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第5話 けぶる

 こんな状況で眠れるわけない。  そう思っていた。だけど。  柔らかい寝床の手触りと、その奥から顔を覗かせるスパイシーな香り。  天幕の中に漂う甘い草の香りと、毛皮の向こう、外を見るローグの横顔。  ふとローグの目線がこちらを向いた。  目が合いそうになって、思わず寝返りを打つ。  ひんやりとした空気を感じる背中をそのままに、ノアの意識は寝床の奥へと沈んでいった。     「――はぁ……。ったく」  翌朝。  いつもと違う柔らかな場所で眠っていたことに気づき、はっと目が覚めた。  慌てて顔を巡らせる。  ノアの足元に頭を預けて眠るローグを見つけ、昨晩のことが一気に蘇った。  寝る場所を奪ってしまっていたことに今更気づき、気まずい思いになる。  少し肌寒い朝の空気に、自分がまとっていた毛皮を剥がして、ローグの体にそうっとかけた。  寝床をおりてから昨日の服に着替え、借りた服を畳みなおす。  今夜もまた使うことになるだろう。  だが、二日続けてこの男から寝床を奪いたくもなくて、その服をどうしようか少し考え込んだ。 「――今夜もここで寝ろよ。他んとこ行ったらとんでもねえことになるぞ」  その声に、びくっと体が震えて、ノアはそっと後ろを振り向いた。 「……おはようございます。」 「ここで寝ろよ。俺は遅い時間までいねえが、他のやつらが勝手に入ってくることはないだろうから」  まだ横になったまま、目も開けずに言うローグは、出口の方に向かって体を横向けた。 「わかったな」 「……はい」  昨晩のこととか、寝床を奪ってしまった詫びだとか、口にするべきか少し迷った。  けれど、自分が掛け直した毛皮にくるまり直す男を見て、ノアは小さく息をついた。  今はただ、もう少し、寝かせておきたかった。  できるだけ物音を立てないように天幕を出て、昨日の火の跡に近寄る。  そこに置いたままにしていた鞄から、朝の食事のための材料を取り出し、それから水が足りないことに気がついた。  薄明の時間帯。活動しているのはウサギやリスなどの小動物のみ。  川まで一人で向かっても問題ないと判断して、ノアは水を入れるための金属の瓶を持った。  大人九人、一日分をまとめて運ぶのは大変だが、まずは朝の分を用意できればいいだろう。  足音を立てないよう気をつけながら、ノアは川に向かった。 「ノアちゃん、おはよ」  後ろから話しかけられて、瓶を持つ手がぴくりと跳ねた。  トッドだ。  首だけ振り向いて、小さく頭を下げる。 「おはようございます。水を汲みにいってきます。危険はないと思うので、トッドさんには火おこしをお願いできると助かります」 「火なんてすぐつくよ。俺も行こうか?」  そう言って近づいてくるトッドに、瓶を掴む手の力が入った。  必要ない。  そう、強く拒否しようと口を開きかけたところで、トッドが声を上げた。 「あれ……、これ。」  トッドの目線が、ノアの顔の横、やや後ろあたりを見つめていた。 「昨日、ローグさんと寝たの?」 「……え?はい。」  ローグと寝たというか、ローグの寝床を奪ったというか。  微妙な気持ちになりながら答えると、少し鼻白んだ様子のトッドが、なおも聞いてきた。 「今日帰んの?明日?」 「多分明日になります。……何か?」  トッドが眉間の辺りを指でこすって、それからそっとノアの顔をみた。   「……今夜、俺んとこ来ない?」 「――――いきません!ローグさんのとこで寝ます!」  なんだこいつ。  朝の澄んだ空気の中、声が広がってしまうのが嫌で、控えた声で、でも強く言い切ると、ノアはさっさと歩き出した。  なんなんだあいつ。  むしゃくしゃした気持ちのまま川に向かい、中程の砂が混じりづらいところで瓶を水の中に沈める。  砂を巻き上げないよう、そうっと沈めようとして、瓶に映る自分の姿に違和感を覚えた。  耳の下、手で触れてみる。  痒みはない。  だが、歪んでいてはっきりとはわからないけれど、耳の下に虫刺されのような跡が付いていた。  トッドは大人しく火を起こしてくれたようで、ノアが戻ると焚き火がパチパチと音を立てていた。  ただ、薪も不足していたのか、やや生乾きの薪が使われているようだった。  近くで覗き込んだ瞬間、風向きが変わり、もくもくとした煙がノアを包んだ。 「ぅ……げっほ。くっさい……」  失敗した。薪を組み直そうと思ったが、涙が出てきて思わずしかめっ面になる。  そのまま後ずさりすると、背中が誰かにぶつかった。 「何してんだ」  ぱっと後ろを振り仰ぐと、微妙な顔をしたローグがノアの顔を見つめており、親指で目の下をぐいとぬぐわれた。 「乾いてねえの使ったのか。直すぞ。薪持ってきてたら出せ」  ふいと火のそばへ近寄り、低い位置から薪の様子を確認するローグに、鞄を開いて薪の束を手渡した。 「ん」  短く返事をして受け取ったローグは、低い位置から覗き込んだまま、煙を上げる薪を脇によけた。  赤くなりきらない炭を集めて、それから、細い枝を何本か差し入れた。  脇によけられた薪からはまだ白い煙が登っていたが、少しだけ視界がまともになった気がした。  ローグの背中を見ながら、ノアは大きく息を吸った。  そうしている間にも、ローグは束を括っていた麻ひもを放り込むと、火の中へ息を吹きかける。  燃え移って赤く火を上げる麻ひもがゆらゆらと揺らめいて、ローグの顎のラインに赤く映えた。  火の様子を眺めたローグは、少しだけ太い枝を重ねて、火のそばを離れて立ち上がった。 「もう少ししたらでかいのを入れられる。とりあえずこれでましになったろ」 「ありがとうございます」  ローグを見上げて礼を言うと、もう一度顔を覗き込まれる。 「目の周り赤くなってるぞ。続きやっとくから顔洗ってこい。……ふっ、お前、一段と煙くなったな」  目の前で笑われて、その目尻の柔らかさになぜかまた息がしづらくなった気がした。 「――行ってきます」 「おう」  視界の端で、ローグが果物に手を伸ばすのが見えた。    ノアは桶を持って走り出した。  少し息が上がっても、足を緩められなかった。

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