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第43話 ノック

 ――教官として再配置。  本部へ回された宿舎の申請書を手にして、ノアはしばらく固まっていた。    使用者 ローグ・オルブライト  一時的に騎士団教官として再配置のため。  ただし一時配置のため、当面官舎ではなく宿舎逗留予定。  歴八四五年 十月二十八日   「……これ、もう、全て手配完了していますか」  季節外れの宿舎利用申請を手に事務官へ尋ねると、中身を覗き込んだ事務官は、軽く頷いて部長を示した。 「部長が直々にご案内していましたよ。おそらくあとは書類上の処理だけかと思います」 「部長が?」 「なんでも、昔の部下の方だとか」 「ああ……そう、なんだ」  呟いたノアを置いて、事務官は座ったまま伸びをした。 「ああでも、――昨日急に来られて申請されていましたから、室内備品などはどこまで揃っていたかわからないですね。」  見てきましょうか。  そう言った事務官を手のひらで押し留めて、ノアは椅子から立ち上がった。 「うん……、俺、行ってきます。昔お世話になった方なので」 「へえ、そうなんですね」  じゃあお願いします。  そういう事務官の声を背に受けて、ノアは本部を後にした。  宿舎は、南館三階の端。  ノアの宿舎とは離れたところだけれども、本部の雑務も引き受ける立場上、足を踏み入れることは少なくない。  いるだろうか。  いて欲しいような、……いて欲しくないような。  そのどちらでもない掴めなさのようなものを抱えたまま、ノアは宿舎の南館へと足を向けた。  深夜勤だった者たちが、束の間休息を取る遅い朝の時間帯。  宿舎内はしんとした静けさに包まれている。  申請書に書かれた宿舎番号を確認し、扉の前で立ち止まった。  部屋の中、あるいは近くの部屋から、誰かのいびきが聞こえてくる。  その静けさの中、握りしめた手のひらを、扉に打ち付けるべきか、どうか――  背後で扉の開く音がして、はっと息を呑んだ。 「あれ、お疲れ。そこ誰か来たの?」 「――はい。一時的なようですが」  振り返った先にいた、顔を見たことのある騎士に応える。 「……へえ。ノアが整えにくるの珍しいよな」  立ち去るかと思った騎士が言葉を続けたので、ノアは体の向きを変えた。 「そうですか?――まあ、問題があれば部長がお出ましになりますものね」  肩をすくめて言うと、騎士が少ししょっぱい顔をした。 「あの人、かなり偉いさんなのになんでしょっちゅうここら辺うろうろしてんの?ノアとか事務の人とかでいいじゃん」  なんでですかね。  肩をすくめてそれだけ口にしてから扉に向き直り、気づけばそのまま扉をノックしていた。 「この時間帯、どうせいないんじゃない?」 「――そうですね。まあ……、ただの礼儀です」  振り向かずに言った言葉が騎士に届いたかわからなかったけれど、足音は遠ざかり、室内からの応答は聞こえなかった。    扉に打ちつけた拳は、しばらくの間下ろせなかった。  応えのなかったノックに、少しの間扉を見つめて、  ――それからノアは、部屋のドアノブに手をかけた。  鍵はかかっておらず、ゆっくりと、ドアノブが回った。 「……――ローグさん」  宿舎を使う人々の中でも、少しだけ階級が上の人間に割り当てられる角の部屋。  扉のすぐ奥には衝立があり、室内をすぐに見渡せるようにはなっていない。  応えのない室内にそっと体を滑り込ませて、ノアは扉を閉めた。  寝台に広げられた毛皮、床に広げた布に置かれた装備品の数々、手入れのための品々――  あの頃、  天幕の中に吊り下げられていた色々の道具が、  宿舎の中で、並びを変えてノアを出迎えていた。  暖炉の前に置かれた寝椅子にも、少し小さめの毛皮がかけられており、床についてしまいそうな様子を見て、ノアは思わずその毛皮を腕に掬い上げた。 「――――」  ふいと鼻先に忍び込んだ甘い草の香り。  それから、スパイシーな奥行きのある匂い。  