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第12話:伊達綱村暗殺計画②

「へ……?」 芭蕉がぽかんと口を開けると、遊女は苛立った口調でこう続けた。 「なんで抜け忍のあんたが曽良と一緒に行動してるの?」 「っ、あの……あなたは……?」 「はあ……なるほどね。 あの頃から変わらず曽良の足を引っ張ってたって訳ね」 芭蕉が、「?」の表情で戸惑っていると、 遊女は左近の方に視線を向けた。 「で、伊達綱村は殺せた訳?」 「い、いや。すまん、失敗した……」 「は?私が何の為に危険な橋渡をしてあんたと繋がっていたと思うの?」 遊女は大きくため息をつくと、芭蕉と左近を交互に見て言った。 「一度暗殺に失敗したら二度目はない。 向こうは警戒を強めただろうし、顔も見られている可能性がある。 ——もう、あんた達で綱村を殺すのは無理よ。 命が惜しかったら、早いところ仙台を出るのね」 「あ……あの。忠告してくれてありがとうございます。 それに曽良のことも助けてくれて……」 芭蕉は、遊女の圧に尻込みしながらも礼を述べた。 「左近殿とも知り合いなんですね。 ……もしかしてあなたが、昨日曽良と会っていた仲間という——」 芭蕉がそう言いかけると、遊女は呆れたように再びため息をついた。 「……金作さあ。 化粧したくらいで私の顔がわかんなくなっちゃったの? ——ま、私も昨日あんたを見た時は気づかなかったけど。 声や顔付きが大人びたくらいじゃ、そのおどおどした性格は治せなかったみたいね」 遊女が見下したような視線を芭蕉に送ると、芭蕉はその目つきを見てようやく気付いた。 「もしかして……莉津……?」 「やっと思い出したか」 莉津は着物の中を弄ると、煙管を取り出し煙を燻らせ始めた。 「あんたが里を抜け出して、そりゃもう里は混乱したわ。 曲がりなりにも次の里長はあんたになるはずだったんだから。 ——里の皆を捨てたことは許される事じゃない。 せめて、私達とは無関係なところで勝手に野垂れ死んでいたらよかったものを……。 よくぬけぬけと曽良と行動を共にできたものよね。 あんたと行動していたせいで、曽良は死にかけたんじゃないの?」 「……っ!」 芭蕉は何も言えず押し黙った。 そして彼女の高圧的な声を聞いているうち、 次第に芭蕉は里にいた頃のことを思い出した。 莉津—— 忍としての素養がない芭蕉のことを笑いものにしていた子どものうちの一人だった。 といっても、曽良以外の同年代の子ども達は 皆揃って芭蕉のことを下に見ていたため 特別彼女に酷いことをされた訳ではない。 だが、芭蕉が修行中に失敗したり泣いている時に 下等な生き物を見下ろすような目で見つめる視線が恐ろしかった。 彼女は里の少女の中では優秀なくのいちで、 同じく優秀で周囲から人望のある曽良と親しくしていた。 自分と対等、自分より格上の曽良に対しては敬意を払う一方で 格下の芭蕉は不要な存在だと思っており、 そんな芭蕉に唯一手を差し伸べる曽良のことを理解できないとも考えていた。 「——あの頃も今も、僕が曽良の足を引っ張っていることは間違いないよ。 でも……それでも僕は曽良の力になりたくて……」 「曽良の力になりたいなら、曽良と行動するのはやめなさいよ」 「っ!」 芭蕉が莉津の言葉に怯むと、 ハラハラした様子で見ていた左近が割って入った。 「ちょちょ、莉津。 勘違いしてるようだけど、ヘマをしたのは俺なんだわ。 俺が見張りの交代を失念していたせいで曽良が見つかっちまって、 黒脛巾組の毒にやられてしまって——」 「あんたのヘマはどうでもいい。 