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第33話 北方の雨
「ブラントル、師団から派遣要請があるぞ」
部長からの声かけに、ノアは振り返った。
「ある?」
ぺらりと差し出された書類を見て、手に取る。
北部地域での魔獣発生の報告。
北部地域に配属されているディッカー二名がこの対応に集中していることが記されていた。
「――ああ、じゃあ雪崩対策派遣がありそうなんですね」
中央のディッカーは、全員が特殊師団――通称特殊室の所属となっている。
ノアが本部所属となって以降、師団からの中長期のディッカー派遣では、ノアが専属兵站部員として随行するようになった。
異動からはや二年、こうした現場随行はもう随分と慣れてきた。
「そうだな。多分すぐにでも随行依頼がある。すまんが今の対応を引き継ぎして、準備にあたっといてくれ」
書類を部長の手に返して立ち上がる。
「キリ良いところでしたよ。すぐに準備しておきます」
窓の外では、冬を連れてくる冷たい雨が降り続いていた。
「ノア、今回もよろしくね」
案の定派遣要請が届き、用意しておいた食糧や装備品、寒冷地で過ごすための資材などを鞄に詰め込んでいると、背後から声をかけられた。
「室長」
特殊師団長――特殊室長のアーネスト・ブリュージュ。
二年前、あの拠点からノアたちを連れ出してくれたディッカーの一人だ。
「魔獣発生も重なってるから、現地への装備品補給も頼めると助かるなあ」
肩をすくめてみせると、アーネストが笑った。
「ごめん主任。釈迦に説法でした」
「とんでもない。――あ、頼まれてたもの用意できてます」
派遣とは別に、本部がアーネストから受けた要請は、通信用の共鳴魔道具の準備というものだった。
鞄から取り出してアーネストに手渡す。
「こんな魔道具があるんですね」
「ね」
軽い調子の返事に何か違和感を覚えつつ、出動の準備を進める。
「今回どなたですか?」
「セドリックとルベルだよ。二人とも北部は行ったことあるから大丈夫だと思うけど、ノアは冬の北部は経験ないよね」
「ないですねぇ……。寒そうで嫌だな」
寒さの予感に肩をすくめて、やはり毛皮をもっと用意しておこうと頭の中にメモをした。
雨の中本部を出発したノア達は、途中で馬を変えながら、三日で北部まで辿り着いた。
目的地へ近づくにつれて雨はさらに冷たくなり、到着した頃には雨まじりの重たい雪がノア達を出迎えていた。
ディッカーの派遣は急を要することが多い。
ノアも騎士達と同じ軍馬を乗りこなすようになり、身軽に移動できるようになったディッカー達の機動力は急速に向上した。
とはいえ――。
「セドリック、ノアは先に部屋に連れてって」
「はい」
ルベルの指示に、セドリックがノアの肩を支えた。
「なんかいっつもごめん……」
震えの止まらない足をなんとか前に進めると、ノアを支えるセドリックが笑い声を立てた。
「騎士の全速力についてくる事務官が異常ですって。むしろこっちがいつもすいません」
回廊の明かり取りから吹き込む雨まじりの雪が、足元に溶けかけている。
湿った冷気が、水に濡れた靴の先からじわりと上がってきた。
回廊のかがり火がぼそぼそと揺れ、ノアは大きくため息をついた。
「少しは体力つけないといけないってわかってるんだけど」
「充分ですよ。これで輜重部隊を連れてたら、到着まで倍はかかります。ノアさんに負担かけてるのは申し訳ないですけど……」
そう話しながらも、なんとかその日の夜を越す部屋に到着した。
簡易的な砦とは違い、北部の砦は対魔獣の主要拠点だけあって、滞在用の部屋もきちんとしているらしい。
「ちゃんと扉がある……」
「こんな場所で扉もない部屋だったら、みんな凍え死んじゃいます」
「ああ、確かに。」
今思えば、ノアがいた西方の騎士団はかなり整った環境だった。
こうして各地に派遣されるようになり、騎士達の前線の過酷さを日々思い知らされる。
おかげで、滞在用の部屋に扉があるだけでも感動できるようになった。
砦の入り口で預かった鍵を使って扉を開けようとしていると、回廊の向こうからやや賑やかな一団が近づいてきた。
邪魔になりそうで、ノアとセドリックは、早々に部屋へと引っ込んだ。
「重装騎士が多めでしたね」
「そうだね。魔獣対策の応援かな。ここらはどんなのが出るんだろう」
魔獣の情報は貰えていなかった。
正確には、種類を特定しきれていないのか報告書への記載がなかった。
ひとまず鞄を下ろし、すぐに使うものを取り出していく。
北方騎士団への労いの品を預かっていたので、これは後で渡しに行かねばならないと頭に刻んだ。
「ノアさん、こんなに毛皮持ってきてたの」
「……俺寒いのやだ」
ぷはっと吹き出したセドリックを横目で睨み、毛皮を少し撫でた。
自前の一枚を除いては、資材として少しずつ仕入れていたダイアウルフの毛皮だった。
そこそこの寝具が揃っている寝台に、毛皮を数枚ずつ重ねていく。
体の下に敷いても良いし、毛布の上からかぶせても良い。
何より、この毛皮の手触りはノアの安眠の必需品だった。
ノックがあり、ルベルの声かけがある。
セドリックが応えて、扉が開いた。
「うわ、贅沢な寝床」
湯気を立てる桶を運び込みながら言うルベルに満足して、次々と食糧を出してやる。
ひとまず体力回復だ。
「魔獣の対応かなり苦戦してるみたいだった」
ノアが出した食糧を並べたりしながらルベルが言う。
「どんな苦戦なんです?この時期魔獣が最後の冬支度するのはいつものことでしょう?」
セドリックの問いかけに、んー、と軽く唸ってから、ルベルが言葉を続けた。
「本当はもっと早く終わるはずだし、あと、狼みたいだけど、行動パターンが読めないから、狼じゃないのかもって」
「狼……。ダイアウルフですか?」
思わず声を上げて、膝にかけていた毛皮をなでた。
セドリックがノアの膝の上をみて、それからノアの顔を見たので、ニヤリと笑ってやった。
「多分。……何、二人とも」
そんなノアとセドリックをみて変な顔をしたルベルに、毛皮がいるか聞いてやると、セドリックが謝ってきた。
三人で笑いあって、毛皮を出してやった。
「ダイアウルフって、魔獣ですけど、高価な獲物でもありますよね」
肩から毛皮にくるまったセドリックがしみじみと言う。
確かに、肉の食べ出はないが、毛皮は柔らかくて暖かく、魔核は最高級品。
その肝は適切に処理すれば薬効の高い造血剤となり、爪や歯も磨いて宝飾品となる。
あの拠点も、春と秋には大規模な狩場となると、あとで知った。
「その分行動パターンはよく研究されてるからな。そこから外れるってなると、何か違う魔獣の可能性もある」
その言葉に、湯にくぐらせて柔らかくした干し菜を噛み締める。
じんわりと染み出す青い甘みに、あの甘い煙臭さを思い出した。
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