28 / 44
第28話 修学旅行準備と、東京班決め
修学旅行のしおりが配られた瞬間、二年三組の空気は一気に浮いた。
朝のホームルーム後、担任が黒板に「東京方面・班別行動」と書いただけで、教室の後ろから小さな歓声が上がる。机の上には、白いしおりと行き先候補のプリント。国会議事堂、浅草、スカイツリー、国立競技場、東大、銀座、渋谷、原宿。
瑞城市から東京へ行く。
それだけで、ただの校外学習とは違う響きがあった。
白鷺坂駅から見える山の稜線も、駅前の小さな商店街も、学校帰りに寄るカフェも好きだ。けれど、しおりの中に並ぶ東京の地名は、普段の景色とは別の光り方をしている。
黒瀬陸斗は、まだ誰も何も言っていないのに立ち上がった。
「国立競技場!」
「早い」
依央はしおりを開きながら言った。
「行きたいだろ、国立競技場! スポーツの聖地だぞ!」
「黒瀬くん、そこだけで班別行動が終わりそう」
「終わらない。たぶん」
「たぶん」
篠宮怜央はすでに候補地を路線ごとに分けていた。プリントの端に小さく時間を書き込み、移動の順番を見ている。
「国立競技場から浅草は動きが大きい。どこを軸にするか決めた方がいい」
「篠宮、もう旅行会社?」
「班で遅れたくないだけ」
「その冷静さ、東京に持っていくの強いな」
黒瀬が感心したように言うと、篠宮は少しだけ目を細めた。
「黒瀬が走り出さないなら、かなり楽」
「俺、東京で走らないって!」
「国立競技場を見たら?」
「……ちょっとだけ」
「今、負けた」
鷹宮蓮は銀座と美術館の候補を見ながら、さらっと言った。
「銀座もいいね。街並みだけでも絵になるし」
近くの男子がすぐに乗る。
「鷹宮が銀座歩いてたら、普通に撮影じゃん」
「じゃあ花宮も並べば?」
「王子と姫、東京編?」
依央は笑顔で手を振った。
「その呼び方、東京に持ち込まないでね」
「似合うのに」
「似合うから危ないの」
教室に笑いが起きる。
依央は外向きの顔で受け流しながら、しおりの中の渋谷・原宿の文字を見た。
渋谷。
原宿。
駅前、カフェ、服、雑貨、写真を撮る場所、色の多い通り。
男子校の姫としては、かなり映える。
(渋谷、原宿。これは強い。花宮依央、街に馴染む。いや、馴染むっていうか、映える。姫としての勝ち筋が多い。……で、久我くんは同じ班? そこ。そこが大事。東京の問題じゃない。配置の問題)
久我燈真は、後ろの席でしおりを眺めていた。
テンションが高いわけでもない。国会議事堂にも、浅草にも、スカイツリーにも、特に反応していない。いつものように、紙を見ているだけ。
なのに、依央は気になる。
どこへ行きたいのか。
何に反応するのか。
一緒に歩くなら、どこがいいのか。
(待て。修学旅行ってクラス行事。俺はクラスの姫。みんなとの思い出が大事。なのに脳内が久我くんの希望調査してる。やば。観光地より一人の男子の動向を見るな)
「花宮はどこ行きたい?」
黒瀬が聞いた。
依央はすぐに笑った。
「俺? 渋谷とか原宿かな。見て歩くだけでも楽しそうだし」
「似合う!」
「即答」
「花宮、原宿歩いたら絶対声かけられるだろ」
「それは分からないけど」
「分かる」
鷹宮がうなずく。
「花宮は、色が多い場所でも埋もれないと思う」
「褒めてる?」
「もちろん」
「なら、ありがとう」
依央は笑った。
褒められるのは慣れている。
渋谷や原宿が似合うと言われるのも、まあ分かる。男子校の姫として、見られる場所は戦える。
けれど、燈真がどう思っているかだけは、まだ分からない。
「久我くんは?」
依央は、何でもないように聞いた。
燈真が顔を上げる。
「何」
「どこ行きたいですか」
「花宮が行きたいとこ」
教室の音が、一瞬だけ遠くなった気がした。
依央はしおりを持つ指に力を入れた。
「……俺が?」
「うん」
「久我くん、自分の希望は」
「特に」
「東京ですよ。候補、多いですよ」
「花宮、楽しそうだったし」
依央は言葉を失った。
(何それ。俺が楽しそうだったから? おいおい、まじかよ。修学旅行の行き先決めでその返しはずるい。自分の希望ゼロみたいな顔して、こっちの顔見て決めるな。久我くん、東京観光より俺の反応を見てるじゃん。え、見てる? いや、自意識。自意識だけど、今のはかなりアウト)