私はこいつの存在自体が疫病神だって言ってんのよ。 ——あんたは伊賀の忍じゃないから知らないでしょうけど、 こいつ幼い頃から何度も命を狙われてて、 それを庇った曽良がいつも怪我を負っていたの」 「やっと思い出したか」 莉津は着物の中を弄ると、煙管を取り出し煙を燻らせ始めた。 「あんたが里を抜け出して、そりゃもう里は混乱したわ。 曲がりなりにも次の里長はあんたになるはずだったんだから。 ——里の皆を捨てたことは許される事じゃない。 せめて、私達とは無関係なところで勝手に野垂れ死んでいたらよかったものを……。 よくぬけぬけと曽良と行動を共にできたものよね。 あんたと行動していたせいで、曽良は死にかけたんじゃないの?」 「……っ!」 芭蕉は何も言えず押し黙った。 そして彼女の高圧的な声を聞いているうち、 次第に芭蕉は里にいた頃のことを思い出した。 莉津—— 忍としての素養がない芭蕉のことを笑いものにしていた子どものうちの一人だった。 といっても、曽良以外の同年代の子ども達は 皆揃って芭蕉のことを下に見ていたため 特別彼女に酷いことをされた訳ではない。 だが、芭蕉が修行中に失敗したり泣いている時に 下等な生き物を見下ろすような目で見つめる視線が恐ろしかった。 彼女は里の少女の中では優秀なくのいちで、 同じく優秀で周囲から人望のある曽良と親しくしていた。 自分と対等、自分より格上の曽良に対しては敬意を払う一方で 格下の芭蕉は不要な存在だと思っており、 そんな芭蕉に唯一手を差し伸べる曽良のことを理解できないとも考えていた。 「——あの頃も今も、僕が曽良の足を引っ張っていることは間違いないよ。 でも……それでも僕は曽良の力になりたくて……」 「曽良の力になりたいなら、曽良と行動するのはやめなさいよ」 「っ!」 芭蕉が莉津の言葉に怯むと、 ハラハラした様子で見ていた左近が割って入った。 「ちょちょ、莉津。 勘違いしてるようだけど、ヘマをしたのは俺なんだわ。 俺が見張りの交代を失念していたせいで曽良が見つかっちまって、 黒脛巾組の毒にやられてしまって——」 「あんたのヘマはどうでもいい。 私はこいつの存在自体が疫病神だって言ってんのよ。 ——あんたは伊賀の忍じゃないから知らないでしょうけど、 こいつ幼い頃から何度も命を狙われてて、 それを庇った曽良がいつも怪我を負っていたの」 「……!」 芭蕉は、声も出せずに身体を震わせた。 「役立たずのこいつを守る為に、里の未来を背負っていた曽良が傷を負っていた! こいつの命に価値なんてないのに、こいつのせいで曽良が傷ついていたの! それを知っていたくせに、性懲りも無く未だに曽良から引っ付いて離れないなんて 厚顔無恥もいいところだわ——」 莉津から強い言葉を浴びせ続けられた芭蕉は、暫く項垂れていたが やがて静かに立ち上がった。 「お、おい……?廁に行くのか?」 左近が尋ねると、芭蕉はふるふると首を横に振った。 「……すべて莉津の言う通りだよ。 僕が曽良の足を引っ張り続けてきた。 だから——僕は家に帰る。 そのほうが……曽良の仕事は、きっと上手くいくから……」 「それが良いわ」 莉津はふうと煙を吐き出して言った。 「やっと賢い判断ができたようね。 心配しなくても、曽良の任務は私が手助けするから問題ないわ」 「……うん、ありがとう。 それから……ごめん。曽良が目覚めたら、伝えて欲しいことがある」 芭蕉は一度座り直すと、紙に何かを書き留めた。 そして荷物の中から財布を出すと、その紙の上に銭を並べた。 「お、おい……結構な額だな」 左近が思わず生唾を飲むと、 「これは僕の教え子達から貰ったお金なんだ」 と芭蕉が言った。 