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第59話 ふり仰ぐ
雪崩や落雪のリスクがある場所の対処をしながら、山沿いを巡る。
冬眠し損ねた魔獣の痕跡がないかを確認し、北方のエリアほど近くまで足を伸ばした。
「今日は砦跡まで行くから、もう少し走るよ」
山を降りてきたヘイデンが言うのに、頷いて返す。
日は傾きかけていて、少し眩しかった。
全力で走っても、二人が対処する間は待機という名の休憩をとれていて、ノアの体力にはまだ余裕があるはずだ。
汗が引いて少し冷え始めたのを感じて、鍋に沸かしていた湯をカップに移した。
「ルベルさんはそろそろかな」
馬を降りたヘイデンが軽く頷く。
それからいくつかの荷物を馬から下ろしたのを、受け取って鞄に収めた。
「おそくなるなら、今のうちになんかお腹に入れておく?」
走りながらでも口に入れられるよう、蜜で固めた木の実を取り出して手渡す。
ルベルの分も取り出して用意すると、馬のために水と簡単な飼料も出してやった。
木の実にかじりついたヘイデンが、あ、と小さく声をあげた。
ノアも、同じくして動きを止める。
胸元、騎士団の紋章牌のそばに取り付けた魔道具が小さく震えていた。
「俺応答するね」
そう言って、ヘイデンが魔道具を軽く指で叩く。
何度か複雑なリズムで応答して、魔道具は震えを止めた。
少ししてから、トントン、トトトン、トトン……と、軽い打突音が胸元を打つ。
ルベルからの通信だ。
「……交戦中に、よく信号送れるね……」
「追跡中なんじゃないかな。この時期だからもう弱ってるよ、少し待とう」
通信の内容は、交戦中。警戒して待てというものだった。
交戦相手に指定はなく、おそらく冬眠し損ねた魔獣だろう。
「ノアさん、あそこ」
ヘイデンの示す先をふり仰ぐと、山の向こう側につむじ風の舞う場所があった。
「あれがそう?」
「多分。風の結界で逃げ場を塞いでるんだと思う。見たかったなー」
北方のじい様たちのようなことを言うヘイデンに頬が緩む。
じい様たちは元気だろうか。
ぶっ倒れたはずのローグがすぐに中央に来たということは、ローグはじい様たちの興味を十分に満たす前に北方を出てしまったんだろう。
さぞかし残念だったに違いない。
「見せもんじゃないだろ。雪崩警戒よろしくな」
わかってるって、と返事をしながらも、ヘイデンはしばらくつむじ風の方を眺めていた。
「あ、ノアさん。ノアさんの馬、落ち着かせてあげて。大きい音くるかも」
ヘイデンが軽い調子で言う。
「音?」
「うん。多分あの中雷電か何か使うと思う。雪崩は警戒しとくけど、ノアの馬は多分音も雪崩も慣れてないから」
ヘイデンの言葉に慌てて馬のそばへと駆け寄る。
急に動いても怪我をしないよう、縄を少し長めに調整してやった。
「いい子。大丈夫だよ、ここは安全だからね」
ノアが寄ってきたので、もう出立するのかとそわついた馬をなだめ、しっかりと首に触れてやる。
体に触れて、ここにいるよと知らせてやると、馬はパニックになりにくいと教わった。
ヘイデンは自分の馬と何やら手遊びをしており、時折山の向こう側を指差して話しかけていた。
慣れているのだろう。
ふと、空が瞬いた。
ばりん、と空が割れるような音がして、山の向こう側が明滅する。
ノアがそちらをふり仰ぐと、馬も首を揺らして、それから少し雪面を蹴った。
「大丈夫大丈夫」
首を撫でてやる。
音はそれ以上続かず、山の向こうでみるみるうちにつむじ風は散り、景色は平常を取り戻した。
「終わったね。何の魔獣かなあ。解体楽なのがいいなー」
