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第38話 side 犬神:7. 愛しいのは、君だけ

 その診断は突如下された。 「ストレス性、犬化、症候群……?えっと……なん、ですか、それ。犬?」 「そう。犬です。トリガーとなるストレスが極限に達すると、犬神さん。貴方は、犬に変身してしまう」  入社6年目の春。 『ストレス性犬化症候群』と診断された。    健康診断の血液の数値で要精密検査になり再検査したところ、その診断が下されたのだ。今まで何もなかったのに、突然の症状に考えられる原因は、ひとつだけだった。  自分でも理解(わか)っている。思い当たるのは、彼への想いだけなのだ。  諏訪への想いを本人に伝えられないこと。  諏訪が俺だけのモノにならないことが、一番のストレスになっているのだとすぐにピンときた。  それまで、どんなに別のことでストレスを感じても、受け流してこれた。  それなのに。こと諏訪に関しては、受け流すことが出来ないでいる。  今も、俺に宣戦布告をかましてきた相馬が、第1営業部から海外土産を渡しに、第2営業部へやって来て。真っ先に諏訪の元へ向かうと、諏訪の手を握りながら、土産を渡すその行為に苛立ちが募る。 ( ──── 触るな。諏訪は、俺のだ )  そんなどろどろした負の感情に、ハッとする。気付けば相馬を見る俺の顔は、王子の仮面は剝がれていて。そしてそんな俺をジ、と見つめる洲崎さんに見透かされているような気がして。  これ以上、諏訪にべたべた触る相馬を見ていると、俺が俺じゃなくなる気がして怖くなって、席を立った。   「部長、資料室、いってきます」 「ん。了解」    資料室に資料を取りに来た時には、人生で経験した事のない気持ちの悪さが、俺を襲っていた。    正直、犬化した事がなかったから、そんな病気を患っているという実感がない、というのが本音だ。  最初は診断を受けて、念のためと抑制剤を毎日きちんと服用していたのが、だんだんおざなりになり。  最後に抑制剤を飲んだのは、いつだったか。……多分、確か……3日前。   ( もしかしたら……これはヤバいやつ、かも……? )    いつもなら念のためと思って持ち歩いている抑制剤をその日に限って持ってきていない事にポケットを探って気付いた。ほんとに今日は、どんな厄日なのか。もやもやぐるぐるして、気持ちが悪い。   ──── 諏訪に、逢いたい。  諏訪に逢えたら、この気持ち悪さも解消される気がして。  内ポケットに仕舞っていたスマホを取り出して、チャット内の『すわよう』を探す。  見つけた諏訪の画面。アイコンは真っ黒のふわふわの毛のポメラニアン。以前、酔っぱらった諏訪が瞳を潤ませながら「会いたいなあポメ太」と言っていたのを思い出して、胸がきゅぅっとなった。   ( 俺だったら、絶対にお前から離れないし、お前を泣かせたりしないのに )  気持ち悪さと闘いながら諏訪にチャットで『緊急。資料室、すぐきて』と打って、送信する。 ( あ、ヤバい。多分、これ……おれじゃ、なく、なる )  予感は的中した。ぐらっとして、視界が暗転した。  真っ暗な中「がんばれ。応援してる」って声が聞こえて。初めて聞く声に、誰だか分からなくて不安になる。  その声の主を知りたくて。起きなきゃいけない、と重い瞼を開けると……視界が、低い。辺りには、俺の来ていたスーツにスマホ、社員証……そして全身を覆う、ふわふわの黒い毛。  ( ほんとに、いぬか、してる )  心なしか、やる気が出なくて。前足を揃えてその上に顔を乗せて突っ伏した。  人間が犬になるなんて。そんな事ある訳ないと半分信じていなかった数日前の自分に「抑制剤は面倒臭がらず、きちんと服用しろ」と言ってやりたい。けど、もう手遅れなのだ。もう変身してしまった。  ( どうやって、もどったら……いい……? )  戻り方は医者がもしも変身してしまった場合のために、と説明してくれていたが話半分でしか聞いていなくて。  しかも犬になったためかどうにも頭が人間の時ほど回転しない。とにかく不安で、しょうがなかった。怖くて、寒くて……悲しい。    ただひとり、ひとりだけ。逢いたい彼の事だけが頭に駆け巡る。大好きで、大好きで堪らない彼の事だけ。  ( ……すわ。すわに、あいたい )  その時、資料室に足早に向かってくる足音が聞こえてきて。俺の耳はぴん!と立った。  伏せっていた身体を持ち上げて、足音が近付いてきているドアに顔を上げた。  愛しい彼が、俺の連絡で急いで駆けつけてくれた事に余計に愛しさが溢れた。嬉しい。早く、早く逢いたい。     ── この足音は、間違いない。  俺の、大好きな。 「えっ……ポメ太……?!」    資料室のドアがキィと開いて、大好きな声が響く。  次、人間に戻ったらその時は。  君のこと……絶対に、離さないから。    

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