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第15話:夏草や兵どもが夢の跡①
「この地はかつて、奥州藤原氏が栄華を極めた場所だったんですよ」
——仙台を北上し、平泉まで辿り着いた芭蕉と桃雪。
ここまでの道中で曽良に出会う事はなく、
ひたすら北に進んでここまでやってきたものの
これ以上北に進むか、それともこの辺りで軌道修正をして
別の地を探してみるかをそろそろ決断しなければと考えていた。
少しでも曽良に追いつくため、ここまでほとんど休みなく進んできた二人は
さすがに疲労が祟り、茶屋が多く建ち並ぶ高館で休憩を取ることにした。
「この辺りは茶屋も食事処も沢山ありますね!」
運ばれてきたお茶を啜りながら、芭蕉が言った。
「この辺りには歴史的な建造物もありますし、
源義経が好きな者は必ず訪れたいと思う場所ですからね」
「源義経——ああ!
確かここが、義経終焉の地でしたか」
芭蕉は、歴史の書物を読み込んでいた知識で
桃雪の話がすぐにピンときた。
「そうです。奥州藤原氏が三代目まで栄華を極め、四代目に移り変わった後にあっけなく散った地でもあります」
桃雪が言うと、芭蕉は過去に得た知識を思い出しながら話した。
「ええと……三代というのは藤原清衡、基衡、そして秀衡ですよね。
四代目の泰衡の時、源頼朝の兵に攻め込まれ
義経ともども滅ぼされてしまったという——」
「そうです、そうです!
さすが子ども達に学問を教えてらした先生、お詳しいですね」
「いやいや……。僕も、書物でそう読んだだけなので
実際に平泉を訪れたのは初めてです。
でも、ここを繁栄させようと、かつての人々が奮闘したのだろうと思うと胸が熱くなりますね」
すると桃雪は、茶を飲み干してこう言った。
「……何か良い句は浮かびましたか?」
「……ええと……」
芭蕉は、胸をドキリとさせた。
曽良と別れてからここに至るまで、一つも句を詠めなかった芭蕉。
曽良の旅をカモフラージュするためという
出発当初の目的が機能していない現在
そもそも無理に詠む必要は無かった。
だが、江戸を経つ前にも旅をして句を作ったり
俳句を作る楽しさにそれ以前から目覚めていた芭蕉にとって、
俳句とは詠む必要があるかどうかで作るものではなかった。
曽良と離れてからの自分が心ここに在らずで、
どんなに綺麗な景色を目にしても響かなかったのである。
「ここは美しい田園風景が広がっていますし、
壮絶で儚い歴史の跡を感じさせてくれる場所でもあります。
きっと芭蕉殿ならば、黒羽でもいくつも句を作っていたように
この景色を文字にしたためられるかと思うのですが」
桃雪が、自分に元気を出させようとそう言ってくれていることには気付いている。
曽良とこのまま出会えなくても、
芭蕉が希望を持って旅をできるよう
桃雪なりに精一杯提案してくれているのだろう。
そんな桃雪の気遣いは感じていたため申し訳なくも思ったが、
それでも、これほどまで俳句を詠むのに適した地に立っていても
頭の中に浮かんでくるのは曽良ばかりだった。
「……もう少しこの景色を眺めていたら、あるいは何か浮かんでくるかもしれません。
でも……あまりゆっくりしていると、曽良に追いつけなくなりそうなので……」
「確かに、それもそうですね。
じゃあ、このまま平泉を出て更に北を目指してみますか」
「はい」
二人は立ち上がると、連れ立って茶屋を出ようとした。
——すると、茶屋の奥から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……もしかして芭蕉殿ですか?!」
「——え?」
芭蕉が振り返ると、そこにはなんと霧乃が立っていた。
「霧乃殿?!」
芭蕉が驚いて駆け寄ると、霧乃も気持ちの昂った様子でこちらに近づいて来た。
「その節はありがとうございました!!」
霧乃は芭蕉と対面するなり深く頭を下げた。
「私をあの場所から連れ出してくださったこと……。
まさか本当に助けてくださるとは思っていなかったので、とても感謝しています」
「霧乃殿!無事仙台を出られたようで良かったです!
