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第39話 花の生徒会、次の姫候補たち
冬の学校説明会の日、白鷺坂高校の廊下はいつもより少しだけよそ行きの顔をしていた。
掲示板の端には校内案内図が貼られ、昇降口には中学生と保護者向けの受付が置かれている。花の生徒会の腕章をつけた生徒たちが、資料の束を抱えて行き来していた。
依央は窓に映る自分を見て、リボンの位置を少しだけ直した。
冬服の襟元。
髪の落ち方。
笑顔の角度。
中学生相手だからといって、手は抜かない。白鷺坂の男子校の姫として、未来の後輩たちに見られる日だ。ここで頼れる先輩感を出せば、来年の花の生徒会にもつながる。
(はい、花宮依央、学校説明会仕様。親しみやすく、でも綺麗め。怖くない先輩。話しかけやすい姫。完璧。……久我くん、見てるかな)
関係あるわけがない。
今日は花の生徒会の仕事だ。燈真は旧校舎側の案内掲示を確認する予定で、説明会の受付には直接関わらない。
それでも、なぜか気になる。
自分がちゃんと先輩の顔をしているところを、燈真が見たらどう思うのか。
(なんで俺、久我くんの反応待ってんの。白石先輩に任される日でしょ。そっちに集中しろ。久我くんの顔を探すな。探した。まだいない。よし。……よし?)
「花宮くん」
やわらかい声がして、依央は振り返った。
白石千紘が、資料を抱えて立っていた。冬服の着こなしは相変わらず清楚で、説明会のざわつきの中でも、そこだけ空気が少し澄んで見える。
「白石先輩、おはようございます」
「おはよう。今日、受付のあとは校内案内をお願いしてもいいかな」
「はい。大丈夫です」
「中学生、緊張してる子が多いと思うから。花宮くんが声をかけると、少し安心すると思う」
依央は少しだけ背筋を伸ばした。
「任せてください」
「うん。頼りにしてる」
頼りにしてる。
その一言は、まっすぐ嬉しい。
千紘にそう言われると、花の生徒会の中で少しずつ前へ出ている実感が湧く。怖くはない。むしろ、ちゃんと立ちたいと思う。
(白石先輩に頼られた。勝ち。勝負してないけど、これは嬉しい。今日は完璧にやる。完璧な先輩姫でいく)
****
受付が始まると、昇降口には中学生たちが少しずつ集まり始めた。
制服の着方も、立ち方も、まだ少し幼い。保護者の後ろに隠れ気味の子もいれば、校舎を興味深そうに見上げている子もいる。
依央は笑顔で資料を渡した。
「こんにちは。白鷺坂高校へようこそ。校内案内はこちらです」
「ありがとうございます」
中学生の一人が、資料を受け取りながら依央を見上げた。
目が丸い。
「……先輩、きれいですね」
依央の周囲にいた花の生徒会の後輩が、なぜか小さくうなずいた。
依央はいつもの笑顔を保った。
「ありがとう。でも、今日は学校を見に来たんだよね。俺じゃなくて校舎見ようか」
中学生が慌ててうなずく。
「はい!」
後輩がこっそり笑った。
「花宮先輩、さすがです」
「何が?」
「中学生、もう安心してます」
「それはよかった」
依央はにこっと笑った。
(よし。順調。姫先輩、機能中。中学生の視線も処理可能。まだ大丈夫)
****
数人ずつの案内が始まった。
依央は校舎の一階から順に案内した。
職員室、保健室、図書室、特別教室。説明は長くしすぎず、でも質問しやすい空気を作る。保護者にも丁寧に答え、中学生には少しだけ柔らかく声をかける。
「ここが図書室です。自習にも使えます」
「広い……」
「テスト前は混むけど、静かだからおすすめ」
「部活って、全部入らないとだめですか?」
依央は一瞬、笑顔のまま止まった。
質問した中学生は真剣だった。
「パンフレットにいっぱい書いてあって」
依央は反射で答えた。
「全部入ったら体が足りないよ」
言ってから、口元を押さえた。
周囲の花の生徒会の後輩も、少しだけ目を丸くしている。
(出た。今、先輩姫じゃなくて普通にツッコんだ。体が足りないよ、って何。もっと綺麗な言い方あったでしょ。興味のある活動から選んでね、とか。何で素で出た。終わった)
しかし、中学生はぽかんとしたあと、笑った。
「そっか。ですよね」
別の中学生も笑う。
「先輩、分かりやすい」
「部活、多すぎてちょっと怖かったけど、安心しました」
依央は、笑顔を作り直した。
「興味のあるところから見ていけば大丈夫。兼部できるものもあるし、無理に全部やる必要はないよ」
「はい!」
後輩が横で小さく言った。
「今の、すごくよかったです」
依央は後輩を見た。
「どこが?」
「親しみやすくて」
親しみやすい。
それは、完璧な姫とは少し違う言葉だ。
でも、悪い感じはしなかった。
(親しみやすい。今のが? 素でツッコんだやつが? え、ありなの? 花宮依央、体が足りない発言で評価されるの?)
