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第42話 ひっかかり
「――ひとはだではっさん」
言われた言葉をうまく咀嚼できなくて、ノアはリオネルの言葉をオウム返しに口にした。
斜め前に座るヘイデンは、まだリオネルを眺めていた。
「理由はわかってないんだけど。……人の肌に触れると、そこを伝って魔力が放出されるみたいなんだ」
「ああ、それで」
我慢の理由がやっとわかった。
触ったら溜めてた魔力が散ってしまうから。
でも、ならば――
「じゃあ、たとえば。んー、誰かと握手したりしてれば大丈夫そうってこと?」
少し、言葉を選びながら口をひらく。
さっきのヘイデンとリオネルは、脈診のために手首に触れたほかは、ヘイデンが抱きついて頬を寄せていたくらいだった。
それだけで、測定に支障が出るほど魔力を放出できるのなら、番いがいなくても問題はなさそうに思えた。
「それがさ……、なんていうか」
耳から指先が離れた。
むずむずするのを自分の手で揉んで散らして、それから反対側を向き直る。
向き直る時に見たリオネルは、少しだけ考え込むような顔をしていた。
「――あ、ごめん。研究内容のこと、迂闊に人に言えないよな」
論文にするのなら、人に言えないこともあるだろう。
そう思って口をひらくと、リオネルがノアの言葉を遮った。
「ううん、そうじゃなくて。なんていうか、発散される時って独特な感覚があって」
また、耳に指先が触れる。
リオネルの指はひんやりとしており、ノアはその感覚に目を閉じた。
「感覚?」
耳のしもやけは、正直あまりわかっていなくて、じんじんもじわじわも何もなかった。
「うん。なんか、ぞわぞわっていうか、びりびり、みたいな感覚が、肌の上を走っていくんだよね」
目を開く。
「――びりびり?」
リオネルの指が離れた。
「うう……、そこあんまりつっこまないで……」
びりびり……?
ノアの、知らない感覚のはず。だった。
思わず、耳の下をなでる。
「それ、今も、ヘイデンに触ったらびりびりするの?」
「――え?うん、多分」
リオネルに向き直って、二人を順番に見る。
「俺、ヘイデンと今握手してもいいやつ?」
「「ダメ」」
即答だった。
「え、なんで」
二人、顔を見合わせてからリオネルが口を開く。
「それは、やだよ……」
その後、そのまま二人と夕飯を食べてから自室に戻ったノアは、今度こそ体を清めて、荷物も整理した。
北方から持ち帰ってきた荷物を整理していると、じい様にもらった精油の小瓶が出てきた。
甘い草の香りが蘇り、それから、耳の下で感じたびりびりまでもが呼び覚まされた。
人肌での魔力の放出は、触れられた側に、肌の表面をなぜるような触覚を与えるらしい。
つまり、ありていに言うと、そのびりびりは快感に近い感覚を伴う、らしい。
そりゃあ、リオネルもヘイデンも、即答で断るわけだ。
番いじゃなくてもいいかもしれないけれど、
家族や恋人がいないと、結構大変なのかもしれない。
「……ローグさん」
小瓶を握りしめる。
あれは、なんだったんだろう。
ぶっ倒れた、というのが。
本当にただの疲労だけなのならいいけれど。
もう二年も経っているというのに、
少しローグのことを考えるだけで、こんなふうに立ち止まってしまう。
そんな自分のことが、いやだった。
「ブラントル、特殊室のディッカーがきてるよ」
「え?誰ですかね」
帰還した翌朝、早速報告書を書いていると、本部の先輩から声をかけられた。
椅子から立ち上がり、先輩に尋ねる。
「なんか、共鳴具返しにきたって」
セドリックかルベルだ。
先輩に礼を言って、ノアは部屋を出た。
「ああ、ノア。これ返しにきた」
廊下にいたセドリックが、ノアに手を出した。
共鳴魔道具だった。
「ああ、報告すんだ?」
「うん。で、今は室員みんなで新しい共鳴具の運用確認中」
「へえ。……あれ、室長もう大丈夫なの?」
バングルを受け取りながら、ふと違和感に首を傾げると、セドリックは軽く頷いた。
