13 / 15
第13話:伊達綱村暗殺計画③
芭蕉の提案で、二人は黒羽を目指して歩き始めた。
「この辺りでも一句詠んだっけな……」
少し前に通って来た、見慣れた道を歩きながら
芭蕉は自分が詠んだ句を思い返した。
「芭蕉殿は黒羽を出た後も句を作っていたのですね」
「はい。仙台に入ってからもいくつか詠んでいました」
「そうでしたか。
では黒羽まで戻る道中、また新しい句が出来たら教えてくださいね!」
桃雪に言われた芭蕉は、ぴたりと足を止めた。
「……」
「あ……。一度通った道だと、初めて見た時のような感動はないでしょうから
新たな句を作るのは難しいですよね!
すみません、余計なことを言って」
すると芭蕉はぶんぶんと首を横に振った。
「いえ、そんなことはないのですが……。
でも……元々この旅は、曽良が倒幕派志士を抹殺するという目的を隠すために
僕が俳句を詠んで敵の目を欺こうと思ってついて来ていたんです。
だから……今はもう、その目的が失われてしまったんだな、って……」
芭蕉が落ち込んだ表情で言うと、それを気にかけた桃雪がどうにかフォローしようとした。
「まっ、まあ——本来の目的では無くなったでしょうが、
俳句を嗜むのは一つの趣味として楽しめることではありませんか!
むしろ、今は何のしがらみもなく、自由に好きな時に句を作ることができるのだと考えてみてはどうです?」
桃雪にそう励まされた芭蕉は、
「それもそうですね」
と笑ってみせた。
「丁度ここは景観も良いですし……折角なのでひとつ詠んでみようかな」
芭蕉は荷物を下ろすと、紙と筆を取り出した。
目の前には、長閑な田園風景と、その奥に鎮座する山々が映る。
山には青々とした木々が生い茂り、辺りを飛び交う鳥のさえずりも聴こえてくる。
唄を歌いながら歩き去っていく子どもや、
道端の道祖神に拝む老人の姿、
田の手入れに勤しむ人々——
俳句のテーマに詠みたくなるような光景がいくつもそこにはあった。
だが、芭蕉は筆を取った後、その手を動かすことができなかった。
詠めない——
こんなにも美しい景色が広がっているのに、
何も言葉が浮かんでこない……
曽良と旅していた間は、目に映るものすべてに心が踊って、
自然と一句詠みたいという衝動に駆られていたのに。
今は桃雪殿に誘われるまで、詠みたいとすら思わなかった——
「……っ」
芭蕉が筆を震わせていると、桃雪が心配そうに芭蕉の顔を覗き込んできた。
「なんだか、無理をさせてしまったようですみません」
「っ!——い、いえ!
ちょっとすぐには浮かばないだけです」
芭蕉はニコッと微笑んだが、それからいくら景色を眺めていても、
頭の中には何も浮かんでこなかった。
正確には、以前にこの道を通った時の情景だけが頭の中に思い描かれていた。
だが、どんな景色だったかよりも
隣を歩く曽良がどんな表情を浮かべていたか、
それだけが脳裏に焼き付いて離れない。
曽良の穏やかな顔。
辺りを警戒している顔。
少し疲れたように目を擦る顔。
僕が俳句を披露した時に微笑みながら耳を傾けてくれた顔——
僕が詠んできた俳句には、いつも曽良がいた。
文字の中に曽良はいないけれど、
僕がこの旅で目にして来た景色の中には、必ず曽良がいたんだ。
「……曽良っ……」
芭蕉は思わず筆を落とし、その場に泣き崩れた。
暫く芭蕉が咽び泣いていると、背後から桃雪がそっと芭蕉の肩に触れた。
「……やっぱり、気が変わりました」
「——え?」
「私、曽良殿にも償いをしなければ気分良く黒羽には戻れません」
桃雪は、優しく芭蕉の身体を立ち上がらせると、じっと目を覗き込んで言った。
「芭蕉殿、私の用事に付き合ってくれませんか?」
「用事……?」
「一緒に仙台に来てください。
私は曽良殿に会って謝りたいのです。
どうか私と一緒に、仙台へ向かってくれませんか?」
——同刻、仙台にて。
曽良は、目の前に広がる血の海を
呆然とした表情で見下ろしていた。
そこには何体ものこと切れた死体。
これほど凄惨な景色は、これまでの忍人生の中でも見たことはないかもしれない。
曽良は、ここに至るまでの出来事を
ぼうっとした頭で振り返っていた——
「とにかく綱村を暗殺するには、邪魔な黒脛巾組を消さないといけないわね」
