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第30話 テーマパーク二日目、二人になれない姫
テーマパークの入口を抜けた瞬間、二年三組は完全に浮かれた。
大きなゲート、遠くに見える城みたいな建物、耳のついたカチューシャ、色とりどりの風船、流れてくる明るい音楽。昨日の東京観光とはまた違う。街を見る楽しさではなく、最初から全部が遊ぶために作られている感じがした。
黒瀬陸斗は、入って十秒で声が大きかった。
「うわ、すげえ!」
「黒瀬、まだ入口」
篠宮怜央がしおりを見ながら言う。
「集合場所と時間は先に確認しておいた方がいい」
「篠宮、ここでも冷静!」
「ここだから冷静にする」
「名言っぽい」
鷹宮蓮は入口の花壇の前で立ち止まった。
「花宮、ここで一枚撮らない?」
「もう?」
「最初の写真は大事だよ」
近くの男子がすぐに乗った。
「花宮、こっち!」
「俺も撮りたい!」
「花宮、耳つけない?」
「つけません」
依央は笑顔で断りながら、スマホを向けられるたびに角度を作った。
写真を撮られること自体は、普通だった。
クラスメイトに囲まれるのも、肩が触れるのも、笑ってと言われるのも、いつもの延長で処理できる。男子校の姫として、カメラを向けられた瞬間の顔くらい、いくらでも作れる。
「花宮、完璧!」
「ありがとう。でも、そろそろ次行こう」
「次、あれ乗ろうぜ!」
黒瀬が指した先には、かなり高い位置まで上がる乗り物が見えた。
篠宮が眉を寄せる。
「待ち時間が長い。先に奥の方へ行った方が効率がいい」
「効率よりテンション!」
「黒瀬のテンションで列は短くならない」
「正論が固い!」
鷹宮が笑って、依央を見る。
「花宮はどっち?」
「俺?」
依央は一瞬、燈真を見た。
久我燈真は少し後ろで、周囲の流れを見ている。浮かれていない。でも、つまらなさそうでもない。ただ、依央が誰かに呼ばれるたび、ほんの少しだけ目が動く。
依央はその視線に気づいてしまった。
(待って。今日、久我くんと全然話せてない。入ってから写真、黒瀬、写真、鷹宮、写真、篠宮の集合時間。俺、人気者すぎる。普段なら勝ち。完全に勝ち。でも今日は、何か違う。何で俺、ちょっと不満なの?)
「花宮?」
黒瀬に呼ばれて、依央は笑顔に戻した。
「じゃあ、篠宮くん案で奥から回ろうか。混む前に動いた方が、あとで遊べるし」
「花宮が言うなら!」
「黒瀬、俺の時と反応が違う」
篠宮が静かに言うと、黒瀬は笑った。
「篠宮は正しい。花宮は楽しい」
「分類が雑」
依央は笑いながら、班の先頭へ少し出た。
歩き出す。
後ろから、燈真の足音がついてくる。
それだけで、少しだけ安心する。
けれど、二人きりにはならない。
最初のアトラクションでは、黒瀬に隣を取られた。
「花宮、隣な!」
「はいはい」
「叫んでもいい?」
「最初から叫んでる」
「まだ本気じゃない」
「怖い」
黒瀬は本当に乗っている間ずっと楽しそうで、降りたあとには「もう一回!」と叫んだ。依央も笑った。普通に楽しかった。
でも、出口で燈真を見ると、少しだけ胸が引っかかった。
燈真は篠宮と同じ列だったらしい。
篠宮が淡々と感想を言っている。
「加速度より、最後の曲がり方が強かった」
「分析する乗り物じゃないだろ」
黒瀬がつっこむと、篠宮は真顔で返す。
「体感の話」
燈真はその横で、少しだけ笑っていた。
(俺も久我くんの隣に乗りたかった、って思った? 今、思った? いや、思ったな。終わった。アトラクションの感想よりそっち来た。花宮依央、テーマパークの楽しみ方が下手になってる)
次の店では、鷹宮に呼ばれた。
「花宮、この壁の前、すごくいい」
「写真?」
「うん。光が綺麗」
「鷹宮くん、完全に撮影担当だね」
