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第20話:蚕飼ひする人は古代の姿かな

「それにしても助かりました」 夕食をご馳走になった後、芭蕉が清風に礼を言った。 「近頃は暑くなってきたので、屋根の下で休ませてもらえて本当に感謝しています。 雨に降られると凍えてしまいますが、 雨が降らなければ暑さと虫にやられてしまう——どちらにしても、夏の外は過酷です」 「こちらの地方は江戸や京に比べれば涼しい方かとは思いますが、 この季節に野宿するのは大変でしょう。 ここで好きなだけ滞在してねまると良いですよ」 「ねまる?」 清風の言葉に芭蕉が首を傾げると、 「ねまるとは、こちらの地方で『くつろぐ』という意味ですよ」 と清風が教えてくれた。 「なるほど……尾花沢ではそう言うのですね!」 芭蕉が感心すると、 「お二人は生まれも育ちも江戸ですか?」 と清風が尋ねてきた。 「ええ、俺たちはずっと江戸——」 「生まれ育ちは伊賀の国です!」 曽良が答えようとしたのと同時に、芭蕉が元気よく答えた。 「……」 隣から、呆れたような小さな溜息が聞こえてきた芭蕉は ゆきずりの相手にうっかり出身地を話してしまったことに気付き口元を塞いだが、遅かった。 「おお!伊賀ですか!? 伊賀といえば——」 清風は目を見開き、興味深げに言った。 伊賀といえば忍の里があることは 戦国の世だった頃から有名な話であったため、 庶民でも伊賀といえば忍と連想する者も少なくはなかった。 芭蕉は額に手を当てて項垂れたものの、 清風は予想外のことを口にした。 「伊賀と言えば、紅花の産地……!」 「えっ。そうなんですか?」 「私は紅花問屋として紅花を多く栽培していますが、 元々は伊賀での栽培方法を真似てこの地でも普及させた経緯があります。 なので、伊賀には何度か足を運んだことがあるのですよ」 「へえ……! 伊賀を訪れたことがあるのですね。 紅花の産地だなんて、僕知らなかったなあ……」 「——紅花と言うと、女人の化粧に使われる紅の元ですよね?」 あまり伊賀のことに踏み込んで欲しくなかった曽良が話題を逸らすと、清風は 「おお、ご存知でしたか」 と言って頷いた。 「左様、唇にさす紅はこの花が原料となっています。 が、私はそれ以外にも紅花を元にした様々なものを売っていましてね。 例えば食用にもなる花なので、紅花茶や紅花油なども売っています。 中でも私が一番に売り出しているのはこれです——」 清風はそう言うと立ち上がり、部屋の襖を開けて隣の部屋を二人に見せた。 「……!これは……?」 芭蕉は、部屋の中にいくつもある白い玉のようなものを見て目を瞬かせた。 「これは蚕の繭です」 「カイコ?」 「蚕は蛾の一種なのですが、この虫の作る生繭は生糸の元となるのです。 私はこの蚕から生糸を取り、それを機織り機で布にしたものを大量に作っています。 そして布には、紅花を染料とした色を乗せ、江戸や京へ出荷しているわけです」 「……つまり、紅花染めの布を売っているんですね!」 芭蕉が言うと、清風は紅花で染めた布から作られた着物をいくつか広げて見せた。 「これらはすべて、私が管理する畑で採れた紅花と 私が育てている蚕の繭から作られた布で仕立てた着物です。 手間は掛かりますが、原材料は他所から調達せず、なるべく安価で売れるよう心掛けています」 「うわぁ……!」 芭蕉は、華やかな色合いの着物を見て目を輝かせた。 「これが全部、同じ花で染められたものだなんて信じられない! こっちは可憐な黄色い着物、これは鮮やかな蜜柑色で、そっちにあるのは艶のある朱色——」 「紅花の中にもいくつかの種類の色素があるので、 うまく抽出して色を使い分けることもできるんですよ」 「へえ……!