黒瀬が横から覗き込んだ。
「じゃあ、渋谷・原宿行こうぜ!」
篠宮がすぐに言う。
「時間配分を考えるなら、午前に浅草かスカイツリー、午後に渋谷・原宿。逆でもいいけど、人の流れ次第」
「篠宮、頼もしい」
「混んで動けないと時間が削れるから」
「言い方が現実」
鷹宮がしおりを指で押さえた。
「浅草で写真を撮って、午後に渋谷なら雰囲気も変わっていいね」
「写真!」
黒瀬がまた食いつく。
「花宮、いっぱい撮ろうぜ!」
「俺、観光地ですか」
「二年三組の観光資源」
「やめて」
笑いが起きる。
依央は笑いながらも、隣のしおりに視線を落とした。
渋谷・原宿。
燈真が、自分が行きたいところでいいと言った場所。
それだけで、ただの候補地が少し違って見える。
(やば。東京が急に久我くん込みの地図になった。浅草もスカイツリーも原宿も、全部、久我くんが隣にいるかどうかで色が変わる。俺の修学旅行、だいぶ危ない)
班決めは、思ったよりすんなり進んだ。
黒瀬は国立競技場に未練を残しつつ、全員の行きたい場所を大きな紙に書き出した。篠宮が時間と路線を整理し、鷹宮が写真映えしそうな場所をいくつか候補に足す。
依央は、後輩対応や花の生徒会とは違う、クラスの浮き立つ空気の中で笑っていた。
いつもより男子たちの声が明るい。
誰もが、まだ行っていない東京の景色を先に楽しんでいる。
「花宮、制服どうする?」
黒瀬が急に聞いた。
「制服でしょ」
「いや、そうだけど。着こなし」
「修学旅行で姫アレンジ?」
鷹宮が少し笑う。
「花宮なら、リボンの角度だけで写真が変わりそうだね」
「鷹宮くん、それ褒め方が強い」
「褒めてるよ」
依央は笑顔で受ける。
(制服。東京。写真。たぶん他の男子とも撮る。いつものこと。笑えばいい。角度を作ればいい。……久我くんとは?)
またそこに戻る。
依央は自分の頭を内心で軽く叩いた。
(戻りすぎ。何回久我くんの配置確認するの。俺の脳内、しおりに久我燈真マークつけすぎ)
「花宮」
燈真が短く呼んだ。
「はい」
「ここ」
燈真がしおりの端を指す。
班別行動の注意事項だった。
集合時間、連絡先、迷った時の手順。
「見落としそう」
「あ、ほんとだ」
依央はその部分に目を落とした。
「久我くん、ちゃんと見てますね」
「花宮、楽しそうでそこ飛ばしそうだった」
「そんなに浮かれて見えました?」
「うん」
即答。
依央は少しだけ頬が熱くなった。
「……まあ、修学旅行なので」
「楽しみ?」
「楽しみです」
「そっか」
燈真の声が少しだけやわらかくなる。
「ならいい」
その短さに、依央はもう派手には崩れなかった。
ただ、ちゃんと受け取ってしまった。
(ならいい、が最近強い。いや、強いけど、前より死なない。受け取ってしまう。これ、成長? それとも負け方が静かになっただけ?)
****
放課後、依央は雑部室へ向かった。
旧校舎の廊下は、教室の修学旅行ムードとは違って静かだった。窓から入る風は少し涼しく、秋の匂いがする。
部室には、晴臣が先にいた。
机の上には、なぜか東京土産の特集ページを開いた冊子が広がっている。
「晴臣」
「お、来た」
「それ何」
「土産調査」
依央は鞄を置きながら、冊子を覗いた。
和菓子、キーホルダー、限定菓子、雑貨、キャラクターもの。
晴臣の顔は真剣だった。
「……白石先輩?」
「うん」
「まだ行ってないよ」
「今から選ぶんだよ。失敗したくない」
「重い」
「うるさい」
燈真も部室に入ってきて、冊子を見た。
「土産?」
「千紘さんに」
晴臣は即答した。
「依央、花の生徒会で千紘さんの好み、何か知らない?」
「彼氏の仕事を後輩姫に投げるな」
「後輩姫、頼む」
「呼び方で押すな」
燈真が短く言う。
「榎本が選べば」
晴臣は頭を抱えた。
「急に正論」
「白石先輩、晴臣が選んだってだけで喜びそうだけど」
依央が言うと、晴臣は一瞬で黙った。
顔が赤い。
「……そういうの、急に言うな」
「事実でしょ」
「依央のくせに」
「俺のくせにって何」
晴臣は冊子のページをめくりながら、少し照れた顔を隠す。
その様子を見ていると、依央の胸の奥が少しだけ温かくなった。
誰かのために、まだ行ってもいない場所の土産を真剣に選ぶ。
