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第14話:遊女逃避行
桃雪の計らいで、再び仙台に辿り着いた芭蕉。
「曽良殿が居そうな場所に心当たりはありますか?」
城下町まで来ると、桃雪が芭蕉に尋ねた。
「ええと……前に説明した通り
曽良と別れた時は遊郭に居たので、
もしかしたら曽良はまだそこで身体を休めているかもしれません。
でも……もう十日近く前のことになるので、
仕事を終えて仙台を出た後かも——」
「分かりました。
じゃあ、その遊郭に行ってみましょうか」
二人が連れ立って遊郭へ足を運ぶと、
何やら中から慌ただしい足音や話し声が聞こえて来た。
「まさか短期間に二人も足抜けするとは!
どちらもまだ見つからぬのか?」
「いえ、姿を見たと言う噂は何も入って来ておりません。
一体どうやって抜け出したのやら……」
「霧乃はともかく、店の稼ぎ頭の莉津にまで居なくなられては困る。
誰か、莉津が心に決めていた客の話など聞いていないか?
もしかしたら常連客の誰かが、莉津と示し合わせて駆け落ちした可能性もある」
「えっ……。霧乃殿に、莉津……?」
店の中の話し声に耳を澄ませていた芭蕉は、
二人の名前を聞いて目を見開いた。
莉津は御上から派遣されていたくのいちだから、
もしかしたら曽良と行動を共にしているのかもしれない。
霧乃殿がいなくなったというのは——
曽良が、僕のお願いを聞き届けてくれたということ……?
「あのう、ごめんください」
バタバタと騒がしい遊郭の戸を、芭蕉は思い切って叩いた。
「すいませんお客さん、まだ店は開いていないのでお引き取りを——」
戸を開けた遊郭の店員が芭蕉を追い払おうとすると、
後ろに立っていた桃雪が店員に向かって叫んだ。
「莉津殿が姿を消したという話が聞こえて来たのですが、それは本当ですか?!」
店員が「うん?」と桃雪に目を向けると、桃雪は切羽詰まった表情で店員に詰め寄った。
「私は彼女を身請けする為にコツコツと金を貯め、
毎晩店の前を通っては莉津と一緒になる日を夢見ていた男。
——それなのに、莉津は他の者と駆け落ちをしたと言うのですか?!」
桃雪が必死の形相で莉津について尋ねた為、
店員は彼が莉津の常連客の一人だと思ったらしく
煙たそうな表情から、やや同情めいた顔付きへと変わっていった。
「……ああ、あんた莉津に惚れている客の一人か。
いや、駆け落ちと決まった訳じゃないんだがね。
三日前に姿を消してしまったんだ。
そして一昨日には、もう一人別の女も居なくなっちまったもんだから
もしかしたら神隠しでも起きてるんじゃないかと店の中は大混乱でねえ……」
芭蕉は、桃雪の芝居のお陰で店員が背景を説明してくれたため、桃雪に感謝した。
「もう一人の女の人が姿を消したのは一昨日なんですね?
どちらの方へ向かっただとか、その人を見かけた話は誰の耳にも入って来てはいないでしょうか?」
芭蕉が尋ねると、店員は腕を組んでこう言った。
「霧乃のほうは、はっきりと姿を見たって話は入って来ていないんだが……
夜中に頭を頭巾で隠した娘が、一人の男と連れ立って歩いて居るのを見たって噂が聞こえて来てはいてね。
夜遅くに顔を隠して歩くなんて、後ろめたいことがある人間だろう?
もしかしたら、それが霧乃だったんじゃないかって話にはなっている」
「その、男と連れ立って歩いていたという女人は
どちらの方角へ向かったか分かりますか?」
「ええと……北だな。
そいつを見かけたって者が、南に向かって歩いていた時にすれ違ったと話していたから。
ということはその男女は北の方角に向かったのだろう」
「——ありがとうございます」
芭蕉は店員にぺこりと頭を下げた。
「莉津……。そんな、信じられない……」
桃雪は尚も、莉津に執心の客を装っていた。
「桃雪殿。莉津のことは諦めて、もう行きましょう」
「うう……莉津、莉津……」
芭蕉もその芝居に付き合い、店員の姿が見えなくなるまで
絶望に打ちひしがれた様子で二人は歩いて行った。
遊郭から離れたところまで来ると、桃雪は「ふう」と息を吐き出した。
「顔も知らない女人の名を何度も呼ぶのは、ちょっと照れました」
「でも桃雪殿、芝居がとても自然で助かりました」
芭蕉が礼を言うと、桃雪は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「いやあ……。城代家老を務めていた頃は、
本心を隠して相手に良い心象を与えることに労力を割いていたので、
取り繕うことがお手の物になってしまったようです。
あまり褒められた話じゃないでしょうが……」
すると芭蕉は、ふるふると首を横に振った。
「そんなことないですよ!