「今回は俺も解毒薬を用意したし、毒への対策は出来ている」
芭蕉が去ってから数日。
曽良は、大金を握らせた遊郭の主人に黙認され
この遊郭を拠点として綱村暗殺の計画を仕切り直していた。
「今回は私と左近が援護するから。
前はあなた一人で城に侵入したけれど、次は三人で力を合わせて頑張りましょ」
莉津が曽良を励ますと、曽良はこくりと頷いた。
「綱村の暗殺が無事完了したら、次は芭蕉から任された仕事を遂行する」
「そういえば、あんなに大金を積まれて
曽良は何を頼まれていたんだ?」
左近が尋ねると、曽良はこう答えた。
「この遊郭に勤める霧乃という娘を逃してやって欲しい、と」
「はあ?霧乃を?!」
それを聞いた莉津は、驚いたように目を丸めた。
「どうして曽良が霧乃を逃さなきゃならないのよ」
「それが芭蕉の頼みだからだ」
「金作の頼み、って……。
まさかあの人、霧乃に惚れちゃったの?」
莉津が言うと、曽良はぴくりと肩を揺らした。
「……いや。霧乃の境遇を聞いて憐れんだ芭蕉が、
彼女をここから逃してあげると約束したらしいんだ。
けれど自分の力では店の見張りの目を盗んで連れ出すことが難しいから
俺にその役目を頼みたい、と。
女一人を遊郭から連れ出すくらいなら造作もない仕事だから、
綱村暗殺が済んだら実行するとは返事していたんだが……」
まさか大金を置いていかれるとは、と曽良が溢すと、
莉津は呆れたようにため息をついた。
「遊女に惚れるなんて、遊郭を遊び慣れていない証拠ねえ。
遊女の言うことなんて、ほとんどが嘘。
自分に気を引くための甘い言葉だったり、
辛い境遇を明かして同情を誘い金を落とさせるためだったり、
とにかく客を取るためなら何だって言うんだから」
「いや、曽良の話を聞いてたか?
芭蕉がその遊女に惚れたからだとは言ってないだろ」
左近は莉津の言葉を訂正した。
「同情を誘われたってのは本当だろうが、
惚れたからだとは一言も言ってないぜ?」
「惚れてもいない女のために、旅の資金のほとんどを置いていくなんてことする?
後で霧乃と合流して一緒に暮らすためだとかの理由でもなきゃ
そこまでする意味がわからないわ」
「莉津の考えはあくまで莉津の推測だ」
すると、黙っていた曽良が口を開いた。
「俺は芭蕉の言った言葉だけが真実だと思っている。
芭蕉が霧乃に惚れているわけではないと言ったから、それが事実だ」
「っていうかさあ」
曽良の言葉を聞いた左近が伸びをしながら言った。
「芭蕉が霧乃に惚れてるかどうかなんてどうでもよくね?
俺、黒脛巾組の仲間がどの女に惚れてようが気にならないし。
狙ってる女が被っていた時だけ意識するけど」
すると莉津も、怪訝そうな表情で曽良を見た。
「そういえばそうね。
もう一緒に旅をしている訳でもない昔馴染みが
誰のことを慕っていようと、その可否を明確にしようと意気込む必要があるの?」
「……それもそう、か……」
二人に言われた曽良が呟くと、莉津はどこか不服そうに腕を組んだ。
ほんと、曽良が考えていることってよく分からないのよね。
里にいた時からそうだった。
あの頃も——
莉津は、かつて伊賀の里で曽良や芭蕉らと修行に明け暮れていた日々のことを思い返した。
——里にいた頃、まだ成長過程の子どもでありながら
長い手足に大人びた容姿を持ち、自然と色香を醸し出していた莉津は
対照的にまだ身体も小さく泥だらけになって遊んでいるような
同年代の少年たちが酷く幼く映っていた。
忍の里に生まれ育ったといっても
子どものうちは年相応の『子どもらしさ』を感じさせる者が多く、
一方で幼いうちから異性を誑かす為の術を学んでいたくのいちの莉津にとっては
まだ恋も知らないような子どもにはまるで関心が湧かなかった。
そんな中でも、曽良だけは歳よりも大人びた雰囲気を放っており、
同い年の子ども達の中でも兄貴分のような存在だった。
自ら同年代と群れたり、大人に媚びることはしなかったが
忍としての抜きん出た才能が認められていたため
周りが曽良を放っておかず、いつも彼の周りには人が溢れていた。
曽良と親しくしていれば、自然と自分の格も上がる。
そう考えた莉津は、曽良の取り巻きの一人に加わり
