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第17話:五月雨の降り残してや光堂①
——高館では、栄枯衰退の果てに
夏草の茂る風景を目にして来た芭蕉だったが、
一方で古からの姿形を留めるものも平泉にはあった。
源頼朝によって滅ぼされた奥州藤原氏だが、
初代清衡と二代目の基衡は仏教への帰依に厚かったため、
最盛期に多くの寺をこの地に建立した。
中でも、古くに円仁が開いたという中尊寺を
清衡は二十年もの歳月をかけて復興させており、
ここは奥州藤原氏が散った後も変わらず残された。
特に中尊寺の光堂と経堂は豪華絢爛なことで日本中に名を馳せ、
それから時が流れた現在でも多くの観光客が一目見ようと訪れている。
「最近、雨が多くて困るよ」
高館を出た翌日、その中尊寺近くの食事処で芭蕉が蕎麦を食べていると、
相席した旅人が話しかけて来た。
「蓑を羽織っていても、強い雨が降れば着物は濡れるし
道もぬかるんで進みが遅くなっちまう。
あんたも旅人なんだろう?
全く、嫌になっちまうよな」
「はは……。農家の方々にとっては恵みの雨なので、雨も悪いことばかりではないのでしょうけど」
「農家にとってはな!
俺たちのような旅する者としては極力晴れていて欲しいもんだ。
——ところであんたもここへ来たのは中尊寺目当てかい?」
相席の旅人に尋ねられた芭蕉は、首を横に振った。
「あいにく、これから羽州へ向かうところです。
中尊寺の光堂が素晴らしいということは耳にしていますが、
先を急ぐ旅でもあるので……」
「へえ。あんた、どこから来たんだ?」
「江戸からですけど……」
「そんなに遠くからか?!
なら、中尊寺を見ずに行くのは一生の後悔が残るってもんだぜ!」
旅人は、芭蕉が中尊寺をスルーして平泉を去ろうとしていることを全力で嘆いた。
「俺は朝見て来たんだけどよ、あれほどまで見事なお堂を見たことがねえ!
江戸からここまで旅してくるのは、人生の中で二度目があるかもわからんだろ。
悪いことは言わないから、絶対一目見た方が良いぞ!」
「そ、そんなに素晴らしい場所なら……
ちょっと立ち寄ってみようかな……」
旅人の強い勧めに圧倒された芭蕉は、
少しだけ中尊寺に立ち寄り、その後はなるべく急ぎ足で羽州へ向かおうと考えた。
今日のうちに山を越えて出羽国へ入りたかったけれど、
急ぎ足で見て回れば陽が沈む前に山越えできるだろう。
そう楽観視していた芭蕉だったが、それは大きな誤算だった。
いざ中尊寺に辿り着くと、そこは小高い山全体が寺の敷地となっており、
各所に点在してお堂が建っていた。
本堂、義経堂、弁慶堂、薬師堂、不動堂に阿弥陀堂……
興味を惹かれる建物ばかりが建ち並んでおり、
そしてその中のどこに噂の光堂があるのかを
なかなか見つけることが出来なかった。
おかしいなあ。
光堂は金色に輝く豪華絢爛なお堂だと聞いていたのに。
山の中を暫く歩いて来たけれど、
一向にそれらしきお堂を見つけられないぞ……?
夢中でお目当てのものを探すうち、あっという間に日は傾いていった。
そうこうするうちに、次第に雲行きが変わり
ポツポツと雨が降り始めてしまった。
「弱ったなぁ……」
蕎麦処で出会った旅の人が言った通り、ここ数日は本当に天気の移り変わりが激しい。
すっかり陽が暮れ始めたのに加えて雨にまで降られたら、
僕の体力じゃ山越えなんて出来そうもない……。
悩んだ芭蕉は、とりあえず天気が好転することを願って雨宿りをしていくことにした。
適当に近くにあった木造の建物の中に足を踏み入れる芭蕉。
他のお堂と比べて薄い木の板で組まれたような壁と茅葺き屋根の建物だったため、
観光客のための休憩所だと思いながら扉をあけた芭蕉だったが、
中を見た瞬間にあっと息を呑んだ。
四方を木の板と茅で囲われた建物の中に、もう一つの建物——金色に輝くお堂が建っていたのだ。
「もしかして、これが光堂……?」
柱や内装には金箔や瑠璃が設られ眩しい輝きを放ち、
建物の中央には阿弥陀如来、観音、菩薩の像がそれぞれ安置されていた。
あまりに豪華な様に芭蕉が息を呑んでいると、
先にここを見学していた観光客が声をかけて来た。
「やあ、それにしても見事なもんだね。
これだけの装飾が奥州藤原氏の頃から残っているのも
この鞘堂のお陰なんだろうねえ」
「鞘堂?」
芭蕉が聞き慣れない響きを聞き返すと、観光客はこう説明した。
「元々建っていたこの光堂を、木の板や茅の屋根で囲って雨風を凌げるようにしたのさ。
刀を仕舞う鞘のように、この光堂も包み込まれて守られている。
だから光堂を囲う外側の部分を鞘堂と言うのさ。
そして鞘堂のおかげで今尚金の輝きを失っていない光堂は、金色堂とも呼ばれているんだ」
「金色堂……。確かに、見事な金の輝きです」
芭蕉は暫く、その輝きに見惚れていた。
外は雨風が吹き荒れ始めたけれど、
鞘堂のお陰でこの光堂は雨風に濡れることなく美しさを保ち続けてきたんだな。
まるで雨がこの部分だけを避けて降っていたみたいだ。
芭蕉は思わず筆を取ると、紙に俳句をしたため始めた。
『五月雨の降り残してや光堂』
高館では奥州藤原氏の時代から変わり果てた草原を目にしたけれど、
ずっと変わらない姿を保ち続けている場所もあるんだなあ。
藤原氏がきっと、ずっと残したいと思っていたものが残り続けていること、
良かったねと声をかけてあげたい——
「……って」
他の観光客の姿も見えなくなった頃
芭蕉が光堂から出ると、辺りはすっかり陽が沈んでしまっていた。
そんな……どうしよう。
少しでも早く曽良に追いつきたかったのに。
ちょっとだけ中尊寺に立ち寄るつもりが、
陽が暮れるまで居座ってしまうなんて!