桃雪殿はそうやって沢山努力をされて、桃翠との生活を守ってきたんですから。
……逆に僕は取り繕うことが苦手なので、
面白いことがあったら笑いを堪えきれないし
悲しいことがあったらすぐに泣いてしまいます。
良い大人なのに、こんな僕では曽良に呆れられても仕方ないな、と……」
「そこが芭蕉殿の良さだと思いますけどね」
桃雪がくすりと笑った。
「桃翠が言っていました。
『芭蕉先生は歳上だけど、あまり歳上だと感じたことはないんだ。
だから分からないことがあったら遠慮せずに訊けるし、
先生も友人と話すような感覚で親身になって教えてくれる』って」
「う……。歳上だと思われていないのは、
僕に威厳が足りないからです……」
芭蕉がしゅんと気を落とすと、
「おや、褒めたつもりが逆効果でしたかね?」
と桃雪が困ったように頬をかいた。
「威厳が足りないんじゃなくて、親しみやすいってことです。
私も芭蕉殿の言動に裏表を感じないので、安心して接することができます。
芭蕉殿のように他人に警戒心を与えない類の人って、実は忍に向いてるんじゃないかと思うんですよ」
「ええ?!僕が?」
芭蕉は驚いたように目を丸めた。
「それは絶対違いますよ!
僕は忍としての体術を一つも身に付けられなかったほど貧弱で、精神的にも未熟で
父上——いえ里長にも『お前は忍には向いていない』と何度言われたことか!
忍に向いているのは、曽良みたいな人です!
曽良みたいに何でも器用にできて、武器の扱いも上手で
精神もしっかりしているような——……」
——そう、だろうか?
芭蕉は自分の口から出て来た言葉を疑った。
曽良は、皆に内緒で自主鍛錬を積み重ねていた。
曽良の秘密の鍛錬場にも、特別に教えてあげると言われて連れて行ってもらった。
曽良が忍として優秀なのは、曽良が人一倍努力していたからだって知ってたはずじゃないか。
それに、曽良が精神的にも強いなんて、どうしてそう決めつけているんだろう?
僕があまりに弱くて後ろ向きだから、
曽良は僕の前で弱音を吐かなかっただけかもしれないだろう。
どうして僕は、曽良のことを超人か何かのようにいつも語ってしまうんだろう……
「……曽良は、真面目で努力家なんです。
だから忍の里でも一番の成績を収めることができていた。
それに、この旅だって投げ出して雲隠れしたとしても
曽良なら生き延びていけそうなのに
それをしないのは、主君の命じたことを果たそうとする責任感が強いから。
僕は……曽良が強いから憧れていたんじゃない。
曽良が強くあるために努力していたから、
そんな曽良のことが眩しく見えていた。
……それなのに僕は……旅の途中で、曽良を残して帰ろうとした——」
芭蕉が項垂れると、桃雪が励ますように
ポンとその背中を叩いた。
「——そう思い直したから、私と一緒に仙台に戻る選択をしてくれたのでしょう?」
「……」
「とにかく北を目指して進んでみましょう。
上手くいけば、曽良殿と霧乃殿に追いつけるかもしれない」
「……はい」
芭蕉は顔を上げると、深く頷いた。
——夢の中で、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。
『曽良……。曽良殿……』
この声は——かさねだろうか?
姿は見えないが、確かに女の声が俺の名前を呼んでいるのが聞こえる。
ああ、そうか。
俺はきっと死んだのだろう。
旅での不養生や戦闘で負った怪我が祟って
俺はもう死んでしまったんだろうな。
俺より早く三途の川を渡ってしまったかさねが、俺を迎えに来てくれたのだろうか。
『かさね』
俺は亡き妻の名を呼び、懐かしい姿を探そうとした。
しかし、何度名を呼んでも姿を現してくれない。
『かさね。俺ももう間もなくそちらへ行く。
そこに居るなら姿を見せてくれないか』
——かさねからの返事はなかった。
だがそれから暫くして、悲しそうな女の声が聞こえて来た。
『芭蕉殿のことは良いのですか?』
芭蕉……?