気付いたら曽良の近くにいるメンバーの一人となっていた。
曽良は面倒見が良く、仲間達に体術の指導をしてあげることも多々あったため、
莉津も同じように曽良から色々学ばせてもらい、
里のくのいちの中でも優秀だと謳われるようになっていった。
おまけに曽良は容姿も優れていたため、
曽良より歳上のくのいち達さえ
彼のことをいつも噂し、姿を見かけると黄色い声を上げていた。
そんな、忍としても一人間としても
恵まれた境遇にいる曽良だったが、
莉津には一つだけ腑に落ちない点があった。
それは落ちこぼれの金作に対して
曽良が何かと構ってやっていることだった。
金作と一緒に居るところを人に見られるだけでも恥ずかしい。
『あれ』の仲間だと思われたくない。
金作のことを毛嫌いしていた莉津は、
曽良がなぜいつも金作に声を掛け、金作を助けるのか理解できなかった。
ある日、莉津は思い切って曽良にこう話しかけた。
「里の近くの町で、今夜盆踊りの祭りをするんですって。
里長のお許しも頂いているから、私や他のくのいち達はそのお祭りに行く予定なんだけど……曽良もどう?」
すると曽良は、少し考えた後
「……用事が入らなければ行こうかな」
と答えた。
それを聞いて舞い上がった莉津は、
姉の紅を借りて唇を染め、普段身に付けている動き易い忍装束から
華やかな柄の浴衣に着替えて支度を済ませた。
そしていそいそとした気持ちで町へ向かうと、
そこに居たのはくのいちばかりであり、曽良の姿はなかった。
「わあ!莉津、遅いと思ったらお化粧してきたの!」
「浴衣、とっても似合ってる。可愛い!」
莉津の姿を見たくのいち達は口々に莉津を褒め、盆踊りの輪に加えた。
莉津は踊りながらも、曽良はいつ来るだろうか、とはやる気持ちを抑え切れなかった。
——だが、いくら待っても曽良は現れなかった。
しょんぼりした気持ちで莉津が里に戻って来ると、
里の入り口付近で啜り泣く声が聞こえて来た。
「僕なんか……、僕なんかじゃ一人前の忍にはきっとなれないんだ……」
「泣くな金作。金作は金作で頑張っているんだから。
いつかお父上も認めてくださるだろう」
「でも、僕がどんなに頑張ったって
曽良みたいにはなれないよ……」
そこに居たのは泣きじゃくる金作と、それを慰めている曽良だった。
「なにも俺と同じような忍になる必要なんてないだろうに」
「僕は曽良のような忍になりたいんだよぅ……」
「俺のように、か……。
うーん。じゃあ今度から、俺と一緒に自主鍛錬する?」
「えっ!曽良、日中皆で励んでいる修行以外にも鍛錬を積んでいたの?!」
「他の人と同じことをしてたって、人並み以上にはなれないだろ?
金作が俺に憧れてくれてるって言うなら、それ相応の努力を俺がしているからだよ」
「すごいなあ曽良……。僕知らなかった。
曽良の影ながらの努力も知らないで、曽良は何でもできる天才なんだと思い込んでいた僕が馬鹿だったよ」
「一人で鍛錬するのに丁度いい場所があるんだ。
金作にも俺の穴場を紹介してあげる」
「ほんと?!嬉しい、ありがとう曽良!」
金作がパッと笑みを浮かべる姿を見た莉津は、わなわなと怒りが湧き上がってきた。
こいつが泣いている姿なんて腐るほど見てきた。
今泣いているのだって、いつもと変わり映えのしない理由。
それなのにどうして毎度毎度、曽良はこいつに構うの?
曽良は確かに面倒見が良くて優しいけれど、
ここまでしてこいつに構う必要がある?
強いて考えれば、金作が里長の息子だから
将来のことを考えて擦り寄っている可能性——だけど
金作なんかが里長になんてなれるはずがない……。
こんな奴の為に、曽良は私の誘いを無視したの?
私は曽良に気に入られるために、頑張ってめかしこんだのに。
こんな奴の為に……
莉津が怒りに震えていると、その気配に気付いた曽良が莉津の方へ振り返った。
「あ、莉津……」
曽良が口にすると、金作もはっとして顔を上げた。
「!こ、こんばんは」
「——それだけ?」
莉津は、思わず二人に向けて言った。
「ねえ、他に言うことがあると思わない?」
「他に言うこと?」
金作は少し考えた後、莉津の姿を見てあっと声を出した。
「浴衣を着ているんだね!
