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第32話 文化祭準備、花の生徒会と雑部の交差
文化祭準備が始まると、白鷺坂高校の廊下は一気に色が増えた。
教室の後ろには段ボール。廊下の端には模造紙。階段の踊り場には、まだ下書きのままのポスターが貼られている。夏の行事とも、修学旅行とも違う。学校そのものが少しずつ別の顔へ変わっていく感じがした。
二年三組も例外ではなかった。
黒板には、クラス出し物の役割分担が書かれている。
黒瀬陸斗は、なぜか朝からやる気だった。
「花宮、看板の文字、頼む!」
「朝の挨拶より先に看板?」
「大事だろ!」
「大事だけど順番」
篠宮怜央は、黒板の横で必要物品の数を確認している。
「黒瀬、看板より先に机の配置。動線が決まらないと、飾りの位置も決まらない」
「出た、篠宮の動線」
「人が詰まると、当日かなり面倒になる」
「その言い方、急に現実」
鷹宮蓮は、色見本を持って窓際に立っていた。
「花宮、こっちの色の方が君には合うと思う」
「俺に合わせてどうするの」
「クラスの顔になるなら、色も大事だよ」
「クラスの顔にしないで」
近くの男子たちが「いや、花宮が前に立つなら客来るだろ」と笑う。
依央は笑顔で受け流した。
「俺は客寄せの置物じゃありません」
「動く姫」
「もっとだめ」
笑いが起きる。
いつもの二年三組だ。
騒がしくて、雑で、でもどこか楽しそうで。
依央はその真ん中で笑っていた。
(文化祭準備、始まったな。段ボール、模造紙、黒瀬の気合い、篠宮の現実、鷹宮の美意識。情報量が学校内で渋滞してる。でも、嫌じゃない。こういうの、ちょっと楽しい)
ただし、楽しいだけでは済まない。
休み時間にはクラスの看板を頼まれ、昼休みには花の生徒会から掲示確認の連絡が来て、放課後には雑部の備品確認も残っている。
依央は黒板の分担表を見ながら、少しだけ息を吸った。
(俺、何人いる想定? 花宮依央、分身できない。姫は増殖しない。たぶん)
「花宮」
燈真の声がした。
振り返ると、久我燈真が教室の後ろで段ボールを押さえていた。
いつものように目立たない。
けれど、倒れかけていた箱を自然に止め、誰かが落としたカッターのキャップを拾い、邪魔になっていた椅子を端へ寄せている。
誰より動いているのに、誰より騒がしくない。
「何ですか」
「これ、花の生徒会に持っていくやつ?」
燈真が指したのは、校内掲示用のポスター束だった。
「あ、そうです。あとで俺が」
「持つ」
「え?」
「行くついで」
依央は目を瞬いた。
「久我くん、どこに行くついでですか」
「旧校舎」
「方向、違いません?」
「少しだけ」
「少しだけで済ませる距離じゃないです」
燈真は平然としている。
依央はポスター束を見て、それから燈真の手元を見た。
テーマパークで買った銀色の星形ストラップが、鞄のファスナーに小さく揺れている。
あの日、燈真が大事そうにしまっていたもの。
今もちゃんとそこにある。
(ついてる。今日もついてる。しかも作業の邪魔にならない位置にしてる。雑部用って言ったのに。予備って言ったのに。久我くん、ちゃんと持ってる。やば。文化祭準備中に不意打ちで来るな)
「花宮」
「はい」
「顔」
「これは文化祭準備の顔です」
「違うだろ」
「違わないです」
燈真は少しだけ笑った。
ポスター束を受け取り、軽く持ち上げる。
「無理する前に言えよ」
依央は少しだけ言葉に詰まった。
「……無理はしてません」
「うん」
「信じてない返事ですね」
「花宮がそう言うと思った」
「久我くん、最近、俺の先読みがうまい」
「分かりやすいし」
「顔ですか」
「手も」
依央は反射で自分の手元を見た。
さっきから分担表とポスターを交互に持ち替えていたせいで、指先に少しだけ力が入っている。
燈真はそこを見ていたのだろう。
(また手。笑顔じゃなくて手。久我くん、本当にそこ見てくる。うわ、落ち着かない。落ち着かないけど、見てもらえるとちょっと助かる。何これ)
****
放課後、依央は花の生徒会の部屋へ向かった。
部屋の中には、文化祭用の掲示物がずらりと並んでいる。各クラスの企画紹介、花の生徒会が担当する来場者案内、校内マップ、注意事項。
千紘はその端で、後輩たちへ説明をしていた。
「ここは見やすさ優先で。字が小さいと、当日立ち止まる人が増えるから」
「はい」
「花宮くん、来てくれたんだ」
「遅くなりました」
「大丈夫。むしろ助かるよ」