どれも素敵だなあ……」 いいなあ。 こんな綺麗な着物を身に纏ったら、心が躍るだろうな。 「僕は男だからこんなに華やかな色は似合わないけれど、 これを贈られた人はきっと幸せな気持ちになりますね」 芭蕉が言うと、隣でしげしげと着物を見ていた曽良がぽつりと呟いた。 「芭蕉も、こういう明るい色は似合うと思うけどな」 「え!?……そ、そうかなぁ……?」 芭蕉が照れた様子で微笑むと、清風はにこやかな笑みを浮かべて言った。 「お二人は本当に仲がよろしいのですねぇ。 まるで兄と弟のように仲睦まじく見える」 「え……」 芭蕉は、清風の言葉にズキリと胸が痛んだ。 そっかぁ……。 他の人から見たら、僕達って仲の良い兄弟のように見えるのか。 もちろん顔は似ていないけど、家族のような雰囲気が滲み出ているのかもしれない。 外から見た僕達って、そういう感じなんだなあ…… 「——そうだ!」 その時、清風はパンと手を合わせて言った。 「明日、日が出たら私の管理する紅花畑をお見せしますよ! 伊賀でも目にしたことがあるかもしれませんが、 私が天塩にかけて育てた花達をぜひ見てもらいたい!」 芭蕉がちらりと曽良を見ると、曽良が答えた。 「ええ。急ぐ旅ではないので、ぜひそうさせて頂けたら」 ——その晩、近くの部屋で清風が寝ているため あまり大きな声は出さないようにしながらも芭蕉は曽良に尋ねた。 「さっき、急ぐ旅ではないと言っていたけれど……ゆっくりしていって大丈夫そう?」 「この旅に期限がある訳ではないから、焦ることはない。 ただ、旅の目的を果たすまでは終わらせることができないけど」 「僕はいくらかかっても構わないよ。 ——それで、出羽にはどんな用事があるの?」 芭蕉が尋ねると、曽良は清風が寝息を立てていることを確認してからひっそりと話した。 「この辺りの藩は皆、伊達綱村との結びつきが強い。 莉津が調べていた情報でも、定期的に奥羽合同の交流会を開き、 そこで倒幕に向けての話し合いを密かに進めていたと聞いている。 ——そしてその会には、ここ山形藩の藩主も参加していたという」 「じゃあ……曽良が狙っているのは、その山形藩主?」 「そう。だけど綱村の暗殺に失敗した今、 刺客が現れたことは他の藩主達の耳にも入っている頃だろう。 仙台藩と違って黒脛巾組のような厄介な存在は居ないかもしれないが、 藩主を確実に狙える時を見計らうのが重要だ」 曽良は続けてこう言った。 「俺はまた城下で情報を収集したいと思っている。 こちらには莉津のような仲間が潜伏している訳ではないから、 藩主の行動を探るのにも時間がかかるかもしれない。 ——だから芭蕉は明日、清風殿と紅花畑を見に行ったらゆっくり休んでいて。 俺は日中は別行動で城下を回ってくるから」 ——翌日の朝早く、曽良は芭蕉に話した通り 城下の方へと一人調査に出て行った。 芭蕉ははじめ、自分が一緒では潜入調査の足手まといになるから別行動にしたのではと不安になったが、 山越えをしたためか足腰が酷く痛んでいた芭蕉は 曽良が自分の体調を気遣ってくれたのだろうと考え直した。 「おや、曽良殿はまだお休みですか?」 芭蕉が客間に顔を出すと、朝餉の支度をしていた清風が尋ねてきた。 「曽良は、この辺りに住む知人と会う約束をしていたので 朝早くから出て行ったところなんです」 芭蕉がそう答えると、清風は 「なんと、そうでしたか」 と言って頷いた。 「では朝餉を取ったら芭蕉殿を紅花畑にご案内しますね」 「はい!——あっ、支度を手伝います!」 「いえいえ、芭蕉殿は大事な客人なので休んでいてください」 清風にそう言われた芭蕉は、少し申し訳なく思いながらも客間に座ると、 清風が朝餉を運んでくるのを待った。 