「今までの迷惑料ってことかしら? その書き置きと銭を曽良に渡せばあんたは満足なのね?」 莉津が言うと、 「うん……よろしく頼むよ」 と芭蕉は頭を下げた。 「それじゃあ……さよなら」 芭蕉は眠っている曽良を一瞥すると、 力無く部屋を出て行った。 「大丈夫か……? 今、外は黒脛巾組がうじゃうじゃしている頃だぞ」 左近は芭蕉が去った後に呟いた。 「まあ、城に侵入したのは曽良だけだから、 あいつは顔を見られてはいないだろうけども……」 「なら大丈夫でしょ」 莉津は煙管を一吸いした。 「あいつはね、里にいた頃から疫病神なの。 曽良の為に、あいつは側にいない方がいいのよ……」 ——曽良が目を覚ましたのは、日が昇ってからのことだった。 「良かった!目覚めたのね」 曽良が瞼を上げると、そこには心配そうにこちらを見つめる莉津と 後ろにはバツの悪そうな表情の左近が座っていた。 「……寝てしまったのか」 曽良が身体を起こそうとすると、慌てて莉津が止めた。 「まだ横になっていた方がいいわ。 身体の毒が完全に抜けてからじゃないと」 「毒……」 曽良は、自分が意識を失う直前のことを思い出した。 この遊郭に逃げ込んだ後、段々と身体が熱く息苦しくなり、呼吸が出来なくなっていったこと。 芭蕉が必死で助けを求め、そこに莉津が現れたかと思うと 何かを口に含み、自分の口をこじ開けて 舌を捻じ込んできたこと。 それから間も無くして呼吸が楽になり、それと同時に意識が薄れていったこと—— 「……芭蕉は?」 曽良が尋ねると、莉津は 「芭蕉?……ああ、金作ね」 と頷いた。 「金作は、ここにはいないわ」 「何故?」 「……これを見て」 莉津は、芭蕉が机に残して行った銭を曽良の近くに広げてみせ、 その下にある書き置きを曽良に手渡した。 「……」 曽良は静かに、見慣れた芭蕉の文字に目を通して行った。 『今まで迷惑をかけ続けてごめん。 僕は曽良と一緒に居ない方が、曽良にとって良いことだと気づいたので家に帰ることにしたよ。 ——そして、散々迷惑をかけた後ですまない。 昨日の朝、曽良に相談したことを覚えている? 僕の力では上手くやれないと思うから、どうか最後に僕の頼みを聞いて欲しい。 このお金はその依頼料です。 それじゃあ、身体に気をつけて旅を続けてね。 旅を終えたら、曽良が幸せに長生きしてくれることを心から祈っているよ。 松尾芭蕉』 「——っ……。何だ、これは……」 曽良は声を震わせると、書き置きをびりびりと引き裂いてしまった。 「怒るのも無理はないわ」 莉津は同情した様子で言った。 「あなたが寝ているうちに勝手に居なくなって、 お金だけ置いて仕事を頼んでいくなんて。 非常識にも程があるわよね……」 「え?」 隣で聞いていた左近は、 『帰るように仕向けたのは莉津では?』 と言いたげに口を開きかけたが、 莉津がじろりと睨みつけると 左近は苦笑いを浮かべながら唇を引き結んだ。 「でも安心して。 ここから先は私が手助けをするから。 それにそこの黒脛巾組の男も、私が御上に報告して 幕府から報酬金を出すってことを約束したから 引き続き力になってくれるそうよ」 「お……おう。 昨日はヘマしちまったけど、今度はちゃんとやるからよ!」 莉津と左近がそれぞれに言うと、曽良は 「……そうじゃない」 と告げた。 「俺にとってこの旅は——芭蕉なしでは成り立たないんだ。 それなのに今更、どうして……」 曽良はそう言うと、静かに立ち上がった。 「まさか、金作を追いかけるつもり?」 莉津が目を丸くして言った。 