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第43話 クリスマス前、雑部の小さな飾りつけ

クリスマス前の白鷺坂高校は、いつもより少しだけ浮かれていた。 廊下の掲示板には、白鷺坂駅前商店街のイルミ点灯のお知らせが貼られている。昇降口近くには誰かが持ってきた小さなリースが飾られ、購買には季節限定のチョコ菓子が並んでいた。 男子校なのに、クリスマスはちゃんと来る。 それが少し面白い。 依央は冬服のリボンを直しながら、教室の窓から外を見た。瑞城市の山の方は白く霞んでいて、空気が冷たい。駅前の商店街では、そろそろイルミが点く頃だ。 「花宮!」 朝から黒瀬陸斗の声が飛んでくる。 「何」 「クリスマス、何する?」 「朝の一言目がそれ?」 「だってもうすぐだろ」 「学校で聞くこと?」 「学校で聞くからいいんだろ」 篠宮怜央が教科書を開きながら、静かに言った。 「黒瀬は提出物を先に考えた方がいい」 「クリスマスの空気に提出物を混ぜるな!」 「混ざっている。予定表に」 鷹宮蓮は窓際で、依央を見て少し笑った。 「花宮は、クリスマスの飾りも似合いそうだね」 「俺は飾りではありません」 「飾る側でも、飾られる側でも映えると思う」 「褒め方が強い」 黒瀬が乗る。 「雑部でも何かやろうぜ。クリスマスっぽいやつ」 「雑部で?」 「電子レンジもあるし」 「電子レンジをクリスマスの主役にしないで」 依央は笑いながらも、少しだけ胸の奥が跳ねた。 雑部。 クリスマス。 電子レンジ。 ホットココア。 そして燈真。 その全部を並べただけで、頭の中が勝手に変な方向へ走り出す。 (待て。雑部で小さいクリスマス。久我くんもいる。ホットココア。冬。部室。何これ、心臓に悪い予感しかしない。晴臣のイベント案なのに、俺の方が浮かれてる。やばい好きすぎてしぬ♡) 後ろの席で、燈真がプリントをめくる音がした。 依央はそちらを見ないようにした。 見たら負ける気がした。 でも、見た。 燈真はいつもの顔で、何も浮かれていないように見える。けれど、鞄のファスナーには銀色の星形ストラップがついていた。テーマパークで買ったもの。冬服の黒っぽい鞄に、小さく光っている。 依央の鞄には薄い青の星。 二つとも、まだちゃんとある。 (大事だし、って言ったんだよな。駅前で。あっさり。あれ、まだ効いてる。星ひとつで何日効くの。俺、燃費悪すぎ) 「花宮」 燈真が顔を上げた。 「はい」 「見てた?」 「見てません」 「星」 「見てました」 今度はすぐ白状した。 燈真の目元が少しだけ動く。 「管理確認?」 「はい。管理確認です」 「ちゃんとしてる」 「知ってます」 言ってから、依央は視線をそらした。 知っている。 燈真が大事にしていることも。 自分がそれを見て嬉しくなることも。 もう、かなり知っている。 **** 放課後、雑部室には冬休み前の掲示物が積まれていた。 旧校舎の掲示板から外した古い案内紙。冬休み中の自習室利用時間。電子レンジ使用ルールの手書き案。暖房器具の注意書き。校内生活改善同好会らしく、三人で確認してから各所へ貼る予定だった。 晴臣は紙の束を見て、腕を組んだ。 「雑部、クリスマス前なのにちゃんと仕事あるな」 依央はクリップを外しながら答える。 「冬休み前だからね」 「サンタじゃなくて掲示物が来た」 「晴臣、手を動かして」 「はいはい。電子レンジ使用ルール、これでいいの?」 晴臣が手書きの紙を読み上げる。 「一、温めすぎない。二、吹きこぼしたら拭く。三、おでんは要相談」 「三つ目、誰が入れたの」 「俺」 「消して」 「要相談だぞ。禁止じゃない」 燈真が紙を見た。 「匂い」 「久我、またそこ!」 「大事」 依央は笑ってしまった。 「じゃあ、要相談のままにしておこう。晴臣が今後ずっと言い続けそうだし」 「依央、分かってる」 「分かりたくなかった」 作業が一段落したところで、晴臣が鞄から紙袋を取り出した。 「で、これ」 依央はクリップを箱に戻しながら顔を上げる。 「何?」 「雑部の冬装備」 「また何か買ったの?」 晴臣は得意げに紙袋から三つのマグカップを取り出した。 薄い青のマグ。 