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第6話 ラツィエルを頼んだよ
休暇明けはまだ曇天だったものの、辛うじて雨は止んでいた。もともと春は雨の多い季節である。
久しぶりに外出したためか雨に濡れたのがよくなかったのか、レーシュは微妙な体の重さと喉の痛みを感じながら目覚めた。
「濡れたまま、馬車の中で二人して寝ちゃったもんな……」
レストランではなんとか気力で起きていて、事件の後処理をして、馬車まで走ったあと、レーシュもラツィエルも力尽きたように眠ってしまったのだ。
使われた薬は睡眠薬だけだったらしくそれは不幸中の幸いだったのだが、屋敷に到着して起こされてからも、レーシュは眠くて眠くて動けなかった。
たぶんラツィエルに引きずられながら移動し、もたもたと着替え、ベッドに入ったと思う。しばらく寝たらスッキリして、面白い一日だったな……と満足感を得ながら晩餐は普通にとったのだけれど。
騎士らしく体力馬鹿のラツィエルと違って、レーシュは年に一、二度風邪を引いて仕事を休むこともある。それと比較すれば今の状態は休むほどではない。
なるべく早く仕事を済ませて帰ってこよう、とぼさぼさの頭でレーシュは思った。
予想通り元気そうなラツィエルと朝食をとり、別室に移動して髪を梳いてもらう。
学園にいたときは生家の王都邸――今はほとんど使われていない――から通っていて、髪も年配の使用人に任せていた。
家を出てからもレーシュの外見が悪い意味で目立っていないのは、ラツィエルの努力によるものほかならない。服も学園の制服があったときは何も考えなくてよかったけれど、今もラツィエルが考えなくていいように準備してくれている。
レーシュの扱いを心得ている男は、小さく眉間に皺を寄せてもごもごと口を動かした。外では堂々としている男が、家ではいろんな表情を見せるなぁと最近思う。
「なぁ、離縁のことだが……」
「進んだ?」
「しない方がいいんじゃないか。昨日の件でわかっただろ? お前を狙う男はまだまだいる」
「えー、あれは偶然だって」
「…………」
偶然、特殊な趣味を持つやばい男に目をつけられただけだ。そう言いつつ、少しだけレーシュの考えも揺らいでいた。
昨日見たラツィエルは、相変わらずの人気ぶりだった。あの軟派な態度が助長している気もするが、彼はそうせずにはいられないらしい。女性に優しくするのは、騎士のあるべき姿だし。
しかし好みの娘でもなければ、強引に言い寄られても困るに違いない。レーシュがいることで面倒な誰かの牽制になるのなら、力になりたいと感じている。
それくらい、ラツィエルには何度も救われているのだ。
「……昨日、ありがとね。戻ってきてくれなかったら、あいつが気持ち悪くて吐いてたと思う。美味しいご飯だったのに、そうなってたらショックで寝込んでたかも」
「吐いてって……お前なぁ。ま、俺もちょっと油断してたわ。間に合って良かったよほんと。――つーか、なんか顔色悪くないか?」
「いや、気のせいだから行こう」
仕事に行くときはいつもシンプルな一つ結びだ。今日は何色のリボンを使ったのか見逃したなと思いながら、レーシュは立ち上がる。
雨が降っていれば同じ馬車で出仕することもあるが、降っていないので玄関先で別れた。
「あれっ、おはようございますハニエル様」
「おはようレーシュ。昨日の休暇は楽しめたかな?」
「はい……」
宰相室の扉を開けると、ハニエルがすでに着席して仕事に取り掛かっていた。レーシュはぽかんと口を開けてしまったが、瞬時に気持ちを切り替える。きっと緊急で面倒な案件が持ち込まれたに違いない。
どんなときも泰然としているハニエルから休暇のことを尋ねられ、とっさに昨日の顛末が頭をよぎった。義父とはいえ、相手は上司だ。今話すことではないだろうと口を噤む。
案の定、補佐室に入る前に「悪いんだけど」と調べ物を頼まれたのでレーシュは気を引き締めた。
「ミンテ、状況は?」
「こっちは一人で大丈夫だから、レーシュは頼まれた仕事をしてて。逆に手伝いが必要なら言ってね。……ハニエル様、昨日も一人で仕事してたみたい」
「はぁ、やっぱり。あの人に休みなんてあるのかな」
「ないかも。休日にベッドの中でだらだらしてるとことか、想像つかないもん」
ミンテもレーシュも、隣国との過去の取引内容を別方向から調査する指示を受け取っていた。近年きな臭いと言われている国だから、ついに何かあったのかもしれない。
理由も告げずに指示だけされたということは、まだ一文官が知っていい内容ではないのだろう。
そのうちテットが出仕してきて、ビナーが来ないねと話していたら家の者から手紙が届けられた。テットが代表して読んでくれる。
「下のお子さんが風邪だって。ビナーもダウンしてるみたい」
