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第8話 役割

「ローグさん、ローグさん!報告です、開けますよ!」  ノアを包んでいた温かさがもぞりと動き、ノアの意識が浮上した。 「あぁ?」  ローグの応答と共に、視界が薄明るくなった。 「ローグさん、――っあ、すみません!」  再びあたりが暗くなり、ノアの頭上に、ローグのため息が降ってきた。 「おい、降りろ」 「…………!すみません!」  ローグの背中に回していた腕をほどき、あわてて離れる。  体を起こそうとすると、ローグの手で寝床に押し付けられた。 「入っていいぞ」  言いながらローグはノアに毛皮をかけ直した。 「……おはようございます。すみませんでした」 「いい、どうした」  天幕の上がる音がして、ローグと騎士がやり取りを始めた。  その様子を毛皮の下で感じながら、ノアは大人しくしていた。  今は、ローグの指示に従うべきだと感じた。 「おい、お前」  話を切り上げたローグが、ノアに覆い被さるようにして顔を近づけ、小さな声で言った。 「川の様子を見てくる。その服で出歩くなら、背中閉じてからにしろ」  耳元で言われた言葉に、こくこくと頷くと、ローグはすぐに離れて天幕を出ていった。  震える指先で耳を押さえたノアは、それから少しの間動くことができなかった。  ローグに押さえつけられた背中が、やけに熱かった。    言われた通りに背中を結び直して――少し太い革紐は結ぶのに難しくて、何度かやっているうちに紐の端がちぎれかけた。  天幕を出ると、拠点の周りには折れた小枝や葉などが円形に溜まり、透明の結界がその姿を現しかけていた。 「ノア!今外は出られないから、天幕の中に待機してなよ」  ノアの姿を認めたロアンが言うのに首を振り、  昨日、雨の降り始めに設置した雨水受けの方を指差す。 「あれ、結界開くまで取れない?」 「ああ、出入り口あるよ。こっち」  飲水用の瓶を手にロアンを追いかけ、拠点の端、杭が二本穿たれた場所から外に出た。  雨足は弱まり、柔らかな霧雨が辺りを包んでいた。   「ノア――ちゃん!大変だ、橋が流された」  川の方から駆けてきたトッドの声に、瓶を握る手が強まり、ノアはぱっと振り向いた。 「……橋が?」  隣のロアンも小さく息を飲む。  思わず足を踏み出したところで、ロアンに肩を掴まれた。 「やめといた方がいい。増水してるから、下手に近づかない方がいい。――トッド、ローグさんはなんて?」  少し離れたところで駆け足をやめたトッドは、首を横に振った。 「あれは直せないって。馬の荷重を考えたら、仮補修しても今ノアちゃんを帰すのは危険だって」  ――――帰れない。  その事実をトッドの口から聞かされて、背中がざわざわとした。  いつもよりずっと太くて重い川の音が、ノアの腹を打ちつけていた。  前の日に水遊びをしたあの川が、これほど姿を変えてしまうということがにわかに信じがたかった。  戻ってきたローグに連れられ、ノアは川を見にきていた。  土色に濁った水の色は当然想定していたが、川は川原を水底に飲み込み、昨日よりも人一人分近く水嵩が増していた。 「昨日の雨、そんなに降ったんですっけ」  今や霧雨程度に落ち着いた空を見回してノアが言うと、ローグが右手の空を指差した。   「あっちが、川の上流だ。あの辺りがまだ暗いのがわかるか」  指さす先の空は暗く、雲が重たくたまっていた。 「あそこからの水だろう。しばらく流れも引かないし、橋の復旧はその後からだ」  拠点よりやや上流にある橋は、まだ流れの中に沈んでいた。  こちら岸に残された柱と床板が、途中でもげるように折れているのが水の合間からのぞいていた。 「皆さんは……。皆さんは、橋が流れたらどうなさるんですか」  ノアは、この拠点を十数日程度持たせられる程度には資材を運んできた。  ノアが一人増えたところで誤差範囲程度だ。  