深いグレーのマグ。 オレンジ色のマグ。 机の上に、ことん、と並ぶ。 依央は思わず黙った。 「マグ?」 「電子レンジあるのに、ずっと紙コップだと味気ないだろ」 晴臣は少し照れたように鼻の下をこする。 「クリスマス近いし。三人分」 依央は薄い青のマグを見た。 白に近い青。派手すぎず、でも少しだけ綺麗な色。 燈真は深いグレーのマグを手に取った。 「俺、これ?」 「そう。久我っぽいだろ」 「地味?」 「落ち着いてるって意味!」 依央はオレンジ色のマグを見る。 「晴臣はこれ?」 「俺は明るさ担当なので」 「自分で言うんだ」 晴臣は笑った。 燈真は自分のマグを棚へ置いた。 ごく自然に。 まるで、そこに自分のものがあるのが当たり前みたいに。 依央はその動きに、なぜか胸がきゅっとなった。 (久我くんのマグが部室に置かれた。え、何これ。自分のものをここに置くって、ここにいるってことじゃん。雑部に。俺たちの場所に。やばい、マグでときめく日が来た。俺、生活用品に弱すぎる♡) 「花宮?」 燈真がこちらを見る。 「何でもないです」 「そのマグ、嫌?」 「嫌じゃないです」 依央は薄い青のマグを手に取った。 「むしろ、かなり好きです」 晴臣がにやっとする。 「マグが?」 依央は即座に返した。 「マグが」 燈真が少しだけ笑った。 「そっか」 依央は耳が熱くなるのを感じた。 マグが。 もちろんマグが。 でも、それだけではない。 **** そのあと三人は、雑部の小さなクリスマス会を始めた。 黒板横には、晴臣が持ってきた金色のモールと、小さな紙の星。電子レンジの横には、ホットココアの箱。机の上には、安いケーキが三つ。 さらに、晴臣はなぜかおでんのカップを一つ持っていた。 依央はそれを見て、額に手を当てた。 「晴臣」 「何」 「おでんは?」 「クリスマスおでん」 「ない」 「あるだろ、ここに」 「存在の話じゃなくて概念の話」 燈真がカップを見た。 「匂い」 「久我、第一声それ?」 「部室に残る」 「そこまで言われたら外で食う」 晴臣は不満そうにしながらも、おでんを窓際へ持っていった。 「千紘さんには、今日ちょっとだけ遅れるって言ってある」 依央はモールを手に取りながら聞いた。 「このあと会うんだ」 晴臣の顔が一瞬でゆるむ。 「うん。プレゼント渡す」 「彼氏、浮かれてますね」 「うるさい」 「何買ったの」 「それは言わない」 「照れた」 「照れてない」 燈真が電子レンジにココアのマグを入れながら、短く言う。 「顔」 晴臣が呻いた。 「久我に言われると地味にくる」 依央は笑った。 晴臣が千紘のことで浮かれている。 それを茶化す。 いつもの雑部だ。 いつものはずなのに、依央は途中で気づいてしまう。 自分の方が、だいぶ浮かれている。 晴臣は彼氏に会うから浮かれている。 依央は、燈真と同じ部室でクリスマスの飾りを触っているだけで浮かれている。 しかも、燈真のマグが棚にあるだけで、胸が変な動きをしている。 (晴臣を茶化してる場合じゃない。俺の方がだいぶ重症。クリスマスってこんなに心臓に悪い行事だった? 去年まで何してた俺。久我くんがいなかった。答え出た。終わった♡) 「依央、これどこ飾る?」 晴臣が金色のモールを持って聞いてくる。 「黒板の横でいいんじゃない」 「旧校舎の部室、急にクリスマスになるな」 「おでんもいるしね」 「おでんはもう責めるな」 燈真は椅子に乗り、黒板横の壁へ小さな紙飾りを貼っていた。 高いところに手を伸ばす。 制服の袖が少し上がる。 依央は、見た。 完全に見た。 (腕。手首。壁に飾り貼ってるだけ。なのに、なにあれ。かっこいい。久我くん、クリスマス飾りまで静かに処理しないで。心臓が仕事しすぎる♡) 「花宮」 「はい」 「こっち、曲がってる?」 燈真が振り返る。 依央は慌てて飾りを見た。 「少しだけ右です」 「こっち?」 「はい。もう少し。……あ、そこで」 燈真が紙飾りを貼り直す。 依央は、その横顔を見た。 静かで、少しだけ真剣。 ただの飾りつけなのに、燈真がやると妙に綺麗に見える。 晴臣が横から言った。 「依央、久我ばっか見てないで手伝え」 依央は振り返った。 