その一言で、依央の背筋が少し伸びる。
任される。
頼られる。
嬉しい。
でも同時に、やっぱり力が入る。
「この掲示の並び、花宮くんから見てどう思う?」
千紘が校内マップを示す。
依央は少し考え、マップの端を指した。
「ここ、クラス企画と花の生徒会の案内が少し混ざって見えるかもです。色を分けた方がいいかもしれません」
「うん。いいね」
後輩がすぐにメモを取る。
「花宮先輩、すごい」
「すごくはないよ。見る人が迷わない方がいいだけ」
「でも、そういうのすぐ気づくの、すごいです」
後輩の目がまっすぐで、依央は少しだけ笑った。
「ありがとう」
千紘も静かにうなずく。
「やっぱり、花宮くんに見てもらってよかった」
依央の胸の奥が、また少し温かくなる。
(うれしい。これは普通にうれしい。白石先輩にそう言われるの、かなりくる。でも、同時に背筋が伸びる。伸びすぎて肩が固まる。姫、姿勢よすぎて疲れる)
作業は思ったより早く進んだ。
依央が色を分け、後輩が文字を直し、千紘が全体を確認する。途中で他の生徒が相談に来て、依央は笑顔で返し、また掲示に戻る。
その繰り返し。
嫌ではない。
むしろ、文化祭が近づいている感じがして、少し楽しい。
ただ、頭の中の予定表だけは、どんどん混んでいく。
クラス出し物。
花の生徒会。
雑部。
文化祭当日の巡回。
掲示。
写真。
来場者案内。
(多い。多いけど、楽しそう。楽しそうだけど、多い。どうしよう。全部ちゃんとやりたい。やりたいから、余計に頭がうるさい)
作業が一段落した頃、千紘が小さく声をかけた。
「花宮くん」
「はい」
「全部きれいに抱えなくていいからね」
依央は一瞬、返事を忘れた。
千紘はファイルを閉じながら、やわらかく笑う。
「周りに任せるのも、花宮くんの仕事になると思う」
「……はい」
「頼られる側になると、頼るのが少し難しくなるけど」
その言葉は、妙にまっすぐだった。
千紘も、そうだったのだろう。
依央は小さくうなずいた。
「覚えておきます」
「うん。雑部の二人にもね」
「白石先輩、そこまで」
「晴臣くんから聞くから」
千紘が少しだけ照れる。
依央は笑った。
(白石先輩、晴臣ワードで今日もほんのり甘い。文化祭準備中でも彼氏成分あるの強い)
****
旧校舎へ向かう頃には、外は薄い夕方になっていた。
山の影が校舎の端を少し青くしている。瑞城市の秋の空は高く、文化祭の準備でざわつく校舎の上だけ、妙に静かに見えた。
雑部室の扉を開けると、晴臣が机の上にプリントを広げていた。
「おかえり、文化祭の姫」
「その呼び方やめて」
「じゃあ、文化祭に追われる姫」
「もっとやめて」
燈真は窓際にいて、さっきのポスター束を机の横にまとめていた。
「持ってきてくれたんですね」
「うん」
「ありがとうございます」
「ん」
机の真ん中には、購買の袋が置かれていた。
依央はそれを見る。
「今日は何ですか」
晴臣が得意げに袋を開けた。
「今日は俺と久我の共同出資」
「共同出資」
「カスタードシュー。三個」
燈真が短く補足する。
「部費じゃない」
「そこまで言わなくても」
「気にしてただろ」
依央は少しだけ笑った。
覚えられている。
自分が、燈真ばかり買っていることを気にしていたこと。
そういうところまで。
(共同出資。シュークリーム。重くない。ちょうどいい。雑部、だいぶ生活感ある。いい。好き。いや、好きって何に? 部室に。たぶん)
晴臣がシュークリームを配る。
「依央、花の生徒会どうだった?」
「忙しくなりそう」
「うわ」
「でも、楽しいかも」
晴臣が少し目を丸くした。
「お、前向き」
「白石先輩に、周りに任せるのも仕事って言われた」
燈真がこちらを見る。
「いいこと言うな」
「はい」
「で、任せる?」
依央はシュークリームを持ったまま止まった。
「……任せる練習をします」
晴臣が笑う。
「じゃあ、俺は?」
「晴臣は、文化祭当日の雑部巡回表を見て」
「急に任された」
「練習なので」
「俺で?」
「幼馴染は練習台に向いてる」
「扱い!」
燈真が少し笑った。
依央はシュークリームを一口食べた。
カスタードが甘い。
モンブランとも、団子とも違う。普通の甘さが、文化祭準備で散らかった頭にちょうどいい。
燈真がファイルを引き寄せる。
「クラスの分担と、花の生徒会と、雑部。分けた方がいい」
「分ける?」
「紙を三つ」
晴臣がプリントを三枚並べる。
「おお、作戦会議っぽい」
「ぽいじゃなくて会議」
「文化祭会議、甘味つき」
依央は笑った。
