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第65話 価値
結局それから二日、たっぷりとノアは寝込むことになった。
アーネストから、風邪をひいて寝込んでいることを聞かされたヘイデンが、気を利かせてリオネルを自室へ寄越してくれて、
贅沢にも治癒術師直々に薬湯を処方してもらって食事を摂った。
「ヘイデンとルベルさん、師団長からこっぴどく叱られたって。ごめんね、ノアさん」
謝られる意味がわからなくて、リオネルに顔を見て首を傾げる。
リオネルは少し眉を下げて笑うと、ノアの手元から、空になった食器を受け取った。
「ノアさんと一緒なのに、自分たちだけの時と同じ行動計画立てるなって。
何のためにノアさんが一緒に来てくれてるのか良く考えろって。
本当だよ」
「それは……、違う、よ」
騎士たちについていけるよう、騎乗の訓練もした。
騎士たちの邪魔をしないために、手早く補給できる工夫もしている。
彼らの行動を妨げたくはなかった。
「違わないでしょ。ノアさんがいるから、普段より腰を落ち着けて対処ができるはず。
その場の突貫対応じゃなくて、先を見た戦略を立てられるはずでしょ」
リオネルはそう言うと、ノアに向かって口元を引き上げた。
「ノアさんも、師団長に叱られなきゃいけないかもね」
何か、言おうとして、小さく咳が言葉を遮った。
そうか。
自分の存在が、邪魔ではなくて、別の一手になる。
リオネルの言葉に、少しだけ指の力が抜けた。
「多分まだ熱が上がるから、誰かに来てもらった方がいいよ。
俺がいられたらいいんだけど、今日は施療院の夜番でさ……」
リオネルお手製の苦い薬湯を飲みながら、その言葉を聞く。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、髪の毛をかき混ぜる大きな手を思い出したけれど、
自分には、そうした個人的な繋がりのある人はいないことを思い知らされた。
「ううん、大丈夫。ちゃんと水飲んで、大人しく寝てる」
なんとか飲み終えそうなところで、カップの底に溜まった薬の溶け残りに気がついた。
ふと眉をひそめたノアに気づいたのか、リオネルがカップを取り上げて、また少し湯を足した。
「はい、ちゃんと飲んでね。……ヘイデンでもいい?」
言葉と共にカップを手渡される。
「えぇ……」
苦行が続くことに思わず唸り声をあげると、リオネルがノアの顔を覗き込んだ。
「えっ、ヘイデン、だめ?」
「ヘイデン?ううん?」
何が?と聞き返そうとして、聞き流していたリオネルの言葉をやっと理解した。
そんな馬鹿な。
何が悲しくてあの恋人馬鹿に、自分の看病をさせなければならないのか。
そう思ったのに。
にこっと笑ったリオネルの顔に、何も言えなくなった。
「よかった。ヘイデンも心配してたし、ヘイデンならノアさんも安心でしょ?」
それは、確かにそうだけれども。
ヘイデンに限って、いや、師団のディッカーは誰でも、二人きりでいても何の心配もない。
ただそれは、ノアにとってはという話で。
周りはそうは思わないはずだ。
「リオネル、事務官の宿舎だよ。ヘイデン来づらいよ」
何とか言い募ってみると、リオネルは何の心配もない顔で笑った。
「えー、ヘイデンだよ?今さら誰もなんにも気にしないよ」
そうだった。
眩しいほどのリオネルの笑顔と、その公認彼氏のヘイデンがならび歩く姿は、騎士団に長くいる者には当たり前のことで。
「そうだね。ふふ、ありがとう」
羨ましく思うことさえ、できなかった。
ふと気づくと、部屋はすっかり夜の顔をしていて、暖炉の脇にかけた鍋から静かに湯気が立ち上っていた。
紙をめくる音がして、視線をめぐらせる。
寝台の足元側、椅子に座ったヘイデンが何かを読んでいた。
「ヘイデン」
チラと目線を上げたヘイデンが、へらりと微笑んだ。
「おはようノアさん。水飲む?起き上がれる?」
矢継ぎ早に問われて、少し笑う。
それでも、ずっと体が軽くなっていて、先ほどまでより楽に起き上がることができた。
「ありがとう。なんか飲んどこうかな。
ごめん、ヘイデンだって疲れてるのに」
寝巻きが汗で体にへばりついて、少し不快だった。
体を起こしたところから、冷えた汗が冷たくなって、思わず背中を丸める。
はい、と手渡されたカップから水を飲んで、それから毛皮を背にかぶった。
「ねえノアさん、あれ、管理課の扉だよね?」
ヘイデンの指差す先。少し複雑な回路の刻まれた扉。
騎士団の宿舎や官舎には必ず設置されている、管理課へ続く扉。
問われて頷くと、ヘイデンが少し困った顔をしてノアを見た。
「お手紙届いてるみたい。俺、少し出てるから、確認しなよ」
そう言って、ヘイデンは扉の下の方を指差した。
「俺が取っていい?自分で取る?」
体を乗り出してみると、確かに扉の下から封書が顔を出していた。
いつもの、管理課からの通達とは違う。
「自分で取るよ。もう大丈夫だから、ヘイデン戻っていいよ」
言いながら足を下ろすと、ヘイデンが小さく肩をすくめて口をひらいた。
「ダメー。俺、リオネル先生からこまめに様子見ろって言われてるもん。
一回リオネルの部屋戻ってるけど、また時々見にくるからね」
きっぱり言われて、思わず笑ってしまった。
「リオネル先生のご指示かぁ。……断れないなあ」
「でしょ。でもちゃんと俺も休むから心配しないでね」
そう言うと、ヘイデンは少し伸びをした。
「さすがに何度もこの宿舎に出入りするのはちょっとアレだから、俺らがまだ出る前で良かったよ」
「出る前って?」
話の接ぎ穂が見えなくて問い返すと、ヘイデンが嬉しそうに相合を崩した。
「ああ、そっか。俺たち、宿舎出て二人で暮らすことにしててさ」
「えっ、そうなの?」
驚いた拍子に、また咳が出てきてしまった。
ヘイデンはノアの様子に苦笑いしてから頷いて、それから言葉を続けた。
「うん。だから、セーフ。さすがにリオネルがいなかったらここ来るの変だしね。今日もちょっと驚いてた人もいたし」
首を回しながら言うヘイデンに、申し訳ない気持ちになった。
「なんか……、ごめん」
「あっ、違う違うノアさん。そうじゃないよ。
だから、そろそろ宿舎出る潮時だったんだなあって思ったっていうか」
潮時。
その言葉が、痛いほど喉の奥に沁み込んで、また乾いた小さな咳がでた。
それを聞いたヘイデンは、また後でくるから、と言い残して部屋を出ていった。
暖炉の火が、パチパチと音をたてる。
汗の冷えた寝巻きを体から剥がして、素肌に毛皮をまとった。
遠慮がちなその肌触りに首をすくめてから、扉の前にしゃがみ込んだ。
何の変哲もない、飾り気のない封書。
指で、つまみ上げてみる。
中に、紙以外の何かが入っているのがわかった。
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