「見てません」 「いや、今のは見てた」 「飾りの角度を確認してました」 「久我の角度を?」 「晴臣」 「はい」 晴臣は笑いながらケーキの箱を開けた。 ココアが温まり、甘い匂いが部室に広がる。 紙コップではなく、三つのマグから湯気が上がっている。 それだけで、部室の景色が少し変わった。 仮の冬装備ではなく、ここに置かれるもの。 三人分の、居場所の形。 依央は薄い青のマグを両手で包んだ。 「……あったかい」 晴臣が得意げに笑う。 「だろ。雑部、正式に冬を越す装備です」 「装備がマグなの、弱そう」 「心は強い」 燈真が自分のグレーのマグを見て、短く言った。 「いいな」 晴臣が目を丸くする。 「久我が素直に褒めた!」 「うん」 「明日、雪?」 「今日も予報ある」 依央は笑った。 くだらなくて、温かい。 こういう時間があるから、重い話も、進路の紙も、言えない気持ちも、少しだけ抱えていられる。 やがて、晴臣が立ち上がった。 「じゃ、俺そろそろ行く」 「早い」 「千紘さん待たせたくない」 「はいはい、彼氏」 晴臣はマフラーを巻きながら、にやっとした。 「依央たちは、片づけよろしく」 「俺たちは片づけ係?」 「俺、今日マグ持ってきたし」 「それを言われると強い」 晴臣は扉の前で振り返った。 「じゃ、よいクリスマス未満を」 「何その言い方」 「そのまま」 晴臣は笑って、部室を出ていった。 扉が閉まる。 一気に静かになった。 部室には、依央と燈真だけが残った。 机の上には、三つのマグ。空になったケーキの箱。黒板横には、少し曲がった金色のモールと、小さな紙の星。電子レンジの横には、晴臣が忘れていったサンタ帽。 依央は無言でそれを見た。 「晴臣、帽子忘れてる」 「うん」 燈真が言う。 「あとで渡す?」 「今戻ってくると、からかわれるので、あとででいいです」 燈真がこちらを見る。 「からかわれる?」 「久我くん、分かってて聞いてます?」 「少し」 「腹立つ」 燈真は少しだけ笑った。 二人で片づけを始めた。 ケーキの箱をたたみ、机の上のモールをまとめ、電子レンジの周りを拭く。作業は単純なのに、晴臣がいないだけで、指先の音まで大きく聞こえる。 依央は黒板横の飾りを見上げた。 「これ、ちょっと高いですね」 「取る」 燈真が椅子を引いた。 依央は反射で言った。 「俺がやります」 「届く?」 「届きます。姫は高いところもいけます」 「姫、関係ある?」 「あります」 依央は椅子に乗り、金色のモールへ手を伸ばした。 届く。 けれど、端が少しだけ引っかかっていた。 「……あれ」 「無理するなよ」 「してません」 「足」 「平気です」 平気、と言った直後、椅子がほんの少し揺れた。 依央の体が傾く。 「わ」 燈真の手が、すぐに腰へ来た。 支えられる。 しっかりと。 落ちない。 けれど、近い。 燈真の腕。 自分の腰。 部室の静けさ。 クリスマスの飾り。 机の上のマグ。 全部が、一瞬で濃くなる。 「言った」 燈真の声が近い。 「……今のは椅子が悪いです」 「椅子」 「あと、モール」 「俺は?」 依央は答えられなかった。 (無理。久我くんの手が腰にある。前にも支えられたのに、今日は何か違う。クリスマスのせい? 二人きりのせい? 好きすぎるせい? 全部。全部すぎる) 燈真は、依央が椅子から降りるまで手を離さなかった。 床に足がつく。 それでも一瞬、距離が近い。 依央はモールを持ったまま、燈真を見上げた。 燈真も依央を見ていた。 「平気?」 「……はい」 「顔」 「クリスマス飾りの反射です」 「反射、よく使うな」 「使えるものは使います」 燈真の目元が少し笑った。 依央も笑いそうになった。 でも、笑いきれなかった。 距離が近すぎた。 **** 二人で部室を出る頃、外はすっかり暗くなっていた。 旧校舎から本校舎へ戻る渡り廊下は冷えている。校舎の外には、駅前のイルミが少しだけ見えた。商店街の光が、遠くで小さくまたたいている。 「駅前、点いてますね」 「うん」 「少し見て帰ります?」 言ってしまった。 自分から。 依央はマフラーを握った。 燈真は少しだけ依央を見る。 「行く?」 「……はい」 駅前までの道は、寒かった。 白い息が、街灯の下で薄く見える。