霧乃殿とここで再会できるなんて嬉しいです」
芭蕉は心から喜びの気持ちを伝えつつ、ちらちらと霧乃の周辺に視線を向けた。
「あ……」
霧乃は、芭蕉の視線にすぐに気づいた様子で口を開いた。
「曽良殿を探してらっしゃるのですね……?」
「!——はい。霧乃殿は、曽良と一緒にここまで来たわけでは無かったでしょうか?」
「それが……」
霧乃は戸惑いの表情を浮かべた。
「私は一昨日から、この茶屋で住み込みで働かせて頂けることとなりました。
私が曽良殿と一緒に旅をするのは、私が仕事を見つけるまでの約束でしたので
ここでの仕事が決まった後、曽良殿は次の目的地へと向かわれました。
……だから、曽良殿は一昨日この地を経ってしまいまして……」
「一昨日!」
芭蕉と、後ろで見守っていた桃雪が声を上げた。
「ここを出たのが一昨日ならば、頑張れば追いつけるかもしれませんね」
桃雪が言うと、芭蕉も希望の色を目に宿して頷いた。
「霧乃殿。曽良が向かった次の目的地というのがどこかは聞いていますか?」
「……羽州の方でやるべきことがある、と仰っていました。
ですからここよりも西の方面……ではないでしょうか」
「羽州……」
「なるほど、我々が向かうべきは北では無かったようですね」
「はい。それじゃあすぐに西へ行ってみましょう」
芭蕉と桃雪が話していると、霧乃が遠慮がちにこう口にした。
「あの——差し出がましいことを言ってしまいますが、この辺りは夜になると野犬が多く出るそうなのです。
もう日も落ち始めていますし、夜道を歩くのは危険かと」
すると桃雪も、はっとしたように腕を組んだ。
「……しかも、西へ抜けるには山を越えなければなりませんね。
野犬のことも心配ですし、夜に山を登るのも危険だ」
「この辺りには宿も多いので、よければここで一泊してから曽良殿を追いかけるのはいかがでしょう?」
再び霧乃が言うと、芭蕉は
早く曽良に追いつきたいという気持ちを抱きつつも
いざ野犬に襲われたり、山道で迷った時に
桃雪に迷惑をかけるのは自分だろうと考えたため
大人しく彼らの提案に従うことにした。
「それじゃあ、今夜は近くで宿を探します。
——霧乃殿」
芭蕉は改めて霧乃と向き合うと、
「身体に気をつけて」
と言って微笑んだ。
「この御恩は決して忘れません。
芭蕉殿も……それから隣にいらっしゃる御方も、
どうか無事で旅を進めてくださいね」
霧乃がにこりと笑みを浮かべると、
遊郭にいた頃よりも柔らかくなった表情に安堵した芭蕉は
霧乃と別れを告げて茶屋を出ようとした。
「——あっ!!」
するとその時、霧乃がハッとしたように声を上げて芭蕉を呼び止めた。
「お待ちください!
