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第47話 名付け
管理官が退室すると、部屋にはローグと、ノアだけになった。
この番い交渉は「非侵襲的な手段」で行われることから、
以前にあったような準備期間もなければ、番い同士で交わすべき「ひとときの恋人」の約束も必要ない。
ただノアは、首を晒していればよかった。
「なあ、あんた――」
向かいのソファから、ローグが何か言いかけて、口を止めた。
「……はい」
硬くこわばった胸のうちを抱えたまま、ローグの呼びかけに応える。
目を向ければローグは、珍しく痛ましそうな顔をしてこちらを見ていた。
「聞いた通り、俺はこの番いで正式なディッカーになるわけじゃない。
あんたの貢献は、使い古された騎士の油差しに使われるだけだ」
――そんなことは、よく分かっている。
そしてノアは、ただディッカーの番いを夢見てその貢献に胸躍らせるような、
そんな純粋な若者でもなかった。
「そうですね。油差し、結構です。
よく役に立ちます。便利で、よく考えられた――」
ローグの目を見据えて、少しあごを上げた。
「道具です」
少しだけ、その目が見開かれて、
ローグは背もたれに体を預けた。
額に手をやり、肘を置いて――
「――参ったな……」
小さくこぼれた声に、なぜか胸の奥を掴まれた。
下唇を噛んで、その痛みをやり過ごす。
困らせたいわけじゃない、けれど、もうノアには逃すことはできないから。
そのつむじに向かって、声をかけた。
「その他に、確認すべきことはありますか」
束ねた黒い髪、少しこけた頬のライン。
自分から見えるローグの姿を、ゆっくりとなぞる。
ローグが、つむじを見せたまま息をはいた。
「……俺は、あんたに名付けはできない」
「そうですか」
ノアの言葉に、ローグは苛立ったように頭を掻いた。
「あんたのことを、尊重できない。……そう言っているんだ」
――あなたには、十分尊重してもらった。
口にはせず、ローグに答える。
「そんなこと……、望んでいません」
それからしばらく、沈黙がその場を支配した。
やがて顔を上げたローグは、じっくりと、ノアのことを観察した。
頭のてっぺんから胴回り、指先までを視線でなぞり、口を開いた。
「騎士ではないな」
落ち着いた、静かな声だった。
「はい。――違います」
「前に出る、――例えば、騎士に護衛されるような場面はあるか」
師団での任務を思い出す。
ウサギの群れにいない時は、ディッカーたちに護衛、されているようなものだ。
「はい。あります」
ため息をついたローグは、「左だな」とだけ言った。
「左」
オウム返しに言うと、ローグは体を起こした。
「あんたが騎士に護衛される時、騎士はあんたの右側にいるはずだ」
言われてみて、思い起こす。
ノアにはあまりよくわからなかった。
「騎士は利き手を潰さない。あんたを自分の左に置いて護衛する。
あんたの右側に魔力障壁があると、あんたの身の安全が守れない」
左耳の下、
――お守りの場所に、手をやった。
「そう、そこだ。そこが、道をつけるべき場所だ」
言い切ったローグの、温度のない瞳の色に、
しばらく何も考えられなかった。
「……やめていいんだぞ」
思わず伏せていた目線を上げると、こちらを見えていないはずのローグと目があった。
「そこはいやなんだろう」
「いえ……」
嘘だ。
――ローグがくれた、数少ないものだった。
そこを一度強くこすって、――手をおろす。
「……弱いだけです」
それでも、この人に奪われるのなら。
――もう誰にも奪われない場所になるのなら。
ノアは、ソファから立ち上がった。
「首、拭いてきます。」
部屋に備えられた浴室で、首元を緩めて、濡らした手拭いで拭き上げる。
そっと、指先だけでお守りの場所に触れると、
かすかに覚えのある感覚が蘇った。
甘く、乾いた草の香り。
――タイム。
目の前がくらりとして、少しだけ景色が揺れ――
きつく目をつむった。
――行こう。
浴室を出て、ソファの近くまで歩み寄る。
「どのようにしますか。ここ に座ったままで大丈夫ですか」
「…………ああ」
押し殺した声で応えたローグの顔は見ないで、ローグの右隣に腰掛ける。
体を右に向けて、首を傾けた。
斜め後ろにいるローグに声をかける。
「……はじめましょう」
ほんのわずか、ソファの座面が揺れた。
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