とても似合ってて……す、素敵だよ……?」
金作が精一杯の褒め言葉を贈ると、
それを聞いた莉津はゾワッと鳥肌がたった。
気持ち悪い!!
こんな奴に素敵だなんて言われたくない!
その言葉は、曽良に言って欲しかったものなのに——
「……今日は盆踊りに行かなくて悪かった」
すると、金作に続いて曽良が口を開いた。
「え?!今日、どこかで盆踊りをしていたの?」
金作は目を見開き、申し訳なさそうにしている曽良と
浴衣に紅を引いた姿の莉津を見比べた。
「……もしかして、僕が泣いていたせいで……?」
「いや、違——」
「曽良、莉津、ごめん!!」
曽良が言うより早く、金作が二人に頭を下げた。
「その……今からでも間に合うなら、二人で盆踊りに行って来たらどうかな……?
僕ならもう、平気だから……」
金作が気を遣って言うと、曽良は莉津にこう尋ねた。
「今から行っても間に合う?」
「え……。うん、人は減ったけど、まだお祭りはしていたよ」
莉津が咄嗟に答えると、曽良は金作に視線を向けた。
「じゃあ、金作も一緒に行こう」
「え?」
曽良の言葉に、金作と莉津は同時に声を上げた。
お互い、まさか三人で盆踊りに行くという選択肢は考えていなかったため
曽良がそんな提案をしたことが信じられなかった。
「ぼ、僕は遠慮するよ。踊れないし……」
「盆踊りなんて見よう見まねで出来るものじゃないか?」
「見よう見まねすら、僕は下手だから……。
それにほら、……僕がついて行くのは申し訳ないし」
「どうして?俺が誘っているのに、どうして俺に申し訳ないと思うんだ?」
「や、曽良にじゃなくて、あの……」
金作がちらちらと莉津を見ると、
そのやり取りを聞いていた莉津はすっかり気持ちが冷めてしまった。
「——もう、いい。
どうせ私も踊り疲れて帰ってきたところだし、
行きたいなら二人で行ってくればいいじゃない」
莉津はそっぽを向くと、曽良と金作を残してさっさと帰って行った。
——そうよ。
あの頃から、曽良は何を置いても金作のことを優先してた。
手裏剣やクナイの稽古でも、崖や塀を登る訓練でも、
他にも上手く出来なくて困っている者達がいたけれど
曽良が真っ先に手を差し伸べていたのは金作に対してだった。
過去の回想を終えた莉津は、ふぅと大きく息を吐いた。
「——不安ならば、莉津は無理して侵入しなくても良い」
莉津のため息が、暗殺計画への不安からくるものだと思った曽良がそう声をかけると、
莉津は「いいえ」と首を横に振った。
「そもそも私がここに潜入しているのは
仙台藩の動向を探り、いずれ幕府が攻め入る時期を見計らうためだもの。
綱村暗殺は私の任務の最終地点でもあるの。
これが済んだら、私だって江戸に帰れるんだから
いくらだって力になるわよ」
莉津の言葉に、曽良が「ありがとう」と返すと、
それを聞いた左近が少し惜しそうにこう言った。
「莉津、綱村を殺したら江戸に帰っちゃうの?」
「そうだけど」
「じゃあ莉津が帰る前に一晩相手してもらいてえなあ。
もちろん金は払うからさあ」
「私との一晩は高いわよ」
「高くてもいい!こんな良い女を抱けるんなら奮発したって構わない!
なんなら御上から貰える金で身請けしたいとすら思ってる」
左近がへらっと笑うと、莉津は呆れたようにため息をついた。
「あんたが私を身請け?へそが茶を沸かすわね」
「いやいや、莉津みたいな垢の抜けためんこい女って仙台で見たことがないからさあ。
割と本気で思ってる」
「あんたにはいくら金を積まれても身請けに応じたりしないわよ」
「じゃあ誰がどれだけ大金を積んでも莉津のことは落とせないの?」
左近がしゅんと肩を落とすと、莉津はちら……と曽良を見た。
「ねえ、曽良」
莉津は、落ち込む左近を無視して曽良に話しかけた。
「数日後に仙台で、大きなお祭りがあるの。
……暗殺の仕事が無事終わったら……
私と一緒にお祭りに行かない?」
「お祭り?」
「……『前』は結局行けずじまいだったし、いいでしょ……?」
「——あ」
曽良は、少年時代の出来事を思い出したらしく、
少し考え込んだ後、小さく微笑んだ。
「——分かった。
綱村を暗殺したら、一緒に祭りに行こう」
「じゃあ俺も一緒に行くわ!」
「あんたは駄目よ」
左近が即座に名乗り出、莉津が速攻で却下すると
その掛け合いが面白く感じた曽良は思わず吹き出してしまった。
「!曽良が笑ってる……!」
芭蕉が去ってから、ずっと心ここに在らずといった表情をしていた曽良が笑っているのを見た莉津は、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「約束だからね!