「こっちまで運んでくるの?」
馬の鼻面に腹を押されるヘイデンと話をしていると、またも魔道具が震え出す。
ヘイデンがまた応答し、返ってきた通信に「げっ」と顔を顰めた。
通信内容は簡潔に、上。とだけ。
山の上を見上げると、小さくルベルの姿が現れた。
その影が手を振るのに、ノアも振り返すと、続いて通信が入り、狼、制御求む。と続く。
「ノアさん、少し離れてて。ルベルさんあそこから落とす気だ」
「――えっ」
――どうやって。と聞く間もなく、ヘイデンがトントンと魔道具を叩いて応答したので、ノアは馬の縄を解いて山の斜面から距離をとった。
途中でヘイデンの馬も誘導してやり、ヘイデンから少し距離を取る。
斜面の向こうに消えていたルベルがもう一度姿を現すと、その後ろには大きな塊を引きずっていた。
あれが狼――ダイアウルフなのだろう。
目を細めてじっくりと見つめる。
以前北方で見たものと思うと、何だか貧相に見えた。
「くるよー」
ヘイデンが声を上げ、ルベルはその塊を斜面に置いて、手を離す。
ルベルが足で塊を押すと、それは少し勢いをつけて斜面の下へと滑り始めた。
「ええ、なんで?!」
「あれ、雪と空間魔法のソリに乗ってるんだ。めちゃめちゃスピード出るから俺集中するね」
ヘイデンが言う間にも、狼の塊はするすると斜面を滑り落ち、どんどんと速度を増してきた。
時々雪面の盛り上がりなどで横にそれると、そちら側の雪面が盛り上がって軌道が修正される。
一瞬斜面の傾きが変わると、塊が雪面から浮き上がったりもして、そこでようやくノアにも「雪のソリ」が目視できた。
そうして滑り落ちてきた塊は、斜面の下の方で何度か雪面の盛り上がりに衝突して速度を緩め、
最後にはヘイデンの少し前に形成された氷の壁にぶつかって勢いを止めた。
息を呑んでその様子を見つめていたノアが肩の力を抜くと、再び魔道具が震え、ヘイデンが声をあげた。
「ノアさん、もう少し左きて。俺の後ろにいて!」
言われた通り斜面からみてヘイデンの真後ろになるよう移動すると、上方で崩れた雪の塊が斜面をずり落ちていたところだった。
雪崩とは違うのか。
そう思って見ていると、そのまま斜面が滑り始めた。
雪煙と大きな音を立てて落ちてくる斜面は、先ほどヘイデンが作った雪面の盛り上がりや氷の壁にぶつかりながら落ちてきて、
ヘイデンの真後ろから扇状に、無傷な地面が残っていた。
「――はああああもう。やっぱ雪は扱いづらい」
文句を言いながらもヘイデンは斜面を見上げ、時折集中しては残った雪の塊を砕いている――ようだった。
「雪は扱いづらいの?」
大きな音と雪煙に、興奮してしまったノアの馬をなだめていると、ヘイデンの馬が顔を寄せて落ち着かせてくれた。
それでノアはヘイデンに声をかける。
「俺氷は得意なんだけど、雪って遠目から見てもどんな感じかわかんないじゃん。硬いのかふわふわなのかしめってるのかとか。
だからどんな風に制御しようって決めておけないから、俺下手なんだよね」
なるほど、それで最後の砦は氷の壁にしたということか。
「ルベルさんは雪山慣れてるから、見分け方とか教えてもらうために今回ついてきたんだけど、まだ全然わかんないや」
ヘイデンはそうぼやきながら斜面をぐるりと眺めて、よし、と一人頷いた。
ふと、北方で見たローグの姿を思い出す。
あの時、ローグがあまりに鮮やかに雪崩を制御していたから、
そんなに難しいことだったとは思いもしなかった。
改めて、つくづくすごい人なんだと、――思い知った。
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