「花宮が被写体として強いから」
「褒め方が重い」
また写真。
そのあとも、他の男子に呼ばれた。
ポップコーンを分ける時も、パレードを見る時も、ショップの前でも、依央は誰かの隣にいた。
楽しくないわけではない。
むしろ、楽しい。
笑えるし、写真も盛れるし、みんなのテンションも高い。
でも、ふとした瞬間に燈真を見る。
そして、燈真は少し離れたところにいる。
近いのに、遠い。
(何これ。人気者、しんど。いや、普段なら勝ち。誘われるのは勝ち。でも今日、久我くんと全然二人になれない。何で俺が不満? 俺、姫なのに? 姫は囲まれてなんぼでしょ。なのに、久我くんの隣が空いてると気になる。だる。自分がだるい)
****
昼過ぎ、ようやく少し落ち着いた頃、依央は飲み物を買う列で燈真の隣に立った。
ほんの少しだけ。
黒瀬たちは前の方でメニューを見て騒いでいる。篠宮は会計の流れを見ている。鷹宮はカップのデザインを眺めている。
依央は、小さく息を吐いた。
「やっと隣ですね」
言ってから、自分で固まった。
燈真がこちらを見る。
「うん」
「いや、今のは」
「嫌だった?」
「嫌じゃないです」
即答してしまった。
燈真の目が少しだけ動く。
依央は飲み物のメニューを見るふりをした。
(早い。返事が早い。嫌じゃないです、じゃない。いや、嫌じゃないけど。そこ素直に出すな俺。テーマパーク、怖い。浮かれが口に出る)
燈真は少しだけ間を置いて、言った。
「俺も」
依央はメニューを見る目を止めた。
「え」
「今日、あんまり隣ないなと思ってた」
その声は、いつも通り短い。
でも、いつもより少しだけ低く聞こえた。
依央は、何も言えなくなった。
(待って。久我くんも? 俺だけじゃない? 隣、ないなって思ってた? 何それ。今日一番のアトラクション来た。列の中で来るな。処理できない)
「花宮ー! 何飲む?」
黒瀬の声が前から飛んできた。
依央は現実へ戻された。
「レモネード!」
「了解!」
黒瀬が元気よく注文へ向かう。
燈真は何事もなかったように前を向いた。
でも、依央の中では、さっきの一言がずっと残っていた。
俺も。
今日、あんまり隣ないなと思ってた。
たったそれだけ。
それだけで、一日中の小さな不満が、急に甘いものへ変わりかける。
(やば。うれしい。これ、うれしいやつだ。認めたくないけど、かなりうれしい)
****
夕方近くになると、クラスメイトたちは最後の買い物で一気に散らばった。
大きなショップの中は、人と光と音でいっぱいだった。ぬいぐるみ、キーホルダー、缶入りの菓子、文房具、ストラップ。棚ごとに色が変わって、見ているだけで目が忙しい。
黒瀬は「家族用!」と言って菓子缶へ向かい、篠宮は配る相手ごとに値段と個数を確認していた。鷹宮は店の奥で、綺麗なガラス細工を見ている。
依央は少しだけ人の流れから外れた。
その時、隣に燈真が来た。
今度は、本当に二人だけだった。
周りに人はいる。
でも、クラスメイトはいない。
依央は棚の小さなチャームを見ながら、やっと息を吐いた。
「……やっとですね」
燈真が隣で言う。
「うん」
「今日、久我くん、全然一緒に回れてない感じしました」
「花宮、忙しそうだった」
「人気者なので」
「うん。知ってる」
その言い方が、少しだけ静かだった。
依央は燈真を見る。
「何ですか、その顔」
「別に」
「別にの顔じゃないです」
燈真は棚の小さな星形ストラップを見た。
昨日、依央が少しだけ気にしていたものと似ている。色違いで二つ並んでいた。ひとつは淡い銀色。もうひとつは薄い青。
燈真はそれを見ながら、短く言った。
「ちょっと、面白くなかった」
依央は完全に固まった。
音楽も、人の声も、レジの音も、全部遠くなった気がした。
「……何が」