この旅に出てから、色々な人にお世話になっているけれど、 僕は気の利いたことが何も出来ないな……。 一度遠慮されたからといって、それを押し切って手伝うことも出来ただろうに。 きっと、僕なんかが手伝ったところで 返って導線の邪魔になったり、思うように味付けができなかったりで 手間を増やしてしまうんじゃないかと卑屈になっているせいだ。 どうせ僕なんか—— そんな風に自分を卑下してしまうのは、 伊賀の里にいた頃から変わっていない。 せっかく里を抜け出して新しい人生を歩んでいるはずなのに、 あの頃の僕を知っているのは曽良だけなのに、 みちのくで出会った人達に対しても 卑屈に接してしまう自分が悲しくなる。 ——そんな風に落ち込んでいた芭蕉だったが、 その後清風が運んできた豪勢な朝食を前にすると、悩みはあっという間に吹っ飛んだ。 「わあ!美味しそうな魚!」 「それは最上川で釣れた鮎の塩焼きです」 「鮎!僕、食べたことがないので楽しみです! こっちの漬物も美味しそう」 「そちらは沢庵漬けと言って、昔この辺りに流されてきた沢庵という僧侶が考案したと伝わる大根の漬物です」 「へえ……!ん?この赤い汁は何ですか?」 「ああ、それは昨日話していた紅花茶ですよ! 食事のお供にどうぞ」 「これが紅花茶ですか!色も綺麗だし、香りも華やかですね。 ——では頂きます!」 朝から豪華で美味な食事に舌鼓を打った芭蕉は 先程までの沈んだ気持ちをいつのまにか吹き飛ばしていた。 その後芭蕉は、清風と一緒に紅花畑がある場所までゆったり歩いて行った。 「この辺りは奥羽の山を越える人達のための宿場町でもあるので 田舎ですが初めて見る顔も多く、いつも新鮮な気持ちになります」 途中で何人かの旅人らしき者とすれ違い、清風はにこやかにそう言った。 「此度も、芭蕉殿や曽良殿のような強くて親切な旅人に出会えた訳ですし。 本当に、お二人には返しきれない御恩を受けたと思っています」 「いえ!強くて優しいのは曽良ですよ。 山賊を撃退したのも曽良だし、僕は感謝されるようなことは何もしていないので……」 「そんなことはありません。 芭蕉殿は私の心身をとても気遣ってくださり、 私の仕事にも大層関心を傾けてくれて嬉しかったですよ。 食事も、私はよく知人に手料理を振る舞うことがあるのですが あんなに美味しそうに平らげてくださった方は見たことがない」 清風にそう言われて照れ臭くなった芭蕉は、頬を赤らめながら返した。 「清風殿が、紅花という花一つから様々な可能性を見つけて 商いを確立させていることは素晴らしいなと思いますし……。 食事も江戸では食べられないようなものばかりで、 それに清風殿の作る料理は本当に美味しかったんです。 部屋も涼しくて過ごしやすく、久しぶりにゆったりと眠ることができました。 ——だから、清風殿に出会えて良かったと思っているのは僕も同じです」 すると清風は、にっこりと笑みを浮かべた。 「……昨日、芭蕉殿からこれまでの旅で詠んだという俳句を見せて頂きましたね。 こうして芭蕉殿と話していると、あの句を作ったのはまさしく芭蕉殿だと より腑に落ちるような気がします」 「えっ?どういうことでしょう?」 「芭蕉殿は、見るもの、感じるものすべてに敏感な御方なのだろうなあと。 紅花染めを見せた時の目の輝きや、 初めて食べるという料理を堪能している時の恍惚とした表情…… 芭蕉殿の仕草を見ていると、物事への感受性が豊かな御人なのだろうと思いました。 