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第2話 初夜……してみる?

 レーシュは王宮に到着すると、まっすぐに宰相の執務室へと向かった。  重厚な扉を通り抜けると、マホガニー製で縁や脚に繊細な彫刻がされた宰相のデスクがある。同じデザインの椅子には豪華な刺繍がされたクッションが張られている。まだ主はいない。  左の壁際にある本棚の横、小さめの扉を押し開ければ、途端に簡素で実務的な机の並んだ空間が視界に飛び込んできた。  ここが、レーシュの職場だ。宰相補佐という立ち位置で仕事をしている。 「ミンテ、おはよう」 「あれぇ、レーシュ。もうそんな時間?」  背を丸めてのめり込むような姿勢で本を読んでいたのは、ミントグリーンの髪を持つ同僚のミンテだ。  濃い茶色の瞳がレーシュを見て、朝の読書時間を儚んで眉が下がる。ベリーショートの髪が可愛らしく、小柄な体躯と小さな顔のおかげで、些細な仕草もリスみたい。  宰相補佐のなかで一番若い二十四歳だが、ミンテは誰もが認める秀才でもある。  レーシュは自分の机に着席すると、さっそく仕事を始めた。昨日手の回らなかった稟議書の検討や会議に向けた資料の作成など、やるべきことは常にたくさんある。  ミンテもそれに倣って本を閉じ、一緒にあれこれと相談しながら仕事を進めていると、気づけばあと二人の同僚も出仕してせかせかと働き始めている。  アツィルト王国で一番忙しい男とも呼ばれる宰相を支える事務補佐たちは、他の文官たちと比べても激務だった。  しかし四人とも真面目で仕事が嫌いではないため、緊急で無茶な仕事が回ってこない限りは基本的に和やかな職場でもある。  レーシュも仕事に関して真面目一辺倒だ。  昼時になると四人で角の机にランチボックスを広げ、和気あいあいと会話するのも日常の風景だ。王宮内に勤め人用の食堂はあるが、この宰相執務室からは遠いので滅多に利用しない。  ちなみに宰相は多忙すぎて、今日はまだ執務室にやってきていないようだ。どうせあちこちで面倒な貴族に捕まっているのだろう。 「ミンテはそろそろ結婚しないの?」 「まだまだ。おれ、結婚とか興味ないしぃ」 「でも、若いうちのほうが絶対いいわよ! 親御さんに勧められたりしない?」 「うへぇ。それってまるきり貴族の考え方だよ……」 「そうかしら?」  ミンテに質問攻撃をかけていた同僚の一人、ビナーが首を傾げる。話し方に特徴はあるが男性で、既婚者だ。  この中ではミンテだけが平民出身なので、考え方の違いはふとした会話で浮かび上がってくる。  宰相の方針で、身分を問わずに知識や思想を共有することがこの部署の目的でもあるため、レーシュたちはミンテの説明に耳を傾けた。  この国の貴族は子を作るために結婚するといっても過言ではない。嫡子だったら基本十代のうちに政略結婚で、そこに愛の有無は考慮されない。  だが、平民はお互いの気持ちが一番大事なのだという。愛があるからこそ、結婚する選択肢がある。むしろ結婚なんて契約をしなくとも、一緒に住むだけで満足する人も多い。  金銭的な面から子孫を残すことに拘らない人も多く、結婚する年齢も人によってまちまちらしい。  爵位があって、血統を繋げないといけない貴族とはまた違った考え方に、ビナーともう一人の同僚テットが「へええ」と感心したように相槌を打った。  貴族は基本貴族としか交流しないし、使用人とざっくばらんに話すこともほぼない。なんとなく知っていたことでも直接話を聞くことでちゃんとした知識になるから、この職場は面白い。 「よくわかったわ、ありがとう。でも私、奥さんが子供を生んでくれてから毎日が大変だけど幸せで……みんなが同じ幸せを感じられたらいいのにって、思わずにいられないの」 「ビナー、それも人それぞれだろう」 「テットこそ、娘さん、目に入れても痛くないんでしょう?」 「当たり前だろう!」  レーシュはミンテとちらりと目を合わせて笑った。この二人は自分たちよりも歳上で、もうとっくに上の子たちは成人しているのに、ずっと子煩悩なのである。  料理人に作ってもらったサンドイッチで両頬を膨らませながら、レーシュは今の会話を自分に当てはめて考えてみた。  そもそも結婚の目的自体、自分たちは標準から大きく外れている。子を作るつもりもなく、愛もない。長年共に過ごしたことでラツィエルには家族愛のような感情を抱いている気はするけれど、それだけだ。  まあ人は人、自分は自分。レーシュは周囲に同調したいとか他人に合わせるべきだとか感じないので、そういう人もいるんだなあ、と結論づけた。  他人事の顔をして紅茶を飲んでいると、今度はレーシュに会話の矛先が向く。ビナーの目がきらりと光った。 