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第2話:野ざらしを心に風のしむ身かな①

旅の支度を済ませ、伊勢へと発った芭蕉は 西へ西へと歩みを進ませながらも内心不安がよぎっていた。 伊勢は、伊賀と同じ方面にあるんだよなあ。 僕が里を出てからもう何年も経つ。 声変わりもして、背丈も伸びた僕のことを 偶然すれ違った程度では判別されないと思いたいけれど—— 相手は忍者。 それも僕以外の里の者達は、皆忍として優秀な者ばかりだったから油断はできない。 僕が書物を読み、学問を勉強しても そんな無駄な努力をしていないで鍛錬を積めと言ってきた父上。 今、僕が子ども達に、その学問を教えて生計を立てているのだと知ったら 何とおっしゃるだろう……。 多分、父上は僕がどこかで行き倒れたか、 暗殺されてもうこの世にはいないものだと思っているだろうけど…… 江戸を出て間もなくだが、既に歩き疲れていた芭蕉は 休める場所を探し、木の下で涼んでいた。 「はぁ……」 人と話すのは得意じゃないけれど、 誰とも話さないのもまた退屈なものだなあ。 江戸では毎日のように子ども達と接していたから、 一人で黙々と歩く旅に早くも飽きが生まれてしまった。 伊勢参りはしてみたいが、道中を楽しむなんてことはとてもできそうにないし 西へ進むほど、里の者に遭遇する可能性を考えて億劫になっていく。 下手をしたら、僕はこの旅の途中で死ぬかもしれない。 秋風に吹かれながら、旅に出ても心躍ることなく悲壮に暮れる自分が情けなくなった芭蕉。 なんとはなしに荷物の整理をしていた時、 ふと荷物の中に入れていた紙と筆が目に留まった。 ……西行法師のような風情のある歌は詠めないけれど…… この退屈を埋める為にも、誰とも話せない代わりに紙の中に思いをしたためておこう。 芭蕉は枯葉舞う秋空をぼんやりと眺めた後、静かに筆をとった。 『野ざらしを心に風のしむ身かな』 ——旅の途中で野たれ死んでしゃれこうべになるかもしれない。 そんな覚悟を心持ちにする僕の身に、秋風が沁みる—— 五・七・五まで書いたところで、筆が止まる。 西行法師のように『和歌』を詠むなら あと七・七を作らなければならないが、 芭蕉はそれ以上の言葉が浮かばなかった。 「……まあ、思いついたら残りを書けばいいか」 芭蕉は和歌を完成させることを諦め、再び歩き始めた。 その晩、芭蕉は旅籠に宿泊した。 ——そして、彼は悲劇に見舞われることとなる。 「有り金すべて出せ!!」 夜中、宿泊客が皆寝静まっていた頃 突然大きな声と何人もの足音が聞こえ、芭蕉が目を覚ますと 旅籠の中を盗賊の集団が占拠したことを把握した。 「お前達、荷物をまとめて一箇所に集まれ」 武器を突きつけられた芭蕉は、他の客たちと同じように 抵抗する術なく、旅籠の広間に集められた。 そして盗賊たちは、一人一人に荷物の中身を広げさせ、 金目のものや金銭だけを奪い取り始めた。 芭蕉は、刀のようなものをちらつかせ 客たちが逃げ出さないよう見張っている盗賊に怯えながらも いざ自分の番が回って来た時、荷物を開ける手がぴたりと止まった。 このお金は、子ども達が必死でかき集めてくれたもの。 僕が旅先で素晴らしいものを見て体験してくることを願ってくれた、皆の優しさの結晶だ。 僕の為に身を削って用意してくれたお金を こんな奴らに渡すことなんてできない—— 「おい。次はお前の番だぞ。 早く荷物の口を開けて中身を出せ」 「……嫌……です」 「はあ?!」 「……このお金は……僕の教え子達が 必死で集めてくれた、大切な旅の資金です……。 僕の持っているものはすべて、僕のものであり、子ども達のものでもある。 見ず知らずのあなた方に渡すことはできません……」 芭蕉が声を震わせながら言うと、 盗賊の一人が高笑いしながら刀を芭蕉に向けてきた。 「はっはっは!言うじゃねえか! そんなに金を奪われたくねえってんなら、俺たちに抗ってみろ!」 複数人の盗賊が芭蕉を取り囲み、 宿泊客たちは皆一様に距離を取って 怯えながら事の顛末を見守っていた。 ——まだ何も見ていないし、一つも歌を完成させていないのに 僕の旅……いや、人生がここで終わるのか。 でも……たとえ死んでも、この荷物を渡したくない。 最期に出来る限り足掻いてから逝きたい—— 芭蕉は盗賊たちと戦う覚悟を決め、 懐に隠し持っていたクナイを取り出した。 里を逃げ出した時、護身用に持ってきた唯一の武器。 伊賀から江戸への道中でこれを使うことはなかったのに、 まさか今ここで使うことになるとは—— 芭蕉が震えながらクナイを握り締めると、 盗賊たちは大笑いを始めた。 「おい、なんだその見慣れねえ武器は?!」 「まさかそんなちっさいモノで俺たちの刀に対抗するってのか?」 「う……」 芭蕉はガクガクと震える足で立ち上がり、クナイを構えた。 「こんなところでは死ねない……。 僕は……理不尽に負けたりしない」 曽良がいなくても、僕一人で戦う—— 「おい、やっちまおうぜ」 クナイを手にする芭蕉めがけ、 盗賊たちが一斉に刀を向けて斬り掛かってきたその時—— 彼らは同時に意識を失い、その場に倒れ込んでしまった。 何が起きているのかと呆気に取られる芭蕉だったが、 次の瞬間急激な眠気に襲われ、自身も意識を手放したのであった—— 「……ん……?」 暫くして芭蕉が目を覚ますと、そこは旅籠の広間ではなかった。 どこかわからぬ森の中に横たわっていることに気づいた芭蕉が慌てて身体を起こすと、 すぐ隣には自分の荷物が転がっていることに気付く。 良かった——荷物は無事だ! 芭蕉は、荷物の中身が何も盗られていないことに安堵すると、 次に自分はなぜここにいるのかと疑問を持った。 盗賊たちが一斉に斬りかかったところで皆ばたばたと倒れ込み、その直後に僕も気を失って…… 彼らはどうなったんだろう? 広間にいた他の客たちは無事だろうか? 芭蕉がそんなことを考えていると、 背後から草木を掻き分ける音が聞こえてきた。 「ひっ!?」 思わず悲鳴を上げて振り返った芭蕉だったが、 振り向いた先に居た人物を見て、ぴたりと動きを止めた。 「……曽良……?」 もう何年も会っていなかったが、芭蕉にはすぐに分かった。 「曽良——曽良だよね?!」 芭蕉は立ち上がり、そこに佇む男めがけて駆け寄った。 「やっぱり!やっぱり曽良だ……っ!!」 「——金作? どうしてこんなところに居るんだ?」 久しぶりに聞く曽良の声は、低く澄んでいた。 芭蕉は、ようやく再会できた幼馴染を前に思わず涙ぐんだ。 「曽良……、曽良ぁ……!」 「そんなに泣いて……。 よほど、さっきの出来事が怖かったんだな」 「さっきの?——あっ」 芭蕉はハッとして顔を上げ、曽良を見つめて言った。 「もしかしてここまで運んでくれたのって……曽良なの?」 「そうだよ」 曽良があっさり告げると、 「あの盗賊たちを倒したの?!」 と芭蕉は目を見開いて尋ねた。 「倒したというか……。 人数が多かったから、まともに刀でやり合うのは分が悪いと思って 眠り薬の粉末を広間中に放ったんだ」 「!——霞扇の術を使ったんだね!」 「そう。それで、盗賊たちが眠った後で彼らを縄で縛り上げ、役人を呼んで引き渡した。 他の客たちも無事だよ」 話を聞いた芭蕉は、 「やっぱり、曽良は凄い……!」 と目をキラキラさせて言った。 「それより、金作はどうしてここ——江戸に程近い宿場町にいるんだ? それにさっき、盗賊たちに言ってたよな。 『この金は教え子達が集めてくれたものだ』って。 教え子って何のことだ?」 すると芭蕉は、もじもじと俯きながら答えた。 「実は——曽良が御上お抱えの忍として江戸に発った数年後に、僕も里を出てきたんだ。 それで今は、江戸の町で子ども達に学問を教えることを生業にして生活している」 「里を出てきた? よく里長——お父上が許してくれたな。 てっきり俺は、金作が後を継ぐのだとばかり——」 「出てきたと言うか、逃げ出して来たんだ」 「え?!」 曽良があんぐりと口を開けると、芭蕉は慌ててこう言った。 「だ、だって!! 曽良が僕に言ってくれたじゃないか! 