心が豊かだからこそ、旅先で出会った景色や建造物に対して 様々なものを感じ取り、俳句にできるのだろうと」 そうなのかなあ…… 純粋に、綺麗な景色を見たら感動するし 美味しいものを食べたら幸せな気持ちになるし、 それは皆そうなのだろうと思っていたから 自分が特別感受性豊かだと考えたことはないけれど…… 芭蕉はそう思いつつも、清風に褒められることは素直に嬉しかった。 「——あ、見えてきましたよ」 話しながら歩くうちに周囲の景色は変わっていき、 清風の指差す方には黄色い花畑が見えて来た。 「わあ……!この花が、紅花なんですか?」 「そうですよ」 芭蕉は花畑を前にし、可愛らしい黄色い花達が所狭しと咲き乱れている様に心を打たれつつも、 ふと疑問に感じたことがあった。 「——昨日見たような鮮やかな朱色や蜜柑色の染料は、全部この花から作れるのですか?」 「ええ。昨日お話しした通り、抽出する色を出し分ければ朱色も蜜柑色も作れますよ」 「……!僕、てっきり紅花の中にも黄色や朱色、蜜柑色などの種類があるものだと思って聞いていました! まさか全て、元となる花の色は同じだったなんて!」 「はは。一見すると黄色い花ですが、 花弁の中には赤と黄の色素が含まれているんですよ。 紅色に染める際は、水で溶ける黄色の色素を取り除きます。 紅色の中でも、濃染にすれば朱色、薄染にすれば桃色にすることができます。 栗のイガから取れる染料を重ねれば小豆色。 黄色に染めた上から藍染を重ねて緑色にすることだってできるんですよ」 「なるほど……」 芭蕉はしゃがみ込むと、しげしげと花の様子を観察した。 確かに、よく見ると花の根元の方は赤色を帯びているようにも見える。 ここから何通りもの色に染め分けたり、 他の染料を重ねて色を作るのは簡単なことではないだろう。 芭蕉は、清風や過去に紅花染めを行なってきた者たちが 試行錯誤を重ねて美しい色を作るに至ったのだろうと、染物の歴史に思いを馳せた。 「ちなみに、女人の化粧に使われる紅も作っているのですが 紅を一つ作るのには何千本もの紅花が必要になるんですよ」 「え?!何千本……!そんなに……」 「なのであまり効率の良い商品では無いんですよね。 買ってくれるのも一部の良家の女人くらいですし…… ほとんどの人は生涯で紅をさす機会すら無いのではないでしょうか? もしくは、嫁入りなどの特別な日程度と言ったところかもしれません」 「確かに……それだけの花が使われている紅は、 それだけで特別なものという気がします」 芭蕉は紅花を眺めているうち、ふと頭の中に句が浮かんできた。 芭蕉はその場で紙と筆を取り出すと、 『眉掃を俤にして紅粉の花』 そう書き記した。 「おお、早速一句詠まれたのですね!」 清風は興味深げに紙を覗き込んできた。 「まゆはきをおもかげにして—— ふむ、芭蕉殿はこの紅花の姿形を化粧筆に見立てたわけですね」 「はい。この花の形が、化粧に使う筆のようにふわりと繊細な出立ちをしているので……。 この花が化粧の紅そのものにもなることとかけて詠んでみました」 「なるほど、それは興味深い」 清風は感心すると、 「私の育てた花を詠んで貰えるなんて光栄です」 と微笑んだ。 ——その後清風は、自宅に戻ると 昨日見せてくれた蚕の繭から、どのようにして生糸を取り出していくのかを説明していった。 「糸を取り出すために、これを湯で煮ることで、まずは繭をほぐしていきます」 そう言って清風は鍋を持ってくると、 その中に繭をポトポトと入れて行った。 「えっ!?この中には蚕がいるんですよね?」 芭蕉は驚いた顔で鍋の中を凝視した。 「サナギの蚕ごと煮たら、蚕が死んでしまうのでは……?」 「成虫して突き破って来ると、破けた繭はもう使い物にならないのです。 なので蚕は生きたまま、サナギのうちに煮て殺すことになります」 「……!」 