それは、かなり恋人っぽい。
(晴臣、重いけど可愛いな。白石先輩、これ見たら笑うだろうな。誰かのために選ぶって、こういう感じか)
依央はふと、しおりの渋谷・原宿の欄を思い出した。
自分は、燈真と何かを選ぶのだろうか。
一緒に何かを買うのだろうか。
そこまで考えて、慌てて内心で首を振る。
(いやいやいや。まだ東京に行ってもない。土産まで想像するな。晴臣の彼氏脳がうつった。やば)
晴臣が依央を見る。
「依央は?」
「何が」
「土産。誰に買うの」
「家とか、花の生徒会とか、普通に」
「久我には?」
依央は固まった。
燈真も一瞬だけこちらを見る。
晴臣は何も悪びれていない顔をしている。
「いや、同じ班なら何か買う流れあるだろ」
「晴臣」
「何」
「土産の流れで雑に久我くんを入れるな」
「雑じゃない。自然」
「自然じゃない」
燈真は少しだけ冊子を見ていた。
「花宮が選ぶなら、何でもいい」
依央は息を止めた。
「……何でも?」
「うん」
「それ、土産の話ですか」
「他にある?」
「ありません」
返事が早すぎた。
晴臣がにやっとする前に、依央は冊子を晴臣の前へ押し戻した。
「晴臣は白石先輩の土産に集中」
「はいはい」
(何でもいい、はだめ。何でもいいって、信頼っぽいし、雑っぽいし、どっちでも刺さる。久我くん、旅行前から火力出すな。俺、まだ荷造りもしてない)
燈真はそれ以上何も言わず、古い掲示物の束を机の端へ寄せた。
部室の空気が、少しだけ落ち着く。
教室のワクワク。
花の生徒会の予定。
晴臣の土産調査。
全部が、これから本当に修学旅行へ向かっていく感じを作っていた。
依央は鞄からしおりを出し、もう一度開いた。
東京方面。
班別行動。
渋谷、原宿。
燈真が、依央の行きたいところでいいと言った場所。
それを見ていると、胸の奥がまた少し浮いた。
「花宮」
燈真が呼ぶ。
「はい」
「楽しみすぎて、しおり折るなよ」
依央は自分の手元を見た。
しおりの角が、少しだけ曲がっていた。
「……折ってません」
「曲がってる」
「東京への期待で」
晴臣が吹き出した。
「何その言い訳」
「晴臣は土産への期待で冊子に穴開けそう」
「それはある」
「あるんだ」
燈真がしおりの角を指で押さえ、そっと戻した。
その指先を、依央は見てしまった。
紙の角を直すだけの動き。
でも、近い。
自分のしおりに、燈真の手が触れている。
(東京行く前から、しおりでこれ。現地行ったら大丈夫か俺。浅草、渋谷、原宿、久我くん。全部来る。情報量えぐい。修学旅行、おそるべし)
「花宮」
「はい」
「顔、楽しそう」
依央はしおりから顔を上げた。
燈真が、少しだけ笑っている。
「……楽しみなので」
「うん」
「久我くんも、楽しみにしてください」
燈真は短く返した。
「してる」
依央はそこで、完全に言葉を失った。
晴臣が目を丸くする。
「久我が修学旅行楽しみにしてる」
「何で驚く」
「いや、言い方が素直すぎて」
燈真は依央を見たまま、少しだけ肩をすくめた。
「花宮、楽しそうだし」
依央はしおりを閉じた。
(もうだめ。東京、行く前からだめ。俺が楽しそうだから楽しみって、それ、どういう感情? 聞けない。聞いたら俺が終わる。とりあえず、しおりを閉じろ。顔が出る)
晴臣が小声で言った。
「依央、東京行く前から顔」
「晴臣」
「はい」
「白石先輩の土産、候補三つに絞って」
「急に仕事」
「その口を使うなら役に立てて」
「ひどい」
部室に笑いが戻る。
依央はその中で、しおりを鞄にしまった。
東京はまだ先だ。
でも、もう少しだけ始まっている気がした。
班の行き先も、土産も、写真も、まだ何も決まっていない。
それなのに、依央の中ではもう、渋谷の人混みの中に燈真がいる。
原宿の通りで、隣に燈真がいる。
その想像だけで、胸の奥が浮いてしまう。
(修学旅行、やばい。始まる前からやばい。花宮依央、東京より久我くんの配置を気にしてる。かなり末期)
でも、その末期が少し楽しい。
依央は、誰にも見えないように、机の下で少しだけ指を握った。
夏に取った手。
秋に重ねた手。
その続きが、東京にあるかもしれない。
そう思っただけで、しおりの中の文字が少しだけきらきらして見えた。
ともだちにシェアしよう!

