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第44話 線引き

「――あ、それ……。やっぱり、俺が持っていきます。カーテンつける時、多分荷物動かさないといけないので、……在室の時がいいかなと」  退勤の支度と共に、ローグの部屋へ持っていくためのリネン類をまとめ始めた事務官へ声をかけた。 「え、そうですか?夜間なら――、なおのこと自分がいきますよ」  立ちあがろうとしていた姿勢のまま、自分で引き受けようとしてくれた事務官に、一瞬口ごもる。  そこへ、部長の声がかかった。 「オルブライトは平気だから、ブラントルに行かせてやって大丈夫だよ。よろしくな」  部長の言葉に何か含みを感じて、振り返って目線で尋ねた。  ローグは平気で、何ならダメなのか。  ノアの目線に気がついた部長が、少しだけ眉を下げて口を開いた。 「……お前、ずいぶん騎士連中から人気なんだぞ」 「……はあ……?」 「夜は騎士ばっかりで騒がしいからな。あんまり行かせたくないって言えばわかるか?」  部長の言葉を受けて、事務官の顔を見て、――額に手を当てた。  ここでも、ウサギの群れの中だ。 「じゃあ、あんまり遅くならないうちに行ってきます」 「入り口で呼び出せばいい。ちゃんと礼をしておけよ」  それだけ言い置いて、王宮での会議に向かうため部長は部屋を出て行った。 「――じゃあ、これは引き取りますね」  その背中を見送って、事務官に向き直る。  まとめられたリネン類を引き取り、机の脇に置いた。 「はい、お願いします」  頭を下げて退勤していくのを見送り、ノアは手元の仕事に向き直った。  師団から確認の依頼を受けた契約書をもう一度眺める。  書き出した数字から予算を試算し、最後にその額面を帳簿に書き付けた。  この十日ほどの不在で溜まっていた師団関連の仕事はこれで概ね片付いた。  預かった契約書をトレイに載せて、明日、師団へ届けるように準備をした。  立ち上がって腰を伸ばし、窓の外を見る。  すっかり日の落ちた空は薄暗く、そろそろローグも戻っているだろう。  そう思った。   「主任、誰か用事?」  後ろから声をかけられて、肩が揺れた。  宿舎南館の入り口から三階、角部屋の方を見上げて止めていた足を、横に動かす。 「邪魔でしたね、すみません」  声をかけてきたのは、辛うじて顔を見たことのある若手の騎士で、騎士達の例に漏れず大きな体を屈めてノアの顔を覗き込んでいた。 「邪魔じゃないよ。誰か用事なら呼んでこようか?」  騎士は、そう言ってからノアの手元に目を止め、ああ、と頷いた。 「持ってくんだ。じゃあ俺一緒に行くよ、どこ?」  部長の声がチラッと脳裏を掠めた。  ――呼び出せばいい。  だけど、手を煩わせたくはないし、この騎士に連れていかれるのもなんだか違う。 「――いえ、その」  口を開いたところで、頭の上に重みが乗った。 「久しぶりだな、主任」  背後からかけられた声。  頭のてっぺんから落ちる、ほんのわずか、チリチリとした感覚。 「――ローグ……さん」  一度押し込まれるように重みが加わって、すぐに手を離された。  ノアは止めていた息を取り戻して、背すじを伸ばした。 「それ持ってきたんだろう。受け取るから帰っていいぞ。助かった」  ローグがノアと、騎士に向かって順に顔を向けると、騎士は軽く手を上げて立ち去った。  ローグはそのままノアの手元からリネン類を奪って――受け取って、  指先が、ほんのわずか触れ合った。 「――――っ」  びりびりと腕を駆け上った感覚――くすぐったさのようなそれに、  ノアは思わず手を引いて、ローグの顔を見上げた。  少しだけノアの顔に目をとめたローグは、じゃあなといい置いて、ノアに背を向けた。  その顔の、頬の、目の下の影が、暗くて。 「……ローグさん。体調、いかがですか」  思わず、その服の裾を掴んでいた。  一瞬、ぴんと張った服の裾が、ゆっくりとたわむ。  それから、ローグがゆっくりとノアを見下ろした。 「ああ……。ちっ、それ部長から聞いたのか。個人情報だろ普通に」  小さく舌打ちを挟んで、ローグが応える。  掴んでしまった服の裾を思わず手離して、何を言えばいいのか、わからなくなった。 「……すみません」 「お前のせいじゃないだろ。部長に言っとけ」  鼻を鳴らされて顔を上げると、ローグはノアを見下ろして、唇だけで笑っていた。 「――そんなこと、言えませんよ……」 「ふっ――はは、上司も管理しとけ。得意だろ」  一瞬鼻を鳴らしてから、とうとう声を出して笑ったローグに、どうして胸の奥が痛むのかがわからなかった。  ただ――ローグのその笑顔に、  あの甘く乾いた草の香りを、思い出していた。  

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