次の案内場所へ移動する途中、中学生の一人が依央に近づいた。
「花宮先輩」
「うん?」
「白鷺坂って、男子校だから、ちょっと怖いのかなって思ってました」
「そっか」
「でも、先輩みたいな人がいるなら、楽しそうです」
依央は一瞬、返事に詰まった。
怖くない。
楽しそう。
それは、作った笑顔だけでは届かない言葉のように聞こえた。
「……ありがとう。そう思ってもらえたなら、嬉しい」
声が少しだけ素に近くなった。
中学生はぱっと笑った。
その顔を見て、依央は胸の奥が温かくなるのを感じた。
学校を案内する。
見られる。
頼られる。
それは、今まで通り得意なことのはずだった。
けれど今日は、少し違う。
完璧に整えた顔ではなく、少し漏れた素の方に、相手が安心している。
(何これ。変な感じ。失敗したと思ったのに、むしろ近づいた。俺、全部きれいにしなくてもいいの? きれいにはするけど。するけど、今のもありなの?)
****
案内が一段落した頃、依央は花の生徒会の部屋へ資料を戻しに行った。
千紘が机の上でチェック表をまとめている。
「お疲れさま、花宮くん。中学生、楽しそうだったね」
「見てたんですか」
「少しだけ」
依央は少しだけ顔をそらした。
「俺、途中で普通にツッコミ入れました」
「部活のところ?」
「はい。かなり雑でしたよね」
千紘はやわらかく笑った。
「でも、あの子たちは安心してたよ」
「……そう見えました?」
「うん。花宮くんのきれいな案内もいいけど、ああいう顔もいいと思う」
依央は資料の端を指で押さえた。
その顔もいい。
千紘の言葉は、いつも強く押してこない。
ただ、そこに置かれる。
だから余計に残る。
「俺、ちゃんと先輩っぽかったですか」
「もちろん」
「素が漏れても?」
「うん」
依央は黙った。
千紘はチェック表を閉じ、少しだけ依央を見る。
「来年、花宮くんに話しかける子、増えると思うよ」
「え」
「きれいだから、だけじゃなくて。話してみたいと思わせる先輩だったから」
胸の奥が、また少し揺れた。
依央は笑おうとして、少しだけ失敗した。
「白石先輩、そういうの急に言いますね」
「急かな」
「急です」
「じゃあ、覚えておいて」
千紘はそれだけ言って、次の資料を取りに行った。
依央はしばらくその場に立っていた。
覚えておいて。
素が漏れても大丈夫だったこと。
中学生が笑ったこと。
後輩が親しみやすいと言ったこと。
千紘が、その顔もいいと言ったこと。
(覚えること多い。白石先輩、言葉の置き方がうまい。……その顔もいい、か)
その顔を。
誰に見てほしいのか。
考えた瞬間、答えが浮かびそうになった。
依央は慌てて資料を持ち直した。
(待て。今、考えたら久我くんになる。花の生徒会中なのに、久我くんになる。なった。終わった)
****
放課後、依央は旧校舎へ向かった。
説明会で使った案内紙の一部を回収し、旧校舎側の掲示板を通常の案内に戻す必要があった。花の生徒会の仕事でもあり、雑部として旧校舎を整える仕事でもある。
部室の前では、晴臣が掲示物の束を抱えて立っていた。
「依央、こっち終わった」
「早いね」
「久我が金具外すの速い」
「また久我くんが地味に働いてる」
扉の奥で、燈真が掲示板用のクリップを小箱に戻していた。
机の上には、説明会用の案内図、外した画鋲、旧校舎の通常掲示が並んでいる。電子レンジの横には紙コップとココアの箱があるが、まだ誰も手をつけていない。
ちゃんと作業中だった。
依央は少しだけほっとした。
雑部が、ただ温かい飲み物を飲む場所になっているわけではない。今日も、旧校舎の隅を少し整えている。
「お疲れ」
燈真が顔を上げる。
その一言だけで、依央の肩が少し落ちた。
「……お疲れさまです」
晴臣が掲示物の束を机に置く。
「説明会の姫、なんか評判よかったらしいじゃん」
「その呼び方は何」
「花の生徒会の一年から聞いた。中学生にツッコミ入れたって」
「もう回ってるの?」
「めっちゃ好評だったぞ」
「やめて。恥ずかしい」
「依央が恥ずかしがってる。珍しい」
「晴臣、画鋲数えて」
「はいはい」
燈真が小箱のふたを閉めながら言った。
「体が足りない?」
依央は固まった。
「久我くんまで拾わないでください」
「何の話?」
「中学生が、部活は全部入らないとだめかって聞いてきたので」
「うん」
「俺が、全部入ったら体が足りないよって」
「分かりやすい」
燈真は普通に言った。
依央は思わず燈真を見た。
「笑わないんですか」
「なんで」
「姫としては雑だったので」
