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第4話 ラツィエルの買い物は長そう

 道中の会話が盛り上がることもなく、混雑する通りの一本手前で馬車が止まった。先にラツィエルが降りて左右を確認したあと、出ようとするレーシュに手が差し出される。 「ほら」  その自然な動作に、さすが騎士様だなぁとぼんやり感心した。  手と手が触れると、その熱さに少しだけ驚く。他人の体温をこんな風に感じるのは、とても久しぶりだった。  馬車を降り、さっそく文具店に向かおうとするとラツィエルが隣に並んだ。 「どうしたの? 服飾店はあっちじゃん」 「付き添いがいたっていいだろう」  ラツィエルが贔屓にしている店で買い物しようとしていることはわかっている。レーシュには理解できないが、この男は毎年毎シーズン新しい服が必要らしい。  レーシュはラツィエルの答えに「なんで?」と強い疑念が湧いた。まさか文具店に行ったあとは自分が服飾店に付き添わなければならないのだろうか。 「来なくていいよ。なんか降りそうだし、さくっとお互い買い物済ませちゃった方がいいって」 「う……まあ、そうだな」  ちらと葡萄色の目を空に向けると、分厚い雲が空を覆っている。西の空はさらに暗く、遠くで雨が降っていそうだ。  レーシュが天気について言及すると、ラツィエルはがっくりと項垂れて(きびす)を返す。実は彼も文具店に行きたかったのかな、と考えて「何か買っておく?」と背中に向かって尋ねたが首を振って去っていった。  よく分からないけど、まあいいか。レーシュは意気揚々と文具店に向けて歩き出した。  マニアックな商品を置いている店で仕事用の羽ペンと、ついでに変な形のインク壺も見つけて購入する。いい香りのする便箋シリーズに桜という異国の花の香りが新作として登場していたから、それも合わせて買って、満足して店を出た。  帽子のつばを少し上げてまた空を確認するも、まだ天気は保っている。何が気になったのか、通りの何人かがレーシュを見て振り返った。  ラツィエルの買い物は長そうだな、と勝手なことを考えてゆっくりとレストランに向かう。遅めのランチなのでもうお腹が空いていて、レーシュは何が食べられるかなぁとわくわくしていた。  ラツィエルの指定したレストランが見えてくると、店の前に小さな人だかりができていることに気づく。華やかな彩りのドレスは貴族の子女たちだろう。  なんとなく既視感を覚えてレーシュが近づいていけば、中心から頭ひとつ飛び出している男性はやはりラツィエルだった。  レーシュにはしかめっ面ばかり見せる顔はにこやかに緩み、口角も上がっている。 「ラツィエルはまだ、なのか」  はぁ、と呆れとも感心ともつかないため息をこぼし、人だかりに近づいて行く。レーシュが来たことに気づいたラツィエルがぱっと破顔し、周囲の女性たちは束の間見惚れた。 「レーシュ! 待ってたよ。――さぁ、連れが来たからもう解散だ。気をつけて帰るんだよレディたち」  こちらに向かってきたラツィエルの背後で、レーシュのことを見た女性たちが「誰? この人」という顔をしている。連れと言われた人は細身で小洒落ているが男だし、眼鏡と帽子で顔がよく見えないからだろう。  ラツィエルがレーシュの腰を引き寄せ、レストランの入り口にエスコートする。 「胡散臭い笑顔……」 「聞こえるだろ、黙っててくれ」  仕方なくこの茶番に付き合っていたレーシュは、店に入る直前、ラツィエルによって帽子を取られて目を剥いた。  驚いて横を向くと、背後できゃあっと黄色い声が上がる。ラツィエルはレーシュの額に小さなキスを落としてその場にさらなる混乱を招いたあと、素知らぬ顔で店内に入った。 「ちょっ、勝手なことするなよ!」 「帰りまで店の前に居座られたら、迷惑だろう」  レーシュの容姿を垣間見せ、恋人や伴侶のように振る舞う。それで女性たちも諦めるだろうと、そんな作戦らしい。  ちょっとよくわからないが、ラツィエルが満足げならまぁいいか。レーシュは店内に漂う美味しそうな匂いに惹かれて、他のことはどうでもよくなった。  レストランでは運良く、奥まった個室に案内されることができた。  最初にスープが出てきた時点で眼鏡が曇ったので外してしまうと、ラツィエルは物言いたげな目でレーシュを見てくる。給仕の若い男性がカシャンとカトラリーを落とした。  レーシュは視線を無視した。この変装まがいのこともラツィエルに昔言われたから続けているだけで、もうとっくに意味のないものになっているはずなのだ。だってこっちはもう三十のおじさんなんだから。 「レーシュに似合いそうな服も、さっき注文しておいたから」 「ふうん」 「もう少し興味持てよ……」  食事も終盤になると、今度は給仕の男性からの視線が妙に気になってきた。なんだかすごくジーっと見られている気がする。  レーシュはまたパンくずでもついているのかと思い、テーブルの向かいに座っているラツィエルに「ん」と顔を突き出した。 「わっ。なんだ急に」 「パンくずついてない? 