聞いた声が、自分でも少し小さかった。
燈真は依央を見ないまま言った。
「今日、ずっと呼ばれてたから」
「俺が?」
「うん」
「それは、まあ、クラス行事なので」
「うん」
「写真も、普通ですし」
「知ってる」
「じゃあ」
燈真が、そこで依央を見る。
「知ってても、面白くない時はある」
依央は息を忘れた。
(待って。何それ。面白くない? 俺が他の男子に呼ばれてたのが? 写真撮ってたのが? 久我くんが? やば。俺だけじゃなかった。今日ずっと、俺だけが変に気にしてたんじゃない。久我くんも? え、何これ。嬉しい。いや、だめ。嬉しいって顔に出る。絶対出る)
「花宮」
「はい」
「顔」
「今のは久我くんのせいです」
燈真は少しだけ笑った。
依央は棚へ向き直った。
星形のストラップが、二つ並んでいる。
昨日も気になった。
今日も目に入った。
たぶん、見ないふりは無理だ。
「……せっかくだし」
燈真が見る。
依央はストラップを指さした。
「雑部用に、何か買いません?」
「雑部用?」
「そうです。雑部用です。鍵とか、活動バッグとか、何かにつけられるので」
「二つあるけど」
「予備です」
「予備」
「……俺と久我くんで持ってても、管理しやすいので」
言えば言うほど苦しい。
依央は自分でそれを分かっていた。
でも、言い切った。
燈真はしばらく星形を見て、それから銀色の方を取った。
「じゃあ、それ」
「即決?」
「花宮が選んだし」
依央は棚の前で崩れそうになった。
(だから、その返し。俺が選んだし、じゃない。雑部用って言ってるでしょ。予備って言ってるでしょ。全部分かって受け取るな。やば。うれしい。めちゃくちゃうれしい)
依央は薄い青の方を取った。
レジへ向かう時、二人の手元に小さな星がひとつずつあった。
重くない。
大げさでもない。
でも、今日やっと二人で選べたものだった。
店を出たところで、黒瀬たちに見つかった。
「あ、いた! 花宮、久我!」
黒瀬が大きく手を振る。
「最後に写真撮ろうぜ!」
「また?」
依央が言うと、黒瀬は当然みたいに笑った。
「今日の締め!」
鷹宮がスマホを構える。
「せっかくだし、みんなで撮ろう」
篠宮が位置を見て言った。
「こっちの壁の方が明るい。逆側だと顔が暗くなる」
「篠宮、写真にも強い」
「光の向きの話」
集合写真は普通だった。
黒瀬が中央で笑い、鷹宮が自然に整え、篠宮が最後まで位置を調整する。依央はいつもの笑顔で写った。燈真も端の方に入った。
それで終わると思った。
けれど、黒瀬が急に言った。
「そういえば、花宮、久我とはちゃんと撮ってなくない?」
依央の心臓が跳ねた。
「え」
「今日、花宮いろんなやつと撮ってたけど、久我とは少ないだろ」
鷹宮が微笑む。
「二人、並ぶと絵になると思うよ」
篠宮が冷静に続けた。
「今なら人も少ない。撮るなら早い方がいい」
「篠宮くん、急に段取りをこっちに使わないで」
黒瀬はスマホを構えた。
「はい、並んで!」
依央は燈真を見た。
燈真は少しだけ依央を見返してから、隣に立った。
写真なんて普通。
今日だけで何枚も撮った。
黒瀬とも、鷹宮とも、他の男子とも、肩が触れる距離で笑った。
だから普通。
普通のはずだった。
「もっと寄って!」
黒瀬が言う。
依央が半歩寄ろうとした瞬間、鷹宮が首を傾けた。
「もう少し近い方が、背景とのバランスがいいかな」
篠宮まで言う。
「間が空くと、後ろの棚が目立つ」
「三人で詰めるな」
依央が言うより早く、燈真の手が依央の肩に回った。
自然に。
支えるみたいに。
寄せるみたいに。
強くはない。
でも、確かに肩にある。
依央は固まった。
(待って。肩。久我くんの手。写真って残るやつだよな? 残る。これ残る。俺の顔、大丈夫? いや、顔じゃない。距離。距離が急に普通じゃない。写真は普通。写真は普通なのに、久我くんの手が普通じゃない)