どうして僕はこう、計画性が無いんだろう。
おまけに、雨の強さもさっきより増している。
今からここを出て宿を探すとなると、雨に打たれて身体を壊してしまいそうだ……
幼い頃からとにかく身体が弱かった芭蕉は、
長い時間雨に打たれて熱を出すことを恐れた。
「ここは迂直の計、かなあ」
急がば回れ——無理をして先を急ぐより
雨が弱まるまでは光堂に居続けようと考えた芭蕉は
諦めて堂内に腰を下ろした。
陽が完全に落ち切ると、灯りの着いていない堂内は真っ暗になった。
観光客も自分以外におらず、まして重要な木造の堂内。
人の目が行き届かない場所で火の明かりを灯すのはあまりに危険で無意味であるため
この場所に明かりがないのは仕方のないことだった。
とはいえ、暗闇の中では光堂の様子もうっすらとしか見えず
それを眺めて時間を潰すこともできない。
「……はぁ……」
芭蕉はいつまでも止まない雨に、もはやここで一晩を過ごすしかないかもしれないという半ば諦めの気持ちで
ごろりと堂内の床に横たわった。
明日こそ、朝早くから山を越えよう。
雨が降っていたとしても、日のあるうちならば行動できる。
お腹が空いてきたけれど、眠って忘れてしまおう——
芭蕉は無理やり目を瞑り、暫くぼうっと過ごした。
——どのくらいの時が流れただろうか。
固い床と、外から時折聞こえてくる雷の音で
なかなか深く寝付けずにいた芭蕉。
ぼんやりと目を半開きにしながら時が流れるのを待っていると、
雨音に混じった人の足音のようなものが聞こえてくるのを察知した。
——こんな時間に中尊寺の敷地を歩いているのは、ここの僧だろうか。
泊まり込むつもりはなかったけれど、
僕のように寺に居着いている者がいないか見回っているのかもしれない。
ど、どうしよう。
いますぐここを出て行け、と追い出されたら——
宿も取っていない、雨宿りが出来る場所も近くで他に見かけなかった芭蕉は
僧に見つかって締め出されることを恐れた。
ひとまず身体を起こし、光堂の隅で小さくなって座っていると、
足音は段々とこちらへ近づいてきた。
そして、ガラリ——と鞘堂の扉が開く音がした。
……見つかりませんように。
芭蕉はぎゅっと目を瞑り、息を殺した。
足音は、そのままヒタヒタと中へ入って来ると
トサッとその場に座り込む音が聞こえて来た。
——あれ?
辺りを見回っている僧かと思ったけれど、違うのかな?
もしかして、僕と同じように雨宿りできる場所を探していた人?
芭蕉は瞼を開けて音のした方を見渡した。
そこに人が居るのは気配でわかるが、締め切られた堂内には明かりがなく、顔形までは分からない。
しかし、座っているらしいその影からは
荒く息を吐き出すような呼吸音が聞こえて来ていた。
……雨を避けるために、急いでここまで走って来たのかな?
初めはそう思った芭蕉だったが、
しばらくしても息が整う様子はなく
ずっと苦しそうに吐き出す音が漏れ出ていた。
段々と不安になってきた芭蕉だったが、
素性のわからない相手に声を掛けることが怖くて出来ず
関わるべきかどうかの瀬戸際で揺れていた。
だが、暫く苦しそうに咳き込む音がした後、
ドサリとその場に倒れ込む音が聞こえた。
「っ!大丈夫ですか——」
とうとう耐えられなくなった芭蕉は、
見知らぬ相手が居る方へ駆けて行った。
「……」
「あの、大丈夫ですか?どこか具合が悪いのですか?」
「……っ」
芭蕉は倒れた音のすぐそばまで近づいて言ったが、
そこにいる者は苦しそうに息を吐き出すばかりだった。
どうしよう。返事もできないほどに苦しいのかな。
「あの、失礼しますね……」
芭蕉は、どこの具合が悪いのだろうかと
手探りで相手の身体を探そうとした。
すると、芭蕉の手が触れた着物は
雨のせいでぐっしょりと濡れてしまっているようだった。
こんなに濡れてる!