ああ、金作か——
芭蕉ならば、江戸に戻る道中だろう。
俺がこの地で死んだことを、芭蕉はずっと知らないままで居てくれると良いな。
優しい芭蕉のことだから、俺が野垂れ死んだと知ったら
また泣いてしまうだろうから——
『芭蕉殿ともう一度お会いしたくはないのですか?』
再び、女の声が聞こえてきた。
……妙だな。
かさねには、芭蕉のことを話した覚えはない。
伊賀の里でのことを語らなかった俺は、
芭蕉という幼馴染がいたことをかさねに知らせたことがなかった。
それなのに、かさねはなぜ芭蕉の名を知っている?
もしかして……この声は、かさねでは無いのか?
ならば誰なんだ?
『誰、だ……』
必死で俺が声を絞り出すと、今度は興奮したような声が聞こえて来た。
『私の声が聞こえているのですね!
ああ、良かった——
どうかこのような場所で死なないでください。
私を助けてくれた芭蕉殿と、曽良殿が再会できるその時まで
どうか健在でいらしてください——』
「——はっ……」
その声で、曽良は飛び起きた。
目の前には、ほっとしたようにこちらを見ている霧乃の姿がある。
そう、か……。
俺は生きている……
曽良は、自分がずっと夢現の状態で
霧乃の呼びかける声を聞いていたのだということを理解した。
「……心配をかけてすまない。
夢を……見ていた。
いつの間にか眠ってしまったようだ……」
曽良が謝ると、霧乃は
「とんでもないです!」
と返した。
「曽良殿にはあの遊郭から助け出して頂いたばかりか、
私が働ける場所を見つけられるまで、
旅に同行させて下さると申し出て頂けて……
どれだけ感謝してもしきれません」
「……感謝ならば、芭蕉にして欲しい。
俺はただ、芭蕉との約束に応えているだけだから」
曽良が言うと、霧乃は悲しそうに眉を下げた。
「もちろん、芭蕉殿にも沢山感謝しています。
だからこそ、会ってお礼を言いたいと思っているのです。
ですが……芭蕉殿はもう、江戸に戻られたのですよね……」
残念そうに霧乃は言うと、続けてこう言った。
「曽良殿が仙台を出られてから、ずっと体調を崩されているのが気掛かりです。
昨日も熱があるようでしたし、食欲もあまり無いと仰っていたので……。
私に何の医療の知識もないのが忍びないです」
「霧乃が気にすることじゃない。
俺と霧乃は一時的に道中を共にしているだけで、
俺に義理を感じる必要なんてない」
曽良はそう言うと、
「川辺で水筒の水を汲んで来る」
と言って立ち上がった。
二人は、仙台を出た後北上を続け、平泉で宿を借りていた。
贅沢はできない為、同じ部屋で寝食を共にしていたが、
互いの会話は必要最低限のものだった。
そして夜になると決まって曽良の体調が悪化するため、
霧乃はハラハラと見守るほかなかった。
自分が世話を焼くのも違う気がするし、
何より曽良は自分に構って欲しくはなさそうだ。
そう本能的に察していた霧乃は、
曽良を心配しつつも、声がけをする以上のことをできずにいた。
——霧乃を宿に残し、川原へ水を汲みに来た曽良。
ただ、一人になりたかった。
霧乃のことは決して厄介には思っていないが、
四六時中彼女と共にいると、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
それは霧乃の性格や言動によるものではないことは曽良自身も理解していた。
元来、自分は一人で居るのが楽なのだ。
だからこそ、妻であったかさねや
旅を共にしていた芭蕉と居る時だけ
その息苦しさを感じないことが不思議でならなかった。
かさねも芭蕉もお節介なところがあり、
自分が静かでいると、どうにか元気づけようと
あれこれ世間話を振ってくる。
内容は全く記憶に残っていないほど真底どうでもいいような話だったのだろうが、
そうやって彼らが自分の近くに張り付いていることを
不思議と居心地が悪いとは思わなかった。
世間一般的に、夫婦というものは一緒にいて居心地が悪くなるものではないという知識はあるため
妻のかさねと居ることが楽に感じるのは当然だろう、と曽良は考えていた。
だが、芭蕉と居る時にも同じような安心感を持てる理由が分からなかった。
里にいた頃も他に友人は多く居たし、
仕事で他の忍と四六時中行動を共にする機会は多くあった。
しかし誰と一緒にいても、やはり気疲れしてしまう自分がいた。
芭蕉と居る時だけ、自分の心が楽になるのは何故だろうか。
……うがった見方をすれば、芭蕉はあまり武術的な心得がないため
もし裏切られたとしても脅威にはならないから——だろうか?
