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第60話 重み

 改めて馬を繋ぎ直して、ヘイデンがしれっと守ってくれた焚き火とこの後の食糧を確認した。  この位置を基準にしたんだな、と少し面白く思う。 「ノアさんダイアウルフの解体見たことある?毛皮は好きだよね」  ヘイデンに声をかけられて、首を振る。 「ここで解体するから、そういうの苦手なら、しばらくあっち行っててくれる?」 「え、見たい。ウルフレッドだよね、見たい」  思わず手にしていた荷物をすべて置いて、ヘイデンに駆け寄った。  結局一度もウルフレッドを取り出すところを見たことはない。 「あれって、普通の狼?アルファとかじゃない?」  まだ氷の壁の向こうにいる塊を見やると、ヘイデンは首を振って応えた。 「俺そんなに見分けつかないけど、少なくともオメガじゃなさそうなサイズだよね。若かったらはぐれかなあ。  んーと、アルファのなりそこない」  ノアの勢いに一歩下がったヘイデンは、腰から短剣を取り出しながら氷の壁をつついた。  おそらく魔法による制御もあってか、氷の壁がガラガラと崩れ、その向こうの黒い塊が姿を現した。 「ガリガリだね」 「まあ、本当なら冬眠してる頃だしなあ」  それでも狼ならではのもっさりした毛皮は健在で、ノアは嬉しくなって身を乗り出した。 「あ、これ、焦げてるの?」  生き物特有の匂いの中に、香ばしいようなくどいような匂いが混じって、ノアは目を凝らした。  夕陽に照らされてよく見えていなかったが、腹回りと首の上あたりが黒く縮れて、腹が裂けていた。 「そだね。雷落ちたからしょーがない。大丈夫、魔石は問題ないよ。」  ヘイデンは軽く言って、足で押して胴体を転がした。  縮れた毛皮の裂け目から短剣を差し込み、首元に向かって切り込みを入れる。 「魔石は、心臓の裏にあるんだ。知ってた?」  顕になる肉の色を眺めながら、無言で首を振る。  冷たい空気に、獣の体内から湯気が立ち上った。  一瞬だけ、鉄くさいような生暖かい匂いが鼻先をかすめた。 「血が出るからね、気をつけてね」  そう言って、ヘイデンは首の下に短剣を差し込み、ぐいと横に動かした。  思っていたよりも静かに溢れ出した血は、毛皮と肉の間に溜まって暗く沈み、鮮やかにノアの視界を汚した。 「みて、ここ」  言われて、骨と肉の間を覗き込む。  ぷうんと強くたちのぼる甘く鉄っぽい血の匂い。  その奥で、赤いような紫のような内蔵の裏、黒いほどの硬質な塊が顔を覗かせていた。 「はぐれだったかも。大きいし、まだすごくきれい」  ヘイデンはそう言って手を突っ込み、その塊を取り出した。  血に染まった手のひらの中、黒黒しい赤の、握り拳ほどの塊が、  狼の代わりに息づいていた。 「これが、アルファのなりそこないの、魔石」 「うん。俺オメガのは見たことないけど、普通のウルフレッドなら何回か見たよ。  でもこんなに濃い色の大きなのは初めて見た。多分なりそこないだと思う」  つまり。  アルファの魔石も、初めはこんな風に力強い色をしていたということか。  ヘイデンは取り出した魔石を雪の上に放り、雪で血を拭いとった。  その様子を見て、ノアは火の近くへと戻った。  火の近くでぬるま湯に戻しておいた雪溶け水をヘイデンの手元に差し出してやる。  手と魔石を洗ったヘイデンは、ノアに笑いかけて、魔石を差し出してきた。 「持ってみなよ!重たいよ!これかなりの値がつくね」  思わず手を差し出して受け取る。  ずっしりとした重たさに驚き、手を引っ込めそうになった。 「すごい。普通の石より重たく感じる」 「ねー、すごいよね。それ、ノアが預かっといて。ルベルさんの戦利品」  頷いて、一度布に巻いてから鞄に収めた。  よし。と腰に手を当てたヘイデンが気合を入れた。 「一枚ものにはならないけど、毛皮はいじゃおう。ルベルさん戻ってくるのどうせ時間かかるし」 「うん。手伝うよ」  ノアも腰から短剣を取り出し、それをヘイデンに首を振って止められ、水や布、縄の用意を指示された。  ノアは、実働戦力にはなれなかったようだった。 「あ、終わってんじゃん」  日の落ちかけた中で毛皮を剥ぎ終えたヘイデンのために、松明を準備していたノアはその声に顔をあげた。 「ルベルさん、おかえりなさい。ヘイデンがほとんどすませてくれました」 「うん、ありがとう。魔石どうだった?多分いいやつだと思うんだけど」  にっと笑ったルベルに、手振りで少し待つように伝えて、松明を高いところに掲げる。  木の棒を組んで作った支柱に括り付けようとすると、ルベルがさっと代わってくれた。 「あ、ルベルさんおかえりなさい。魔石すごかったっす」 「やっぱり?まだ若そうに見えたんだよなぁ」  固定した松明の安定を確かめてから、少し離れて鞄を開く。  中から布に包んだ魔石を取り出した。 「ルベルさん、これです。重たいですよ」 「おお、すげえ!すごい色だなこれ!」 「ほんとですよね!」  