もしかして、雨に打たれたせいで熱が出ているのかも。
芭蕉はそれからも手探りで顔の方を探すと、
断りを入れて額のあたりに手をかざした。
するとやはり熱があるらしく、芭蕉は顔を青ざめた。
こんな時、どうしたらいいんだろう。
まずは雨に濡れた衣を脱がせて、それから身体を温めてあげないと。
でも、僕の羽織もまだ雨で湿っているし……
あ。羽織は濡れているけれど、内側の着物と小袖ならば——
見知らぬ相手の前で裸になるのは憚られたが、
どうせ顔すら見えないこの闇の中で恥ずかしがっても仕方がない、
とにかく目の前の人物を助けなければと考えた芭蕉は着物を脱ぎ捨てた。
そして相手の濡れた着物もどうにか脱がせていくと、
自分の小袖を下に敷いて相手を寝かせ、
その上に自分の着物を被せてやった。
「お水は飲めますか?」
芭蕉は、自分の持っていた残り少ない水筒の蓋を開けると
相手の頭を自分の膝に乗せて高さを作り、口元に水筒を運んだ。
最初に近づいた時に、体格から女ではないと察したため
多少身体に触れても怒られはしないだろう、と考えた芭蕉は
そうして水を男に飲ませたあと、顔周りの汗も自分の持っていた手拭いで拭いていった。
「……裸の男に密着されて気持ち悪いですよね。ごめんなさい……」
芭蕉は謝りながら、その後も男の髪を拭いたり
濡れた草履を脱がせたりし、とにかく体温を逃さないよう世話を焼いた。
「陽が昇ったら、町医者を探しに行くので
今夜だけ耐えてください」
芭蕉はそう声をかけると、男の隣に座り込んだ。
少しでも近くに居て、男が暖を取れるようにと考えてのことだった。
芭蕉が介抱する間、男は一言も喋らなかった。
ただ、苦しそうに息をするだけで
とても話す元気が無いのだろう、と芭蕉は考えた。
しかし、時折呼吸が止まっているのではと思うほど静かになる瞬間があったため、
芭蕉が次に目覚めた時に隣で男が死んでいたらどうしよう——という不安に駆られた。
「……どうせ一晩だけの付き合いなので、僕の話を聞いてもらえますか」
芭蕉は、自分が眠ってしまえば男の体調が悪化した時に気づけないことを恐れ、
何も返さない相手に対して語りかけた。
「僕、人を探して旅を続けているんです」
芭蕉は、男がうるさいと感じない程度の小さな声で話していった。
「その人は僕の幼馴染で……とても頼りになって、いつも僕のことを助けてくれて……。
だから、僕も強くなってその人を助けられるような存在になりたいなと思っていた。
——でも、駄目でした。
僕はずっと身体が弱いままで、そのうえ気も弱くって
助けるどころか助けられてばっかり……。
その人の力になりたくて一緒に始めた旅も途中でやめてしまって——
後になって、自分の決断を後悔しました。
僕はなんて不義理なことをしたんだろうって。
……それで今は、会って謝りたくてその人を追いかけているところです」
芭蕉は男に話しかけながら、頭の中で曽良を思い浮かべていた。
「僕は家族の愛情を知らずに育ちました。
誰かを愛したことも、愛されたことも、
これまでの人生で無かった。
だけどその人のことは大切で護りたい、って強く思うんです。
……これが友情というものなのかな。
僕は他に友人がいないので、よく分からないですけど……。
とにかく、その人のことを考えると頭がいっぱいになって、胸が苦しくなって、心が乱されるんです。
こういう気持ちを言葉に表すにはどうしたらいいんだろうなぁ……」
芭蕉は話しながらも、段々と眠気が襲ってくるのを感じた。
「……ふぁ……。
どうしよう、このままじゃ寝てしまいそうだ……。
——ええと、すみません。
こんな見知らぬ男の身の上話を聞かされても何も楽しくないですよね。
でも、喋っていないと眠ってしまいそうなので、今夜だけは僕の話に付き合ってくださいね」
芭蕉はそれからも、曽良との思い出を語り続けた。
曽良が忍だということは見知らぬ相手には明かせなかったが、
曽良がいかに優しくて周囲に慕われてきたか、
自分にどんな言葉をかけてきてくれたかを
事細かに話していった。
「彼には主君や死に別れた妻殿、故郷の仲間達——大切な存在が沢山いて、僕はその中の一人に過ぎない。
けれど僕にとっては、彼だけが特別な存在です。
曽良は……僕の大切な——」
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