「伊達綱村の暗殺はいいのか? どうせあいつは戦闘に加わらないんだし、あいつの意志を尊重したらどうなんだ」 左近もそう声をかけたが、曽良は何も答えずに荷物をまとめ、 芭蕉の残した銭もぶっきらぼうにしまった。 「金作がここを出たのはもう半日も前よ? 今から追いかけたって合流できるかどうか——」 「それは後だ」 莉津が言いかけたところに曽良が口を挟んで言った。 「まずは、ここでやるべきことを終わらせる」 ——夜通し歩き続けてきた芭蕉は、疲れて川辺に座り込んでいた。 空っぽの水筒に川の水を注ぎつつ、先程から鳴っている腹の虫に困り果てていた。 ……持っていたお金のほとんどを置いてきたから、江戸までの道中節約しないとな。 食べ物を買うお金は残しておかなければいけないから、宿には泊まれないだろう。 今の季節は外で寝ても凍え死ぬことはないけれど 虫も多いし急な雨も最近よく降るし——って、 こんな心配ごと、今まで曽良がこなしてきた仕事に比べたら 悩むことすら忍びないことだよね。 曽良……今頃目が覚めただろうか。 ちゃんと毒が抜けているといいけど。 耳を掠った程度で生命の危機に晒されるなんて、 黒脛巾組はなんて恐ろしい毒を所有しているんだろう。 伊達綱村を暗殺するために、曽良はまた黒脛巾組と戦うのかな。 ……不安でしょうがないけど、どちらにしたって僕は何も力になれないだろうし 莉津と左近殿も付いているからきっと大丈夫—— …… ……。 「曽良……」 芭蕉は、川の水面にぽたぽたと涙を落とした。 「ごめんよぅ、曽良ぁ……。 僕、なんにも出来なくて……。 お金だけ置いて逃げ帰るなんて、ほんと最低だ……」 僕のこと、きっと軽蔑しただろうな。 だけど莉津に諭されなくても、きっといつかは 僕が曽良の迷惑になることが耐えられなくなって 江戸に戻っていたんじゃないだろうか。 ただでさえ弱いのに、曽良から逃げるようなことをしちゃって 曽良はもう僕のことを友人だとは思ってくれないだろうな…… 「う……、うぅ……っ!」 曽良が声を上げながら泣き続けていると、 背後から柔らかい声が聞こえてきた。 「大丈夫ですか?芭蕉殿……」 「うぅ……、……えっ?」 芭蕉は、自分の名を呼ばれたことに驚き ハッとして振り返った。 するとそこには、見たことのある顔の男が立っていた。 「っ、どうしてここに……!?」 芭蕉が思わず目を見開いて言うと、 男の方もまた困惑した表情を浮かべていた。 「芭蕉殿こそ……なぜお一人でいらっしゃるのです? ……曽良殿は……?」 「……曽良、は……」 芭蕉が俯くと、男は顔から血の気の引いていった。 「まさか……旅の道中で、倒幕派志士に討たれて——」 「あっ!違う!そうじゃないです!」 芭蕉は慌てて首を横に振ると、順を追ってこれまでのことを説明していった。 「——そういう訳で、僕は曽良の足手まといなんだってことを 仲間のくのいちから諭されて……。 それで曽良が目覚める前に、仙台を離れたんです」 「なるほど……」 話を聞き終えた男は、ゆっくりと息を吐き出した。 「……驚きました。 お二人は本当に仲睦まじい様子でしたし、 それに昔馴染みでもあったとは。 それなら尚のこと、曽良殿と離れて一人戻ってきたのは身が引き裂かれる思いでしたでしょう」 「それでも……曽良が本懐を遂げるためなら、 僕個人の感情を優先すべきではないと考えました」 「……こんなことを私が言うのは身も蓋もない話ですが……、 曽良殿が倒幕派志士を抹殺し、無事旅を終えて また芭蕉殿と再会できる日が来ると良いですね」 男が言うと、芭蕉は涙を拭い、くすりと微笑んだ。 「ふふ……、まさかそんなことを『あなた』に言われるとは思いませんでした。 ——いいんですか? 倒幕派志士を抹殺することを曽良がやり遂げるとしたら、 『あなた』も曽良に殺されなければならないことになるのに」 すると男は、少しバツが悪そうに頭を掻いた。 「……その節は、本当に申し訳ないことをしました。 ですが、今の私はもう仕事を辞めたので倒幕派でもありません。 曽良殿に殺される謂れは無くなった訳です。 ——個人的な恨みは持たれている可能性が高いですが」 「えっ!?仕事を辞めたって—— 城代家老を辞めてしまったんですか?! ——桃雪殿!!」 男——桃雪は、苦笑いを浮かべながら頷いた。 「はい。今はもう、何のしがらみもない状態ですよ」 「……あ。だからこんな所を歩いていたんですね。 城代家老だったら黒羽領を離れられないですもんね」 「ははは」 桃雪——黒羽で曽良の命を狙った青年は、 すっかりリラックスした朗らかな表情を浮かべていた。 「まあ、すんなりとは辞めさせてもらえませんでしたよ。 あの後——曽良殿を取り逃がした後、 藩主からはその失態を責められ、暫く謹慎を言い渡されたのですが 仕事から離れてゆっくり家のことや畑のことをしているうちに、 どうして私はあんなに必死で藩のために尽くしていたのだろう、と思い始めて——」 桃雪は、芭蕉と曽良が黒羽を出た後のことを回想した。 謹慎中、ずっと家にいた桃雪は 弟の桃翠と沢山会話をする時間を持てたという。 そして桃翠は、贅沢な暮らしをさせてもらえていることには感謝しているが、 いつも兄が疲れた表情で帰ってくること、 家でもほとんど会話をする機会がないのを寂しく思っていたことを打ち明けた。 そして、自分達には両親が残してくれた家や畑がある、 農業だけでも食べていけないことはないだろうから 仕事を辞めて一緒に畑仕事をしないか、と説得されたらしい。 「暫くは無心で畑仕事をしていたのですが、 日差しの強い中、汗を流しながら鍬を張り上げていると、こう——感じたんです。 自分が今、腕に疲労を溜めているってこと。 汗を流して、喉が渇いていること。 手を掛けて育てた作物が無事実って欲しいと願っていること。 ……そういう、自分の内側から出てくる感覚や感情を自覚できたんです。 今までは、自分が疲れていることや 本心では納得がいかないような仕事でも 心を殺して主君の為にと動いてきた。 だけど元々は、弟が幸せに暮らせるように仕事をして金を稼ごうと思っていたはずだったんです。 私はそのことをすっかり忘れていた……。 だから、謹慎が明けた後、藩主と話し合って城代家老を辞めました。 厄介……いや有難いことに、藩主は必死に引き留めてくれましたが、 自分は家族が一番大切なのであって この国や藩主が幸せであるかどうかは二の次なのだと口にしたら 藩主は怒って私のことを辞めさせてくれました」 笑いながらそう話す桃雪の表情は生き生きとしており、 以前に会った時には感じられなかった生気に満ちていた。 「……桃雪殿が元気そうで、僕も嬉しいです」 話を聞き終えた芭蕉は微笑みを浮かべた。 「でも、桃翠を残してここに居るのはどうしてです? 黒羽からは結構離れた場所ですし、泊まりがけでここまで歩いて来たのでしょう?」 芭蕉が問うと、桃雪はハッとしたように顔を上げた。 「そうだった! 私がここまで旅して来たのは、あなた方に謝る為だったのでした!」 「え?僕達に……?」 芭蕉がぽかんと口を開けると、桃雪は突然膝をつき、頭を地面に擦り付けた。 「あなた方の命を狙ったこと、本当に申し訳ありませんでした! 藩主の命とはいえ、弟の恩師であるあなた方を殺そうとするなんて—— あの時の私は本当にどうかしていた!」 