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第16話 淵

 それから数日は、何事もなく過ぎた。  元々、警戒期間なだけであり、半ば演習的な側面もあるとロアンから聞いた通り、ノアが想像していたよりはずっと平和だった。 「渡れそうだろ?こうしてみてると」  岩に腰掛けて洗い物を済ませ、そのまま川向こうを眺めていると、ロアンが背後から話しかけてきた。 「うん」  流れはそれほど急には見えず、向こう岸に渡るのは難しくはなさそうだった。 「あっちはさ、岸に沿って深くえぐれた淵になってて、その下の流れがめちゃめちゃ早いんだ。  足を取られたら沈んで流されてく。  だから、狼たちもあんまりこの川は渡らない」  そう言われて、川の流れに目を凝らした。  川の表面は穏やかで、そんな急流が姿を隠しているようには見えなかった。 「帰りたい?」 「――え?」  言われたことに少し驚いて、振り返る。  ロアンが、少し離れたところからこちらを見ていた。 「昨日今日と、なんか元気ないだろ、ノア」 「……そうかな」  唇の内側を噛んで、顔の向きを戻す。  自覚はあった。  ロアンが、少し離れたところに腰を下ろした。 「ローグさんもなんか変だし」  言われた言葉が、みぞおちからノアの中に忍び込んできて、膨らんでいく。 「……ローグさん、関係ないよ」  なんとか絞り出した言葉が震えていないか、心配だった。  お守りに触れたくなる手を押しとどめる。 「そっか。早く迎えにきてもらえるといいな」 「……子供扱いやめろよ」  手元の小石を拾って、川の中に投げ入れる。  そんなノアを見て、ロアンが軽く笑った。  ホーリークローブを焚いて回った日の翌日、寝かせていた肉を出して焼いてやると、騎士達は大喜びで食べてくれた。  スパイスのような香りで腹が減る、というのは、ローグだけではなかったらしい。  そんな騎士達をローグも楽しそうに眺め、ノアに目を向けて頷いてくれた。  前の晩の気まずさがほどけたようで、あの時は、噛みしめた肉と一緒に飲み込めてしまえたと思った。  だけど。 「おい。お前はさっさと寝ろよ」  小狼達が境界を越えて来ることが増えたということで、騎士達は警戒エリアの再確認をしていた。  森の見取り図に小石を置いたり枝を置いたりしながら作戦を考えているのを尻目に、ノアは明日の準備をしていた。    この拠点に閉じ込められて早や十日。  栄養の偏りを防ぐために、この頃は川魚の確保や野草の採取などがノアの日課だった。  採れた野草を刻んで少し干すと、栄養価そのままに、スープに入れてもえぐみが無くなる。 「はい」  ローグの言葉に簡単に応えて、ノアは刻み終わった野草を網に並べていた。  終わりかけの夏、森の夜は冷える。  手を拭いて、用をたしてから寝ることにした。  拠点を少し離れて、木陰に入る。  用を足しながら、背後に回した木の幹に少しだけ頭を預けた。    今日も、ローグは寝床に入らないつもりだ。  先にノアを寝かせて、自分は寝床に頭だけを預けて眠る。  もう、四日目だ。  あの時以来ローグの笑顔は見ていないし、さっさと寝ろ以外の言葉をかけられることもない。  用事は全部、ロアンかデルタから言いつかっていた。  昨日は、眠っている間にお守りがつけられていた。  朝、ロアンに指摘された時には、どんな顔をすればいいのか分からなかった。  そろそろ、限界だと思った。  木影から出て、拠点へと体の向きを変える。  拠点の端、こちらに向けて背の高い人影が近づいていた。 「……トッド」 「ノアちゃん、……ごめん」  木陰から出たノアに気づいたトッドが足を止め、そのまま半歩下がった。 「ちゃんづけやめろよ。ノアでいい」  腰回りを直しながら歩みを進めると、トッドの後ずさりが止まった。 「……いいの?」 「ちゃんづけされるよりずっとまし」  歩みを止めずに通り過ぎようとしたところで、名前を呼ばれた。 「……ノア、あのさ」 「なに」  足を止め、トッドを見上げる。  トッドは、少しだけ下唇を噛んで、それから口を開いた。 「この間はごめん。俺、なんか舞い上がってて怖い思いをさせた」 「怖くねえよ。気持ち悪かっただけだろ」 「じゃあ、気持ち悪くてごめん」  素直に謝られて、言葉に詰まった。 「……おん」  トッドは少しだけノアから距離を取って、口を開いた。 「ノアはさ、ローグさんと寝てるって言ってたけど、そうじゃないだろ」 「は、……何急に」  急に言われて、返す言葉がなかった。  今はもう、ローグと寝る、という言葉の表すものがなんなのかはわかっていた。  あの頃の呑気な自分の首を絞めてやりたい。  足元で小石が音を立てて、ノアを笑った。 「もうずっと、ノアが先に寝にいって、しばらくしてからローグさんが入ってる。でも、それ」  トッドが、自分の耳の下をとんとんと叩いた。 「また新しくなってる。ローグさんが跡つけてるだけで、二人は何にもない」  ――――何にもない。  あるわけもない。  何かを言いそうになって、ぐっと歯を噛み締めた。 「ノアはさ、それ知らなかったんだろ。新しくなってるの。」 「トッド」  ノアの足元で、また小石が笑った。 「ロアンに言われた時、……泣きそうな顔してた」  ただの、揉めごとよけ。  ローグの、組織統制だ。 「そんな顔、してない」 「好きなんだろ」    トッドの言葉に、今度こそノアは後ずさった。  

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