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第28話 修学旅行準備と、東京班決め

修学旅行のしおりが配られた瞬間、二年三組の空気は一気に浮いた。 朝のホームルーム後、担任が黒板に「東京方面・班別行動」と書いただけで、教室の後ろから小さな歓声が上がる。机の上には、白いしおりと行き先候補のプリント。国会議事堂、浅草、スカイツリー、国立競技場、東大、銀座、渋谷、原宿。 瑞城市から東京へ行く。 それだけで、ただの校外学習とは違う響きがあった。 白鷺坂駅から見える山の稜線も、駅前の小さな商店街も、学校帰りに寄るカフェも好きだ。けれど、しおりの中に並ぶ東京の地名は、普段の景色とは別の光り方をしている。 黒瀬陸斗は、まだ誰も何も言っていないのに立ち上がった。 「国立競技場!」 「早い」 依央はしおりを開きながら言った。 「行きたいだろ、国立競技場! スポーツの聖地だぞ!」 「黒瀬くん、そこだけで班別行動が終わりそう」 「終わらない。たぶん」 「たぶん」 篠宮怜央はすでに候補地を路線ごとに分けていた。プリントの端に小さく時間を書き込み、移動の順番を見ている。 「国立競技場から浅草は動きが大きい。どこを軸にするか決めた方がいい」 「篠宮、もう旅行会社?」 「班で遅れたくないだけ」 「その冷静さ、東京に持っていくの強いな」 黒瀬が感心したように言うと、篠宮は少しだけ目を細めた。 「黒瀬が走り出さないなら、かなり楽」 「俺、東京で走らないって!」 「国立競技場を見たら?」 「……ちょっとだけ」 「今、負けた」 鷹宮蓮は銀座と美術館の候補を見ながら、さらっと言った。 「銀座もいいね。街並みだけでも絵になるし」 近くの男子がすぐに乗る。 「鷹宮が銀座歩いてたら、普通に撮影じゃん」 「じゃあ花宮も並べば?」 「王子と姫、東京編?」 依央は笑顔で手を振った。 「その呼び方、東京に持ち込まないでね」 「似合うのに」 「似合うから危ないの」 教室に笑いが起きる。 依央は外向きの顔で受け流しながら、しおりの中の渋谷・原宿の文字を見た。 渋谷。 原宿。 駅前、カフェ、服、雑貨、写真を撮る場所、色の多い通り。 男子校の姫としては、かなり映える。 (渋谷、原宿。これは強い。花宮依央、街に馴染む。いや、馴染むっていうか、映える。姫としての勝ち筋が多い。……で、久我くんは同じ班? そこ。そこが大事。東京の問題じゃない。配置の問題) 久我燈真は、後ろの席でしおりを眺めていた。 テンションが高いわけでもない。国会議事堂にも、浅草にも、スカイツリーにも、特に反応していない。いつものように、紙を見ているだけ。 なのに、依央は気になる。 どこへ行きたいのか。 何に反応するのか。 一緒に歩くなら、どこがいいのか。 (待て。修学旅行ってクラス行事。俺はクラスの姫。みんなとの思い出が大事。なのに脳内が久我くんの希望調査してる。やば。観光地より一人の男子の動向を見るな) 「花宮はどこ行きたい?」 黒瀬が聞いた。 依央はすぐに笑った。 「俺? 渋谷とか原宿かな。見て歩くだけでも楽しそうだし」 「似合う!」 「即答」 「花宮、原宿歩いたら絶対声かけられるだろ」 「それは分からないけど」 「分かる」 鷹宮がうなずく。 「花宮は、色が多い場所でも埋もれないと思う」 「褒めてる?」 「もちろん」 「なら、ありがとう」 依央は笑った。 褒められるのは慣れている。 渋谷や原宿が似合うと言われるのも、まあ分かる。男子校の姫として、見られる場所は戦える。 けれど、燈真がどう思っているかだけは、まだ分からない。 「久我くんは?」 依央は、何でもないように聞いた。 燈真が顔を上げる。 「何」 「どこ行きたいですか」 「花宮が行きたいとこ」 教室の音が、一瞬だけ遠くなった気がした。 依央はしおりを持つ指に力を入れた。 「……俺が?」 「うん」 「久我くん、自分の希望は」 「特に」 「東京ですよ。候補、多いですよ」 「花宮、楽しそうだったし」 依央は言葉を失った。 (何それ。俺が楽しそうだったから? おいおい、まじかよ。修学旅行の行き先決めでその返しはずるい。自分の希望ゼロみたいな顔して、こっちの顔見て決めるな。久我くん、東京観光より俺の反応を見てるじゃん。