自分の力で新しい人生を切り拓け、って——。 だから僕は、必死で学問を身につけた。 他者から命を狙われてばかりだった僕が 人の命を奪う忍の仕事をするのは向かないと思ったから……。 あの頃だって、曽良にいつも助けられてきたし……」 すると曽良は、小さく微笑んで言った。 「でも金作は、自分一人で戦えるようになったじゃないか」 「え?!」 芭蕉は目を丸めた後、ブンブンと首を横に振った。 「とんでもない!僕は江戸に来てから 誰かと戦ったこともなければ喧嘩したこともない! あの盗賊たちにだって、戦ったらきっと負けて殺されていた。 まさかあそこに曽良が居合わせていたなんて思いもしなかったから…… 自分の力でどうにかするしかないと必死で——……ん?」 そう言いかけて、芭蕉はふと気になることを思い出した。 「曽良はどうしてあの旅籠に居たの?」 芭蕉は、自分は教え子たちが工面してくれたお金で 初めての伊勢参りに出る道中だったことを話した。 「もしかして曽良も旅に?」 すると曽良は、少し間を置いてからこう答えた。 「いや。この辺りで最近盗賊たちが悪さをしていると言う触れ込みがあってね。 御上が忍達に辺り一体を張り込むよう命じたんだ。 俺が偶々張り込んでいた宿に盗賊が出没し、 そして偶々その場に金作も居合わせたわけだ」 「そっかあ……。偶然だったのか……」 芭蕉は曽良の話に納得しつつ、 「でも、偶然なら尚のこと嬉しい!」 と笑みを浮かべて言った。 「僕、ずっと曽良に会いたかったんだ。 あの時のこと、謝りたくて……」 「謝る?俺に?何を」 「曽良が江戸へ行くことが決まった時、 本当は『おめでとう』って言葉を掛けたかったのに……言えなかったから。 だからいつかまた曽良に会えたら、その時のことを謝りたいと思っていた。 それから、曽良には沢山お世話になったから 『ありがとう』とも伝えたかったんだ」 すると曽良は、少し間を置いた後、小さく息を吐き出した。 「——謝らなければならないのは俺の方だ」 「え……?」 「俺はあの頃『金作に襲い掛かる脅威は俺が排除する』——そう言った。 それなのに俺は、金作を置いて里を出た」 すると芭蕉は、ブンブンと首を横に振った。 「曽良が謝ることなんてない! 御上から賜った命を断ることなんて出来ないって曽良も言っていたし、 そもそも自分の身すら自分で守れないくらい弱い僕が悪いんだ。 僕は曽良を頼るばかりで、曽良のために何もしてあげられなかった——」 「仲間を助けるのは当然のことだ。 俺は金作を弱いなんて思ってない」 曽良は穏やかな声でそう言うと、「それに」と続けた。 「それに——金作だって子ども達に学問を教えているんだろう? 自分より幼く非力な者達に、学を付けさせ将来の道を切り拓いてやっている。 金作も、子ども達を守っていることには変わりないだろ?」 「……曽良ぁ……」 芭蕉は思わず感極まり、ぽろぽろと涙を零した。 「っ!?」 それを見た曽良は、ぎょっとした表情を浮かべながら 慌てて懐を弄り手拭いを差し出した。 「なんで金作はすぐに泣くんだろう」 「ごめん……」 「金作が昔っから泣き虫なせいで、手拭いをすぐ取り出せるところに仕舞うのが習慣になってしまったんだぞ。 ——ほら、使いなよ」 「ありがとう、曽良ぁ……」 芭蕉は、久しぶりに旧友に再会できた喜びと ずっと言えなかったことを伝えられた安堵感、 そして曽良がかけてくれた優しい言葉も相まって嬉し涙が止まらなかった。 「……泣いているところ非常にすまないんだが」 暫く号泣しながら手拭いに顔を埋める芭蕉に対し、曽良は少し困ったように告げた。 「盗賊を捕らえ、ここでの任務も終えたことだし 俺は御上に事の顛末を報告しなければならない」 「あっ、うん……」 「久しぶりに金作に会えて、話したいことは山々だが、そろそろ江戸に戻らないと。 金作も旅の途中だろう? もう夜も明けたことだし、賊に襲われることはないだろうから 俺が居なくても大丈夫だよな?」 「……うん」 そっか——曽良は忙しいんだな。 御上お抱えの忍なんだから、そりゃそうだ。 