芭蕉は、てっきり蚕が成虫になって殻になった繭を利用して生糸を使っているのだと思っていたため、 生きたまま蚕を煮るという話を聞いてショックを受けた。 「残酷だと思いますか」 芭蕉の青ざめた表情を見た清風が尋ねた。 「え……と」 芭蕉は返事に迷いつつ、こう答えた。 「でも……人の生活に衣服は必要なものですし、 さっきの紅花だって、日頃食べている肉魚野菜だって生き物には変わりない。 蚕だけがかわいそうだと思うのは、筋違いなのだろうなとは思います……」 「そうですね。 私も、心が痛まない訳ではありません。 だからこそ立派な繭を作ってくれた蚕に感謝し、 少しの糸も無駄にせずに使わせて頂くという気持ちで仕事をしています」 清風がそう言うと、芭蕉も 糸を作るためならば仕方のないことなのだろうな……と どこか納得する気持ちが生まれた。 だがその直後に、別の思いが浮かんでくる。 ——目的のためならば、人を殺すのは仕方のないこと。 御上の脅威となる倒幕派を抹殺することは、仕方のないこと。 それが御上の命令なのだから。 曽良のことが頭に浮かんだ芭蕉は、そんな考えに疑問が生じた。 御上という人間のために、他の何十、何百という人が犠牲になることは 果たして仕方のないことなのだろうか? けれど両者が衝突すれば戦になり、 徳川家康殿から続いてきた戦のない世から 戦国の世に後戻りしてしまうのではないか。 世が平和であるためには、一人の強い統治者がいて 皆がそれに追従する形が一番良いのではないだろうか。 ……その、強い統治者の政治が 民にとって良いものではなかったら、その平和に意味はあるのか? 芭蕉は、日光で生類憐れみの令を破った少年が死罪になりかけていたことや 日本各地に獰猛な野犬が溢れるようになったことをその目で見てきた。 御上の政治に身を任せ、御上に反論する者をひたすら弾圧していった先に 果たして真の平和があるのだろうか? 御上に反論できる力を持つ人々が抗議しなければ 今の政治はもっと極端な方に向かっていくのではないか。 武力行使は良くないが、反対意見すらも口にできないような世の中になってはいけない気がする。 曽良がしていることは、平和のために必要な仕事ではなく 御上の周辺だけが平和でいるために与えられた任務。 だけど……それはきっと曽良だって分かっているはずだ。 曽良も僕も、これが正しいことだなんて思ってない。 それでも曽良は忍という生き方しか選べないのだろうか。 曽良ならば僕よりももっと要領よく生きていけるだろうに。 僕が曽良を忍以外の世界へ導いてあげることができたらいいのに—— その日の夜、曽良は清風邸に戻って来た。 ちょうど清風が夕食の支度をしていたため、 曽良が揃ったところで食事を始めた。 「——というわけで、芭蕉殿はなんと この一日で三つも句を作ってくれたのですよ。 どれも私に関わりのあるものばかりで……いやあ、嬉しい限りです」 清風が言うと、曽良は 「へえ。どんな句を作ったんだ?」 と芭蕉に尋ねた。 芭蕉はほくほくとした表情で、句を記した紙を広げてみせた。 『涼しさを我が宿にしてねまる也』 『眉掃を俤にして紅粉の花』 『這出よ飼ひ屋が下の蟾の声』 「一つ目は、清風殿の家が涼しくてくつろげることを、この地方の言葉を交えて詠んだ句。 二つ目は、今日清風殿と共に紅花畑を見て回った時に 花の形が化粧筆に似ていたことから着想を得たもので—— そして三つ目は、蚕から生糸を作る作業場の軒下から ヒキガエルの鳴き声がしきりに聴こえてきていたから 下にいないでこっちにおいでよ、と呼びかける句を作ってみたんだ。 生糸ってね、慈しみながら取り出していくものなんだよ」 「慈しみながら?」 