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第44話 冬休み、白鷺坂駅前の初詣未満

冬休みの白鷺坂駅前は、学校帰りとは少し違う顔をしていた。 制服の生徒は少なく、商店街には年末の買い物袋を持つ人が多い。店先には小さなしめ飾りが並び、駅前のイルミは昼間だから眠っている。空気は冷たくて、山の方から吹いてくる風が頬に当たるたび、依央はマフラーを少しだけ引き上げた。 今日は買い物だ。 花の生徒会で使う細いペン。 雑部用のココアの補充。 三人分のマグを置く小さなトレー。 家で頼まれたものを少し。 ただの買い物。 誰かと会う予定でもない。 そのはずだった。 (買い物。完全に買い物。雑部の備品補充。マグを置くトレー。かなり実務。なのに、なんで朝から髪を整えすぎた? なんで手袋をこっちにした? なんで白鷺坂駅前って聞いただけで久我くんの顔が浮かぶ? はぁ、なんか夢にまで出るようになってるんですが。重症♡) 昨夜の夢に、燈真が出た。 はっきりした夢ではない。ただ、クリスマス前の駅前みたいな光の中で、手を繋いでいた。顔が近くて、息が白くて、何かを言われそうになって、そこで目が覚めた。 起きた瞬間、依央は布団の中で静かに終わった。 (夢にまで出るのは反則でしょ。しかも俺の脳内なのに、久我くんがやたら久我くんだった。短い。近い。強い。俺の夢なのに俺が負けてる。何それ) 依央は雑貨店の前で足を止め、棚のペンを見た。 赤、青、黒、金。 花の生徒会で使うなら、金は派手すぎる。黒は普通。青は少しだけ、鞄についた星形ストラップを思い出す。 薄い青の星。 燈真の鞄には銀色の星。 それから、雑部室の棚に置かれた薄い青のマグと、深いグレーのマグと、晴臣のオレンジのマグ。 三つ並んだだけで、あの部室が少し違って見えた。 (また星。すぐ久我くんにつなげる。マグまで出てくる。脳内の商店街、全部久我くん行きなの?) 「花宮」 背中から声がした。 依央はペンを落としかけた。 「っ、はい!」 振り返ると、燈真が立っていた。 冬のコートに、いつもの鞄。ファスナーには銀色の星形ストラップがついている。何の変哲もない駅前で、何の変哲もない顔をしているのに、依央の心臓だけが全力で走り出した。 「久我くん」 「買い物?」 「買い物です」 返事が早かった。 燈真は少し笑った。 その笑いだけで、依央は手袋の中の指を丸める。 (無理。駅前で会っただけ。なのに、もう今日の買い物の目的が全部飛んだ。ペン? ココア? トレー? 何それ。久我くんがいる。終わり♡) 「久我くんは?」 「少し買い物」 「何を?」 「家のもの」 「ああ」 「花宮は?」 「花の生徒会のペンと、雑部のココアと、マグ用のトレーと、家の買い物です」 「多いな」 「俺、冬休みも働き者なので」 「知ってる」 依央は一瞬黙った。 知ってる。 燈真はこういう言い方を、当たり前みたいにする。 「……そういうの、駅前で急に言わないでください」 「何が」 「何でもないです」 燈真は雑貨店の棚を見た。 「ペン、青にするの?」 「迷ってます」 「青、花宮っぽい」 「俺っぽい?」 「うん」 依央は青いペンを手に取った。 その色が、鞄についた星に少し似ている気がした。 「じゃあ、これにします」 「早い」 「久我くんが言ったので」 言ってから、自分で固まった。 燈真も、少しだけ動きを止めた。 依央は慌ててペンを棚へ戻しかけた。 「今のは、色の参考として」 燈真がペンを取って、依央の手元へ戻した。 「いいんじゃない」 「久我くん」 「似合うし」 依央はペンを握った。 (似合うし。駅前で。青いペンに。俺に。意味分かんない。好きすぎると文房具でも刺さるの? きつい♡) **** 買い物は、なぜか一緒に回ることになった。 本当に、なぜか。 燈真が「一緒に行く」と言い、依央が「どこへ」と返し、燈真が「買い物」と言った。その時点で、依央は一回内心で倒れた。 (言い方。買い物に、だよ。分かってる。でも言葉が強い。俺、脳内だけで三回転んだ) 紙コップではなく、マグ用の小さなトレーを選ぶ。 晴臣のオレンジのマグが浮きすぎないように、木目調のものにした。 燈真が棚から一つ取る。 「これ」 「いいですね」 「三つ置ける」 「ちょうどいいです」 「部室っぽい」 依央は、トレーを見た。 薄い青。 深いグレー。 オレンジ。 