「あの人の重傷は、医務課が死にものぐるいで治すしね。ちょっと……まだ不便はあるみたいだけど」
セドリックの口ぶりに、うっかり笑いが漏れる。
まあ、元気にはなったってことだろう。
「そっか、じゃあよかった」
「昨日とか、報告に行ってみたらもう早速ヘイデンと鍛錬したりして、フリードはたぶんヤキモキしてた」
受け取ったバングルを確かめて、破損や汚損のないことを確認する。
「もう鍛錬?まだそんなに経ってないんじゃなかったっけ。……って、なんでフリードくん?」
フリードは、特殊室の最若手のディッカーだったはずだ。
セドリックの話がよくわからなくて聞き返すと、セドリックはあからさまに「しまった」という顔をした。
「え、何」
「いや……」
何かを言い淀んでから少し周りを気にしたセドリックに、食堂の横のピロティまで連れ出された。
「――もう、騎士団ではみんな知ってるから、ノアにも伝えとくけど」
手にしたグラスの水を口に含んでから、セドリックが言った。
「他の奴らから面白おかしく聞かされたりしたくないから伝えとくんだけど。
うちの室長、フリードと番いで、――ウルラなんだって」
「――――ん?」
言われた言葉をうまく掴みきれず、ノアは小さく首を傾げた。
セドリックが首の後ろを軽く掻く。
「……まあ、そうなるよね。なんていうかその――」
グラスをテーブルに置いて、後ろ手に椅子に手をつく。
「室長、自分一人で魔力作って、溜めて、どでかい魔法使って、
……って、一人で完結してた超人だったらしくて。
なんかその、魔力溜められるから?……ノアみたいにウルラの資質もあったらしくて」
ノアみたいに、のところをことさら小声で言ったセドリックは、いったん言葉を切って、
少し首を傾げながら、言った。
「で、……フリードのウルラになったっていうか」
「…………はあ」
――なんで?
セドリックなりに丁寧に説明してくれたみたいだったけれど、
ノアには、やっぱりまだうまく理解できなかった。
「え、……ん?室長のウルラの人は?」
室長は、ディッカーだったはず、だ。
二年前、拠点へ来てくれた時の、流れるような魔力の行使や、仮設橋の造成の様子を覚えている。
ローグの言っていた通り、ディッカーの魔法は「なかなかのもの」だった。
呆けたように尋ねたノアに、セドリックが小さく首を振った。
「いやいや、だから、室長にウルラはいないんだ。
あの人はディッカーばりの魔法使えるけど、――ディッカーってわけじゃないってこと」
ただ、室長がウルラである、という事実だけが一人歩きして、室長という肩書きに疑念を持つ人々が少なからずいる。
そういう連中から面白く話を聞かされてしまわないようにと、セドリックはわざわざノアに説明してくれたらしかった。
まだよく飲み込めないけれど、つまり――
「えっと、室長ってすごい人だったんだね」
ノアがそういうと、セドリックは虚をつかれた顔をして、それから破顔した。
「そうそう。――うちの室長すごいんだよ」
フリードの方がずっと年下で、しかも部下ではあるけれど、
室長が復帰間もなく激しい鍛錬などしていたらヤキモキしただろうなあ、と、セドリックは言いたかったらしい。
まあ、普通に心配にはなる。
怪我をして二日も意識がなかったというから、その怪我の大きさも推してしるべし、だ。
でも、――騎士なんてみんなそんなもんだ。
自分の体を顧みないで、命を削るようにして、いなくなっていく。
自分の魔力の溜まり具合に無頓着なヘイデンも、
怪我からの復帰を急いで、年下の番いを心配させるアーネストも、
そんなふうに、生き急ぐ騎士達のことは――ノアには理解できなかった。
どこか、見ていられないような気がして。
セドリックを見送り、ノアも本部へ戻るために踵を返した。
日暮れ後、まだ廊下の明かりは灯されておらず、薄暗い中を歩く。
行き交う人々の向こう、大きな影が足取り重く回廊を出て行った。
その影の暗さに、頭をよぎった人の背中は、
遠かった。
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