だから、しばらくここで足止めを食っても、そこに問題はない。  だが、この拠点は孤立無援だ。  しばらく川の水が濁り続けることを思うと、雨水ももっとたくさん溜めておかなければ……。 「お前は、いつ帰れるとか気にしなくていいのか」  拠点を振り返って、兵站の計算をしていたノアに、ローグが声をかけた。 「まだしばらくはここに留まることになるぞ。大丈夫なのか」  そう言われて、振り返ってローグの顔を見る。  荒れた川を見て、もげた橋をみて、それからまたローグに目線を戻した。 「大丈夫です。水の確保だけできればしばらくは余裕です。少し切り詰めて、森の中で食糧を」 「まだしばらく俺たちと一緒なんだぞ」  少し、むかっとして、声を荒げた。  帰れないものをどうこう嘆くほど子供でもない。 「俺なら、倉庫ででも寝ます。俺だって騎士団の人間です」  それから、橋を指差す。 「復旧の目処はどうなりそうか、わかりますか。ローグ殿」  その言葉に、少しの間ノアを見ていたローグは、ため息をついてから、ノアの質問に答えた。 「考えられる判断は三つ」  橋の方を振り返って、手のひらを持ち上げ、地面と水平にした。 「水位が下がり始めたら、すぐに修理に着手する案。  ただし、ここは警戒エリアだ。  警戒期間中に職人を入れるわけにはいかない。  おそらくこれはない。工事はもっと後だ」  手のひらを振って、何かを払う仕草をする。  それから、もう一度手のひらを水平にした。   「完全に水量が下がりきったら、橋がなくとも馬を渡すことはできる。」  手のひらをずいっと下げて、ローグは言葉を続けた。 「ただし、それができるのは訓練された俺たちの馬だけだし、そもそもお前を安全に帰すことができない。  俺たちの馬だって、拠点の資材を載せて川を渡るのは危険すぎる」  これもない。そう言って手を振る。  それから、ローグはノアの方を振り返った。 「ここには、お前がいる」  その言葉に、なぜだか喉の奥がきゅっとなった。 「本当なら昨日、遅くとも今日帰ってくるだろうお前が戻らなければ、本隊から誰か来るだろう」 「それは……、わかりません」 「雨のこともあるし、兵站部隊長はそこまで薄情なやつじゃない」  ローグが少しだけ目を細めた。 「誰かきたら、ディッカーの派遣要請をしよう。  仮設足場を作らせて、全員撤退だ。いずれにせよここの警戒期間もあと二十日もない。」  ディッカーと聞いて、ノアの息が少しだけ止まった。  小さく息を呑んで、ひっそりと吐く。  ノアの様子に気づく様子もなく、ローグは橋だったものを親指で指差した。 「ディッカー連中の魔法はちょっとしたもんだぞ。  近くで見るチャンスだ。楽しみにしとけ」  ディッカー。  番と魔力を繋いだ者だけが名乗れる、魔法騎士の花形称号。  その働きを、間近で見ることができる。    橋に目をやり、それから、小さくつばを飲み込んだ。 「俺、は……」  少しローグがノアに歩み寄り、足を止めた。  肩に手を乗せられる。 「今この時から撤退まで。兵站の管理を全てお前に一任する。」  風がいっとき強く吹き、木々を揺らした。   「外界から完全に遮断された状況だ。特に食糧と薬品の管理は厳しく頼む。」  肩に乗せられた手の重さが、ノアの中に広がっていった。 「任せた」 「……わかりました。」  ローグの手が肩から外れ、ローグが拠点に歩みを進めた。 「殿は勘弁してくれ、ノア」  ノアは、顔を上げてもう一度橋の残骸を見て、それから振り返って歩き出した。  不安とか、苛立ちのようなものがすっかりと払われ、ノアの唇は小さく弧を描いていた。 「ローグさんは、ここの指揮官じゃないですか」 「……そんな柄じゃねえよ」  ノアが追いつくのを待って、ローグはまた歩き始めた。  

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