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第37話 最期の時

 明け方、まだ外が暗い時間帯。  日中は砦に戻り体を休めるという騎士達のために、ノアはサウナの支度を進めていた。 「へえ、これすごくいい香りですね」 「体もあったまるし、疲れも取れるぞ。ノア坊もサウナ入ってきゃいい」  ノアと一緒に支度を進めながらじい様がそう言ってくれたが、おそらくセドリック達が許してはくれないだろう。  ロウリュという、焼いた石にかけるハーブ水の香りを嗅いで、少し考える。 「これって、お風呂に入れても良さそうですね」 「風呂なあ。体に直接つけると沁みんか?」 「ええ?薄めたら良さそうじゃないですかねぇ」  言いながらも支度を進め、温度を確かめてからサウナを出た。  騎士達が戻る頃には熱気がたまって良い具合になっているだろう。 「食事と寝床は大丈夫として、あとはなんだろ」  あとをついて出てきたじい様に、頭の上をぽんぽんとはたかれた。 「ノア坊はわしらの手伝いにきたんじゃなくて、お前さんとこの騎士の補給できたんだろ。  そっちのやることさえやったら、本当はサウナ使ってようが、昼寝していようがいいんやぞ」  言われて、思わず笑ってしまった。  そんなふうに何もしないでいられる自分を想像ができなかった。 「北方の食事も補給の仕方も、知らないことだらけです。こんな時にのんびりなんてしてられませんって」 「……熱心だのう」  サウナは石造りの独立した建物で、手前に小屋がくっついている。  小屋の中を少し整えていると、じい様が小瓶を手渡してくれた。 「さっきのハーブ水に入れる精油だよ。余ってる分だ、持っていきな」 「いいんですか?!」  換気のために開けていた小屋の窓を閉めながら、じい様が肩を揺らして笑った。 「手伝っとる分、お駄賃くらいもらっておかんとなあ」 「ありがとうございます!」  嬉しくなってにこにこしていると、外から誰かの呼び声がした。  小屋の扉を開けてみる。 「おお!ノア坊もおったか。行くぞ行くぞ、うまくすりゃオメガレッドの取り出しが見られるぞ」  砦の出入り口から顔を出したじい様の言葉に、小屋にいたじい様が素早く反応し、さっさとノアの背を押した。 「よしよし、ノア坊のおかげでこっちの支度も間に合ったぞ」 「そういうつもりじゃなかったですよう……!」  結局、その日もしっかりと防寒されて、ソリに積みこまれてしまったのだった。 「――あれだったよな」  ソリを停めて山を見上げるじい様が言う。  確かに昨日見た黒い影のような塊は、随分と雪に埋もれたのか、昨日より小さくなったように見えた。  まだ空は薄暗かった。 「あの死骸の場所に、オメガが現れるんですか?」  どんどん雪に埋もれてしまうアルファを、オメガはどんな思いで見るのだろう。 「おそらくな。だが埋まっちまったらオメガもお手上げだろうなあ」  望遠鏡を手渡され、覗き込んでみる。  黒い影のある斜面の上、少し岩が剥き出しになっているところに、影がいくつかあるのが見えた。  騎士達だ。 「来た!」  隣のソリからそんな声が聞こえて、ノアは望遠鏡から目を離した。  大きく広がる雪山のてっぺん、尾根の向こう側から小さく影が見えた。  もう一度覗き込もうとした望遠鏡を、さっと取り上げられる。 「あっ」 「すこしちっせえな。あれがオメガか」  肉眼では小さな点のようにしか見えないそれは、少しも迷わずに黒い影に向かって動いていく。  騎士達の影は、まだ動きを見せなかった。 「ほかのも来たぞ」 「三頭……四頭もか?多くないか?!」 「やっぱりオメガを狙ったはぐれ達か」 「あいつらが里に降りてたなら、そりゃあ被害もでけえな」  口々に言い合うじい様達についていけなくて、隣のじい様の腕をつつく。  悪い悪いと言いながらまた望遠鏡を貸してくれた。  覗き込むと、後を追ってきた大きな狼が、先に現れた少し小さな個体――おそらくオメガの行手を阻むように回り込んだ。 「仕掛けますかね」 「そろそろだろう」 「出るぞ!」  望遠鏡の先を動かすと、騎士達が影から踊り出て狼達に向かって矢を放った。  その中に、白っぽく光を跳ね返す矢がいくつも混ざっていた。  よく目を凝らす。 「あの光ってるのなんですか?」 「そりゃモズの氷の矢だな。四頭とオメガなら、遠目でまず勢いを削いどかねえと」  ぱっと散った狼たちは、騎士たちに向かって体を低くし、一斉にそちらへと飛びかかった。 「ノア坊ノア坊」 「あ、はい」  望遠鏡を返す。  尾根付近の混戦は肉眼ではよく見えず、点と点と点とがぶつかったり離れたりしているだけだった。  だが、その中から一つの点が離れて、黒い影へと近づいていく。  じい様たちは、いいぞ!やれやれ!などと声をあげていて、その離れていく点には気づいていなさそうだった。  尾根より少し下った斜面、降りてきた点は、少しだけ輪郭がわかるくらいになった。  雪の白さによく馴染む、銀灰色の毛皮。  冬毛の狼は、風に吹かれて時折その輪郭を揺らした。  混戦の中から、騎士が一人その狼を追いかける。  ノアはじっと目を凝らしながら、両手を握った。    ――行かせてあげて欲しい。アルファのところへ。  せめて、一目会わせてあげてほしい。    黒っぽい毛皮を身にまとった人影は、ゆっくりとオメガの後を追って斜面を移動した。  弓を背負い直し、両手を空けて後を追う騎士は、時折上を見て混戦の様子を確認しているようだった。  やがて、    オメガはアルファの黒い影に辿り着き、その周りに顔を突っ込んだ。  掘り出しているのだろうか。 「――じい様、あれ、オメガは何してるんだろう」 「オメガぁ?……あっ、オメガいつのまにこんな所に!」 「なんだよ、どこ行った?」 「アルファんとこだよ」  びゅうと風が一際強く吹いた。  山の上でも、積もったばかりの雪が風に巻き上げられて山の輪郭を溶かす。  空が、少しずつ明るくなっていた。  オメガ達に、騎士の人影が近づいた。  腰から剣を抜く。  影に顔を突っ込んでいたオメガが、ふと頭を上げた。  まっすぐに、騎士を見た。 「――やるか?!」  オメガは、じっと騎士を見て、動かなかった。  騎士も、動かなかった。  ノアの喉が、小さく鳴った。    じい様の一人が声を上げる。 「一頭やったぞ!」 「だいぶデカそうだな」  騎士が、一気に二、三歩距離を詰めた。  オメガは動かない。  閃いた剣が、朝日を弾いた。  風が強く吹き、騎士とオメガが一瞬雪煙の中に消える。  雪煙が晴れた。  山の斜面に、生まれたばかりの太陽が射す。    騎士の帽子が風に吹き飛び、黒く長い髪が、ばっと舞った。    オメガが、その目の前で、ゆっくりと倒れた。

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