一緒にお祭りに行って、盆踊りを踊るの——楽しみにしてるから!」
……そんな軽口を叩き合っていたのが数刻前のことだった。
目の前には、大量の血を流し、恐怖に満ちた表情でこと切れた莉津の死体。
そしてその少し先には、首を斬り落とされた左近の無残な死体が転がっていた。
曽良は、少し前まで共に計画を練り、
力を合わせて戦おうと話し合っていた仲間二人が
変わり果てた姿で倒れている姿に思わず吐き気を催した。
——今は静寂が広がっているが、ほんの少し前まで
辺りには人の叫び声と、刃がぶつかる金属音が鳴り響いていた。
大勢を相手にし、曽良の身動きが取れなくなっていた時、
背後から莉津の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
「いやあっ!やめて!来ないでッ!
助けて、助けて曽良——ッ」
莉津が助けを求める声が聞こえてきたが、
一瞬でも隙を作れば自分がとどめを刺されてもおかしくない状況にあった曽良は
振り返ることができなかった。
「莉津!待ってろ、今助ける——」
直後に左近の叫び声が聞こえてきたが
その刹那、鈍い音が辺りに広がった。
「っ!!ぎゃああああ!」
莉津は『その瞬間』を見てしまったのだろう。
左近の身体がどさりと倒れる音が聞こえ、
その直後には莉津の断末魔のような泣き声が響き渡った。
——目の前の敵をようやく倒した曽良が後ろを向くと、
そこには離れたところに首が転がっている左近と——
恨めしそうな、悲しそうな、そして苦痛に満ちた表情でこちらを睨んでいる莉津がいた。
結局、綱村はまたしてもすんでのところで逃してしまい、
無駄に仲間を失ってしまった曽良は
仲間と仙台藩の志士、そして黒脛巾組たちの死体で出来た血の海の中に膝をつくと、
その場に大量の胃液を撒き散らした。
「うっ……、うぅ……」
俺はこんなことを続けて何がしたい?
芭蕉も居なくなってしまったこの旅で、
目の前で仲間を失い、標的には逃げられて
こんな生き恥を晒してまで
なんで俺は戦いを続けているんだ——
暫く静寂の闇の中で吐き続けていた曽良だったが、
やがて逃げ延びた綱村が生きている家臣達を集めてここに戻ってくるかもしれないと考えた曽良は
身体を引きずりながらも城から撤退した。
身体のあちこちに怪我を負い、
幸いなことに手足を失ったり毒を浴びることはなかったものの
これ以上戦い続けるのは限界であるほどに疲れ果てていた。
それでも、命があった自分はなんと悪運が強いのだろう。
自分の命を守ることに精一杯で、仲間が助けを求める声に応えられなかったことが
曽良の中で激しい後悔を生んだ。
どうせ自分の命だって忍として使い古されるだけのものなのだから、
仲間を助ける為に自分を犠牲にしたって良かっただろうに。
どうしてそれが出来なかったのか。
もしも助けを求めていたのが芭蕉だったのなら、
俺は自分の片腕が斬り落とされてでも
這って芭蕉の元まで向かっただろうか。
……そんなこと、いざその場にならなければ分からない。
だけど、頭の中ではそう行動したいと願っている。
芭蕉を助ける為ならば、自分の命は惜しくないと。
——なぜ莉津を助けるために、自分の命を惜しんでしまった?
彼女も同郷の昔馴染みで、江戸に行ってからも
志を同じくする仲間だと感じていたはずなのに。
どうして莉津のために、俺は動けなかったのだろう。
「……っ、ぅ……」
俺が弱いせいだ。
俺が、人を助けられるほどの強さを持っていなかったせいで、莉津と左近は死んだんだ。
全部、弱い俺が悪い——
「うう……」
嗚咽が溢れ、心の中がぐちゃぐちゃと掻き乱される気持ちの悪さに再び吐き気を覚える。
ここで仲間達と果てても良い……そう考えもした。
けれど、まだ俺は死ねない。
芭蕉が去り際に頼んだ仕事を完遂しなければ。
曽良は、意識が薄れそうになりながらも
霧乃が居る遊郭に向けてゆっくりと歩いて行った。
ともだちにシェアしよう!