「花宮、顔!」
黒瀬が笑う。
依央は反射で姫顔を作った。
たぶん、間に合った。
シャッター音がした。
その瞬間だけ、燈真の手が肩にあった。
撮り終わると、燈真はすぐに手を離した。
少しだけ、惜しいと思った。
それに気づいて、依央は自分の内心にびびった。
「はい、確認!」
黒瀬がスマホを見せる。
写真の中の二人は、思ったより近かった。
依央はちゃんと笑っている。
燈真はいつもの顔より、ほんの少しだけやわらかい。
肩に回った手は、写真の中にしっかり残っている。
依央は画面を見つめた。
「……なんか、恥ずいですね」
燈真が横から覗く。
「そう?」
「久我くんの方が普通です」
「普通じゃない」
「え?」
燈真は少しだけ画面を見る。
「俺も、ちょっと変」
依央は燈真を見た。
燈真は画面から目を離さない。
でも、その横顔が少しだけ照れているように見えた。
(待って。久我くんも? 普通じゃない? 俺だけじゃない? やば。写真、急にやばい。いや、最初からやばかった)
黒瀬がにやにやしている。
「送るな」
依央が先に言った。
「何で分かった!?」
「顔」
「最近みんな顔で判断する!」
鷹宮が笑いながら言う。
「でも、いい写真だよ」
篠宮もうなずいた。
「ぶれてないし、表情も自然」
「そこ評価するんだ」
依央は自分のスマホを出した。
「……送ります?」
燈真が即答した。
「送って」
依央の指が止まる。
「即答」
「うん」
「そんなに」
「残したいし」
依央はスマホを見たまま、しばらく何も言えなかった。
(残したい。言った。今、残したいって言った。写真を? 俺との? やば。テーマパーク、最後に一番強いの持ってくるな)
「送ります」
「うん」
写真を送る。
画面の中に、燈真との写真が増えた。
待ち受けにするわけではない。
特別な名前をつけるわけでもない。
ただ、写真フォルダに残るだけ。
でも、それだけで十分だった。
****
帰り道、依央の鞄の中には、小さな星形ストラップが入っていた。
薄い青。
燈真は銀色。
雑部用。
予備。
管理しやすいから。
苦しい理由はいくつもある。
でも、二人で選んだことだけは変わらない。
バスへ向かう途中、黒瀬がまた大きな声で「楽しかったな!」と叫び、篠宮が「まだ集合確認がある」と冷静に返し、鷹宮が「写真、あとで共有するね」と笑った。
依央はその中で、少しだけ後ろを歩く燈真を見た。
燈真も、手元の小さな袋を見ていた。
雑に鞄へ放り込まず、ちゃんと内側のポケットへしまう。
依央はそれを見て、胸の奥がまた騒いだ。
(大事そうにしまった。見た。今、見た。雑部用って言ったのに。予備って言ったのに。久我くん、それ、ちゃんと大事にしてるじゃん。俺だけじゃないじゃん)
「花宮」
燈真が顔を上げる。
「はい」
「顔、うるさい」
「今日は久我くんのせいです」
「うん」
「認めるんですか」
「少し」
依央は何も言えなくなった。
夕方のテーマパークの光が、燈真の横顔を少しだけ照らしている。
今日一日、ずっと二人になれなかった。
でも最後に、二人で選んだものがある。
写真もある。
それが嬉しいと思ってしまう。
かなり。
かなり、嬉しい。
(だめだ。今日、楽しかった。めちゃくちゃ楽しかった。みんなといたのも楽しかった。でも、最後のこれが一番残る。俺、もうだいぶ隠せてない)
それでも、依央は笑った。
姫の顔ではなく、少しだけ素の顔で。
「帰ったら、写真ちゃんと保存します」
燈真が短く返した。
「俺も」
その一言で、今日のテーマパークが、また少し特別になった。
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