「でも、安心したんだろ」
依央は返事に詰まった。
燈真は、あっさりそこを見ている。
きれいかどうかではなく、相手が安心したかどうか。
そこを見る。
「……たぶん」
「ならいいんじゃない」
依央は机の端を見た。
晴臣が空気を読んだのか読んでいないのか、紙コップを掲げる。
「姫先輩、ココア飲む?」
「晴臣、その言い方、腹立つけどココアはもらう」
「素が出てるぞ」
「うるさい」
晴臣が笑った。
燈真も少しだけ笑っている。
依央は椅子に座り、回収した案内紙をそろえた。晴臣が紙コップにココアを作り、燈真が電子レンジの時間を調整する。
紙コップはまだ仮の冬装備だ。
でも、冷えた旧校舎で作業したあとには十分ありがたい。
「花宮」
燈真が呼ぶ。
「はい」
「今日、見た」
依央の指が止まった。
「何を」
「案内してるところ」
「……旧校舎側にいたんじゃ」
「戻る途中」
「そうですか」
心臓が、変な動きをした。
見られていた。
中学生に笑いかける自分。
素でツッコミを入れた自分。
完璧ではない自分。
それを、燈真が見ていた。
「変でした?」
依央は、聞かなくてもいいことを聞いた。
燈真は少しだけ首を傾げる。
「よかった」
「それ、白石先輩にも言われました」
「じゃあ、合ってる」
「二人で正解みたいに言わないでください」
燈真は少し笑った。
「花宮っぽかった」
その言葉が、静かに胸へ入ってきた。
以前なら、派手に崩れていたかもしれない。
今も、もちろん崩れそうだ。
けれど今日は、少し違う。
受け取ってもいい気がした。
(花宮っぽい。姫の顔じゃなくて、素でツッコんだ顔も? 久我くんがそう言うなら、信じそうになる。やば。俺、久我くんに言われたこと、信じたいんだ)
「……久我くん」
「何」
「俺、ちゃんとした顔じゃない時もありますよ」
「知ってる」
「知ってるんですか」
「雑部で見てる」
晴臣が横で吹き出した。
「久我、言い方」
依央はココアを持ったまま、耳が熱くなるのを感じた。
「それは、俺が雑部で気を抜きすぎてるだけで」
「うん」
「うんじゃないです」
「嫌?」
依央は言葉を失った。
嫌か。
燈真に、素の顔を見られること。
雑部で机に沈むところも。
口が悪くなるところも。
今日みたいに、中学生相手に普通のツッコミが出るところも。
「……嫌じゃないです」
かなり小さい声だった。
でも、部室にはちゃんと届いた。
晴臣が急に掲示物の束を持ち上げた。
「俺、これ倉庫に戻してくる」
「晴臣」
「いや、仕事。雑部の仕事」
「気を遣うの下手」
「うるさい」
晴臣はわざとらしく咳払いして、部室を出ていった。
燈真は依央だけを見ていた。
からかわない。
勝ち誇らない。
ただ、受け取る顔だった。
依央はココアを一口飲んだ。
甘い。
思ったより、温かい。
「久我くんに見られるのは」
言いかけて、止まる。
晴臣は廊下へ出ている。
それでも、全部を言うには胸が近すぎる。
でも、少しだけなら。
「……なんか、別です」
燈真の目が少しだけ動いた。
「別」
「はい」
「そっか」
それだけ。
その短さに、依央は救われた。
深く聞かれたら、たぶん何も言えない。
でも、受け取られるだけなら、少し言える。
(あ、だめだ。やっぱり好きなんじゃん。はい、解散。解散できない。久我くん、目の前にいる。無理♡)
晴臣が扉の向こうから声を張った。
「おい、案内紙の予備、どこ置くんだっけ!」
依央ははっとした。
「資料棚の下!」
「了解!」
燈真が少し笑う。
依央も笑った。
部室の空気が、少しだけ軽くなる。
でも、さっきの言葉は消えない。
嫌じゃない。
別。
久我くんに見られるのは、別。
依央は紙コップを両手で包んだ。
今日、中学生に素のツッコミが漏れた。
後輩は笑った。
千紘は、その顔もいいと言った。
燈真は、花宮っぽかったと言った。
その全部が、依央の中で少しずつ重なる。
作った姫の顔だけではない。
少し雑で、口が出て、焦って、自爆して、それでも誰かが笑ってくれる顔。
その顔を、一番見てほしい相手がいる。
依央は、燈真の横顔をちらっと見た。
燈真は外したクリップの数をもう一度確認している。
その横顔を見て、依央の胸の奥がまた静かに動いた。
(やっぱり好きなんだ、たぶん。……たぶんって言うの、そろそろ弱いかも)
まだ口には出せない。
でも、冬の雑部室の甘い匂いの中で、依央はその答えから目をそらせなくなっていた。
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