はしゃぐ二人のディッカーを見て、つられてノアも笑った。  本当はあの日、じい様たちとオメガの魔石を見てこうしてはしゃげたのかもしれないなあ、と思う。  そこに、もしかしたらローグもいたかもしれない。    もう、ローグを前にそんな風には笑えないだろう。  そうしたのは自分なのに、こうして未練がましく思ってしまう自分がどうしようもなくいやだった。  松明の明かりを見上げる。  少し眩しくて、見ていられなくて、目を細めた。    その後、松明を掲げながら宵闇の中馬を走らせ、三人は夜遅くなってから砦跡に辿り着いた。  屋根壁があり施錠ができて警戒を緩められる。  それだけでも遠征時の逗留先としては十分にありがたい場所だった。  寒々しい室内に天幕を張り、室内の暖炉に火をかけてできるだけ暖かくする。  簡単な食事を出して寝支度を整えると、三人は早々に休むことにした。  おそらく今夜も、ルベルとヘイデンは自分たちの番におやすみの挨拶をしてから眠るのだろう。  今夜は十分には暖まりきらなかった温石を抱えて、固くて丸い石の表面を指先でなぞる。  それでも。 「……おやすみなさい」  小さく、呟いてみる。  暗闇の中待ってみれば、返ってきたのは静寂だった。    体は辛くないだろうか。  今頃は何をしているだろうか。  少しは、今夜もスキップになった交渉のことを考えてくれているだろうか。  背中が寒くて、思わず体を丸める。  ローグがあれこれと思いを巡らせることなどあり得なかった。  未練がましい考えに小さく鼻を慣らして、目を閉じる。  毛皮の奥から、少しだけ懐かしいにおいがした。  翌朝、気温がさほど上がった気はしなかったが、空からは雨混じりの雪が降っていた。 「うわあ、イヤな天気」  ヘイデンの言葉に心中で大きく頷いた。  すでに三人は防水のためにごわつくヘラジカの毛皮でしっかり頭を覆っており、あまりジェスチャーは通じなかった。 「昨日仕留めた以外にもまだ冬眠し損ねたやつがいそうな感じだったから、予定を変えて山沿いを走って戻るよ。  少なくとも郷に降りてこないようにしないとね」  ルベルがそう言って馬にまたがり、ノアたちもそれに続く。  一晩世話になった砦跡は、朝からの雨雪で黒く沈んでいた。  それから三人は丁寧に山沿いを巡り、獣避けの煙を焚いたり、食糧になりそうな木々が郷まで降りてきているのを途中で絶ったりした。 「積極的に追い込んで狩っちゃうわけじゃないんだね」  ひと段落した休憩中、簡単に張ったタープの下で二人に腹ごしらえをさせながら言うと、ルベルが首を振った。  駆け回って暑くなったらしく、すでにヘラジカのフードは外していた。 「無理無理。昨日遭遇できたのはめちゃくちゃ運が良かっただけで、この広い雪山のなかで一頭二頭を追い詰めるのなんて大変すぎるよ」 「そっか」  確かに。  他の動物たちが暗がりに引っ込む冬の間、縄張りも何もなく、とにかく食糧を求めてさまよう獣たち。  ほとんど当てもないものを求めてうろつく姿を想像して、少し切なくなった。 「昨日はラッキーだったね」  その幸運が、どちらにとってのものだったのか、ノアには少しわからなくなっていた。  そうして二日。  つまり全行程4日間をかけて、三人はようやく師団へと帰投した。  特に三日目から降り始めた雨雪は大いにノアの体力を奪った。  なんとか自室にたどり着いた昼過ぎ、かじかんだ手指を暖炉で温めながら、辛うじて読める字でノアは管理課に帰還の一報を入れた。  管理課からはすぐに返書が届き、今夜から再開の旨が伝えられた。  了解したことのみ記して、再び書き付けを扉の下に差し込む。  吸い込まれていく書き付けを眺め、火にあたっていても消えない体の冷えをさすった。  久しぶりの室内、毛皮と甘い草の香りが鼻先をかすめて、じい様にもらった精油のことを思い出した。  甘い草の香りと、少しツンとする松の木などのにおい。  体を温めてくれるとリオネルが言っていた。  ついでに、バームを塗りつけた手のひらの感覚や、ノアに煙を浴びせた時のローグの笑顔、毛皮の感触まで思い出して、首を振る。  数日間縮こめ続けた首は凝り固まって、少し痛かった。   「お風呂使わせてもらお」  重たい体を持ち上げて、膝を伸ばす。  北方でいただいた精油の小瓶を取り出して、扉の前に立つ。  この時間、まだローグはいない。  誰もこの部屋にはいない。  時間を確認して、少しだけ扉を押し開く。  無人の室内で、机に置かれた本だけがノアを出迎えた。  机に近寄り、目を落とす。  本からはみ出した革紐のほつれ具合を、もう一度よく眺めた。  あの時の革紐で、間違いなかった。  手を伸ばしそうになって、やめる。  せめて、そのままにしておきたかった。  物言わぬ本に微笑んでみせる。   「ただいま」  体に残る冷えが、背中に張り付いたまま無言を返した。  

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