三枚の紙に、それぞれ役割を書いていく。
クラス出し物。
花の生徒会。
雑部巡回。
ひとつの頭の中でぐるぐるしていた予定が、机の上に分かれていく。
黒瀬に任せること。
篠宮に確認してもらうこと。
鷹宮に相談すること。
花の生徒会で後輩へ渡せる作業。
雑部で三人が担当できること。
書き出していくうちに、少しだけ息がしやすくなった。
(あ、これいい。頭の中で全部抱えてたやつ、紙に出したら動かせる。しかも一人じゃない。晴臣が茶化しながら見て、久我くんが静かに分けてくれる。これ、ちょっと頑張れるやつ)
「花宮」
燈真が言う。
「はい」
「これは俺が見る」
燈真が指したのは、雑部巡回の備品確認だった。
「でも、久我くん、クラスもあるし」
「できる」
「即答」
「花宮は花の生徒会の掲示もあるだろ」
依央は返事に詰まった。
そこを見ている。
また。
燈真は、依央がどこで力を入れているかを、ちゃんと見ている。
「……ありがとうございます」
「うん」
晴臣がにやっとする。
「依央、任せる練習、成功?」
「晴臣、シュークリーム食べて」
「照れ隠しに甘味を使うな」
「食べて」
「はい」
依央は鞄の横を見た。
薄い青の星形ストラップが、小さく揺れている。
机の向こうでは、燈真の鞄にも銀色の星がついていた。
文化祭準備の紙の山の中で、それだけが小さく同じ形をしている。
依央は、それを見るだけで少し落ち着いた。
(ある。ちゃんとある。雑部用とか、予備とか、まだ言える。でも、これ見ると少し頑張れる。久我くんもつけてるし。俺だけじゃないし)
燈真が視線に気づいた。
「何」
「いえ」
「星?」
依央はカスタードのついた紙を折りながら言った。
「管理状態の確認です」
「そっか」
燈真は少しだけ笑った。
「ちゃんと管理してる」
依央は目をそらした。
(言い方。管理って言えば済むと思ってるでしょ。こっちは全部分かってるような気がして、勝手にドキドキしてるんですけど)
晴臣が二人を見比べる。
「その星、ほんとに雑部用なの?」
依央は即答した。
「そうです」
燈真も短く言った。
「うん」
晴臣は怪しそうに目を細めた。
「じゃあ、俺のは?」
依央は固まった。
燈真も黙った。
晴臣がにやっと笑う。
「ほら」
依央はシュークリームの紙を丸めた。
「晴臣は今日、巡回表担当なので」
「ごまかした」
「ごまかしてません。役割です」
「俺にも雑部用の何か買って」
燈真が少し考える。
「ホチキス」
晴臣が叫んだ。
「星との差!」
依央は笑ってしまった。
部室に、文化祭準備の紙と、シュークリームの甘い匂いと、晴臣の声が混ざる。
さっきまで頭の中で膨らんでいた予定が、少しずつ形を持ち始めていた。
「花宮」
燈真が言う。
「何ですか」
「顔、戻った」
依央は少しだけ笑った。
「今日は戻ったというより、進んだ感じです」
燈真の目が少しだけやわらかくなる。
「そっか」
その返事が、静かに入ってくる。
疲れて戻るだけじゃない。
ここで整理して、任せて、また進める。
それが、今日の雑部だった。
依央は三枚の紙を見た。
クラス。
花の生徒会。
雑部。
全部が別々で、全部が自分につながっている。
前なら、全部きれいに持とうとしていたかもしれない。
でも今は、机を囲む二人がいる。
黒瀬に振れることもある。
篠宮に任せられることもある。
鷹宮に相談できることもある。
後輩に渡せることもある。
そして、燈真に預けられることもある。
(文化祭、忙しい。でも、いけるかも。いや、いける。たぶん。……久我くんが、こっち見てるし)
依央はシュークリームの最後の一口を食べた。
「じゃあ、まずはクラスの看板から」
晴臣が手を上げる。
「俺、巡回表じゃないの?」
「両方」
「増えた!」
「幼馴染は練習台なので」
「その設定、強いな」
燈真が短く言う。
「手伝う」
晴臣は大げさに肩を落とした。
「結局、全員働くじゃん」
依央は笑った。
「文化祭なので」
外の廊下では、どこかのクラスが釘を打つ音を響かせていた。
旧校舎の窓から入る秋の風が、机の上の紙を少しだけ揺らす。
依央はそれを手で押さえた。
そのすぐ横に、燈真の手が来る。
紙を押さえるため。
ただそれだけ。
でも、同じ紙を押さえている。
依央はその手を見て、ほんの少しだけ口元をゆるめた。
文化祭準備は、まだ始まったばかりだ。
きっと忙しい。
でも、今は少し楽しみだった。
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