曽良は身体能力も諜報能力も里でずば抜けていたし、幕府が重宝していることだろう。 曽良は里の皆の憧れ。 僕と違って、曽良は皆に求められる存在だから—— 「じゃあ……身体に気をつけて、くれぐれも無理をしないでね」 「金作こそ、道中気をつけて旅しろよ」 「ありがとう。——あっ」 芭蕉は、去り際の曽良を慌てて呼び止めた。 「何だ?」 「忙しいのに、ごめん。 実はちょっとだけ曽良に相談したくて——」 「相談?」 「この歌なんだけど……」 芭蕉は、持っていた荷物の中から 詠みかけだった歌を書いた紙を見せた。 「野ざらしを心に風のしむ身かな—— これ……金作が作ったのか?」 「う、うん。 この旅で見たものや感じたことを、日記の代わりに歌で書き留めておこうかなって。 ……でも、歌は五・七・五の上の句と 七・七の下の句で完成するのに、下の句が浮かばなくて。 僕に歌を詠む才能がないから仕方ないんだけれど、 この上の句のあとにどんな言葉を入れたらいいか、誰かに相談したいと思っていたんだ」 芭蕉が言うと、曽良は口元に手を当てて少し考えた後、こう告げた。 「いや、これはこのままでいいと思うぞ。 むしろ無理に下の句を足すと台無しになるかもしれないし」 「えっ。けれどそれじゃ歌は完成しない——」 「俳句、って知っているか?」 「俳句?」 芭蕉がきょとんとすると、曽良は 「俺もあまり詳しくはないけれど」 と前置きした上で続けた。 「俳句とは、季語を用いて五・七・五の十七音で完成するものらしい。 ——御上が趣味で俳句を作ることがあってね。 それで、俺も付き合いのために少しだけ俳句について調べたことがある。 無理に上の句と下の句がある歌を詠むより、 はじめから俳句として短い言葉の中に 金作の感じたことを集約させたっていいんじゃないか?」 「俳句……。そうか、そういうものもあるのか」 芭蕉は曽良の話を聞き、『和歌』ではなく『俳句』として 処女作を完成させることを決めた。 「うん……僕も、ここに無理に何か言葉を足すより これはこれで完成させた方が良い気がしてきた」 「——それにしても……ははっ」 芭蕉がしげしげと紙を眺めていると、曽良は小さく噴き出して言った。 「自分が野たれ死んでしゃれこうべになるかもしれない、なんてことを旅の最初に詠むなんて 中々面白いことを書いたものだな」 「え……え?! 僕の歌、そんなにおかしいかな……?」 曽良が笑うのを見てショックを受ける芭蕉だったが、 曽良は「すまん」と言いながら笑うのをやめた。 「——いや。 思えば金作は、昔からよく命を狙われていたから いつでも死を隣に感じながら大きくなってきたんだよな。 そんな金作が詠んだものだと思うとしっくりくる。 むしろ、これは金作にしか書けない、金作だけの歌だ」 「僕だけの……歌」 芭蕉は、その言葉の響きに胸がじんわりと熱くなるのを感じた。 そして、初めての歌が完成した記念に 紙の最後に『松尾芭蕉』と名を記した。 「ん?」 すると、その文字を覗き込んだ曽良が首を傾げた。 「松尾芭蕉、って?」 「僕の名だよ」 「え?」 「忍の里から足抜けした僕は、元の名のままでは生きていけないと思ったから。 江戸では名前だけじゃなく年齢も出身地も過去のことも、なにもかも騙って暮らしてるんだ」 「……そう、だったのか」 曽良は息を吐き出すと、こう言った。 「なら、次に会う時は金作のこと『芭蕉』って呼ぶよ。 ——多分、もう会うことはないと思うけど」 「僕はまた会いたい!」 芭蕉は曽良の腕を掴んで顔を見上げた。 「僕は曽良に会えて嬉しかった。 僕はもう、曽良と同じ伊賀の忍を名乗ることはできないけれど—— きっと里の誰よりも、曽良の無事を願うよ。 だから……もう会うことはないなんて悲しいことを言わないで。 いつか必ず、生きてどこかで会おう」 「——だな」 曽良はそう返すと、微笑んでみせた。 芭蕉も微笑み返すと、次の瞬間には 曽良は姿を消し、跡形もなく消えていた。 過ぎ去った後、まるで秋風のように 一抹の寂しさを残していった曽良に 芭蕉はまた、心を揺さぶられる思いがした。 