え、見てる? いや、自意識。自意識だけど、今のはかなりアウト) 黒瀬が横から覗き込んだ。 「じゃあ、渋谷・原宿行こうぜ!」 篠宮がすぐに言う。 「時間配分を考えるなら、午前に浅草かスカイツリー、午後に渋谷・原宿。逆でもいいけど、人の流れ次第」 「篠宮、頼もしい」 「混んで動けないと時間が削れるから」 「言い方が現実」 鷹宮がしおりを指で押さえた。 「浅草で写真を撮って、午後に渋谷なら雰囲気も変わっていいね」 「写真!」 黒瀬がまた食いつく。 「花宮、いっぱい撮ろうぜ!」 「俺、観光地ですか」 「二年三組の観光資源」 「やめて」 笑いが起きる。 依央は笑いながらも、隣のしおりに視線を落とした。 渋谷・原宿。 燈真が、自分が行きたいところでいいと言った場所。 それだけで、ただの候補地が少し違って見える。 (やば。東京が急に久我くん込みの地図になった。浅草もスカイツリーも原宿も、全部、久我くんが隣にいるかどうかで色が変わる。俺の修学旅行、だいぶ危ない) 班決めは、思ったよりすんなり進んだ。 黒瀬は国立競技場に未練を残しつつ、全員の行きたい場所を大きな紙に書き出した。篠宮が時間と路線を整理し、鷹宮が写真映えしそうな場所をいくつか候補に足す。 依央は、後輩対応や花の生徒会とは違う、クラスの浮き立つ空気の中で笑っていた。 いつもより男子たちの声が明るい。 誰もが、まだ行っていない東京の景色を先に楽しんでいる。 「花宮、制服どうする?」 黒瀬が急に聞いた。 「制服でしょ」 「いや、そうだけど。着こなし」 「修学旅行で姫アレンジ?」 鷹宮が少し笑う。 「花宮なら、リボンの角度だけで写真が変わりそうだね」 「鷹宮くん、それ褒め方が強い」 「褒めてるよ」 依央は笑顔で受ける。 (制服。東京。写真。たぶん他の男子とも撮る。いつものこと。笑えばいい。角度を作ればいい。……久我くんとは?) またそこに戻る。 依央は自分の頭を内心で軽く叩いた。 (戻りすぎ。何回久我くんの配置確認するの。俺の脳内、しおりに久我燈真マークつけすぎ) 「花宮」 燈真が短く呼んだ。 「はい」 「ここ」 燈真がしおりの端を指す。 班別行動の注意事項だった。 集合時間、連絡先、迷った時の手順。 「見落としそう」 「あ、ほんとだ」 依央はその部分に目を落とした。 「久我くん、ちゃんと見てますね」 「花宮、楽しそうでそこ飛ばしそうだった」 「そんなに浮かれて見えました?」 「うん」 即答。 依央は少しだけ頬が熱くなった。 「……まあ、修学旅行なので」 「楽しみ?」 「楽しみです」 「そっか」 燈真の声が少しだけやわらかくなる。 「ならいい」 その短さに、依央はもう派手には崩れなかった。 ただ、ちゃんと受け取ってしまった。 (ならいい、が最近強い。いや、強いけど、前より死なない。受け取ってしまう。これ、成長? それとも負け方が静かになっただけ?) **** 放課後、依央は雑部室へ向かった。 旧校舎の廊下は、教室の修学旅行ムードとは違って静かだった。窓から入る風は少し涼しく、秋の匂いがする。 部室には、晴臣が先にいた。 机の上には、なぜか東京土産の特集ページを開いた冊子が広がっている。 「晴臣」 「お、来た」 「それ何」 「土産調査」 依央は鞄を置きながら、冊子を覗いた。 和菓子、キーホルダー、限定菓子、雑貨、キャラクターもの。 晴臣の顔は真剣だった。 「……白石先輩?」 「うん」 「まだ行ってないよ」 「今から選ぶんだよ。失敗したくない」 「重い」 「うるさい」 燈真も部室に入ってきて、冊子を見た。 「土産?」 「千紘さんに」 晴臣は即答した。 「依央、花の生徒会で千紘さんの好み、何か知らない?」 「彼氏の仕事を後輩姫に投げるな」 「後輩姫、頼む」 「呼び方で押すな」 燈真が短く言う。 「榎本が選べば」 晴臣は頭を抱えた。 「急に正論」 「白石先輩、晴臣が選んだってだけで喜びそうだけど」 依央が言うと、晴臣は一瞬で黙った。 顔が赤い。 「……そういうの、急に言うな」 「事実でしょ」 「依央のくせに」 「俺のくせにって何」 晴臣は冊子のページをめくりながら、少し照れた顔を隠す。 その様子を見ていると、依央の胸の奥が少しだけ温かくなった。 誰かのために、まだ行ってもいない場所の土産を真剣に選ぶ。 それは、かなり恋人っぽい。 (晴臣、重いけど可愛いな。白石先輩、これ見たら笑うだろうな。誰かのために選ぶって、こういう感じか) 依央はふと、しおりの渋谷・原宿の欄を思い出した。 自分は、燈真と何かを選ぶのだろうか。 一緒に何かを買うのだろうか。 そこまで考えて、慌てて内心で首を振る。 (いやいやいや。まだ東京に行ってもない。土産まで想像するな。晴臣の彼氏脳がうつった。やば) 晴臣が依央を見る。 「依央は?」 「何が」 「土産。誰に買うの」 「家とか、花の生徒会とか、普通に」 「久我には?」 依央は固まった。 燈真も一瞬だけこちらを見る。 晴臣は何も悪びれていない顔をしている。 「いや、同じ班なら何か買う流れあるだろ」 「晴臣」 「何」 「土産の流れで雑に久我くんを入れるな」 「雑じゃない。自然」 「自然じゃない」 燈真は少しだけ冊子を見ていた。 「花宮が選ぶなら、何でもいい」 依央は息を止めた。 「……何でも?」 「うん」 「それ、土産の話ですか」 「他にある?」 「ありません」 返事が早すぎた。 晴臣がにやっとする前に、依央は冊子を晴臣の前へ押し戻した。 「晴臣は白石先輩の土産に集中」 「はいはい」 (何でもいい、はだめ。何でもいいって、信頼っぽいし、雑っぽいし、どっちでも刺さる。久我くん、旅行前から火力出すな。俺、まだ荷造りもしてない) 燈真はそれ以上何も言わず、古い掲示物の束を机の端へ寄せた。 部室の空気が、少しだけ落ち着く。 教室のワクワク。 花の生徒会の予定。 晴臣の土産調査。 全部が、これから本当に修学旅行へ向かっていく感じを作っていた。 依央は鞄からしおりを出し、もう一度開いた。 東京方面。 班別行動。 渋谷、原宿。 燈真が、依央の行きたいところでいいと言った場所。 それを見ていると、胸の奥がまた少し浮いた。 「花宮」 燈真が呼ぶ。 「はい」 「楽しみすぎて、しおり折るなよ」 依央は自分の手元を見た。 しおりの角が、少しだけ曲がっていた。 「……折ってません」 「曲がってる」 「東京への期待で」 晴臣が吹き出した。 「何その言い訳」 「晴臣は土産への期待で冊子に穴開けそう」 「それはある」 「あるんだ」 燈真がしおりの角を指で押さえ、そっと戻した。 その指先を、依央は見てしまった。 紙の角を直すだけの動き。 でも、近い。 自分のしおりに、燈真の手が触れている。 (東京行く前から、しおりでこれ。現地行ったら大丈夫か俺。浅草、渋谷、原宿、久我くん。全部来る。情報量えぐい。修学旅行、おそるべし) 「花宮」 「はい」 「顔、楽しそう」 依央はしおりから顔を上げた。 燈真が、少しだけ笑っている。 「……楽しみなので」 「うん」 「久我くんも、楽しみにしてください」 燈真は短く返した。 「してる」 依央はそこで、完全に言葉を失った。 晴臣が目を丸くする。 「久我が修学旅行楽しみにしてる」 「何で驚く」 「いや、言い方が素直すぎて」 燈真は依央を見たまま、少しだけ肩をすくめた。 「花宮、楽しそうだし」 依央はしおりを閉じた。 (もうだめ。東京、行く前からだめ。俺が楽しそうだから楽しみって、それ、どういう感情? 聞けない。聞いたら俺が終わる。とりあえず、しおりを閉じろ。顔が出る) 晴臣が小声で言った。 「依央、東京行く前から顔」 「晴臣」 「はい」 「白石先輩の土産、候補三つに絞って」 「急に仕事」 「その口を使うなら役に立てて」 「ひどい」 部室に笑いが戻る。 依央はその中で、しおりを鞄にしまった。 東京はまだ先だ。 でも、もう少しだけ始まっている気がした。 班の行き先も、土産も、写真も、まだ何も決まっていない。 それなのに、依央の中ではもう、渋谷の人混みの中に燈真がいる。 原宿の通りで、隣に燈真がいる。 その想像だけで、胸の奥が浮いてしまう。 (修学旅行、やばい。始まる前からやばい。花宮依央、東京より久我くんの配置を気にしてる。かなり末期) でも、その末期が少し楽しい。 依央は、誰にも見えないように、机の下で少しだけ指を握った。 夏に取った手。 秋に重ねた手。 その続きが、東京にあるかもしれない。 そう思っただけで、しおりの中の文字が少しだけきらきらして見えた。

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