一瞬唇を噛み締めて、掬い上げた毛皮を寝椅子にかけ直した。  なぜか、少しだけ瞼が熱くなって、思わず首元を乱暴に擦った。  息を吐いて、備品の状態を確認する。  基本的な家具類に問題はない。    薪は新しいものが崩されており、おそらく住人が薪置き場から自分で持ってきたものと見られた。  寝具は毛皮で賄われていたが、シーツが敷かれておらず、基本的なものが揃っていない。  桶や、湯沸かし用の鍋は問題なし。  問題は窓のカーテン。  教官ならば日中に眠ることはあまりないけれど、これでは夏の間はろくに眠れないに違いない。  一時的配置だというから、夏まではいないのかもしれないけれど。  室内の温度管理のためにも、早めに必要だった。  寝起きのままにしわの寄った、寝台の毛皮。    整えるために近づいて、――そっと指を差し入れて、  お日様に、干してやりたくなった。  それはもう、自分の仕事ではないのに。      本部へと戻り、不足のあった備品のリストを手渡し、追って届けてくれるよう事務官へ依頼した。 「――お会いになれたんですか?」 「ううん。……まあ、そのうち会うだろうから」  結局ローグとは会わなかった。  いずれ、会うことはあるだろう。  ここへ推薦していただいたお礼は、しなければならない。  だから―― 「そうですねぇ、同じ勤務地ですしね」  そのうちだ。  あの拠点の気配が濃いローグの部屋に、尻込みしたわけじゃない。 「……うん」  それからいくつかの書類を仕上げて、部長の裁可に回すために立ち上がった。  日中は不在のことも多い部長は、少しだけ難しい顔をして机の前に座っており、ノアは控えめに声をかけた。 「――ああ、ブラントル。そう言えばあいつがこっちにきたぞ。オルブライトだ」  ノアの手に持つ書類のトレイに気づき、部長が手を伸ばした。  その手にトレイを手渡しながら、軽く頷く。 「はい、宿舎の利用申請を見ました。――知り合いだって、お話ししたことありましたっけ?」  トレイに乗せたまま、書類をぺらぺらとめくり、そこから目を離さないまま部長が笑った。 「そりゃお前。――お前の推薦状俺に送ってきたの、あいつだぞ。  コネをフル活用して、本部宛と俺個人宛と両方出してきやがった」 「――え?」  ――個人宛?  呆けた声で応えたノアを、部長がちらっと見上げて言葉を続ける。 「そんなことあいつにしては珍しいから、どんなもんかと思ってたら。  確かに優秀だし、まあ狼連中の中に置いとけない気持ちもわかるが――」  いい拾いもんだったから、礼を言っておいたよ。  そう締めくくられた部長の言葉はあまり耳に入ってこなくて、ため息のような返事しかできなかった。 「よし。サインして回しておこう。  師団の方から演習の手配と、なんか――新しく契約があったらしいから、見といてくれるか」 「――わかりました」  手渡された書類を受け取ると、部長が何かに気づいたようにノアの顔を見た。 「ああ、オルブライトに礼を言うなら早めにしとけよ。  教官扱いでこっち来てるけど、ありゃ休養させるための措置だと思うから。体調良くなったらまたあちこち行っちまうぞ」 「体調ですか?」  思わず問い返すと、ゆっくりと背もたれに体を預けて部長は言葉を続けた。 「うん。このところ調子良くなかったみたいでな。上の連中が心配がってこっちに連れてきたみたいだ。  まあ、あいつのことだからすぐ良くなるだろ」  どんな――  ざわざわとしたものが、背中にひんやりとまとわりついた。  リオネル達から聞いた話、魔力の滞り、ディッカーの打診と、解除。  雪山で倒れたオルさん、寝起きのままの毛皮と、あと、……そう、  ――肌の、びりびり。  つい首元に手が伸びかけて、止めた。 「……はい」  聞かされた話を全てはうまく受け取れなくて、ひとまず手元に目線を落として、机に戻った。    

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