曽良が尋ねると、芭蕉はこくりと頷いた。 「うん。生糸を作るためには、蚕のサナギがまだ繭の中にいるうちに お湯で煮てほぐさなければならないんだって。 蚕の命を頂いて作る糸だからこそ、清風殿は感謝を捧げながら大切に仕立てていくんだって」 芭蕉が説明していくと、曽良は 「……芭蕉らしい、良い句だね」 と褒めてくれた。 芭蕉が照れ臭そうに微笑んでいると、清風が 「そういえば、曽良殿も俳句を詠む旅をしているのですよね?」 と曽良に話しかけて来た。 「あ……、そうですね」 「ぜひ、曽良殿の作った句も見てみたいものです!」 清風が言うと、芭蕉は慌てて曽良をフォローした。 「あっ、でも、ほら……。 曽良は今日、知人に会いに行ったり忙しくしていただろうし、 俳句を詠む暇なんて無かっただろうし——」 「そうですか……。 確かに、それもそうですね」 清風が少し残念そうに言うと、曽良は少し考えた後 芭蕉に紙と筆を貸してくれないかと頼んだ。 そしてそれらを受け取ってすぐ、紙に何かを記し始めた。 『蚕飼ひする人は古代の姿かな』 「さっきの芭蕉の説明を聞いて浮かんだ句です。 清風殿が蚕の世話をする姿は、きっと古代の人々の頃から変わらないのだろうなと。 そんな古から変わらないものに神々しさを感じる、という意味を込めて詠んでみました」 「凄い……!今の間に思いついて詠むなんて!」 芭蕉は顔をパッと輝かせて言った。 「昔からずっと変わらないもの、って素敵だよね。 今は農業も商業も日々進化しているし、政治も代替わりごとに変わっていく世の中だけど そんな中で蚕を慈しみながら育て、感謝を捧げて生糸を取る清風殿の姿は 確かに神々しく、畏れ多くも感じるね」 芭蕉が曽良の句を称賛する横で、清風は暫くの間、しげしげと句を眺めていた。 そして、突然瞼から涙を溢した。 「えっ……!清風殿、どうされたのですか?!」 芭蕉が驚いて清風に尋ねると、清風は 「ああ、すみません」 と言って手拭いを取り出し目元に当てた。 「お二人が詠んでくれた句が、あまりに素晴らしくて……。 私が自分の生涯をかけて大成させた紅花染めのことを、 こんな風に愛情溢れる句にしたためてくださったことが嬉しくて——」 清風が感謝を告げると、芭蕉と曽良は頷き合い、 それぞれが詠んだ句を清風の前に差し出した。 「この句は清風殿を思って詠んだものなので、清風殿にお渡しします」 「!……ありがとうございます。 これは私の家宝にします」 「家宝だなんて……!」 芭蕉は謙遜したが、清風が嬉しそうに俳句を眺めていたため それ以上は口にせず、芭蕉もまた笑みを浮かべた。 「——ところで、俺たちは明日の朝にここを発つことにしました」 すると曽良が、唐突にそう切り出した。 「えっ!明日?」 芭蕉が顔を上げると、曽良は頷いてみせた。 「詳しいことは後で話すけど、明日行かなければならない所ができたんだ。 すまないが、今夜のうちに荷物をまとめておいてくれ」 芭蕉は、曽良が今日一日の城下での調査で何か情報を掴んだのだろうなと悟った。 「そうですか。それは寂しい話ですが、仕方のないことですね」 清風は少し残念そうに言ったが、 「お二人の旅が健康無事に続くことを願っていますよ」 と言って微笑みかけた。 「立石寺に行く?」 ——その晩、寝室で二人になったところで 芭蕉は曽良から次の行き先を告げられた。 「ああ。昨日の偵察で、山形藩主の松平直矩は 今日その寺を拝観し、僧達との交流会を予定しているとの情報を得た」 「……もしかして、そこを狙って藩主を襲撃しようとしてる?」 芭蕉が尋ねると、曽良は「そのつもりだ」と答えた。 「城に居る時よりも警護が手薄になるだろう。 