いや、そもそも芭蕉が俺を裏切るなんてことが根本的にあり得ない。
……俺のことを絶対裏切らない存在だと言い切れることが、安心感の理由なのだろうか?
俺の根底にある、芭蕉への絶対的な信頼感は一体どこから来るのだろうか。
どうして俺は、こんなにも芭蕉に信頼を寄せているのだろうか。
曽良は頭の中でもやもやと考えながら、暫く川辺を覗き込んでいた。
でも——意外だった。
芭蕉の言動は、長い付き合いの中である程度予想通りのことが多かったけれど、
まさか俺が眠っている間に居なくなるとは思わなかった。
江戸に帰りたくなったのだとしても、
書き置きと金だけを置いて去るなんてことはしないだろうと思っていた。
こんな芭蕉らしくない行動をするとは予想がつかなかったから、
芭蕉の書き置きを読んだ時は気が動転して
思わずその文を破り捨ててしまった。
でも……
あれが芭蕉の書いた字を見る最後の機会だっただろうから、捨てたりしなければ良かったな。
もう、芭蕉が旅先で詠む俳句を聞くこともできない。
あまり気の利いた感想は言えなかったけれど、
過酷な旅の道中でも美しいものを見つけ出して
俳句を作れる芭蕉のことを尊敬していた。
俺にはない才能だと思った。
「……笈も太刀も五月にかざれ紙幟……、
笠島はいづこ五月のぬかり道……
桜より松は二木を三月越し——」
芭蕉が詠んだ句はすべて思い出せる。
どれも芭蕉なりの想いが込められた、良い句だった。
もう、芭蕉が作る新しい句を聞けないのは残念だ。
水筒に水を汲み終えた曽良は、
あまり気が乗らないと感じつつも、霧乃の待つ宿へと戻って行った。
すると、出立の支度を済ませた霧乃が既に宿の外に出て来ていた。
「すまない、俺もすぐに支度をする」
曽良が言うと、霧乃は
「あの……っ」
と声を上げた。
「相談したいことがあります……」
「相談?」
「ついさっき、宿の主人に教えてもらったのですが……
高館で、働き手を募集しているところがあるそうで——」
霧乃の話によると、平泉の高館という地は
奥州藤原氏がかつて栄華を極め、そして源義経が最期を迎えた歴史のある場所で、
この地を一目見たくて人が集まってくる観光地なのだという。
観光地ゆえに周囲には茶屋や食事処も多く立ち並び、
その中の一軒が人手を求めているという話が
宿の主人の耳に伝わっているという。
「給仕の仕事はしたことがありませんが、
経験は不問でとにかく人を欲しがっているという話を聞いたので……
その、私でも雇っていただけるかと思いまして」
「ああ、なるほど」
元々、霧乃が仕事を見つけて生活を立てる目処がついたら
そこで連れ立っての旅は終わりにすることを芭蕉や霧乃とも話してあったため、
霧乃が率先して仕事のツテを探してくれたことを曽良は内心有り難く感じた。
良かった。
霧乃を平泉に残して行けるなら、
俺も懸念なく次の目的地へ向かうことができる。
次は羽州——伊達綱村と繋がりを持ち、同じように倒幕を目論んでいると噂される
みちのくの西側の国を調査して回ろうと考えていた曽良は、
思いのほか早くに霧乃との旅が終わる目処が立ち安堵した。
「それじゃあ、その高館まで行こう」
「はい!よろしくお願いします」
霧乃は礼儀正しく頭を下げた。
こうして、当初立ち寄る予定のなかった高館へ足を運んだ曽良。
なるほど確かに、辺りには食事処も建ち並び
多くの観光客が歩く様が目に入った。
「……ここにいる人達は皆、源義経終焉の地を訪れたかった方ばかりなのでしょうね」
何気なく霧乃が口にすると、曽良はふと気になって尋ねた。
「源義経の終焉の地なのか?ここは」
「はい。旅の途中にお店に寄られるお客様が、
『仙台を出たら、平泉の高館を見に行く』と口にされることがよくあったので
私もここへ来るのは初めてなのですが知識だけはあります。
——兄の頼朝に追われた義経は、懇意にしていた奥州藤原氏を頼ってこの地へ逃げこむ。
けれども義経に良くしていた藤原秀衡から泰衡の代に変わっており、
頼朝の報復を恐れた泰衡は義経を匿うふりをして頼朝に密告してしまう。
そうして頼朝の兵は平泉に攻め込み、義経も数少ない家臣と共に戦ったそうなのですが
多勢に無勢であっけなく散ってしまったと——。
