座に反応した。
「それ何」
「購買」
「中身は?」
「エクレア」
依央は燈真を見た。
「久我くん」
「何」
「この前、俺が買うって言ったやつでは」
「今日は部費」
「部費」
晴臣が箱を開けながら目を丸くした。
「領収書ある?」
燈真は無言でポケットから小さな紙を出した。
晴臣が吹き出す。
「ガチで部費だった」
「会議費」
依央はエクレアを見た。
「雑部、エクレアで何の会議をするんですか」
「応援掲示」
「ちゃんとしてる」
「ちゃんとする」
燈真は短く言った。
依央は少しだけ笑ってしまった。
エクレアは三つあった。
細長くて、チョコがかかっていて、購買の袋に少しだけクリームがついている。
高級ではない。
でも、三人で机を囲むには、ちょうどいい。
晴臣が両手を合わせた。
「いただきます」
「早い」
「働く前に糖分」
「働くんだよね?」
「働く」
依央もエクレアを手に取った。
レモンティーとエクレア。
統一感はない。
でも、雑部らしい。
「花宮」
燈真が言う。
「何ですか」
「応援掲示、次どうする?」
依央は一口食べかけて、少しだけ動きを止めた。
疲れて戻ってきた。
甘いものを食べて終わり。
それだけではないらしい。
燈真はちゃんと、次の話をしている。
晴臣も袋を開けながら、机の上のファイルを引き寄せた。
「部活ごとにカード分けるなら、貼る場所も分けた方がよくない?」
「晴臣が真面目」
「エクレアもらったから」
「動機が甘い」
「でも案は悪くないでしょ」
依央はファイルを開いた。
篠宮が書いた部活名のメモ、鷹宮が提案した写真位置、黒瀬の大きすぎる応援文字。今日の騒がしさが、そのまま紙の上に残っている。
「うん。貼る場所、分けた方が見やすいかも。運動部と文化部で色も変える?」
燈真がファイルをのぞく。
「いいと思う」
晴臣がエクレアを片手に言った。
「黒瀬の字、展示する?」
「字が暴れてるやつ?」
「逆に元気出る」
「確かに」
依央は笑った。
さっきまでの疲れが、少しずつ別の形になっていく。
次はこうしよう。
これは見やすい。
あれは面白い。
誰かに任せてもいい。
雑部で話しているうちに、花の生徒会の仕事が、重い荷物ではなく、動かせるものになっていく。
(あ、これいい。疲れて戻って、食べて終わりじゃない。戻って、また考えられる。次、ちょっと楽しみになってる。やば。雑部、だいぶ効く)
「花宮」
燈真が短く言う。
「はい」
「顔、戻った」
「また顔」
「うん」
「戻りました?」
「うん」
依央はエクレアを見た。
「エクレアのおかげです」
晴臣が笑う。
「久我のおかげもあるんじゃないの?」
依央は晴臣を見た。
「晴臣、エクレア食べ終わるまで黙って」
「口封じが甘い」
「甘いもので黙って」
燈真が少しだけ笑っている。
依央は、もう一度ファイルへ視線を落とした。
手は繋がなかった。
重ねもしなかった。
でも、机の上に置いた依央の手の少し先に、燈真の手がある。
その手は、ファイルの端を押さえている。
自分の仕事を、さりげなく一緒に支えている。
それで十分だった。
今は、これで戻れる。
「じゃあ、次は運動部のカードから整理しよう」
依央が言うと、晴臣が「了解」とエクレア片手に返事をした。
燈真も短くうなずいた。
「うん」
秋は忙しい。
頼られるのは嬉しい。
疲れる日もある。
でも、戻れる場所がある。
戻ったあと、また少し動ける。
依央はエクレアを一口食べて、ファイルのページをめくった。
(応援したの、俺なのに。俺が応援された気分になるの、ずるい)
けれど、悪くない。
かなり、悪くない。
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