当然護衛は付けるはずだけど、伊達綱村の時のように 城中の家臣や忍を結集させるということはできない。 それに立石寺は山寺とも呼ばれ、切り立った山の上にあるという話だから 簡単に援軍を呼ぶこともできないだろう」 「なるほど……」 芭蕉は、綱村襲撃の失敗を受けて 曽良が直矩を狙いやすいタイミングを見定めていることに納得しつつ 少し不安に思うこともあった。 「でも……お寺で殺生をするのは気が引けたりしない?」 芭蕉の言葉に、曽良は首を傾げた。 「なぜ?俺が任務で人を殺すのは今に始まったことじゃないだろ」 「そうだけどさ、お寺って仏様を祀る場所でしょ? そこで殺生をするのは、なんだかバチが当たりそうだなって思っちゃって……」 「日光東照宮でも、家康様の墓の前で俺は何人も斬り捨てたけれど 今のところバチは当たってない。 いずれにしても、今回もやるのは俺だから芭蕉にバチは当たらないよ」 「曽良にバチが当たるのが嫌なんだよ!」 芭蕉が言うと、曽良は苦笑いを浮かべて言った。 「芭蕉が心配してくれるのは嬉しいけど、どのみち俺は極楽浄土には行けないよ。 そもそもあの世の存在を信じたこともないけどね」 すると芭蕉は 「確かに僕も……見えないものを信じたことはないけれど」 と戸惑いながらもこう続けた。 「でも、多くの人は仏様を信じていて、崇めて来た歴史がある。 それだけ沢山の人が信仰してきたものなのだから、 見えないから存在もしていない、とは言い切れないと思ってる」 「……とどのつまり、芭蕉は立石寺で俺が人を殺すことをよく思わない訳だな?」 「そう——だけど……。 曽良が、任務の為に適した場所だと判断したのなら……僕は反対できないよ」 曽良は、複雑な胸中にいるであろう芭蕉を見つめた。 「……芭蕉が嫌だと思うならはっきり言ってくれていいよ。 改めて機会を伺うことだってできる。 何も明日必ず仕留めなければならない訳じゃない」 すると芭蕉は首を横に振った。 「——ううん。 ごめんね、曽良の判断を邪魔するようなことを言ってしまって。 僕はただ、感じたことを口にしただけだったんだ」 「それは分かってる」 「うん……。やっぱり僕も、襲撃に失敗して曽良の身に何かあるよりは 確実に狙える時を活かすべきだと思う。 それに——僕も仏様の存在を完全に信じている訳じゃないのに、 こんな時だけバチが当たりそうだと考えるのもおかしなことだよね」 「芭蕉が何を信じていても、俺は構わないし否定するつもりもないけど」 曽良が言うと、芭蕉は俯いた。 「いや。よくよく考えれば、おかしな話だよ。 だって僕達は信仰心を抱くだとか、そんな物心つく以前から忍として育てられてきたんだから。 本当に仏様がいて、生きている僕達を守ってくれる存在ならば 危険と隣り合わせで生きなければならない人間がいること自体おかしいよ。 物心ついて信仰するかどうかを考える以前に 生まれた時からもう僕達は忍として生きることを強いられていたんだからさ」 「……俺もよくは知らないけれど、現世で徳を積むことで極楽浄土に行けるというのが仏の教えじゃないのか? 現世で修行をすることで死んでから幸せになれる、って。 だから生きている今が不公平に感じる世の中だとしても関係ない、信仰する心が大切ってことじゃなかったか?」 「そっか。死んだ後に極楽浄土へ行くために、今は仏を信じて生きよう、ということかぁ」 芭蕉が納得すると、曽良は 「まあ、本当に極楽浄土や地獄があるとしたら、俺は確実に地獄行きだろうな」 と、どこか他人事のように笑ってみせた。 「えっ。曽良は地獄に行っちゃうの?」 「そりゃ人を沢山殺して来たから」 「でもそれは任務の為だし……。 