そんな歴史あるこの地で、かつての義経に思いを馳せる人が多く居るのだそうですよ」
「そんな話があるのか」
芭蕉ならば、当然知っている話なのだろう。
そしてきっと、そんな謂れのある歴史的な場所ならば、
当然ここで一句詠みたいと考えるのだろうな。
曽良はふと芭蕉のことを思い浮かべながら、
目の前に広がる景色を見つめた。
今は田園風景が広がる中に
白い卯の花がいくつも咲き乱れる長閑な場所。
遠い昔にはここで何人もの兵が戦い、命を落としていったのだろう。
「——私は、お客様から教えてもらった兼房の話が好きです」
「……兼房?」
曽良がぼうっと景色を見つめていると、
義経の話に興味を持ったのだと解釈した霧乃は
一生懸命記憶を遡り、さらに義経にまつわるエピソードを語って聞かせた。
「義経の家臣で最も有名なのは弁慶だと思うのですが——
ほかに十郎権頭兼房という家臣がいまして、彼は63の時に義経に仕え始めた老臣だったそうです。
元は別の主君に仕えていた身でしたが、その主君の娘が義経の妻となったため
その護衛を任されて義経の家臣となった経緯があります。
義経との主従関係はそう長くなく、年齢的にも刀を握るには年が行き過ぎてはいたのですが——
義経の終焉の時、最期まで義経のために戦い続けていたのが兼房でした。
敵に囲まれ覚悟を決めた義経が、妻と共に自害したとき
その死を見届けたのが兼続で、さらには
義経が攻め込まれていたお堂の中に火を放ち、
敵将を道連れにする形で自身も炎の中に飛び込んでいった、と——。
創作話だという噂もありますが、私は彼の見事な戦いぶりを讃えるために
今世までその最期が語り継がれてきたのではないかと思っています」
「兼房の最期……か」
霧乃の話を聞いた曽良は、ふと自分の身体の内側から不思議な感覚が湧き上がってきた。
この違和感——以前にも感じたことがある。
芭蕉の誘いで、自身でも句を作ってみたことがある時のそれだ。
……芭蕉の作る句はもう聞けないけれど、
俺自身が感じたことを言葉にすることならばいつでもできるじゃないか。
俺も命を賭けて戦っている者として、
兼房の見事な最期に敬意を示したい。
この、腹から湧き上がってくるような思いを表そうとするならば、
芭蕉と同じように句を詠むことが最適解なのではないか——
気付くと、曽良は紙と筆を手にしていた。
そして目の前に映る景色と、自分の感じたままの心情を五七五にしたためると、
それを書き終えた瞬間から心がすうっと軽くなっていくのを感じた。
「芭蕉殿だけでなく、曽良殿も俳句を嗜むのですね」
突然文字を書き出した曽良を不思議そうに見守っていた霧乃は、
曽良が俳句を詠んだのだと気付くとそう言った。
「その句、何と詠まれたのですか?
差し支えなければ私にも見せていただけないでしょうか」
「……俺は芭蕉と違って、俳句を作ることには長けていないが……こんなものでよければ」
曽良は、霧乃に今書いた紙を広げて渡した。
『卯の花に 兼房みゆる 白毛かな』
「目の前に咲いている卯の花を見ていると、
白髪の頭で最期まで戦い抜いた兼房が重なって見える、ということを詠んだ句だ。
……芭蕉ならば、もっと趣のある言葉で表現できるだろうけれど」
曽良がそう話すと、霧乃は持っている紙を震わせながら顔を上げた。
「——凄いです……!
私の今の話を聞いて、即座に目の前の景色と関連付けた句を作れるなんて!
それに、兼房への思い入れを感じられる作品で、私も何だか嬉しくなりました。
……とにかく、素敵な句です!」
霧乃がそう絶賛すると、曽良は少し照れた様子で「ありがとう」と告げた。
「——ではそろそろ、宿の主人が話したという
人手を求めている店を探しに行くか」
「っ!はい、そうですね。
のんびりと道草を食ってしまってすみませんでした」
普段、忍として以外のことで褒められ慣れていない曽良は
どこかくすぐったい気持ちになり、
その浮ついた気持ちを落ち着けるつもりで
俳句のお披露目は早々に切り上げ、
霧乃を雇ってくれるかもしれない店へと急いだ。
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