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第29話 その声に、その存在に。

 赤い痕をお互いに付けあって。  そのあと、時間ギリギリまでお互いの存在を確認するかのように、口唇を何度も触れ合わせていた。  このまま出張なんか行かないで、ずっとこうしてて欲しい、なんて。悪魔な俺が顔をにょきっと覗かせた瞬間に「行きたくないけど、もう、行かないと」と新が俺をギュッ、と抱き締めて身体を離した。 「はぁ……。なんで、大阪なんだ。羊と、1ミリだって離れたくないのに」 「仕方ない、だろ?待ってるから。頑張って、きて?」 「っ、羊、好きだ。ずっと昔から。羊だけが、俺の……」 「……うん、知ってる……」  俺の返事に「羊は、まだ何にも、わかってないよ」と言いながら、うっとりと微笑んで。  ゆっくりと落ちてきた新の口唇を目を閉じて、受け入れる。啄むように何度も、何度も。どれだけ重ねても物足りない。  そんな気持ち、今まで一度も経験したことがなかった。  そのうちに新のスマホのアラームが鳴って、過ごせる時間の終わりを俺たちに報せた。  彼は溜息交じりに身体を起こして、スマホのアラームを消すと俺の頬に口唇を落とす。   「夜、電話する。声、聞きたい」 「……っ、わ、かった。俺も、新の声、聞きたい。電話、待って ── 、ん……」  声が聞きたい、なんて言われて。  彼の切ない声や表情に、心臓がぎゅぅ、と締め付けられて思わず出てしまった本音を紡いだ俺の口唇を「嬉しい」と言いながら。  目の前の愛しい人は、優しく塞いだのだった。      ◆ 「そういや洲崎さん、大丈夫ですかね。病院なんて、珍しい」  新を見送った後、会社へ戻った俺は、立木部長から頼まれた仕事をこなした。  一区切りをつけたところで、立木部長から「コーヒー奢るよ」と声を掛けてもらい部長とふたりで会社の自販機へ向かって今に至るのだが、俺はコーヒーに口をつけながら、ふと気になったことを部長に向かって口に出したのだった。    俺が今日、部長から頼まれてこなした処理は、本当なら洲崎さんに回る筈のモノだったらしいのだが、彼女は夕方に病院を予約していて、どうしても受診したいからと早退していたのだ。  我が部署の事務長は元気印の人間で。俺が入社してこの方、病欠をしたところを見たことがなかった。  今日もいつも通りの元気いっぱいの事務長だったのだ。それなに、しんどいのに我慢して、無理に元気なふりをしているのかと。早退した理由を聞いた途端に、彼女に初めて心配をしてしまったのだ。 「あ、ああ。そう、だな。大丈夫ではあるし、元気は元気なんだけど、な。うーん、諏訪には、言うべきか……?いや、でもな」 「部長?」    立木部長がなにやら、うんうんと唸り始めて。  俺も訳が分からなくてキョトンとしていると、トントン、と肩をつつかれる感触に後ろを振り返ると、そこには相馬がニッコリした表情で立っていた。 「羊さん、おかえりなさい。もうすぐ第3に戻りますか?」 「相馬、おつかれ。うーん今日はもう17時回ってるし、第3の子たちも帰る時間だろ?俺が行ったら仕事しなきゃってなっちゃうから、第3営業部(そっち)に行くのは、また明日にしておくよ。チャットでその連絡、第3の子たちに飛ばしとくわ。連絡入れるの忘れてた。ありがと」 「いえいえ。じゃあ、羊さん、もう上がります?上がるなら……メシ、一緒に、行きません?」  そう言えば、相馬とメシなんて数か月行ってないなと思ったけれど、今日は新との電話を優先したくなってしまった。  電話を待ち焦がれてしまうなんて、ほんと。今までの俺じゃ考えられない。勝手に気恥ずかしくなって、頬に熱が集まるのを感じながら、相馬に断りを入れるために口を開いた。 「相馬、ごめん。今日は、ちょっと。外せない用事があるから、また今度行こう。」 「そう、ですか。わかりました。また、今度」 「部長もう上がって、いいですかね?」 「お、おお。いいぞ。また、明日な。おつかれ」  俺はコーヒーを飲み干すと、空になった紙コップを捨てて「おつかれさまです」と言いながら、その場を後にした。  俺の頭の中は、新と電話することしかなくて。  その時、相馬に熱の籠った視線を向けられていることに、一切気付くことはなかったのだった。  

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