お渡ししたいものがあるのでした」
霧乃は慌てて芭蕉に駆け寄ると、
少し待っていて欲しいと言い、一度間借りしている自分の部屋へと入って行った。
そして間も無くして戻ってくると、
霧乃は芭蕉に一枚の紙を差し出した。
「これ……、芭蕉殿がお持ちになられた方が良いかと思いまして——」
「これは……?」
芭蕉が不思議そうに紙を受け取ると、霧乃はこう告げた。
「曽良殿がこの地で詠んだ俳句です」
「!!……曽良が……?」
芭蕉は目を丸めると、紙を広げてみせた。
『卯の花に兼房みゆる白毛かな』
「曽良……ここで俳句を作ったんだ……」
芭蕉が紙の文字をじっと見つめたまま小さく震えていると、
霧乃は曽良が兼房の伝説を聞いた後でこの句を詠んだ経緯を話して聞かせた。
「——主君の義経が自刃した後も、
最期まで戦い抜いた老臣……」
霧乃の話を聞いた芭蕉は、曽良がどのような気持ちでこれを詠んだのか思いを巡らせた。
曽良は、江戸から遠く離れた見張りもない地で
自分を殺そうとした組頭や御上の命令に忠実に従い
今でも倒幕派志士を抹殺するために戦っている。
そんな自分の境遇と、兼房を重ねていたのではないだろうか。
けれども、兼房は最期は敵を道連れに死んでしまった。
曽良には、そんな最期は迎えて欲しくない。
「……この句を詠んだ時、私がとても良い句だと告げると
この紙をそのまま私にくださいました。
『自分は詠んだことに満足しているから、手元に書き残しておく必要はない』と」
霧乃は、黙って句を見つめる芭蕉に言った。
「でも、私が頂くより、ご友人であり同じく俳句を嗜む芭蕉殿が持っていた方が良いのではと思いまして」
「……ありがとうございます」
芭蕉は霧乃の好意を素直に受け取り、曽良の句を大事にしまった。
こうして霧乃と別れた後、芭蕉と桃雪は宿を探して回った。
満室のところも多かったが、結局、霧乃の働く茶屋の目と鼻の先にあった小さな宿に一室空きがあった為、二人はそこで夜を明かすことにした。
「……先ほどは、初対面の私が口を挟むのは無粋かと黙っておりましたが……
あの女人が、仙台の遊郭で勤めていたという……?」
寝る支度を済ませ、布団に入った後
桃雪が芭蕉に尋ねた。
「そうです。僕が曽良に、霧乃殿を外の世界に連れ出して欲しいとお願いしていたんです。
……無事仙台を出られて、仕事も決まったようでほっとしました」
芭蕉が答えると、桃雪はこう言った。
「遊郭……。私も藩の者達との付き合いで何度か足を踏み入れたことがありますが、
そこで働く女人は華やかである一方でどこか憂いも帯びていて、
なんだか胸が締め付けられる思いがしたのを覚えています」
「桃雪殿も、遊郭に行ったことがあるのですね」
芭蕉が言うと、桃雪は「あくまで付き合いですよ」と苦笑いを浮かべながら念押しした。
「言ったでしょう?
私は出世のために不本意なことも積極的にしてきた男です。
重臣に誘われれば遊郭遊びもお供しましたし、
主君の命令であなた達を殺そうとさえした。
……話が逸れてしまいましたが——
私は遊郭の女人達と対面した時、
まだ子どもとも言えるような娘でさえ
身体を売らなければ生きていけないこの国の在り方に憤りました。
……そんなことを言っても、私が彼女達をお金で買ったことは事実ですから、
私が世の不条理を嘆く権利などありません。
本当に訴えたいのは彼女達の方でしょうけれども」
桃雪が言うと、芭蕉はしゅんと眉を下げた。
「……僕はたまたま霧乃殿と知り合い、霧乃殿を助けてあげたいという一心で行動しましたが……
霧乃殿と同じような境遇で、不本意な気持ちで働く遊郭の女人はきっと日本中に多くいるのでしょう。
僕の力では彼女たち皆を助けてあげることはできない。
自分の非力さが情けない——」
「でも、あなたは一人を救うことができた。
それは大きなことです」
桃雪は励ますように言った。
「霧乃殿はとても穏やかな表情を見せていたではありませんか。
きっと芭蕉殿に救ってもらったことで、今は穏やかに暮らせているのですよ」
「そう、だと良いのですが……」
「ああ、そうだ」
桃雪は思い付いたようにこう提案した。
