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第52話 猶予
ローグの肩に顔をうずめている間、
自分がどんな顔をしているのかなんて、考えなくてよかったけれど。
ローグは、首すじから唇を離した後も、しばらくはノアの体重を受け止めてくれていた。
恥ずかしさも、快感も、安心感も――
全部が、ノアの中でまぜこぜになっていたから、
ローグが、ノアの背中を支えたまま体を前に倒した時、
飛び出しかけた悲鳴を飲み込み、慌ててローグにしがみついた。
「……っと、悪い、…………っ……」
跳ねた体をもう一度引き寄せ直して、ローグが少し息を詰めた。
「ローグさん、……え、大丈夫……ですか?」
慌てて体を離し、腰を浮かせる。
覗き込んでみると、ローグの顔が少しだけこわばっていた。
魔力を発散させた後は、少し貧血のような感覚になることもある。
そう聞いていたので、慌てて足を下ろして、
――下ろそうとして。
「――っあ」
「おい、馬鹿……っ」
ずっと曲げていたのを急に伸ばした膝は、うまく力が入らなくて、
ノアが少しよろめくと、ローグが咄嗟に体を起こそうとして、顔を顰めた。
「――――っ、あー……。くそ」
今度こそ慎重に体を離し、そっと距離を取ると、
ローグは脚を少し曲げ伸ばししては、じっとして自分の足を眺めていた。
「すみません。……俺のせいですね」
「いや、――こうしたのは俺だろ」
また慎重に脚を伸ばして、それから首を巡らせて上を向き、ローグは背もたれに体を預けた。
大きなため息の音が聞こえる。
「……なあ、」
「はい」
ローグはそれきり少し黙り込んで、指の先で眉間を揉んだ。
目を開き、顔を上げてノアを見て、
それから、目線を部屋の奥へと向けた。
「……次からは、あっちだな」
その先。
少し背の低い衝立て遮られた、その向こう。
そこにあるものを、ノアは知っている。
清潔な寝具の整えられた、
――寝台。
ノアも、ローグの目線を追ってそちらを見て、
そのままローグの脚に視線を落とし、
ゆっくりと、横顔を見上げた。
「……はい」
断りたい理由はあっても、
――選ばないという選択肢は、なかった。
「――はあ……」
ローグと別れて、自室に戻って、
寝台に広げたままの毛皮に倒れ込む。
交渉のたび、ここに逃げ込むのが癖になってしまいそうだ。
だけど。
ごろりと体を回して、仰向けになる。
両腕を伸ばして、脚も広げて、天井を見上げた。
体の熱を逃してしまいたくて、そのまま動けなかった。
くっついて、両腕で感じた体温と、手のひらの下にいた、ローグ。
背中に回された腕の温もり、力強い、安心感。
今。
――この時だけ。
そうわかっているのに。
思い出すだけで胸の内をしめつける想いは、ちっとも恋心を手放す様子がなくて。
「――だめだろ……」
そのまま、意識が沈んでいった。
引き継ぎは三日間。
元々師団の関係で長期不在も多かったから、ノアの担当は緊急案件が多くて、それほど大掛かりな引き継ぎは必要なかった。
とはいえ、二年間の間に担当した案件の全てを見直しして、後を引き継ぐのに不足がないかを確認するのはなかなか骨の折れる作業で、
「――ふぅ」
「ノアさん、あんまり根詰めないでいいんですよ。
何かあったら聞きに行けるんですし」
事務官が心配して声をかけてくれて、ノアはそちらに向かって薄く笑った。
「ありがとうございます。――やれるだけ、やっておきますね」
二日連続で緊張を強いた体が少し重たくて、それもあって集中力が続かなかった。
ローグの言う通りだ。
唇の内側を少し噛んで、自分の見通しの甘さを恨んだ。
扉の開く音がして、部長が戻ってきた。
「ああ、ブラントル。忙しいところすまないが、師団から遠征に付き合ってほしいと連絡が来た。明後日からだ。