三つのマグが、あのトレーに並ぶところが見えた。 「……ですね」 「嬉しい?」 燈真が聞く。 依央は一瞬だけ言葉に詰まった。 「嬉しいです」 素直に言った。 燈真は少しだけ目を細める。 「そっか」 それだけで、トレーまで特別なものに見えてくる。 そのあと、ココアの補充を買い、家の買い物を済ませ、商店街を少し歩いた。 年末の駅前は、いつもの放課後よりゆっくりしていた。店先から温かい匂いがして、遠くの屋台では甘酒を売っている。買うつもりはなかったのに、二人で一杯ずつ買った。 依央は紙コップを両手で包む。 「甘いですね」 「うん」 「冬って感じ」 「うん」 「久我くん、さっきから返事が短い」 「寒いから」 「寒いと短くなるんですか」 「少し」 「また少し」 燈真が笑った。 その笑いに、依央も少し笑う。 こんなふうに、特別な予定ではない時間を一緒に過ごしていることが、もう十分に特別だった。 **** 駅前の端まで歩くと、小さな神社へ続く石段が見えた。 商店街の横にある、瑞城市の古い神社。大きくはない。けれど、年始前で少しだけ飾りが出ていて、参道の端にはおみくじの台が置かれていた。 依央は足を止めた。 燈真も止まる。 「行く?」 「いや、俺、買い物なので」 「うん」 「初詣じゃないので」 「うん」 「でも、通り道ではあります」 「通り道?」 「かなり広い意味で」 燈真は少しだけ笑った。 「じゃあ、通るか」 依央はうなずいた。 (初詣じゃない。買い物。なのに神社に向かってる。何で? いや、通り道。広い意味で。俺の言い訳、だいぶ薄い。透けてる。寒いのに透けてる♡) 石段は少しだけ冷えていた。 依央が一段目に足をかけると、燈真の手が自然に近づいた。 依央も、自然に手を出した。 手袋越しに、指が重なる。 何も言わない。 言わなくても、繋いでいた。 「……普通になってません?」 依央は小さく言った。 燈真が隣で聞き返す。 「手?」 「はい」 「嫌?」 「嫌じゃないです」 即答だった。 あまりに早くて、自分で驚いた。 燈真も少しだけ依央を見る。 依央は石段を見たまま、耳が熱くなるのを感じた。 「……今のは、足元対策もあります」 「うん」 「でも、それだけじゃないです」 言った。 言ってしまった。 燈真は、手を離さなかった。 「うん」 その返事が、やさしかった。 石段を上がると、境内は静かだった。 数人の親子連れがいるだけで、まだ年始の混雑はない。小さな社の前には新しいしめ縄がかかっていて、冬の風に紙垂が少し揺れていた。 依央と燈真は並んで手を合わせた。 目を閉じる。 何を願えばいいのか、分からなかった。 花の生徒会がうまくいきますように。 雑部が続きますように。 三人分のマグが、ちゃんと棚に並びますように。 燈真の進路が、ちゃんと燈真のものになりますように。 そこまで考えて、胸が詰まる。 そして、最後に浮かんだのは。 (久我くんと) そこから先が、言葉にならない。 ずっと一緒にいたい、なのか。 隣にいたい、なのか。 好きです、なのか。 全部近いのに、どれもまだ手に取れない。 依央は目を開けた。 隣で燈真も手を下ろす。 何を願ったのかは、聞かなかった。 聞くのが少し怖かった。 代わりに、依央はおみくじの台を指した。 「引きます?」 「うん」 二人で一つずつ引いた。 依央は吉だった。 燈真は小吉。 晴臣なら大騒ぎするところだが、二人とも妙に静かだった。 依央は自分のおみくじを開く。 「急がず、近くの縁を大切に」 声に出してしまった。 燈真がこちらを見る。 依央は紙を閉じかけた。 「今のは、ただの文です」 「うん」 「神社の文」 「うん」 「俺のことでは」 そこまで言って、止めた。 そのまま続けると、余計に自分のことになる。 依央は咳払いした。 「……まあ、ありがたい文ですね」 燈真は少しだけ笑った。 「俺のも似てる」 「何ですか」 燈真はおみくじを見た。 「決める前に、足元を見よ」 依央は黙った。 それは、燈真に向けられた言葉みたいだった。 でも、占いで何かを決めるのは違う。 依央は、おみくじをたたみながら言った。 「足元、寒いですしね」 燈真がこちらを見る。 依央は少しだけ笑った。 「今は、それくらいにしておきましょう」 「うん」 その「うん」は、少しだけ柔らかかった。 **** 帰り道、神社から駅前へ戻る坂は暗くなり始めていた。 冬の夕方は早い。