二人の足音が並ぶ。車通りは少なく、商店街に近づくにつれて、イルミの光が少しずつ増えていった。 青や白や金の小さな光。 大げさではない。 瑞城市らしい、控えめで温かい冬の光。 依央はそれを見上げた。 「きれいですね」 「うん」 燈真の声がすぐ隣にある。 手が近い。 マフラーの端が揺れる。 依央は、迷った。 繋ぎたい。 それはもう、かなりはっきりしている。 けれど、言い訳が見つからない。 寒いから。 人がいるから。 足元が暗いから。 どれも使える。 でも、今はそれを使いたくなかった。 燈真の手が、そっと近づいた。 依央は自分から指を伸ばした。 手袋越しに触れる。 それだけで、胸が熱くなる。 燈真は何も言わず、依央の手を取った。 自然だった。 あまりにも自然で、依央の方が息を忘れた。 (手、繋いだ。普通に。もう普通みたいに。でも普通じゃない。普通じゃないのに、嫌じゃない。好きすぎてやばい。今、何か一つ間違えたら全部言いそう) 二人は手を繋いだまま、イルミの下を歩いた。 何かを話さなければと思った。 でも、言葉が出ない。 今までなら、何かしら言い訳を作ったはずだ。 けれど、今日は何も出てこない。 ただ、繋いだ手が温かい。 「花宮」 「はい」 「静か」 「……静かな日もあります」 「ある?」 「あります」 「そっか」 燈真は、からかわなかった。 それが余計に、胸にくる。 商店街の端で、二人は立ち止まった。 イルミの光が、燈真の顔にかかっている。 依央はその顔を見てしまう。 好きだ。 もう、そこまでは分かっている。 好きすぎて、今は言葉にできない。 燈真も、依央を見ていた。 手は繋いだまま。 顔が近い。 少し、近すぎる。 白い息が、二人の間で薄く消える。 依央の心臓が、ゆっくり大きく鳴った。 離れたいわけではない。 むしろ、近づきたい。 それが分かるから、動けない。 燈真の視線が、依央の目元から口元へ落ちた気がした。 依央は息を止めた。 次の瞬間、燈真がほんの少しだけ顔を近づけた。 依央は目を閉じかけた。 でも、燈真は止まった。 ぎりぎりのところで。 手は離さない。 ただ、顔だけが少し離れる。 「……今したら、流されそうだった」 燈真の声は、低くて静かだった。 依央は目を開けた。 胸が痛いくらい熱い。 「流されそう」 「うん」 「久我くんが?」 「俺が」 依央は、繋いだ手に少しだけ力を込めた。 燈真も、離さなかった。 「……謝らないでください」 「うん」 「俺も、たぶん」 そこから先が出なかった。 同じだった、と言いたかった。 でも、言い切るには、まだ声が足りなかった。 依央は燈真を見た。 「じゃあ」 「うん」 「流されない時にしてください」 燈真の目が少しだけ揺れた。 依央は顔が熱いまま、視線を逸らさなかった。 言った。 かなり言った。 でも、今の自分には、それが精一杯だった。 燈真は、小さく息を吐いた。 「うん」 その返事だけで、依央は胸の奥がいっぱいになった。 口づけはなかった。 でも、その手前にある熱は、もうなかったことにできない。 二人は、もう少しだけイルミを見た。 手は離さない。 風は冷たい。 駅前の光は控えめで、でも確かに明るい。 依央は、燈真の隣に立ったまま、心の中で何度も同じ言葉を繰り返していた。 好きすぎてやばい。 本当にやばい。 言ってしまいそうで、言えなくて。 でも、今日の手は、もうごまかしの手ではなかった。 **** 帰り道、依央は一度だけ燈真を見上げた。 「久我くん」 「何」 「俺、今日、あんまりうまく喋れてません」 「うん」 「そこは否定してください」 「でも、嫌じゃない」 依央は黙った。 「……俺もです」 燈真が少しだけ笑った。 それだけで、また胸が騒ぐ。 クリスマス前の夜。 駅前の小さな光。 繋いだ手。 止まった距離。 全部が、依央の中で消えずに残る。 好きという言葉は、喉の奥まで来ていた。 でも今日は、手の温度だけで持ち帰る。 依央は、繋いだ手をもう一度握り返した。 燈真も、同じように返してくる。 それが今夜の返事みたいだった。

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