曽良と別れた後、芭蕉は伊勢までの道中で様々な観光地に立ち寄り、俳句を詠んだ。 西行法師の歌に感化されて以来、 これまで詠むならば『和歌』の形だとこだわっていた芭蕉だったが 曽良のアドバイスを経てすっかり『俳句』を詠もうと志すようになっていた。 そして行く先々で、美しい景色を俳句に落とし込む練習を重ねながら歩みを進めていたのだが、 曽良と再会した時の衝撃に勝るような 『心を揺さぶられる瞬間』には中々出会えなかった。 けれども、目に映る景色は これまで自分が見てきたどの景色よりもキラキラと輝いているようにも思えた。 伊賀から逃げてくる道中にも通った場所がいくつもあったが、 その時には全く目に留まらなかった川や山や森、寺院などが 今はなぜだかどれも風情を感じる。 何日か、その不思議な体験を経た中で 芭蕉が思い当たる原因が一つあった。 ……目に映るものが美しいと感じるようになったのは、 僕の心に変化があったからではないだろうか? これまでは新しい生を全うすることに精一杯になっていたけれど、 旅に出て自由に歩き、心の従うままに様々なものを見て回る経験を 僕はこれまでしたことがなかった。 そんな解放感の中で見る景色だからこそ、 今までとはちょっと違って見えるのかもしれない。 それに——曽良に再会したのを境目に 驚くほど筆が動き、次々と新しい句を詠める。 一度作品を完成させて自信をつけたことも相まっているかもしれないが、 曽良の言葉が私を後押ししてくれているに違いない。 ありがとう、曽良。 また曽良にお礼の気持ちを伝えたい。 今どこにいるか分からないけれど、 きっと健やかに過ごしてくれていることを願う—— ——時を同じく、江戸にて。 幕府に仕える忍集団を率いる組頭の前に 両脇を男達に抱えられた状態の曽良が突き出されていた。 「お主は忍として、してはならぬ過ちを犯した。 ゆえに罰を与えなければならない」 組頭が冷ややかな声で告げると、 曽良は真っ直ぐとした目で組頭を見つめ返した。 「俺をこの場で斬り捨ててください」 だが、組頭は 「それはせぬ」 と即座に返した。 「まだ使える忍を斬り捨てるようなことはせぬ。 ……だが、代わりにお主には過酷な任務を与える。 命懸けとなるゆえ、その過程で命を落とすこともあるかもしれないが—— 最期まで、忍としてその命を役立ててもらうぞ」 曽良が怪訝そうな表情を浮かべると、 組頭は感情のない面持ちでこう告げた。 「お主にはある目的のため旅に出てもらう。 ——生きて帰ることができるか分からぬ、危険な旅にな」 ——長い旅を終えて江戸まで戻って来た芭蕉は、 道中詠んだ句を清書して一冊にまとめるため 深夜、文机の上に灯りを置いてひたすら筆を動かしていた。 ああ、良い旅だった。 目的だった伊勢はもちろん、道中様々な観光地に寄ることができたし どうにか伊賀の者に見つかることもなく戻って来れた。 一度句を完成させたら、感覚を掴めたのか 各地でいくつも詠むことができるようになった。 こうして句を見返すだけで、その時見たものや感じたことを鮮明に思い浮かべることができる。 それだけでも楽しい気持ちになれるけれど、 この句を見た他の誰かも、僕と同じような気持ちになれたら 他者にも認めてもらえるような句なのだと自信を持てそうだ。 誰かにこの感動を共有したい。 旅の楽しさを誰かと語り合いたい。 ……曽良に句を見てもらいたい。 芭蕉がぼんやりと、旅の道中や曽良に会った時のことを思い浮かべていると—— 「金作——芭蕉、帰って来ているか?」 家の戸口から、聞き覚えのある声が聞こえて来た。 「っ……その声——曽良?!」 芭蕉は弾かれたように立ち上がると、玄関の方へ駆けて行った。 戸を開けると、そこには暫くぶりに会う曽良の姿があった。 「曽良……!?どうしてここに……?」 芭蕉が、驚きと嬉しさから興奮して尋ねると、 一方の曽良はどこか暗い面持ちで呟いた。 「少し、邪魔してもいいか?」

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