「明日、平泉を発つ前にも、もう一度霧乃殿の働く茶屋に立ち寄るのはどうです?」
芭蕉は、内心では少しでも曽良に追いつきたい気持ちだったが、
先ほどから桃雪が積極的に霧乃を話題に出すことや
また同じ茶屋に立ち寄ろうと提案している様子から、
彼の方が霧乃に会いたがっているように思えた。
桃雪殿が霧乃殿の茶屋に行きたいのであれば、否定することもないだろう。
これからの道中でも疲れたら茶屋に立ち寄ることはあるだろうし、
今ここを出ることだけを焦ったって仕方がない。
そう考えた芭蕉は
「それじゃあ明日の朝、茶屋に寄って行きましょう」
と桃雪に返し、そのまま眠りについた。
——その深夜、ぐっすりと眠り込んでいた芭蕉は
ゆさゆさと揺り起こされて目を覚ました。
「ん……?まだ夜なのに、どうしたんです……?」
自分を起こしたのが桃雪だと気づいた芭蕉は、
出発するにはあまりに早いことに疑問を抱いた。
すると桃雪は、声を落としながらこう告げた。
「——外から、何やら怪しげな声が聞こえてきています」
「……声?」
芭蕉が眠い目を擦りながら起き上がると
僅かにだが、宿の外から女性の悲鳴のようなものが聞こえてくるような気がした。
「確かに……聞こえるような」
「もしかしたら、霧乃殿が言っていたように
この辺りに出るという野犬に襲われている人がいるのかもしれません」
「えっ!それは大変だ」
芭蕉は立ち上がると、寝巻きのまま桃雪と一緒に宿の外に出てみた。
しかし、辺りには野犬の姿は一頭も見当たらなければ人の姿も無かった。
日中は観光客で溢れていた大通りも、今は誰一人として歩いている気配がない。
だが、確かにどこからか女性の声が聞こえてきていた。
「……もうお許しください……」
「タダで住む場所と飯を与えてやっているんだぞ。
茶を客に運ぶくらいで働いたつもりにでもなっていたのか?」
「ですが——」
「口答えをするな!」
「きゃあっ!?」
どさり、と何か重いものが倒れるような音が響く。
「遊郭でしか働いたことのない、世間を知らない娘には躾が必要だな。
世の中そう甘くは生きていけないことを私が教えてやろう」
「やめてください!——いやあぁ!!」
「何をしているんだ!?」
女——霧乃が悲鳴を上げたその時、
部屋の戸を蹴破る音が響き、血相を変えた桃雪と芭蕉が飛び込んできた。
すると二人は、部屋の中で着物を剥がされ
手足を縛られて痛めつけられている霧乃の姿を見つけた。
その隣には、昼間茶屋で見かけた店の主人が立っていた。
「これは……」
芭蕉が顔を真っ青にして固まっていると、
桃雪が咄嗟に自分の羽織を脱いで
裸で拘束されている霧乃の身体にかけてやった。
「お前達!人の家に勝手に、それも戸を蹴破って入ってくるなど何を考えている!?」
茶屋の主人が叫ぶと、霧乃に寄り添っていた桃雪が
「何を考えている、とはこちらが問いたい!」
と言い返した。
「店員の娘にこのようなことをして、あなたは恥ずかしくないのですか?!」
「恥ずかしいなどあるものか」
主人は開き直った様子でこう言った。
「その女がここで働きたいと言ってきた時
勤めの経験はあるかと問うと、遊郭で働いていたと申した。
穢れた場所で男に股を開いて飯を食ってきたような女を雇ってやっただけでも感謝して欲しいものだが、
どうせならばそこで培った技を私にも見せるよう申したら『そのようなことはしたくない』だと。
——誰のおかげで住む場所を得たと思っている?!
お金を貰わなければ抱かれたくないとは、さすが遊女だった娘だ」
「……お金が欲しい訳じゃ……ない」
すると、霧乃は震える声で静かに言った。
「私は唯……自由に生きたかっただけなんです……」
「だから、低俗な女が自由に生きたいなどとのたまうこと自体が勘違いも甚だしいと言っているのだ!」
主人は片足でドンと床を踏み締め、霧乃はその威嚇にビクッと身体を震わせた。
「お前のような生意気な勘違い娘を調教するのも雇い主の勤めだ。
——さあ、分かったらお前達はここを出ていけ!」
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