「っ、か、顔を上げてください……」 芭蕉はおろおろしながら桃雪の肩に手を乗せたが、 桃雪は引き続き額を草地につけたまま言った。 「こんな私ですが、せめてもの罪滅ぼしに あなた方の力にならせて下さい! どんなことでもしますので——」 「そ、そんな……」 芭蕉は、やや強引に桃雪の頭を上げさせた。 「そんなことはしなくていいです! もう、過ぎたことです。 結果的に誰も死ななかったのですから、 罪滅ぼしなんてして頂かなくて良い——」 そう言いかけた時、不意に芭蕉のお腹が鳴った。 あまりに唐突に、そして盛大に腹の音を響かせてしまった芭蕉は 恥ずかしさから赤面したが、 その後を聞いた桃雪はやっと顔を上げた。 「……お腹を空かしてらっしゃるんですか?」 「ええと……はい……」 「それじゃ……最初の罪滅ぼしとして、 私が食事をご馳走しても……?」 「っ!!」 芭蕉は、申し訳ない気持ちでいっぱいになったものの 空腹には抗えず、こくりと頷いてみせた。 「——うん、美味しかった!!」 蕎麦を平らげた後、芭蕉が満足げに茶を啜った。 「桃雪殿、ご馳走様でした!」 「早速お役に立てて良かったです」 桃雪は嬉しそうに言った後、少し困ったように顎に手を当てた。 「しかし、困りました……。 私は曽良殿にも迷惑をかけてしまったので、曽良殿への罪滅ぼしもしたいと思っています。 けれど芭蕉殿は曽良殿と別れた訳ですから、 曽良殿を追いかけると芭蕉殿への罪滅ぼしができなくなる……」 「僕はお蕎麦を奢ってもらったのでもう充分ですよ」 芭蕉はそう答えたが、桃雪は 「そうはいきません!」 と返した。 「芭蕉殿が座り込んでいたすぐ近くには、食事処が沢山あったというのに あれほど盛大に腹の虫が鳴るほど食事を我慢していたと言うのは 食事代が足りていなかったから……そうではありませんか?」 「う……。そう、です……」 「であれば、芭蕉殿が江戸に帰るまで、私が食事代と宿代を出しましょう!」 「ええ?!いや、そんなことは——」 「あ、そうだ! 芭蕉殿にはここで旅の資金をお渡しして、 私は曽良殿を追いかければ良いのでは——」 「だ、駄目です!!」 芭蕉は慌てて桃雪を制止した。 「さっきお話しした通り、曽良は黒脛巾組と対峙していて—— 仙台藩の忍はとても手強いんです! 曽良と合流したら、きっと危険な目に遭ってしまいます!」 「ならば尚のこと、手助けできた方が良いではありませんか!」 「もし桃雪殿がそこで亡くなったら、 残される桃翠はどうなってしまうんですか?!」 「!!……」 桃翠の名を聞いた桃雪は、しおしおと落ち着いていった。 「……その通りです。 貯金が底をついたら使用人を雇う余裕も無くなるでしょうし、 そうしたら畑仕事一つで食べていかなければならない。 まだ子どもの桃翠一人に農作業をやらせるのはあまりに酷ですね……」 「そうじゃなくて……。 桃翠は兄上のことを心から慕っています。 あなたが居なくなったら桃翠が寂しがると言ってるんです、僕は」 「……」 桃雪は押し黙ると、小さく頷いた。 「確かに、私も弟がもしこの世からいなくなってしまったら 生きていく意味を失ってしまう」 「なら、あなたは生きなければ駄目ですよ。 桃翠のために」 「……そうですね」 会計を終え、店を出ると 芭蕉は桃雪にこう提案した。 「あまり長く家を空けては桃翠が不安に思うでしょうから、黒羽に帰りませんか? 僕も江戸まで帰る道中、また黒羽を通るので そこまで一緒に行くのはどうでしょう」

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