商店街のイルミが少しずつ点き始め、空の色が薄い青から紺へ変わっていく。 手は、まだ繋いでいた。 もう石段は終わっている。 足元も平らだ。 それでも離していない。 依央は、繋いだ手を見下ろした。 (手、普通につないでる。普通って何。足元でもない。人混みでもない。作業でもない。好きすぎると、手つないでても足りないんだ。何それ、きつ) 胸が苦しい。 でも、嫌な苦しさではない。 嬉しいのに、苦しい。 近いのに、もっと近くに行きたくなる。 手を繋いでいるのに、それだけでは足りないと思ってしまう。 クリスマス前の夜、駅前の光の下で止まった距離を思い出す。 あの時、燈真は止まった。 流されそうだった、と言った。 依央は、流されない時に、と返した。 その続きが、ずっと胸の中にある。 燈真がふいに立ち止まった。 依央も止まる。 駅前の光が、二人の横顔を薄く照らす。 「花宮」 「はい」 「この前のこと」 依央の手が、少しだけ強くなる。 「はい」 「言わないの?」 何を。 そう聞くことはできた。 でも、分かっていた。 依央は燈真の手を握ったまま、少しだけ笑った。 「久我くんこそ」 燈真は静かに依央を見ている。 「俺は」 少しだけ間が空く。 「ちゃんと決めてから言いたい」 依央は、その言葉を受け取った。 進路のことだけではない。 クリスマスのことだけでもない。 きっと、燈真の中でつながっている。 自分で決めること。 流されないこと。 その上で、言うこと。 依央は胸の奥が苦しくなるのを感じながら、うなずいた。 「じゃあ、俺も」 燈真が見る。 依央は、言葉を選んだ。 「ちゃんと俺のままで言える時にします」 燈真の指が、少しだけ依央の手を握り返した。 「うん」 たった一音。 でも、今の二人にはそれで十分だった。 言いたいことは、もう目の前にある。 でも、まだ手に取らない。 取らないのは、気持ちが薄いからではない。 むしろ、大きくなりすぎたからだ。 依央は、燈真の横顔を見た。 「久我くん」 「何」 「今日、初詣じゃないですから」 「うん」 「買い物です」 「うん」 「でも」 少しだけ息を吸う。 「来てよかったです」 燈真の目元が、ほんの少しゆるんだ。 「俺も」 それだけで、依央の胸はまた苦しくなる。 好きすぎると、嬉しいだけでは済まない。 でも、その苦しさを、今は悪いものにしたくなかった。 **** 駅前に着くころには、イルミがちゃんと光っていた。 青と白と金の小さな光。 依央の鞄についた薄い青の星が、歩くたびに揺れる。 燈真の鞄の銀色の星も、隣で小さく光っている。 二人は駅前で立ち止まった。 手を離すタイミングは、いくらでもあった。 でも、依央は少しだけ遅らせた。 燈真も、急かさなかった。 「また」 燈真が言う。 「はい」 「気をつけて」 「久我くんも」 ようやく手が離れる。 離れたところが、すぐに冷えた。 依央は手袋の中で指を丸めた。 さっきまでの温度が、まだ残っている。 言葉になっていないものはある。 でも、目をそらしている感じではなかった。 二人とも、自分の足で同じ場所へ向かっている気がした。 依央は買い物袋を持ち直し、駅前の光の中で小さく笑った。 (好きすぎ、苦しい。でも、ちゃんと俺のままで言いたい。久我くんに、ちゃんと) 冬休みの買い物は、予定よりだいぶ長くなった。 初詣と呼ぶには少し早い。 買い物だけと言い張るには、少しだけ無理がある一日だった。 でも、依央はそれを訂正しなかった。 鞄の星が揺れる。 胸の奥の言葉も、同じように揺れていた。 **** 翌日、依央は雑部室の棚に、買ってきた木目調のトレーを置いた。 薄い青のマグ。 深いグレーのマグ。 オレンジのマグ。 三つを並べると、棚の一角だけが少しだけ新しく見えた。 晴臣がそれを見て、満足そうに腕を組む。 「いいじゃん。雑部、ちゃんと部室っぽい」 燈真が深いグレーのマグを少しだけ奥へ寄せる。 「安定した」 依央は薄い青のマグを見た。 昨日の手の温度が、まだ少し残っている気がした。 「……ですね」 晴臣がにやっとする。 「何かあった?」 「何も」 「その顔は何かあった顔」 「晴臣、ココア入れるよ」 「ごまかした!」 燈真は少しだけ笑った。 依央も笑う。 三つのマグが、棚の上で静かに並んでいる。 冬の雑部は、少しずつ、帰る場所になっていた。

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