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第57話 「おやすみ」
ふと気づくと、ノアは薄ぼんやりとくらい室内で、一人暖かな上掛けに包まれていた。
「――っ」
一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなって、慌てて体を起こす。
暖炉で火が小さく音を立て、交渉の部屋にいたと気づいた。
合わせて、交渉のことを思い出し、両手のひらで顔を覆い隠す。
ローグに、散々か わ い が ら れ た。
体に触れられて、あちこちに唇を落とされて、抱き寄せられて、ローグの匂いに包まれて。
つんと鼻先に痛みが走る。
いつだって、
ローグは、ノアを優しく嘘で包む。
関係が変わっても、意味が違っても、見せる相手が誰でも。
ふと、最後の夜を思い出した。
あの日だけ。
あの日のローグだけ。
ローグの意図がわからなくて、まだ整理できていない。
ため息をついて、体を起こす。
自分の部屋に帰りたかった。
上掛けをはいで、寝台から足を下ろし、室内履きに足を入れて立ち上がり、
違和感に動きを止めた。
ソファの上の影。
「ローグさん」
慌てて駆け寄ると、大きな体をソファに横たえて、
ローグが眠っていた。
ぴくりと眉が動いて、ローグが薄く目を開ける。
「あんたか。体大丈夫か」
開口一番そんなことを言われて、思わずぽかんと口が開いた。
「それは、……ローグさんでしょう。こんな、――こんなとこで寝ちゃダメです」
ソファの前にしゃがみ込むと、ローグはゆっくりと体を起こした。
「ん、問題ねぇよ」
「なくないです!」
思わず大きな声が出て、口をつぐむ。
ローグも、少し驚いた顔でノアを見つめ返した。
「その……、これは、あなたの体のためにしてることです」
ソファの座面に、両手をついて顔を伏せる。
驚いた反動で、体から力が抜けていた。
「体、……労ってください」
同じ寝台に、ローグが眠るわけがないことくらいは、わかっている。
ノアを一人にしなかったことも、嬉しいと思う。
でも、ローグの気遣いはいつも自分を削る。
「俺のことなんて、ほっといていいですから」
「あんた、そう言って、ほっとかれたら傷つくだろ」
言われた言葉に、目を剥いて顔を上げる。
ローグは、なんでもない顔をしてこちらを見ていた。
「き、ずなんて、別に」
「どうでも良くないし、付かないわけもねえ」
ローグが、ソファから足を下ろして言葉を続けた。
「あんたがどう思おうが、わかっててほっとくことはできねえよ」
そう。
そういう人だ。
一人部屋を去ることはしない。
でも、きちんと距離をとる。
「でも。こんなところで寝てしまわれたら、それはそれで、俺はつらいです」
ズルいことを言おうとしているのは、わかっていた。
それでも、譲れないものもある。
「戻ってしまわないなら、一緒にいてください。
目を覚まし時に一人きりなのは、あなたがここにいても、同じなので」
目線を落として、ソファの座面に額をつける。
一拍おいて、息を吸い込んで、言葉を続けた。
「甘えていいなら。甘えさせて」
頭の上に、手のひら。
背中に落ちて、ぐいとなでられて。
「あんたのしてくれることに、俺のできることなんてそれくらいだ。
俺なんかで良けりゃ、いくらでも使え」
耳元に口を寄せられて、言葉を吹き込まれた。
「悪かった。一人にさせた」
脇の下に手を差し入れられて、体を引き上げられる。
膝の上に乗せられて、正面から抱き寄せられた。
数時間分で溜まった魔力が、ほんの少し、チリチリと肌の上を駆けていく。
そのチリチリと一緒に、ノアの体もほどけていく。
首を振って、ローグの肩に顔を埋めると、その体が小さく揺れた。
「悪いが、あっちでいいか。さすがに朝までは持たん」
「ふふ」
その言葉に、体を浮かせて立ちあがろうとして、下からすくいあげられた。
「っわ!」
「いい子だ、ちゃんと掴まってろ」
荷物のように抱えられて、運ばれて、寝台に横たえられた。
室内履きを脱がされて、奥へ行くよう促される。
ローグが寝台に上がりかけ、ふと動きを止めた。
「あー……、火を落としてくるだけだから。待ってろ」
頷くと、ローグは寝台から離れ、暖炉の火を崩した。
もうほとんど小さくなっていた火は、崩されて暗くなり、部屋の中はいっそう闇に沈んだ。
その暖炉を背に戻ってくるローグを、寝台の上で見つめる。
いいのだろうか。
今からでも、自室に戻ればいい。
あの、柔らかな毛皮を敷き詰めた寝床がノアを待っている。
ローグが、寝台の前で少し立ち止まり、それから膝を乗り上げた。
シーツに手をついて、ふと顔を緩める。
「ふは、あったけえな」
胸の内、迷いと期待がきゅうっとひとまとまりになって、きらきらと弾けた。
これだから、この人はずるい。
ローグは、ノアの方を向いて横になり、上になった腕を軽く広げた。
まさか、こんなふうに向かい合ってくれるとも思っていなかったのに、
その身に、体を寄せてもいいということなのか。
少しの間見つめあって、それからローグが口を開く。
「甘えとけ」
少し身じろぎすると、軽く頷いて促される。
今だけ。
今だけ、だから。
肩と腕を使って、ローグににじり寄ろうとすると、
ローグの体が近づいて、広げた腕に引き寄せられた。
すっぽり、腕の中におさまると、どうしようもない恥ずかしさと、
キラキラした嬉しさとが湧き上がって、なけなしの罪悪感を押し退けようとする。
「……寝れそうか?」
無理だ。
「はい」
「ん。おやすみ」
ああ、そうか。
これが、おやすみだ。
これが、自分たちの中できっと、一番優しい「おやすみ」だ。
「おやすみなさい」
部屋の中は暗く沈んで、ノアの罪悪感を優しく包み隠してくれた。
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