「で、レーシュはどうなの? 生命(せいめい)()には祈りに行ってる? この前奥さんの親戚に樹子(じゅし)が生まれたのよ。本当に不思議な仕組みだけど、赤ん坊の顔は普通と変わらなくて、しわくちゃで可愛かったわぁ」 「えーっと……」 「ビナー、他人の夫婦の事情に首を突っ込むものじゃないよ」  生命の樹(セフィ・ロット)、通称胎樹(たいじゅ)と呼ばれるものが、この世界における人間のもう一つの繁殖方法だ。かつて選ばれし神子がこの国で信仰される水の女神、ポセイーナに祈って得られたという、卵の生る樹。    婚姻をした同性の夫婦は、一定の条件を満たしたあと胎樹に祈ることによって子をもうけることができる。通常の出産のように何人もの子を連続で得ることは難しいものの、若く健康な二人が熱心に祈れば生涯で一人くらいは()るらしい。  子の入った卵が胎樹に生って約十か月経つと、胎樹のふもとにある神子の池(ポン・ポセイ)に卵が落ち、殻が割れる。割れた卵の中には、出産するのと変わらない子供が入っているのだとか。そうして生まれた子は樹子と呼ばれる。  謎の多い仕組みで、詳しく知っているのは胎樹の管理者だけだという。そして彼らは、胎樹のことに関して外では話せない決まりになっているため、他者が解明することもままならない。  さらには神秘を暴くのは神に対する冒涜だと主張する団体もあるゆえに、樹子を得た人たちも容易に語ることはできないのだ。  レーシュは胎樹に祈りに行ったことがない。なぜなら祈りには夫婦であるというだけでなく、夫婦の営み――つまりは性行為をしたという事実もなければ意味がないからである。  ――結婚当初、実は一度だけ試したことがある。愛のない結婚でも、お互いに若くて性的なことに興味があったのは否めない。 「初夜……してみるか?」 「……うん」  レーシュは素直に頷いて、ラツィエルに押し倒されるまま身を預けた。ラツィエルは挿れるほうをやりたいと言い、レーシュはそれにも頷いた。ラツィエルのことは嫌いじゃないが、正直勃つとは思えなかったからだ。  しかしまあ、実際の行為は今思い返しても全てがぎこちなく、お互いに手探りだった。  やってみたいという思いと、机上の閨知識のみ。前戯はよく分からないのですっ飛ばして二人は繋がろうとした。  ――しかし…… 「い、痛い痛い痛い!」 「う……少し我慢できないか?」 「むりっ、死ぬー!」  痛いとは聞いていたけど、裂けそうになることがこんなにも恐ろしいなんて。レーシュは泣きそうな顔でラツィエルを見上げた。 「やめとくか?」 「……うん」  一応ラツィエルの方は勃っていたので、性的な興奮状態にあったと思うのだ。しかし彼は挿入を諦め、素直に引いてくれた。  事後の空気はかなり気まずかったけれど、無理やり最後までしようとしなかったことにレーシュは深く安堵し、彼への信頼度が増した。  それ以来、二人の間で「この形式的な結婚に夫婦の営みは必要ない」というのが暗黙の了解となった。ラツィエルの性欲は外で発散してきてくれていい、とレーシュは本気で思っている。  最後までできていたら、一応は祈りに行ってみたかもしれない。レーシュは胎樹という生命の神秘に興味があった。  周囲は当然レーシュが胎樹に通っていると思っているし、「どんな感じなの?」と聞かれるたび困っていたのも理由の一つだ。 (別れる前にもう一回くらいしてみてもいいかも……)  気を遣ったテットが話題を逸らしてくれたおかげで、レーシュはまた思考の海に沈んでいた。みんなが立ち上がって自席に戻っていくことに気づき、のそのそと自分も机の上を片付ける。 「レーシュ、口元にパンくずついてるよ」 「どこ? 取って」  ミンテの方に顔を近づけて顎をつき出すと、「うわあっ」と声を上げてミンテは後ずさる。不思議な反応にぱちぱちと瞬いていれば、なぜか怒った口調で叱られてしまった。 「自分で取りなよ! 唇の右のほうだから。そう……そこそこ。はぁ、普段どんだけ旦那さんに甘やかされてんの?」  無事にパンくずを見つけたレーシュは、「んん?」と首を傾いだ。こんな風に言われたことは一度や二度ではない。  けどわからない。旦那さんに甘やかされる? 今の行動のどこが??  プラチナの後れ毛がさらりと揺れ一瞬ミンテの目を奪うも、ミンテはぶるぶると頭を振って「怖っ。好みじゃないってのに……」とぶつぶつ言いながら自席に戻っていく。  よく分からないけれど、不用意に他人へ顔を近づけるなとラツィエルにも言われたことがある気もする。それが良くなかったんだろうな、とちょっとだけ反省してレーシュは思考をぱたりと閉じた。

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