人を殺した人が地獄に行くなら、曽良にそういう仕事を押し付けた御上や組頭たちだって地獄に行くよね」 「さあ、どうだろうな。 彼らがどっちに行っても別に構わないけど……。 ——少なくとも芭蕉は極楽に行けるだろうから心配するなよ」 「そんなの嫌だよ!」 芭蕉は顔を上げ、曽良の手を握って言った。 「曽良が地獄に行くなら僕も一緒に行くよ!」 すると曽良は、 「俺は芭蕉に地獄には堕ちて欲しくないな」 と返した。 「僕達一緒に旅をしているんだよ。 それなのに死んだ後は別々の場所へ行くなんて悲しいよ」 「でも、生きているうちは一緒だ。 死後の世界があるかどうか分からないけど、 今俺たちが生きていて、一緒に旅していることは事実。 俺はそれだけでも充分だよ」 「……僕は不充分だよ……」 芭蕉は泣き出しそうな顔で再び俯いた。 「変だよね……。仏様も極楽浄土の存在も信じていないはずなのに、 死んだ後に曽良と離れ離れになるかもしれないって思うと怖いんだ。 地獄に行くことより怖いよ。 ……今だって一緒に旅しているのに、死んだ後も一緒に居たいって望むのは欲張りなのかなぁ……」 「そんなことないさ」 曽良は、芭蕉に握られた手に力を込めた。 「俺だって芭蕉とは長く一緒に居たいと思ってるよ。 けど、俺は沢山恨みも買っているだろうし いつどこで死ぬか分からない。 だから生きている今、芭蕉と旅する時間を大切にしたいってだけ」 「曽良」 芭蕉は曽良の胸元に顔を押し付けるようにしなだれかかった。 「曽良……。僕は曽良こそ極楽に行くべきだと思ってるよ。 僕は自分に与えられた役割を放棄して里を出たけれど、 曽良は里や御上に対して忠実に仕事をこなしているんだから。 曽良は一番報われるべき人間だと思ってる。 ……もし、信仰心を持って仏様に念じれば極楽に行けるというなら、僕は曽良の為に祈るよ」 「……俺は里から離れる勇気が無かっただけだよ」 曽良は芭蕉の背中に手を回して言った。 「芭蕉のように、強く生きられたら良かったんだけどな」 「曽良のほうが強く生きてると思うよ」 「はは——強いのは芭蕉だよ」 曽良は笑いながら芭蕉の肩に顔をうずめた。 「……はぁ。 俺はつくづく、自分が忍に向いていないことを自覚させられるよ」 「どうして?曽良は戦っても強いし、里でも一番に優秀だと言われていたじゃないか」 芭蕉が疑問に思うと、曽良は 「内面的な話」 と返した。 「この旅へ送り出されたのだって、俺が妻子を持ったことを咎められてのことだった。 ——忍が一番犯してはならないのは、『人を人として見ること』だって芭蕉も里で教わっただろ。 任務の為ならば、自分の家族でも殺さなくちゃならない。 まして自分から人を愛するようなことは絶対あってはならない。 ……それなのに俺は、また人を好きになってしまった。 人に対して情を持ってしまうような人間では 心を殺して人を殺すことなんてできないって——何度も教わったはずなんだけどな」 「人を好きになるって、生きていたら自然に感じることなんじゃないかな……」 芭蕉も曽良の背中に手を回すと、そっと目を閉じた。 「曽良はごくありふれた感情を持っているだけで、何も間違ったことはしていないよ。 それが忍として失格なら、曽良は忍であり続ける必要なんてないんだよ。 ……僕は曽良が何者であっても、曽良が好きだよ」 「——うん」 曽良は頷くと、彼もまた瞼を閉じた。 「……人を殺した人間が、幸せになっていいとは思っていないけど……。 だけど今、俺は幸せだと思う」 「僕も曽良と居られる今が幸せだよ。 曽良も幸せだと感じてくれているなら、もっともっと、たまらなく幸せ」

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