異動早々からですまんと、師団長殿から伝言付きだ」
「――えっ、……わかりました、確認します」
思いがけない遠征の予定に、ローグの顔がよぎった。
明後日までに、道ができる気は到底しなくて。
思わず椅子から立ち上がり、
でも、自分がどうしたかったのか一瞬わからなくなって、
部屋の中を見回す。
ひとまず――
「師団に行ってきます」
「はい、お気をつけて」
「師団長殿によろしくな」
二人の声を背に、ノアは廊下へと歩き出した。
ひとまず、アーネストに相談してみよう。
「何もなければ、二、三日だね」
遠征の予定期間を確認すると、アーネストは軽くそう答えた。
「二、三日……」
ノアは息を止めて、少しの間アーネストの顔を見た。
あと三回で道ができるとは到底思えなかったけれど、
二、三日あけるくらいなら、ローグの体調は大丈夫そうに思えた。
「何かあったか?引き継ぎが終わらないなら、帰還後にフォローしてもらっていいよ」
「ああ、――はい。ちょっと……、管理課絡みで」
具体的なことを言うわけにはいかないけれど、ノアがウルラの資質を持っていることはアーネストも知っているから、正直に言ってみることにした。
「――えっ」
目を見開いたアーネストに頷いてみせると、少しの沈黙の後、わかった、と返ってきた。
「管理課に俺から連絡するよ。俺が何か聞けることはないけど、状況は伝えてみる。
……何か、難しい理由があるんだろ?」
その言葉に、少しほっとして、小さく頷いた。
アーネスト自身も、師団のメンバーのウルラだ。
そういう意味で、ノアにとっては相談のしやすい上官だと思う。
「ありがとうございます。……すみません、異動前からこんなこと」
「謝るなよー。それをいうなら、異動早々から遠征入れるこっちが悪いんだし」
顔の前で手を振るアーネストに、とんでもないと首を振ると、
少しイタズラっぽく笑って、言葉を足された。
「まあでも、ノア以外いないから。――よろしく」
その言葉に少し笑って、ノアは執務室を辞した。
「――ノアさーん!」
廊下の奥から呼ばれて、振り返るとヘイデンが駆けてくるところだった。
「ヘイデン、どうしたの?」
「ノアさんこそどうしたの、早めにこっち来られることになった?」
ヘイデンの言葉に少し笑って、違うよと首を振る。
「師団長に少し用事があっただけ。今日は本部に戻るよ」
ノアの言葉に眉を上げたヘイデンは、なんだぁ、とこぼしてまたにこっと笑った。
「でも、次の遠征はノアさんがついてきてくれるんでしょ。俺リオネルに自慢しちゃった」
「ええ?」
ノアがついてくることの何を自慢したのかわからなくて首を捻ると、ヘイデンは本部に向けて歩みを進めながら言葉を続けた。
「ルベルさんとかがいっつもめちゃくちゃ自慢してくんだよなー。
ノアさんの野営飯がとにかくうまいって。俺ずーっと楽しみだったんだー」
嬉しそうに言うヘイデンに、声を上げて笑った。
師団員には、いつも料理を褒められる。
ここのディッカーたちは、とにかく少人数で動くことが多くて、
遠征中の食事は全部自己管理だったから、
――二年前、拠点もそうだった。
うまいものを食わせてやろう、そう思える。
「医務課まで行くのか?」
「うん、そう。遠征あるし、今日で計測は終わりにして、あとしばらくはちゃんと譲渡するんだって」
なぜか妙に嬉しそうにそう言うヘイデンの言葉に、ノアはハッと顔をあげた。
「――なあ、ヘイデン。その発散って、何日くらいもつもの?」
「ええ?」
思いがけないことを聞かれた顔のヘイデンと、少しの間顔を見合わせて、
それから、首を傾げたヘイデンに、医務課へ誘われた。
リオネルに聞くのが一番早い。
そう言って。
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