顔に」 「はぁ? ついてない」 「ちゃんとよく見て」 「お前なぁ……」  目を閉じていても、翠の瞳にじっと見つめられていることはなんとなくわかった。慣れた相手の視線だからなのか、煩わしくもない。  結局パンくずは見つからなかったらしく、レーシュは不思議に思いながらも気にするのはやめた。白い髪が珍しいだけなのかもしれない。  最後にコーヒーを提供されると、ラツィエルは真っ黒なまま飲みはじめ、レーシュはミルクをたっぷりと入れてからいただく。それでも紅茶派なので、あまり進まない。  そろそろ帰ろうかと話しかけようとしたとき、ラツィエルが突然カクンと頭を落とすのを目撃した。眠気に負けたときになるやつだ。 「え。どうしたの眠いの?」 「いや、あー。そんなはずないんだが。なんだ……?」  珍しいことに、レーシュはきょとんとした。ラツィエルは言葉もおぼつかず、見ているうちに何度も寝落ちしそうになっている。  お腹いっぱいで眠くなったのかな? こんな姿は見たことがなくて、ちょっと面白い。  テーブルで支払いを終えると、ラツィエルは用を足してくると席を立った。その様子に、レーシュはさらなる違和感を覚える。彼は以前、騎士たるもの外では決して気を抜かないとか格好つけて言っていなかった? 「ねぇ、ラツィエル……」 「レーシュさん、やっと二人きりになれましたね!」 「え?」  レーシュがラツィエルを呼び止めようとしたそのとき、個室に入ってきたのはあの若い給仕だった。  会話を聞いていたのだろう、レーシュの名前を親しげに呼び嬉しそうに頬を緩めている。その目は異常なほど爛々と輝いていて、レーシュはぞっとした。 「ひと目見たときから惹かれていたんです。あなたはこの国で一番……いや大陸で一番美しい! 女神のような御髪に神秘の瞳、顔立ちは天使のようで、唇は舐め回したいほど……」 「待って待って待って。見てなかったの? 僕には夫がいるんだ」  久しぶりに変なやつに出会ってしまったな……とレーシュは目をぐるりと回したくなった。  相手をするのも疲れるけれど、今の自分には一応夫がいる。店前でのラツィエルの振る舞いを思い出し彼を引き合いに出してみたのだが、男は全く意に介さなかった。 「ああ、あの人はレーシュさんを愛しているようには見えませんでしたよ。全然あなたのことを褒めないし、呆れた顔をするばかりで失礼な男だ。私のほうがよっぽどあなたを幸せにしてあげられます!」 「ええー……」  前半には激しく同意するが、後半には全く同意できない。レーシュは褒められたってちっとも嬉しくないし、男に幸せにしてほしいとも思えなかった。  話しながら近づいてくるのでレーシュは思わず立ち上がる。しかしなぜか足元がふらついて逃げ遅れ、壁際に追い詰められてしまった。 「ああ、あなたはいい匂いがする……」  自分よりも身長の高い男に腕で囲われ、顔を近づけられる。興奮した汗の匂いが鼻先をかすめ、レーシュは吐きそうになった。思わずラツィエルの名前を叫ぶ。 「やめてって! う……――ラツィエル!」  男の唇がレーシュの肌に触れる寸前だった。    間にびゅっと強い風が通り、レーシュは解放される。  一瞬で男はラツィエルに引き倒され、後ろ手に拘束されていた。身長は同じくらいだが、現役の騎士とは体格も体力も違う。 「お前、薬を盛ったな!」 「ああ、そういうこと……」  ラツィエルがと口にしたことで、ようやくレーシュも納得した。ラツィエルの様子がおかしかったのも、自分の足元がおぼつかなかったのも、突然眠くなったせいだ。コーヒーに睡眠薬が入っていたのかもしれない。  騒ぎを聞きつけたオーナーに事の次第を説明し謝罪を受け、警吏に男を引き渡してようやく一段落つく。やり取りをラツィエルに任せきりにして座っていたレーシュは、だんだんと忍び寄ってくる眠気にぼうっとしていた。 「レーシュ、帰るぞ」 「ふああ、今さら眠くて眠くて……。ラツィエルは大丈夫なの?」 「さすがに飛び起きた感じだ」  ぽつぽつと会話しながら外に向かうと、雨が屋根を叩く音が聞こえてきた。 「降ってきちゃったね」 「馬車まで走るか」 「ええ、走る気力ないよ……」  トラブルを乗り越えた安心感で呑気に会話しながら外に向かって扉を開けると、そこには来たときより大きな人だかりができていた。  傘を差しているせいで大群に見える。女性だけじゃなく男性も集まっていることに気づき、レーシュの足は止まった。 「金髪の騎士様! ああ、素敵」 「紫の君! こっちを向いてください!」 「「…………」」 「走るか」 「うんそうしよう」  学生時代を彷彿とさせる光景に、レーシュとラツィエルの意見はすぐ一致した。  店の軒下から一歩踏み出すと、パシャと靴で水の跳ねる音がする。顔に大きな雨粒が当たる。そういえば眼鏡も帽子も忘れてきてしまった。  レーシュはまあいいかと諦めて、自分に向かって差し出された大きな手を掴んだ。 「足遅いな!」 「うるさい!」

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