「まじか……」
「季節の変わり目だからね」
ミンテが遠い目をして、レーシュは仕方ないと肩をすくめる。むしろ自分の体調も優れないことを知られてはいけない、と思う。忙しさはしばらく続くに違いない。
◇
事態が急変したのはそれから数日後のことだった。
切りのいいところまで仕事をして、そろそろランチにするかと三人で頷き合う。根を詰めすぎても集中力が切れてしまうし、持ってきた食事は食べないと腐ってしまう。
レーシュは王宮のメイドに紅茶を淹れてもらおうと部屋を出ようとした。――その時だった。
扉越しにガタン! と音がして、直後にバサバサバサッと書類の落ちる音が宰相室から聞こえた。慌てて扉を押し開ける。
「ハニエル様!!」
「なに、どうしたの?」
物音はレーシュにしか聞こえていなかったらしく、声に驚いた二人が背後から話しかけてくる。だがそれを聞く前に、レーシュはデスクの横で倒れているハニエルに駆け寄った。
雪崩のように落ちた書類が散らばっている中で、ハニエルは青ざめた顔で横たわっている。
「大丈夫ですか!? どこか痛いですか?」
「だい、じょうぶだ……少し……目眩が」
「おれ、医官を呼んでくる!」
すぐに状況を察したミンテが走って執務室を出ていく。レーシュはテットと協力して物置になっていたソファへハニエルを運んだ。
顔を近づけたときに白粉の匂いを感じてよく見れば、目の下には濃い隈が浮かんでいて、化粧で隠している形跡があった。体も想像より軽い。
よっぽど仕事で追い込まれていたのだ。部下なのに、毎日会っているのに気づかなかったことが不甲斐ない。レーシュは悔しさに唇を噛む。テットも同じような表情をしていた。
ハニエルは大丈夫と何度も言うが、声は弱々しい。医官が来るまでできることはほぼなく、空気を入れ替えるために窓を開けてみるも、湿気を含んだ風は重かった。
ようやく姿を見せた医官にその場で診察してもらう。いつの間にか駆けつけた国王陛下まで部屋にいて、レーシュたちは礼を取ろうとしたが手を上げて断られた。
「どうなんだ。ハニエルは悪いのか?」
「はっ。おそらく過労でしょう。疲労と睡眠不足で体が限界を迎えています。しかし病気の可能性もないとは言えず、しばらくは療養し、様子を見ることが必要でしょう」
「安心できるまで、筆頭医官のお前が診てくれるか?」
「私 で良ければ、もちろんでございます」
国王陛下の言葉に、医官がしっかと頷いた。疲労と睡眠不足だけなら休めば治るだろう。しかし体の中まで覗いて見ることは誰にもできないし、原因を断定はできない。
病気で父を亡くしているレーシュは不安でならなかった。
医官室から担架が運ばれてくるのを待つ間、三人の宰相補佐官はハニエルに呼ばれた。横になって、目眩は一旦落ち着いたようだ。
「レーシュ、ラツィエルを頼んだよ」
「お父様……」
そんな、死の間際みたいなことを言わないでほしい。目の奥が熱くなったレーシュはミンテに背中を叩かれて、ぐっと涙を堪えた。
ハニエルは慈愛の目でレーシュを見つめてから、三人の顔を見渡す。
「みんな、しばらく迷惑を掛ける。これは極秘だが、イェツィラーから麻薬が我が国に流れ込んできているという情報を掴んだ」
「っ!」
顔が自然と強張るのを感じた。イェツィラーは今朝調査を命じられた隣国の名称である。
麻薬の取引は禁じられているが、同じ大陸で密かに蔓延して内側から崩壊した国の話は文官になる者なら誰でも知っていた。
「この国を陥れようとする策略だろうと私は踏んでいる。一見ただの植物で見た目では判断が難しいから、輸入物にこっそりと麻薬を混ぜるのは容易に違いない。しかしそれを国内で流通させる人がいるということは、必ずどこかの貴族が関わっている。君たちに頼んだ調査はその一端だ。私がいなくても、調査を続けて解決の糸口を掴んで欲しい」
「……はい!」
「麻薬は恐ろしい。一度でも体内に取り込まれれば、もう一度求めずにはいられなくなる。事態は一刻を争うんだ」
「ハニエル、もういいから。君は一旦仕事のことを忘れなさい」
ハニエルの口調に熱が入ってきたところで、背後で聞いていた国王陛下が止めた。
つい熱心に聞いてしまったが、その通りだ。頭の中が仕事でいっぱいだったら、体も休まらないに違いない。
三人の中で年長者のテットが「任せてください!」と力強く返事をした。
運ばれていくハニエルを見送りながら、レーシュはぎゅっと手を握りしめた。
大変なことになってしまった。不安と焦りで頭の中では小さなパニックが起きている。でも、進むべき道はハニエルが示してくれた。しばらくは仕事に全力で取り組もうと、レーシュは固く決意した。
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